第2章第4節「未だ来らず明日を希う」
ジルが所長室へ向かうと、中には書類に目を通している茶髪の女性の姿が見えた。彼女の姿は写真などで何度か見たことがあるが、実際に対面するのは初めてだ。見たところスラッとした背格好で、黒いブラウスの上に緋色の上衣を羽織っている。
町を統括している総督府のリーダーということもあって、多少の緊張を抱えつつジルは所長室をノックする。
「入れ」
許可を得てから、彼は無言で扉を開けて中に入る。
立場上、二人の間には明確な上下関係があるのだが、今となってはあってないようなもの。もともと真面目と言えるほどでもないが、彼は特に礼儀を弁えるつもりはなかった。町の事態を収束させられなかったのは、お互いに同じなのだから。
「楽にしてくれて構わない。今さら義理を欠いたとして咎めるつもりはない」
ドロシーは読んでいた報告書をデスクに置き、緩めた黒いネクタイに触れながら所長室を見渡す。
「アトランティスが混乱に陥ってから、君たち保安官はよくやってくれた。たとえ事態の収束は叶わなかったとしても、君たちの功績を否定する理由にはならない」
所長室にはこれまでの保安官たちの功績の証である賞状やバッジなどが飾られている。ドロシーが見ている中央のデスクは所長が使っていたもので、未だ書きかけの報告書が並べられていた。
町で発生する失踪事件は何の前触れもなく、一つとして解決していない。それは所長自身の失踪についても同じだった。
「社交辞令はいいです。何か知ってるなら教えてください。この町で何が起こってるんですか?」
町で起きた現象を、総督府はパラダイムシフトと公表した。裏を返せば、総督府は事態を把握していたにも関わらず、それ以上のことをしようとはしなかった。保安官事務所の所長すらも失踪する現状になって、ようやくドロシーはジルの前に姿を現したのだ。切羽詰まった様子になるのも理解できる、そんな調子でドロシーは淡々と言葉を返す。
「伝えられるなら、私も伝えたいと思っている。だが、根拠がなければ物事は事実として成り立たず、憶測と可能性の話になる」
ドロシーがどこまで把握しているのか、正直なところジルにも分からない。だが、彼女の言いぶりから察するに、ある程度の目星はついているように聞こえた。
「彼らは憶測や可能性ではなく、真実を求めている。であるならば、分かっている事実のことだけを考えればいい」
彼女の言う通り、ジルを含め住民たちは答えを求めている。この町から出るにはどうしたらいいのか。パラダイムシフトとはいったい何が原因で起きているのか。理不尽な現象を前にして、瞳は光と焦点を見失ってしまった。
しかしだからこそ、ドロシーは先にあるものではなく手元にあるものを見るべきだと語る。
「この時をもって、保安官としての役目を解く」
「え?」
見据えていた答えから遠ざける。暗に、答えを探すことをやめろと、ドロシーは言っている。どうせ、答えは見つけられないのだからと。
「君にも家族がいるだろう。本当に大切に思うなら、今寄り添うべきは町ではなく家族の方だ」
そう。ドロシーはあくまでも事実を語っていることに変わりはなかった。紛れもない事実は、この時のジルを押し黙らせるには十分すぎるものだ。
「闇から事実を掬い上げようとする前に、闇に葬られようとする事実を守るべきなのは言うまでもない」
言葉にジルが俯くと、頭の中に声が響いてきた。
『いいか、あんたは「魔剣ライフダスト」のことだけを考えればいい』
ふと、彼は万華鏡を覗いていたことを思い出す。つまり、今見ているのは過去に起きた可能性だ。だがそれを見るだけでは何の意味もない。
過去にあり得たかもしれない別の可能性を探る必要がある。
「話は終わりだ。ご苦労様。次はエンツォ・マンティーニを呼んできてくれ」
ドロシーは会話を一方的に終わらせると、同僚の名前を出す。
「まさか全員を解雇する気か?」
多くを語らなかったドロシーだが、彼女の言葉の裏に潜む意図が分からないほど彼は初心ではない。
「君たちの為だ」
冷たく言い切ってみせるドロシー。どうやら、今日のうちに残っている保安官全員を解雇するつもりなのだろう。
「…………」
この時、彼は何か言い返すことはできなかった。ここまでは、全く一緒。
所長のデスクに腰を置くドロシーをジッと見つめる。そう、ジルが踵を返して所長室から出て行くことはなかった。
「何を見ている?」
ドロシーは不快感を声に滲ませる。
ここからはジルが見ることのなかった可能性。万華鏡を傾けて初めて見ることのできる、あり得たかもしれない過去。
「一つ聞きたいことがある」
意を決して、ジルは過去とは異なることを選択した。
「俺が見つけた剣のことだ」
当然、ドロシーは眉をひそめる。彼女の反応もまた、異なる可能性が導き出した違和感とも呼べる。
「あれが『魔剣ライフダスト』だってことは分かってる。あれをどうするつもりだ?」
当時のジルは、魔剣ライフダストについては半信半疑。その上、ドロシーから家族のことを諭されたために退いてしまった。だが今、彼は超能力者であるセツナや、錬金術師の末裔であるマリーと出会ったことで確証を得た状態にある。
ドロシーは少し面食らったように息を吸い、鼻から息を吐く。そして彼女はジルを試すように上目遣い気味に話す。
「パラダイムシフトがもたらしたものが何であるか、お前は理解しているのか?」
言われてみれば、アトランティスが置かれている状況については筋の通る理解をしたが原因までは考えていなかった。仮にアトランティスが魔界に沈んだことが事実であったとして、なぜそうなったのだろうか。
ジルは過去と異なる展開に早速言葉を詰まらせると、幸いにもドロシーは話を続けた。
「君ら保安官が対応してくれた失踪事件を始めとする超常現象には原因がある。それは、魔力だ」
魔力。普段から神や悪魔について語られることのある町なこともあって、大真面目にそんな言葉を聞く機会は珍しくもない。だが町の人々はさておき、保安官という立場にあるジルが全ての事件の原因は悪魔の仕業だと言うわけにはいかない。そういう意味で、彼を含む多くの保安官たちは信仰を気休め程度にしか留めていなかった。でなければ、保安官という職は務まらない。
そんな職務上での事件に、とうとう魔力という単語が当然のように現れたのだ。
「パラダイムシフトによって魔力に侵されたこの町に黒い太陽が現れたのも、人が跡形もなく消えるのも、全ては魔力のせい。君が見つけてくれた魔剣ライフダストがあったのも、そのせいだ」
とはいえ、魔界に沈んだとされる町に魔力があるという話は、特段飛躍したものでもなかった。むしろ、魔界に沈んでいるという前提があるからこそ、素直に飲み込める気さえしてくる。
「魔力に侵されたこの町から出る方法は一つだけある」
そして、ドロシーはついに答えを口にする。ジルが追い求めていた、真の答え。それは、
「転生すればいい」
一瞬、頭が真っ白になった。
「……なんだって?」
魔剣ライフダストについて調べるために神話を読み解いてきたジル。当時よりもその知識はより深いものになったが、だからこそ理解の及ばない領域の話だった。
転生。つまり、町から出るためには死んでもう一度生まれ変われと言っているのだ。
魔力や魔剣といったものこそ言ってしまえば非現実的だが、まだ想像することくらいならできる。だからこそ、神話というものが根付いている。それが実在すると言っても、目に見えない雲の上の話ならと無理矢理に納得できなくもない。しかし転生ともなれば、自分の生死に直結する概念だ。
天国と地獄。セツナとマリーがあくまでも比喩的に使っていた言葉を答えとして突きつけられ、ジルは理解が追いついていなかった。
そんな彼の様子を見て、ドロシーはふんと俯くと微かに微笑んだ。
「冗談だ」
「…………?」
ドロシーは、今の言葉が全て冗談だったと白状する。
さも真実のように語ってきたことは嘘だったと認め、彼女は肩の力を抜く。
「まぁ、来世にでも期待したい状況なんだ。分かってくれ」
何が真実で、何が虚構なのか。
何を信じて、何を疑えばいいのか。
彼には分からなかった。
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