葬送章「決して綴られざる顛末」

葬送章第1節「決して綴られざる顛末」

 仄暗く煤けた空に輝くのは、モノクロの光を放つ太陽。世界から色彩を奪い、決して沈むことのない永劫の業火。その黒い太陽が照らすのは、アトランティスと呼ばれる田舎町だ。長閑な町並みには、人々が営む穏やかな暮らしが息づいている。誰もが寂しくも温かな感情を抱く風景────それはすっかりホコリを被っていた。

「いい天気だね……」

 あるアパートの一室の窓辺で、少女が呟く。あまりに不相応な言葉に、ベッドに寝転がって黒い手帳を見ていた少女も窓の外に目をやる。

 彼女の瞳に映っていたのは、町に降りしきる雪のような何かだった。そう、一見するとそれは綺麗な雪のように見える。だが、アスファルトで舗装された道路や、歩道橋の手すりに落ちるそれは雪ではない。町を流れる小川に沈んだそれは、黒ずんだ煤へと変わった。

 ────灰だ。

 と言っても、空から降ってくる灰は地面につくと、雪と同じように溶け出す。だがそこに潤いもなければ、冷たさもない。疎らに町を行き交う人々に触れるそれは、紛れもない灰なのだ。町の外を歩いていた人々は、灰の雨に気づくと逃れるように屋内へ入る。得体の知れないものに、できるだけ触れたくないからだ。

 黒い太陽、灰の雨。これまで見たことのない異常気象は、この町で起きる超常現象の内の一つに過ぎない。町の住民たちの中には天に祈る者もいれば、灰のついた服を一生懸命に叩く者もいる。空から降ってくる灰が何なのか、なぜ灰が降ってくるのか。彼らは不条理な災いを前に、漠然とした不安を抱えて外を見つめることしかできなかった。ただ一人、生まれて初めて見る雪に純粋な目を輝かせる少女を除いて。

 そんな灰の雨が容赦なく降りしきる町アトランティス。その一部に広がる農場では、別の超常現象が起きていた。

 農場に飼われている家畜、そのほとんどが肉を削ぎ落とされて真っ白な骨をさらけ出す。灰が肉体を溶かしたのかも知れないが、灰の雨を受けても平然とする女性の姿があった。しかし、彼女の肉体には明確な異変が見られた。というのも、彼女の頭部は所々が欠け落ちてしまっており、頬には黒い穴が空いているのだ。さらに首筋にできた穴からは白い骨らしきものが覗いている。

 彼女は骸と化した家畜の間をしとしとと歩く。向かう先には、農場の持ち主が住む民家と納屋があった。ふと横を向くと、彼女の赤い瞳は井戸を捉えた。

 井戸に近づいた彼女は、汲み上げた水を貯めておくための桶へ手を伸ばす。桶に張られた水に両手を沈め、そこから水を飲もうとする。が、水をすくうことはできなかった。なぜなら、彼女の手のひらにはぽっかりと穴が空いていたから。

 黒ずんだ神経のような糸が覗く手のひらを不思議そうに見つめる。彼女は手のひらを表裏と眺め、水を諦めて再び足を踏み出した。

 彼女は民家の方には向かわず、納屋へ進む。隣接していた馬舎の前を通りがかるとふいに足を止めた。

「…………」

 馬舎には二頭の馬が繋げられていて、彼女はその内の一頭へ近づいていく。そしてゆっくりと馬に触れようと手を伸ばす。馬は人に慣れているらしく、特に抵抗した素振りも見せず彼女の手を受け入れた。

 彼女は馬に触れた手を撫でるように這わせ、肩のあたりで止める。そしてもう片方の手に特殊な形状の刀を呼び出し馬に突き立てた。悲鳴に驚いた隣の馬が暴れ出し、枷を引きちぎって馬舎から飛び出す。それでも女は構うことなく馬の傷口に手をつけた。

「シー……」

 口をすぼめ静かにするように促す。刀で斬られた馬は鳴き声を上げたのを最後に、力なく項垂れてしまった。

 しばらくの時間が過ぎる。馬の体から血肉が奪われ、彼女の肉体は生きたツヤを取り戻していく。首筋の傷口も、手のひらの穴も、全てが塞がっていた。彼女は骨と皮だけになった亡骸に踵を返し、馬舎を後にする。

 農場から出た彼女は、舗装された通りにやってきた。そこで、彼女は灰が降ってくる空を見上げる。目を閉じて、胸を膨らませて。生命を謳歌するような深呼吸を一つ。

 そうしていると、彼女の耳にけたたましいサイレンが響く。至福の時間を邪魔された苛立ちを宿した瞳で、前を見やる。

 通りの奥からやってきたのは、一台の車両だった。屋根に青と赤のランプを明滅させ、彼女の前まで来て止まる。車から降りたのは二人の男だ。胸には町の保安官であることを示すバッジがつけられ、彼らはベルトに納めた拳銃に手をかけて言う。

「失礼。そこの農場に家畜の血を吸う吸血鬼が現れたと通報が入ったんだ。何か不審な人影を見かけなかったか?」

 保安官のジル、そしてエンツォは黒い装束を身に纏った女性を訝しむ。灰の雨が降りしきる中、悠々と外を出歩くのも珍しい。その上、通報内容も聞いたことのない奇想天外なもの。率直に言って、農場の目の前をふらつく彼女は非常に怪しかった。

「あら、ごめんあそばせ」

 対して、彼女は戯けるとも取れる口調で続ける。

「恥ずかしながら道に迷ってしまったの。よければ此処がどこなのか教えてくださらない?」

 言われたことがうまく頭に入ってこず、ジルは眉をしかめて聞き返す。

「なんだって?」

 が、ジルとエンツォが遭遇した女性は面白そうに微笑みを含む。

「そんなに困った顔をしないで。取って食べたりはしないわ」

 奇妙な言い回しに、思わず顔を見合わせる二人。彼らは自然と腰の拳銃を握るが、彼女はそれに気づいていながら下手に出る。

「私はルミナ。ルミナ・ルミエール・ラナンキュラス」

 彼女はこの町の人間ではない。

「どうぞお見知り置きを」

 そして、彼女はこの町のことを知らずとも、町が置かれている状況を誰よりも知り尽くしていた。

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