葬送章第3節「決して綴られざる顛末」

 アトランティスは小さな田舎町であり、総督府によって統治されている。町に関することは全て総督府に管理され、町の中のみで完結する。それこそが、この町があらゆる意味で孤立した状態を保ち続けられる理由だ。

 町の農場にて発見されたルミナ・L・ラナンキュラスは、身元不明なこともあって総督府が一時的に引き取ることになった。町の保安官によって彼女が連行されたのは、総督府が拠点とする教会。その屋根裏部屋へと閉じ込められた。

 総督府はドロシー・エキスプレスがトップに立ち、町の全てを掌握してきた。が、『パラダイムシフト』によってその支配は崩壊した。支配を失えば町には自由がもたらされるかもしれないが、実際は違う。現に町は混乱状態に陥り、教会には不安に駆られた住民たちが集まっている。だが、総督は彼らに救いの手を伸ばすことはなかった。

 その実、町が直面した現状を把握することさえできていなかったからだ。保安官やシスター、町の住民たちでは相次ぐ超常現象を解決できないことと同じように、総督府もまた無力なことに変わりなかった。

「総督閣下」

 側近として仕えるゲルダの呼びかけに、ドロシーはゆっくりと顔を上げた。

「面会の準備が整いましたので、ご案内いたします」

 先の通り、総督府は町で発生している超常現象の原因を把握できていない。そんな中で、農場に現れたルミナという女は貴重な情報源になり得る。幸運にも彼女の身柄を拘束することができ、ドロシーは彼女と会って話をすることに決めたのだ。

 屋根裏部屋へと続く螺旋状の階段を速やかに上り、側近のゲルダに外を見張らせる。そうして、ドロシーは冷たい錠前を外して扉を開いた。屋根裏部屋は物置として使われていて、手入れの行き届いた状態ではない。ギィギィと軋む床板を照らすのは柱に据え付けられたランプの光のみで、ランプには蜘蛛の糸がかかっている。周囲には無数の樽や小箱が積み上げられ、今や使われなくなった日用品や鎧の数々がホコリを被ってしまっている。それらを傍に目を凝らして進んでいくと、屋根裏の一番奥へと辿り着く。朽ちた丸い机に背もたれの欠けた椅子、すっかり汚れた小窓。その窓辺には、灰が降りしきる町を眺める後ろ姿があった。

「いい町ね」

 背後にドロシーがやってきたのを察知したのか、彼女は振り向かないままで声を発した。

「アトランティス。連邦の栄えある歴史の枝葉の木漏れ日に隠れた、ささやかで静かな町だ」

 ドロシーは淡々と事実を並べ立てて返す。このやり取りに意味があるのかは定かではない。だが彼女の持つ情報を引き出すためには、たとえ意味がなかったとしても付き合う必要がある。

「えぇ。……とっても退屈な町」

 ルミナはようやくこちらに振り向いて見せた。そこでようやく、ドロシーはこのやり取りが単なる挨拶であったことを知る。

「……それで私に何かご用かしら?」

 窓を背にしたルミナの顔は闇を纏い続けている。ランプの光でさえ払えぬ闇を、ドロシーはこれから引き剥がさなければならない。当然容易なことでないのは承知だ。だからこそ、ドロシーは予め手札を整えてきていた。

「グランチェスター卿の孫娘に聞いたが、吸血鬼は何世紀も前に滅亡したとのことだ。人魚が暮らす海と違い、陸地の殆どは開拓され彼らが隠れる地はもうないとな」

 アトランティスには錬金術師グランチェスター卿の孫娘が住んでいる。総督府は彼女の存在を保護及び秘匿することを条件に、協力関係を結んでいた。錬金術師という立場からレミューリア神話に造詣が深いこともあり、目の前にいるルミナの正体について尋ねるのは道理と言えるだろう。農場の家畜が血肉を削がれて殺されたという状況から、事件を担当した保安官や近隣住民の間では吸血鬼の仕業だと囁かれているのも事実だ。

「私は生き血をすする吸血鬼なんかじゃないわ。まして大海に棲む人魚でもない。陽の光に晒され、陸地に打ち上げられれば生き永らえない出来損ないとは違う」

 だが、農場に現れ家畜を殺した当事者であるルミナは否定した。自分は吸血鬼ではない、と。

 とはいえ、これで行き詰まるわけではない。そもそも彼女の正体が吸血鬼であるかそうでないかはさして重要ではないのだから。

「ならお前はどこから来たんだ?」

 問題にすべきは、彼女が何処からやってきたかだ。農場の家畜を殺したのがルミナでなかったとしても、彼女が突如として農場に現れた理由は説明がつかない。元から町に住んでいた人間でない彼女が、なぜ孤立状態の町に足を踏み入れられたのか。

 ルミナはアトランティスで相次ぐ不可解な現象の一つであり、謎を紐解くための鍵をおそらく握っている。

「私はこの町の外からやってきたのよ。遥々ね」

 そして、ルミナはあっさりと答えた。躊躇いもなく手を開き、握られていた鍵をひけらかすように。

「聞かせてくれ。この町の外はいったいどうなってる?」

 彼女に真実を隠すつもりがないらしいことが分かると、ドロシーは素直に質問を投げかけた。

「あら、知らなかったの?」

 その素直な反応が面白かったのか、ルミナは口角をあげて問い返す。

 対して、ドロシーは肩を竦めて大きく息を吐いた。

「知るわけがないだろう。アトランティスはある日を境に世界から隔絶された。誰一人としてこの町を出ることもできず、誰かが外からやってくることもない。まるで、あたかも周囲を海に囲まれた孤島にあるかのように……だがお前は町の外からやってきた」

 ドロシーの声色には疲れが滲み出ており、ルミナはそれを敏感に感じ取ろうと耳を傾け続ける。

「そうだとすれば、お前は外がどうなっているのか知っているんだろう? 延いては、この町で何が起きているのか」

 ルミナの素性が何であれ、彼女が町の外からやってきたことはほぼ間違いないこと。彼女はなぜアトランティスにやってきたのか、なぜ足を踏み入れることができたのか。

 ようやく出会った町の外の人間との会話。ドロシーの頭から溢れる尽きない疑問を睥睨しながら、ルミナは窓辺から離れ始めた。

「えぇ。あなたが知りたがっていることは、私がこの町に辿り着いた理由でもあるわ」

 言いながら、ルミナは窓辺のそばにあった椅子を引き、ゆっくりと腰をかけた。それからすぐに、彼女は自らの胸に秘めた経緯をつらつらと話し始めた。

「そう遠くない昔の話よ、私は世界の外側を探るために派遣された調査員だった。世界の外側、海の向こう、空の果て、この世ならざる場所。つまり、天国や地獄、魔界と言い伝えられるところへね」

 アトランティスの土地には古くからレミューリア神話というものが根付いている。それによれば、天国と地獄は魔界と呼ばれる場所にあり、死後に向かうとされていた。そう、あくまでも死後に。

「天国と地獄には転生しない限りは辿り着けないはずだ。生きながら魔界に足を踏み入れるなど、本当にそんなことが可能なのか?」

 ドロシーの問いかけに、ルミナは答えるでもなく首を傾げて言った。

「さぁね。でも私はまだ生きてる。奴らはそれを成し遂げたんでしょうね。詳しいことは知らないけれど、私を送り込んだ連中はプロジェクト・ラストリゾートと呼んでいたわ。私は一部隊の隊長として魔界に辿り着いて…………ふふっ」

 話の途中で、何かを思い出したふうに笑いだすルミナ。彼女の横顔は見て取れるが、その笑みが悲しみから来るものかどうかまでは分からない。

「何があったんだ?」

 短く尋ねると、ルミナは微笑みを堪えたままドロシーを見やった。

よ。それから思い知ったわ。其処は魔界なんだってね」

 魔界。どこか自暴自棄気味に見えるルミナの口から一貫して語られたもの。

「ということは、お前は魔界から来たのか?」

 いくら神話と距離の近い生活を送っているからとはいえ、荒唐無稽なことは否めない。だが、町で起きる超常現象を鑑みれば、相対的にあり得る可能性は正当化される。もし仮に彼女の言葉が正しければ、町で起きる超常現象の殆どの説明がつく。いや、ついてしまう。

 ルミナは魔界からやってきた。その事実を認めるか否か。少なくとも現段階で言えば、ルミナのことを全面的に信じることはできない。他に信じられるものがないにせよ、慎重になるべきなのは確かだ。

 しかし次には、その理性的な堤防すらも覆す言葉が耳に飛び込んできた。

「てっきりから全て聞いているのかと思ったんだけど、そのは私の思い違いだったのかしら」

 お腹の子。妊娠。

 ルミナは、ドロシーが想像妊娠によって授かった子どものことを見抜いていた。

「まさか……知っているのか?」

 おそるおそる声を絞り出すドロシーに、ルミナはスッと椅子から立ち上がる。ゆっくりと動揺した様子を楽しむようにして、ルミナはドロシーの顔を覗き込んだ。

「いいえ。だからあなたと同じ。私も知りたいのよ。その子のことを、もっと」

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