第4章「天国と地獄の狭間で」
第4章第1節「天国と地獄の狭間で」
勝手に外に飛び出したイヴを連れ帰ったセツナ。彼女はベッドで黒い手帳に目を通して落ち着いているが、イヴはそわそわと落ち着かない様子だった。というのも、イヴには初めての友達ができたのだという。
「お友達っていたらとっても楽しそう。一緒にゆうえんちに行ったり、きっちゃてんに行ったりして」
「きっちゃてんじゃなくてきっさてん。どっちにしろこの町にはダイナーかファミレスくらいしかないけど」
イヴが話している友達の観念は全て、図書館の本やセツナから聞いたものばかり。友達に対する認識は少しズレている部分があれど、憧れていることは十分に伝わってくる。
「友達なんて良いものじゃないよ。本当に楽をしたいなら、枷になるだけ」
憧れと現実には大抵の場合は落差が存在する。自分が思っているより、期待していたより。何も憧れに限った話ではなく、現実に直面した時に感じる溝は広く浅いものだ。
「そうなの? でも、ポポちゃんと一緒にいる時はすごく楽しそうだったよ」
現実的で否定的なことを言っている割には、セツナにも比較的親しい関係の人がいた。
アトランティスでひっそりと賑わっていたダイナー『Mermaide‘s Bublle』の看板娘ポポがその一人だ。
「全然。いなくなって清々した」
イヴはポポと話したことはないが、セツナと話をしているところを近くで見ていた。二人の様子はイヴの目から見ても親しげで、今のセツナの言葉とはあまり結びつかない。彼女の本心がどうかは分からないが、見せる横顔は寂しげに思えた。
そもそも、セツナは他人に対して冷たい。優しくないとまでは言わないが、必要以上の関心を持って接することがあまり多くなかった。
ポポだけでなく、マリーへの態度も同じだ。
「マリーちゃんは?」
「別に。どうでもいい」
無関心で冷たい物言い。言葉そのままで見ても刺々しいものが、冷たい声によって紡がれることで刃物の如く光る。実際に彼女の本心から出たからこそのものだ。
しかし、それだけが彼女の本質ではないことをイヴは知っている。
「本当に?」
「本当」
即答されただけでは引き下がろうとせず、イヴはセツナをじっと見つめる。生まれてからずっと彼女のそばにいたのだ。その中で、セツナがイヴにどれほどの感情を向けてくれているのかを感じ取っていた。
どれだけ大切にされているのか。それを頭ではなく心で分かっているからこそ、イヴはセツナのことを心の底から信じていた。きっと彼女なら分かってくれると。
「これ以上聞いたら怒るよ」
やや威圧気味に声を低くするセツナに対し、イヴは意地を見せる。
「平気だもん」
ここまで頑固になるのは珍しいことだった。イヴが勝手に外へ飛び出したことも初めてのことだ。セツナがいくら説得したところで、退くことはないだろう。彼女の意思が強く揺るぎないものであることは、目を見れば分かる。
向けられる視線にため息を吐き、セツナは問いかけた。
「そんなに友達に会いたい?」
深く頷くイヴ。
家に戻ってきてから、イヴの関心は友達に向きっぱなし。それこそが彼女を頑固にしているものであり、セツナの心配の種だ。
「教会に行けば会えるって言ってたよ」
セツナはイヴの熱心さに押され、渋々耳を傾けることにした。彼女の話す友達について。
「だいたい、あそこで誰に会ったの? イヴは私にしか見えないのに」
友達ができたと言われても、イヴはセツナ以外の人間には認識できない。超能力や魔力の関連は不明だが、セツナ一人で授かったイヴはあくまでも子どもの幻に過ぎないはず。そのイヴと友達になれる人など、果たしているのだろうか。
「えっと、確かラスヴェートっていう人」
「ラスヴェート?」
イヴが口にした名前について聞いたことはない。少なくとも、セツナが知っている人でないことは分かった。だが、問題はそこではない。
「うん。お外に出た時、わたしあの人と目が合って……」
イヴが言うには、ラスヴェートには自分が見えているらしい。目が合ったくらいでは気のせいかもしれないが、セツナ以外の誰とも目が合わない彼女のこと。勘違いの可能性は低いと見て、セツナは話の続きを聞く。
「それで探しに行ったんだけど、もうどこにもいなくて。でも、親切な人が教会にいるって教えてくれたんだ」
彼女が勝手に外に出て行った理由は、ラスヴェートを探すため。加えて、イヴはそこでラスヴェートではない別の誰かと出会ったようだ。
「親切な人?」
セツナが聞くと、イヴは申し訳なさそうに言った。
「名前は聞いてないの。けど、わたしとお話できたんだよ?」
少ない情報ながら、彼らの実在についてセツナは疑いを持つことはなかった。
イヴは嘘を知らないがゆえに嘘をつかない。それを疑うのは筋違いだ。
「だからわたし、教会に行きたいの。初めてのお友達になれるかもしれないから」
彼女の言うことを信じるか信じないかの話ではない。セツナにとって、イヴの友達になり得るかもしれない存在は二の次だった。
「…………」
セツナが何よりも心配なのはイヴのことだ。彼女が友達に会いに行った結果、どうなってしまうのか。今まで自分としか交わることのなかったイヴが、自分以外のものに興味を示している。裏を返せば、イヴを認識できる存在が町のどこかにいるということ。そんな存在を放っておいていいのだろうか。
イヴのためにも、確認しておいた方がいいのは間違いない。が、確認することが何を意味するのか。セツナはよく分かっていたからこそ逡巡した。
「お友達に逢いたいの。お願い」
それは、恐れと呼べるのかもしれない。いつの日か、必ず来る時の到来。
「……だめ?」
心の準備。それができるのを待たずして、セツナはイヴのおねだりを受け入れた。
「……分かったよ。私の負け」
「やった……!」
喜びから小さく跳ねるイヴ。よほど嬉しかったのだろう。
だが、セツナの表情は決して明るくなかった。ただあるがままの事実を受け止める。そんな厳然とした表情で、手に持っていた黒い手帳を握る手に力を込めた。
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