葬送章第4節「決して綴られざる顛末」

 ドロシー・エキスプレスが幻影────ラスヴェートを妊娠したのはパラダイムシフトが起きた後のことだった。それ以前に異性との肉体的な交わりもなく、妊娠する要因もない状況。ただ彼女に分かったのは、町に相次いで起きる超常現象の内の一つが自分の身に起きているということのみ。

 時を同じくして、町の保安官によって『魔剣ライフダスト』が発見された。逸話によれば、天国と地獄を切り拓いた一対の魔剣の内の一振りだという。それはレミューリア神話の中でのみ登場する遺物であり、本来ならば町には存在しないはずのもの。

 魔剣ライフダストは、現在も教会の中で厳重に保管されている。魔界にあるはずの魔剣が見つかったことは即ち、町が魔界に沈んでしまったことを意味する。単純なことだからこそ、町の人々はすぐにその事実を囁き始め噂として広まった。

 アトランティスは魔界に沈んでしまった。町の外は既に魔界の藻屑と化してしまっている。

 総督府は、既にその事実を突き止めていた。ただし、それを認めるか認めないかの判決を下そうとしなかったのだ。パラダイムシフトによって町は魔界に幽閉されたと認めれば、本当の意味で希望は絶たれてしまうから。

「この町が魔界に沈んでしまってからしばらく経つ。パラダイムシフトが起きてから色々なことが起きたが、最近は特におかしなことばかりだ。魔剣ライフダストの発見、あのルミナという女の出現……」

 ラフト教会の上階にある神父の部屋で、ドロシーは神父と言葉を交わしていた。二人が取り囲むのは、先日発見された魔剣ライフダスト。祭壇に突き立てる形で、神父のもとに保管されているようだ。

「彼女は信じられると思うか? ジェンキンス枢機卿」

 アルセーヌ・ジェンキンスは、教会の神父であると同時に枢機卿でもある。町の総督であるドロシーの補佐役として、彼女に助言をする役割を持つ。今回、二人が話題に上げたのはルミナの正体についてだ。

「町の外からやってきたあの女は危険だ。町の外、即ち魔界からやってきた刺客である可能性は捨てきれん。君の身籠った子が、悪魔になり得ることと同じようにな」

 当然、枢機卿であるジェンキンスはドロシーの妊娠のことを認識している。しかし、彼が妊娠を見抜いたわけではない。ドロシーが自ら打ち明けたからだ。しかし、ルミナは違った。

「奴はこの町を侵略するつもりなのか?」

 ルミナはドロシーが妊娠していることを見破った。その上、自分は魔界からやってきたと話した。あれから数回の面会を経たが、やはり間違いないらしい。問題となるのは、彼女がなぜ魔界からアトランティスにやってきたのか。

 ジェンキンスは神父としての知識から、ルミナの正体についてある程度の目星をつけていた。

「いいや、それは手段に過ぎないだろう。本当の狙いは君が受胎した神の子に違いない。彼女が悪魔なのだとしたら、救世主となる芽は摘もうとするはずだ。或いは、最悪の結末も考えておかねばならん」

 魔剣を見つめるジェンキンスの表情は厳しく、声色も重い。彼が言わんとすることに、ドロシーは戸惑うまま問いかける。

「なんだ?」

 美しく磨き抜かれた魔剣の刀身を瞳の中で閃かせ、ジェンキンスは起こり得る最悪を口にした。

「救世主ではなく未来を滅ぼす死神へたぶらかすことだ。そんなこと決してあってはならない」

 正直なところ、ドロシーは妊娠したラスヴェートのことを呪いのように考えてきた。町で起きている災いの内の一つに過ぎないと。だがジェンキンスは全く違った見方をしていた。

「君は聖母だ、ドロシー」

 俯き思い悩んでいた彼女に向き直って、ジェンキンスは改めて彼女に真実を伝えようと試みる。

「聖母は処女懐胎によって神の子を授かった。神話の中では特別珍しいことでもないのだよ。君は神の子を授かったのだ」

 ラスヴェートは呪いや災いではなく、神の子である。一時、彼を自身に取り憑いた悪魔だとも思い込んでいた。確かにジェンキンスの言う通り、聖母は処女懐胎によって神の子を授かったと言い伝えられている。そのことを踏まえて考えれば、ドロシーのは符合する点が多い。

「だが私は聖母ではないし、これは神話ではなく現実だ」

 人類は常に、事実を認めることを拒み空想することに逃げてきた。そうすることで神話が生まれ、夢が生まれた。

 しかしいつからだろうか。夢を現実へと変えるようになったのは。

「神話は現実なのだ」

 ジェンキンスは固く言い切ってみせた。

 現に、アトランティスでは現実とは思えない出来事が相次いで発生している。目の前にある魔剣ライフダストは神話の遺物であり、正体不明の女性ルミナは魔界からやってきたと語った。そして、ドロシーはラスヴェートを妊娠した。

「ラスヴェート……私はあの子に何をしてやればいい」

 まだ生まれていない彼は悪魔となるのか、救世主となるのか。このまま彼を育て、産んでしまってもいいのだろうか。

 尽きない不安に苛まれ続けるドロシーに、ジェンキンスは力強く諭す。

「導くのだ。我々を待つ未来は無秩序で熾烈なものとなるだろう。それを統べる者が必要だ。未来に秩序をもたらす覇王こそ、我らの最後の希望だ」

 ラスヴェートは、熾烈な未来を統べる覇王となるべくして生まれる。魔界に沈んでしまった町に芽吹く新たな生命が、希望でなければ何だというのか。もし絶望を孕む悪魔になる可能性があったとして、それを摘み取るなど愚かだ。それを正しく導くことこそドロシーの使命である、と。

 もはや他に選択肢は残されていない。たとえ、ラスヴェートが神になろうと悪魔になろうと、彼女にできることはそれしかない。

「ルミナ・ラナンキュラスのことは私に任せたまえ。君はラスヴェートのことだけを考えればいい」

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