第3章第3節「不浄なる生命の緒」
総督府プロヴィデンスが置かれている教会の裏には、死者たちが眠る墓地がある。アトランティスでは土葬が主流であり、遺体は地面に埋められるのが普通だ。
立ち並ぶ墓標の中、とぼとぼと歩いていたのはジルだった。彼はセツナと別れた後、しばらくの間は車で休んでいたが住民の失踪に遭遇してしまう。いや、失踪というよりも何かに命を貪り尽くされるかのような死に様を見て、あのまま休んでいられるわけもなく。万華鏡を覗いた時から感じていた理不尽への憤りを刺激され、彼は過去に追い立てられて墓地へ足を運んでいた。
ジルが立ち止まったのは、墓地の中心からは外れた隅の方にある墓標だ。基本的に、墓標は遺体を埋葬するスペースのために広く取ってあるのだが、墓地の隅にあるものは間隔を開けずにいくつも立てられている。造りも素人が作ったように乱雑で、木の枝だけが刺されて土に直接名前を刻んだ墓もあった。
「…………」
墓地の隅にあるものは、全てパラダイムシフトが起きて以降に失踪した者たちを弔ったものだ。もちろん全てではないし、ここに墓が立てられているということは先立たれてしまった者がいたことを意味する。
おもむろにしゃがんだジルは、手で地面を軽く払う。土を被って埋もれていたのは、保安官が身につけるバッジだ。息を吹きかけて裏返すと、『JILL.B』と刻まれている。彼はバッジを力強く握り込み、何かを感じ取ろうと額に当てた。
そう。ジルにも妻がいた。
「どこにいるんだ……」
震える声で呟く。
ジルの妻であるツバキは、パラダイムシフトが起きてしばらくした後に失踪した。運命の悪戯か、その日は保安官を解雇された日でもあった。町で失踪した人間は、前触れも跡形もなく忽然と姿を消す。その実、どこかに吸収されるようにして消えてしまう。つまり、ジルの妻を含めて隅の墓標には一人も遺体が埋められていない。裏を返せば生きている証でもある、という希望的観測も露と共に消えてなくなっていた。
それを思い起こすきっかけになったのは、先ほど見た住民の失踪ではない。マリーが見せてくれた万華鏡だった。
万華鏡は過去のあり得たかもしれない可能性を見ることができる。あの万華鏡を覗いて傾けた時、彼が見たのは解雇の瞬間だけではなかった。
万華鏡が彼に見せたあり得たかもしれない可能性、それは妻であるツバキが失踪するところを見てしまうというものだ。もし、彼女を救えたかもしれないという可能性ならどれほど良かっただろうか。あろうことか、ジルは微かな希望さえも打ち砕かれてしまったのだ。
と、背後から土を踏みしめる音が聞こえてきた。
「まだここにいたのか」
地面にへたりこんで悲しむジルにしゃがれた声をかけたのは、アンソニーだった。
老人を見上げるなり、ジルはすぐに俯いて手のひらでバッジを転がす。
「どうして妻が見つからないのか、分かったんだ」
もしかしたら、まだどこかで生きているかもしれない。そんな風に思って、ジルはこれまで生き永らえてきた。町から出る方法を突き止めたら、妻を見つけて一緒に逃げる。そのために、彼はセツナとマリーを頼った。
「あいつはもう、この町にはいない。……分かったんだよ」
セツナとマリーは言った。アトランティスは魔界に沈んでしまったのだと。
そして人の失踪というものを間近で見た今なら、それが真実であると思い込める気がした。
「もし、あいつがあの世にいるっていうなら、こんな町すぐに抜け出してでもそっちに行きたい」
ジルの妻は町から消えた。それがもし、文字通り町の外に抜け出しているんだとしたら。町の外で、彼が来るのを待っているんだとしたら。
そう思わずにはいられなかった。
「お前さんは魂ってのは何処から来て何処へ行くか分かるか?」
縮こまったジルに問いかけるアンソニー。
その意図を汲み取れるほどの余裕はないが、ジルは肩を竦めて答えた。
「あの世に行くんだろ。天国か地獄か。まぁ、今となっちゃどっちだっていいさ。……来世に期待するよ」
半ば自棄になった返しをしたと自分でも思う。聞かせることではなかったと悔いるジルとは裏腹に、アンソニーは関心したように眉を動かした。
「ほう、転生か」
転生。総督府のドロシーが冗談っぽく掲示した答え。奇しくも、先の言葉は転生を望んでいる風に聞こえる。
無意識とはいえ、かなり影響を受けていることに気づいた彼は自嘲気味な笑みをこぼす。
「あぁ。今さらだけど、もっと徳を積んでおけば良かったな」
「良い心がけじゃないか。例え今更だったとして、悔い改める心を持つのは大事なことだ」
アンソニーには失礼なことだが、ジルはこの会話に意味を見出していなかった。世間話でもなく、ただ右から左へと聞き流す。本当に軽い気持ちでいた。
彼にはもう、どうでもいいから。
「そもそも、此処がこの世だって証拠もない。もしかしたら、お前さんはもう死んでいて、生まれ変わるための試練を受けてるのかもしれねぇ」
しかし、アンソニーは神妙な面持ちで奇妙なことを言う。
二人の間に感じる温度差はかなりのもので、ジルは顔をあげるまでもなく笑い飛ばした。
「なんだそれ」
そもそもここはこの世ではない。
冗談にしては悪寒が走る言葉だ。何の根拠があるわけでもなく、もしかしたらの可能性が見えてしまうこと。
それにここがこの世でないというのなら、ここは天国や地獄のあるあの世だとでも言うつもりなのだろうか。
「もしこの町が地獄の一丁目なら、俺はさっさとあの世に生まれ変わりたいもんだけどな」
「アンソニー。悪いけど、今は冗談に付き合う気分じゃない」
いい加減シビれを切らしたジルは、アンソニーの方を見上げる。
「…………アンソニー?」
そこに、白髪の老人の姿はなかった。風に舞う灰だけが、ジルの視界には映っている。
つい先ほどまで話をしていたはずのアンソニーは、忽然と姿を消した。
何の前触れもなく。跡形もなく。
あの日、消えてしまった妻と同じようにして。
「…………」
墓地にいるのはジルひとりだけ。
孤独には慣れたつもりだが、アンソニーと話していたばかりに途端に心細くなる。
いや、そもそもあれは本当にアンソニーだったのか。
何度周囲を見回そうと、墓地にいるのはジルだけ。他にいるとすれば、死者だけだろう。
そう、墓地には亡霊しかいない。
冷え切った脳裏に過ぎるおぞましい考えを反芻し、彼はポツリと呟いた。
「地獄の一丁目、か」
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