第3章第4節「不浄なる生命の緒」
総督府が拠点とする教会は、多数の聖職者たちで構成されている。シスターや
白と金のローブを纏い杖を持った
「町に残された生命もあとわずか。時間よりも先に贄が尽きるのは避けられない」
礼拝堂前の通路で洗煉師を見送るドロシーは、忌々しげに呟く。彼女の口調から滲み出る焦りに、聞いていたルミナは呆れたように言う。
「最初から分かっていたことでしょう」
洗煉師の姿が礼拝堂の奥へ消え、ドロシーは俯くと自身のお腹を触った。
「子供には母胎が必要不可欠だ。母胎となっているのは私であって私ではない」
今なお、彼女の中には何かがいる。感覚的に分かるのだ。胎児が子宮の内側を蹴るように、彼はそこに存在していることを証明し続けている。
「簡単に産めるものならば、今すぐにでも腹を割いて取り出してやりたい。だがそうしたところで何も出ない。これは幻想の妊娠に過ぎないのだからな」
拳を握るドロシー。その手の中に、親が子に対して持つ愛情がないのは明らかだった。むしろ、妊娠したことを悔いているとも、授かった子どもを恨むかのような素振り。
「災厄を飼い慣らすことなんてできっこないわ。いい加減覚悟を決めたらどう?」
ルミナは暗にドロシーの胸に渦巻く葛藤を踏みにじり、諦めることを勧めた。
ドロシーは確かに妊娠している。だがそれは想像妊娠に近く、それでいて子供は確かに存在していた。へその緒で繋がっていないが故に、ドロシーにとって子供の存在は曖昧で不安定だ。
「ラスヴェートはまだ穢れを知らない。きちんと導いてやれば、あの子が災厄になることはない」
魔界に沈んでしまった町で授かった、新たな生命。
「もしお前の言う通り、町の外も此処と変わらないのなら、無秩序で熾烈な未来を統べる王が必要だ。あの子はその座に相応しいだろう」
ドロシーが子供に賭ける希望を明かすと同時、礼拝堂からは杖が落ちる音が響いてきた。礼拝堂の奥に向かった洗煉師の身に何が起きたのか。そのことを知っているドロシーは、物音に振り向いていたルミナの肩を掠めて通り過ぎる。
「この体に身籠った以上、覚悟はできている」
すれ違いざまに残していった一言。ルミナが振り返ると、ドロシーは通路の奥へ消えてしまった。
一人きりになったルミナは、礼拝堂へ続く緩やかな弧を描く階段を昇る。礼拝堂の入り口に立って奥にある終末時計まで見通せるようになったが、先ほどの洗煉師の姿はない。あるのは、彼が持っていた杖のみ。
ルミナは緊張の感じられない柔らかい表情で、静かな礼拝堂を歩いていく。コツ、コツ、とヒールの音を小気味良く響かせて。
「あなたは正しく可能性そのものよ。きっと何にでもなれる。でも、存在するためには現実にならなくちゃいけないわ」
誰へ話しかけるでもなく、ルミナは虚空に自身の高い声を伝えた。
「可能性はいくらでもあるわ。だけど、いつだって現実はひとつだけ」
誰もいなくなってしまった礼拝堂でひとり、ルミナは歩きながら周囲を見回す。
「だから、本当は可能性に価値なんてない。無限の可能性が唯一の現実になって初めて価値が生まれる」
やがて、ルミナは杖の落ちているところまでやってきた。見上げれば、そこには世界終末時計と呼ばれる時計盤がある。二本ある針は動いていないが、以前よりも着実に〇時に向けて進んでいるようにも見えた。
目の錯覚なのだろうか。
彼女はおもむろに右腕の籠手を外し、素肌をあらわす。
「あなたなりのやり方で、証明してごらん」
言って、彼女は時計盤に向けてゆっくりと手を差し伸ばした。針が進んでいないかどうかを確かめるようにして。素手で何かに触れようとして。すると、
「ッ」
ルミナは鋭い痛みを感じ、伸ばしていた手を引っ込めた。手のひらを開いてみると、傷ひとつなかった肌は一直線に切れ、血が流れ出していた。
刻みつけられた傷を見て、彼女はしっとりと微笑む。
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