葬送章第5節「決して綴られざる顛末」

 ラフト教会は尊厳ある豪奢な造りになっている。内部中央は人工庭園が貫くように広がっており、奥には礼拝堂が存在する。さらに教会の西側には金品を貯蔵するための備蓄倉庫、東側には調律の間を中心に神父や総督の私室が配置されている。調律の間には金がふんだんにあしらわれたパイプオルガンがあり、見上げるほど壁一面に埋め込まれた様は圧巻と言えるだろう。

 そんな調律の間に呼び出されたのは、屋根裏部屋に幽閉されていたルミナだ。総督の側近ゲルダに連れられ、ルミナはジェンキンス神父の前へ出された。ゲルダは半歩ほど後ろへ下がり、自由になったルミナは肩を回しながら前を見る。

 ジェンキンスがルミナと対面するのは幽閉されて以来これが初めてのことだ。

「あぁ、あなたがジェンキンス神父ね? それとも枢機卿とお呼びするべきかしら」

 ルミナはドロシーとの面会で、自分がいる場所が教会であり彼が神父であることを聞き出していた。もっとも、ジェンキンスが神父であるか枢機卿であるかはさして重要な問題でもない。結局のところ、彼女にとってこれは単なる挨拶でしかないからだ。

 その証拠に、彼女は返事を待たずに言葉を続けた。

「まぁいいわ。とにかくお礼を言わなくちゃね。やっと薄暗い屋根裏から私を出してくれたんですもの」

 教会の屋根裏部屋に幽閉されていた時間がどれほどか、ルミナは特別意識してはいなかった。しかし実際にはかなり長い時間をそこで過ごしている。加えて、町の空で輝く黒い太陽は沈むことがないため、夜が訪れない。普通の感性を持った人間ならば気が触れてもおかしくないだろう。それでも、彼女は衰弱した様子もなくあっけらかんとした態度をとっていた。

 そんな様子を黙って観察するジェンキンスは、彼女の体の変化に気づいた。肉体的なものというより、身につける服装が幽閉される前と異なることに。

「屋根裏に閉じ込めたのはおめかしをさせるためではなかったのだがな」

 言われて、ルミナは見せびらかすように右腕をあげた。彼女のしなやかな両腕、そして両足は金属によって包み隠されている。そう、屋根裏でホコリを被っていた甲冑の一部を身につけていたのだ。

「確かに居心地は悪かったけれど、おかげで良いものを拝借できたわ」

 黒いドレスはそのまま、身につけた無骨な籠手と具足。一見不恰好に思えるが、不思議とそこには繊細さと凛とした力強さを感じさせる。

「それはかつての英雄が使っていた甲冑だ」

 何を隠そう、甲冑が屋根裏で眠っていたのはそれが既に役目を終えたからである。不躾にもルミナは安らかな眠りを妨げたわけだが、自覚はあるらしく嘲りを含んだ声色で言う。

「あら、ごめんあそばせ。その誰かさんには気の毒なことをしてしまったかしらね」

 対して、ジェンキンスは大きく息を吐いて見せた。

「まったくだな。貴様のような悪魔には相応しくない」

「悪魔ですって……?」

 悪魔と呼ばれたことが気に障ったのか、ルミナはジェンキンスに冷ややかな眼差しを向ける。視線に込められた意味、ジェンキンスはそれを汲み取ったかと思うと、すぐに彼女から目線を外す。まるで、汲み取った意味を投げ捨てるかのように。

「とぼけても無駄だ。貴様が魔界からやってきた理由は、神の子の生命を狩るためだろう」

 彼は、ルミナの正体が悪魔であることを確信している。魔界からやってきたこと、ドロシーが身籠る神の子を認識したこと。不可解な点を裏付けることができる答え、それはもちろん認めたくないものではあった。が、事実として彼女は目の前にいる。

 敵意を隠さなくなったジェンキンスを見て、ルミナは何を思うか。自らの正体を見破られた悪魔がどう出てくるか、ある程度彼は予測している。そして予測通り、ルミナはあくまでも余裕を崩す素振りもなく彼の言葉を拾った。

「神の子……あぁ、あの子のことね」

 神の子に対する言及に、ジェンキンスは眉を動かす。やはりと言うべきか、彼女の狙いが神の子であることに間違いはないようだ。

「あの子は無限の可能性を持っているわ。ドロシーはそれを認めていないようだけど、あなたは違うのね?」

 ドロシーは想像妊娠によって実際に子どもを授かった。神話にて語られる聖母のように処女懐胎をし、神の子を産む。少なくともジェンキンスはそう信じていて、ドロシーに子どもを恐れずに育てるよう導こうとしている。

「我々が彼の存在を認めるか認めないかは関係しない。彼はただ、神の子としての資質に従うまでだ。我々も同じように、すべきことを為す」

 神の子が生まれれば、世界を救う救世主となる。魔界に沈んでしまった町に芽吹いた最後の希望であり、子どもを生かす為ならば手段は問わない。

 それがジェンキンスの覚悟であり、ルミナと対峙する理由だった。

「へぇ。それで私をここに呼んだのは、さしずめ処刑する腹づもりかしら?」

 しかし、ルミナは既に見破っていた。ジェンキンスが自分を悪魔だと決めつけた時から、神の子の為の犠牲にしようとしていることに。

「……こんな風に」

 だから、ルミナはウェーブがかった黒髪を翻して後ろを振り向き、いつの間にかその手に握られた刀を振り払った。背後に控えていた側近のゲルダの喉笛を斬り裂くべく。

 ゲルダは兵士として研ぎ澄まされた神経を以って、ルミナが振り向くことには気づくことができた。が、腰の剣を抜くことは間に合わない。さらに、ルミナの手には虚空から現れた刀が握られていて、その刃から逃れることは叶わなかった。

 喉から血を吹き出し、ゲルダは傷口を押さえたまま床に倒れ込んだ。ルミナは刀に付着した血を振り払って落とす。刀は二本の刃が平行に揃えられていて、傷口が簡単に縫えないような造りになっている。もっとも、ゲルダは手遅れな状態だが。

「……子どもはひとりでは生きていけないわ。誰かがそばについていてあげなくちゃいけない」

 ルミナは双魔刀そうまとうを手に、ジェンキンスへ言い聞かせた。神の子に対する理解を。

「とはいえ、必ずしもそれが母親である必要はない」

 ジェンキンスは総督の側近であるゲルダに、ルミナを背後から殺害させる算段を立てていた。だがルミナは先手を打ち、ゲルダを殺害してしまった。

 もはや、ルミナを止めることができるのはジェンキンスの他にいない。とはいえ、こうなることをまったく予想していなかったわけではなかった。

「貴様はあろうことか、神の子に取り入りその力を利用しようと言うのだろう」

 ジェンキンスは踵を返してパイプオルガンの横合へと向かう。そこには刃長五〇センチメートルほどの儀礼剣が壁掛けされていて、彼は剣を手に取った。

「だがこの私がいる限り、そうはさせん」

 儀礼剣を手に、ルミナを見据える。彼の瞳に宿る確固たる意志は、全て神の子に捧ぐもの。ここで彼女を食い止めることができなければ、神の子は死神へと誑かされてしまうだろう。そうなれば、町に残された希望は一滴残らず絶望へと変異する。

 彼の魂には、神の子の生命だけでなく町の未来も懸かっているのだ。

「残念だけど、あなたじゃ役者が足りない。水に流すつもりはなくて?」

 敬虔な姿を見てなお、ルミナはそんなことを言う。もちろんそれは慈悲ではなく、彼女にとって無意味だからこその言葉だった。

「悪魔と取引するつもりはない」

 ジェンキンスの意志とて簡単に曲がるわけでもない。

 神の子を守るために、ジェンキンスは悪魔と対峙する。

 それが避けようのない運命なのだ。

「分かった」

 対して、ルミナは短く淡泊に相槌を打つ。それから彼女は間髪入れずに二人の間の距離を詰めた。

 ジェンキンスが剣を握るのは初めてのことではなく、剣術の心得もあった。が、悪魔と対峙するのは初めてのことで、多少なりとも緊張をしていた。それを抜きにしても、ルミナの速度は目で捉えるのが難しい。あっという間に距離を詰めてきた彼女は双魔刀を斜めに切り下ろし、すんでのところで儀礼剣を噛ませる。

「くっ!」

 もともと儀礼剣は戦闘用に作られたものではない。未知の刀を相手にどこまで斬り結べるか、不安が大きい。だがそんな不安などお構いなしに、ルミナは素早い連撃を繰り出した。

 二度三度と火花を散らし、四度目の斬撃を防ぐ。ここまでの防戦一方に、ジェンキンスは逆転の隙を伺おうと歯を食いしばる。そして彼が思ったより早く、好機が訪れたかに見えた。

 斬りつけられたルミナの双魔刀を刃に受け、そのまま腹を滑らせる。と、双魔刀を下にして儀礼剣で押さえることができたのだ。

 またとない拮抗に動きが止まる。しかし、先に動き出したのはジェンキンスではなくルミナの方だった。

 ルミナは押さえつけられていた双魔刀をズラして縦に起こすと、二枚刃の間に儀礼剣を挟み込む。さらに刃を這わせるようにして儀礼剣を絡め取ると、ジェンキンスは剣に引っ張られて体勢を崩す。大きく横に振り回されたジェンキンスの手から儀礼剣が取り上げられ、双魔刀に挟み込まれた剣は後方へ弾き飛ばされた。二本の刃を巧みに活かして剣を取り上げたルミナは続けて、ジェンキンスの手首を深く斬りつける。

 大きく体勢を崩したジェンキンスは床に倒れ込むも、パイプオルガンの椅子を支えにして踏み止まった。肘を椅子に乗せて手首を見ると、二筋の傷口からはどっぷりと鮮血が溢れ出している。息が上がり胸を打つ鼓動を強く感じ取れて、くらくらとする視界に立ち尽くすルミナが映り込む。

「私を殺すのか?」

 これ以上抵抗する術もなく、死神の鎌は既に首筋に深く食い込んでいる。

「私は殺さないわ。。人の命を手のひらで転がすことがどれほど楽しいのか、教えてあげるわ」

 ルミナの言う彼とは神の子を指す。詰まるところ、彼女は彼を死神へと誑かすつもりなのだろう。ジェンキンスが恐れていた通りに。

「無意味だ。神の子は無益な殺生に与しない。悪魔とは違うのだよ。貴様のような迷える子羊さえも救い、その罪を裁くのだ。それこそが救済となる」

 遠のく意識を手放すまいと、ジェンキンスは言葉を紡ぐ。既に末路は見えているが、彼には抗う力も残されていない。

 そんな生と死の狭間に揺蕩う意思を目にして、ルミナは心底興味深そうに頷く。

「それはそれは……イイコトを聞かせてもらっちゃったわね」

 死の瀬戸際で人は何を想うか。誰しも考えることこそあれど、その答えを知る頃には意味を失う。

 ルミナは死に限りなく近いジェンキンスから奪った儀礼剣を拾っていた。

 剣を拾って、どうするのか。ついに自分の息の根を止めにくるのだろうか。ジェンキンスは朦朧とする意識の中で思考を巡らせたが、彼女の行動は不可解なものだった。

 グサリ、と。ルミナは拾った儀礼剣を両手で逆さに握り、自分の腹部を貫いたのだ。痛みによろめくと、腹部から人間と同じように鮮血が溢れだす。口から血を吐きながらも、彼女はしっとりと笑みを浮かべている。

「うっふふ…………この私を救えるものなら救ってみなさい。それとも、そんなことできないのかしら」

 目の前で起きている事態に理解が追いつかない。生命の危機に瀕してなお、ジェンキンスはルミナの行動を目に焼き付ける。

 彼女は本当に、神の子が自分に救済を与えてくれると信じているのだろうか。だからといって、自ら命を絶つことが正しいのだろうか。あるかどうかも分からない死後の世界に羨望の眼差しを向ける彼女に、ジェンキンスはこう吐き捨てた。

 出血する手首を押さえ、自らの血の海に沈む悪魔から目を外さないまま。

「…………地獄に堕ちろ。このけがれた悪魔め」

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