第2章第5節「未だ来らず明日を希う」

「…………」

 ジルは目を見開いたまま、万華鏡をおろした。

「どうだった? 何か分かったのか?」

 茫然自失のジルの両隣にいたマリーとセツナは、彼が過去の可能性を見終えたことを察する。彼は黙ったまま、しばらくして拳を握り込み苛立ちを露わにした。

「ちくしょう……」

 万華鏡がジルに見せた、過去にあり得たかもしれない可能性。それは、ドロシーの冗談だった。

「なぁ、何があったんだよ?」

「落ち着いて。話してみて」

 ジルを落ち着かせようとするマリーとセツナ。万華鏡を覗いていたのはあくまでもジルだけで、彼が見ていたものについて二人が知る由もない。

 彼は三度過去を振り返って、芯の揺らいだ声色で見たことを説明する。

「あいつは、この町から出るには転生するしかないって。冗談みたいに言ってた」

 もはや事の真偽など判別もつかないが、確かにドロシーは冗談の如く言っていた。ジルにとって、それはかなり信じ難いというか冗談めいた話ではあったし、実際に冗談だと言われると混乱してしまう。

「転生か……」

 しかし、同じ言葉を聞いてジルと異なる反応を示したのはマリーだった。

「興味深いな」

 彼女は何か思い付いたのか、ジルから離れると白衣をなびかせ机に向かう。そこに置かれていた書物の内一冊を開くと、あるページを指でなぞって言う。

「天国と地獄は魔界、要はこの世ではなくあの世にある。一般的に、この世とあの世を出入りするためには、死ぬか生まれ変わるかする必要がある。もし、アトランティスが魔界にあって天国と地獄のどちらかに沈んだなら、として筋は通る」

 天国と地獄といえば、死後の世界といったイメージがある。そこに出入りするには、マリーの言う通り死ぬか生まれ変わるか、即ち転生しなければならない。

 アトランティスが魔界にあるという前提の下に限るが、出入りする方法が転生しかないというのは筋の通った話ではある。

「なら死んでみるか? 俺は嫌だね」

 だからこそ、ジルにとっては冗談に聞こえるのだ。

 いくらマリーが錬金術師の末裔だからと言って、転生に理解を示したとして光明が見えるわけでもないだろう。彼だって、転生するために死ぬなんて愚かな真似はしたくない。

「他に何か言ってた?」

 セツナは他に聞き出せたことがあるか、ジルに問う。

「この町で起きてる現象の原因は魔力がどうとかって」

「ユレーナエネルギーだな」

 魔力という言葉に真っ先に反応したのは、セツナではなくマリーの方だ。

「ユレーナ?」

 彼女は魔力を別の名前で呼んだが、それ自体を知らなかったわけではない。単に聴き馴染みがなかっただけだ。

「あぁ。レミューリア神話によれば、魔界にはウチらの住むこの世に存在しないエネルギーがある。それがユレーナエネルギー、いわゆる魔力だよ。錬金術にもよく使われるエネルギーでね」

 マリー曰く、ユレーナエネルギーは錬金術にも使われるらしい。ジルは独学でレミューリア神話について調査をしていたが、錬金術までは管轄外だ。

 加えていえば、ただの保安官に過ぎないジルよりも、錬金術師の末裔であるマリーの方がそういった知識に関していえば幾重にも上手だろう。

「あたしも魔力については怪しいと思ってたんだ。セツナの超能力を見た時からね」

 話を振られたのはセツナ。彼女は超能力を有している。自分の目で見てしまったからには疑う余地もなかったが、考えてみれば不思議な話だ。超能力者というものの大抵は何かしらのトリックが使われているもので、必ず説明のつくもの。だが、セツナのそれは人智を超えたものだった。

「あんたが超能力に目覚めたのは、魔力と共鳴したからじゃないかって思うんだ。サイコキネシスを使える理由にもなるし、あんたのお腹にいるらしいの源にもなる」

 超能力に目覚めた原因は、町にもたらされた魔力が原因。町で起きる超常現象の数々にも言えることだが、魔力が絡むといえば結びつけること自体は簡単だ。

 しかし、ジルが耳を疑ったのはそこではない。

「ち、ちょっと待った。だって?」

 赤ん坊。

 となると、セツナは妊娠しているというのだろうか。

「マリー?」

 まだ未成年に見えるセツナは、責めるような視線をマリーに向ける。

 対して、マリーはとぼけて肩を竦めて見せた。

「悪く思うなよ? セツナだってあたしの秘密をバラしたんだ。これでおあいこにしといてやる」

 確かに、セツナはパンを引き換え条件にマリーの隠れ家に連れてきた。マリー自身は接触を嫌って町には開かずの間とまで言わしめていたにも関わらず、パンくずはその真相を暴いたのだ。

 セツナは強く言い返すこともできずに、唇を噛む。そんな自分を見下ろすジルの視線に気づき、彼女は堪忍したのか目を閉じた。

「私のお腹には子供がいるの。って言っても、背は私と同じくらいだし、父親だっていない」

 お腹に子どもがいる。ジルが経験してきた一連の出来事の中でも驚くべきことだ。

 曰く、父親がいないというがどういった経緯で妊娠したのだろうか。

「あたしも正気だとは思えないよ。このご時世だ。空想のお友達でも連れてきたんじゃないかってな」

 町からは人々が消えてしまい、孤独を強く感じる機会は多い。自ずと独り言は増えるもので、命を持たないものに話しかけることも少なくない。ジル自身にも、心当たりはある。

「お腹を触らせてもらったか?」

 いいや、とジルは首を横に振る。

「見せてみろ」

 突然セツナにお腹を見せろと要求するマリー。

「どうせ減るもんじゃないんだから」

 流石にジルに対してお腹を見せるのははばかられるだろう。彼も無理に見ようとも思わなかったが、セツナは渋々シャツをたくし上げた。

 引き締まったセツナのお腹は白く、へそまで綺麗に筋が通っている。が問題はそこではなく、ジルは多少の邪な思いを払い除けて彼女のお腹を見つめた。

「な? どこからどう見ても妊婦の腹じゃない。これでも本当に妊娠してると思うか?」

 マリーとは同意見だ。本当に妊娠しているなら、お腹は膨れているはず。症状があるかどうかはデリケートなこともあって聞けないが、彼女らの言いぶりから本当の意味での妊娠でないことは確かだ。

 それゆえに、セツナの妊娠についてもある程度腑に落ちる答えが見えてくる。

「つまり、ってことか?」

 本当は妊娠していないのに、妊娠したと錯覚すること。個人差はあれど、実際に妊娠の症状も出るというからには本人だったとしても判別は難しいだろう。

「似たようなもんだな。父親がいなかったとして、魔力で妊娠できないとも言い切れない」

 おかしな話ではあるが、錬金術に精通したマリーがいうからには可能性は否定できない。

「もしかして、独り言を言ってたのも……」

 セツナを初めて見かけた時から、彼女は自分に向かって話しかけるような独り言があった。彼女の家に招かれた時に、彼女は話している相手のことをイヴと呼んでいたことを思い出す。

「イヴは私以外には見えないの。どういうわけかね」

 あの時はそれこそ空想上の存在に話しかけているのかとも思った。そういう精神状態に陥ってたとしても不思議ではない。彼女は初めて会った時から掴みどころがなく独り言の多い、上の空気味な印象だ。だが、独り言は想像妊娠に魔力が絡んだものだとは考えもしていなかった。

 シャツを直すセツナは少し萎縮してるのか、先ほどより体が小さく見える気もする。

 彼女にも彼女の悩みがあるのだろうが、ジルにはどうすることもできない。せめて一言かけることもできたはずだが、なんと言えばいいか分からなかった。

「とにかく、総督府のヤツが魔力を利用して何かやろうとしてるってのは間違いなさそうだな」

 と、妙に重苦しくなった雰囲気を変えたのはマリーだ。

 セツナの妊娠の件で話は逸れたが、元は総督府のドロシーから得たヒントを話していた。事の真偽はどうあれ、彼らが得た手がかりは貴重だ。

「でも冗談だって言ってたんだぞ。どこまで信じていいか」

 気を持ち直し、ジルはドロシーとの対話を思い出す。彼女の表情から真意を読み取ることはできなかったが、彼女が口にした言葉だけは確かなもの。とはいえ、仮に総督府が何かを隠そうとしているのなら、安易に信じてはならない。

「他に信じるものあるの?」

「……」

 セツナからの冷静な問いかけに、ジルは黙り込んだ。

 疑ったところで、状況は進展しない。

 さらに言えば、ドロシーの言葉が真実だったとしても進展があるわけではなかった。

「で、結局それ以上のことは分からなかったのか?」

 マリーとセツナは、あらかじめアトランティスが魔界に沈んだということを突き止めていた。ジルがドロシーから得た情報は、それらを裏付けるだけのものであり、明確な希望にはなり得ない。町から出るための手段が肝心なのであり、その肝心な手段を彼女は転生という冗談で示した。

「あぁ」

 渋々、ジルは頷いた。

 いくら転生という手段を信じるとしても、実際に死んでみようとはならない。そんな馬鹿げた手段ではなく、もっと確かな方法があるはずだ。

 転生なんて手段は、冗談でもあってはならない、と。

「結局進展はなし、か。そんじゃもうお開きだな」

 マリーはジルに近づくと、彼が握っていた万華鏡をひったくる。もともとは彼女の家に伝わる遺産であるからには、返すつもりでいた。盗んだところで、売り払う先もない。

 机に戻って万華鏡をケースにしまうマリー。あの万華鏡は本当に過去にあり得たかもしれない可能性を見せてくれた。マリーの言っていることは正しかったのだ。

 曰く、万華鏡は未来と過去の可能性を見ることができる。そこで、ジルはあることを思いつく。

「そういえば、その万華鏡は過去だけじゃなくて未来も見れるんだろ? なら、そいつで町の外に出る方法は分からないのか? せめて町の外がどうなってるかだけでも」

 提案に対して、マリーは呆れるように天を仰ぐ。

「いいかおっさん。あくまでも可能性はあり得ること。あり得ないことは不可能。そこに可能性なんて存在しないんだよ。万華鏡で見えるのは、観測し得る可能性だけだ」

 ジルの提案はあっさりと否定された。彼女が言っていることが理解できないわけではない。ただ、理解できるゆえに怖かった。

 可能性がないものは見えない。つまり、万に一つでも外に出られる可能性はないと言っているようなものだ。

「あ、そうだ。パンの残りはやるよ。お腹の子のためにもな」

 机の上にあった紙袋を見て、マリーは思い出したようにそれをセツナに投げる。まだ多少は残っているようだ。

「ありがとう」

 ジルもセツナと目を合わせると、ゆっくりと頷いた。

 交渉はパンによって成立した。今さらセツナから奪い返すのも、男らしくない。

 何より、彼は心の中で渦巻くモヤモヤに意識のほとんどを割かれていた。半ば放心状態であったと言っても過言ではなく、ジルはいつしか隠れ家の外に出ていた。

 探し求めていた答えとして、転生という冗談を突きつけられたのだ。受け入れたくない思いで、彼は奥歯を噛み締める。

「これからどうするの?」

 と、隣にいたセツナが今後のことを聞く。

「あー、俺も色々と整理をつけたいからさ。いつも通り、適当にその辺でなんとかするよ」

 今日まで生きてきたからには、彼にもこの町なりのいつも通りがある。

「そう」

 短く会話を済ませ、ジルはその場から去ろうと歩き始める。

「じゃあ、何か分かったら連絡するよ」

「連絡する手段なんてあるの?」

 咄嗟に聞き返され、ジルは足を止めて考える。

 セツナの連絡先は知らないし、電気がない以上電話も使えない。誰かと話をするためには、直接会う他に手段はない。

「君の家に行くよ。場所は知ってるわけだし」

「……そうだね」

 短い間で、色々なことがあった。外は相変わらず明るいし、どれくらい時間が経ったのかは分からない。万華鏡を使って過去に行っていたことも相まって、余計に彼の感覚は混乱していた。

「そろそろ行くよ。お互い無事にな」

 手を振り、セツナと別れるジル。

「また」

 彼の小さくなっていく背中を見送り、セツナは帰り道に足を向ける。

 今はいつだろう。

 今日は何日で何時なのか。そんな感覚はもうとっくに忘れていたと思っていた。

 それを思い出させるのは、いつもある一つの欲求だった。

「お腹すいた?」

 問いかけるようにして、彼女は誰へともなく呟く。

 妊娠している子供の声に耳を傾けて。

「私も」

 彼女は家への道を歩き出した。

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