第2話

リラとアルフレッドはその後も街でのデートやアルフレッドの趣味である狩りを通じて仲を深めていき、ついに2人は婚約することとなった。 

 婚約が決まったことによりアルフレッドは以前にも増して頻繁にセーリング家の屋敷に訪れるようになった。 リラはアルフレッドの前ではいつも快活で上品な名家のお嬢様として振る舞っており、彼といる時は使用人らに対しても寛大な態度を見せていたが、一方でアルフレッドがいない時は以前にも増して神経質になっており、我儘な言動もますますエスカレートしていっていた。

 日頃の我儘には慣れっこだった使用人たちもここ最近のリラの態度にはほとほと手を焼いていたが、特にエリスはリラが気が立っているのを見てますます怯え切っているのか、リラに頼まれた買い物の忘れや部屋の掃除のやり残しなど仕事のミスも増え、その度リラに怒られるという負の連鎖が続いていた。

 特にエリスが食器を片付ける際にうっかりリラのお気に入りのティーカップを割ってしまった時は、リラはこの後アルフレッドに会うということも忘れて30分近く延々と、館中のガラス窓が割れるほどの勢いで怒鳴り散らした。


 2人の婚約式の前日、爽やかな初夏の空気に包まれたセーリング家の館では朝早くから多くの人間が式の準備や挨拶のために入れ替わり立ち替わり訪れ大騒ぎとなっていた。 

 帝国内でも屈指の歴史と地位を持つセーリング公爵家の令嬢と近年急速に勢力を伸ばしているギルバート伯爵家の次期当主の婚約式は社交界でも話題となっており、両家の親族や友人たちだけでなく多くの貴族や名のある資産家が出席するため前日からすでに関係者が姿を見せていた。 その中でセーリング家の使用人たちは執事長アゼルの指揮の下、明日のパーティに向けた料理の下準備や会場の飾り付けの仕上げ、挨拶に訪れた親族や貴族の応対、取り次ぎ、はたまたリラの我儘などで常に忙しく動き回ることとなっていた。

 そんな中、リラの父親パーシヴァル・セーリング公爵は館に来ていた親族たちとのやり取りを手短に済ませると、こっそりその場を抜け出し明日の婚約式の会場になる大広間を見に来ていた。

 セーリング家の本館と渡り廊下で繋がっている大広間では既にパーティ用の豪華な飾り付けが進められていた。 大広間の両端にはセーリングとギルバート両家の親族の席が設けられており、そこから中心に向かって真っ赤なカーペットが伸びている。 式当日は婚約者の2人がそれぞれの家の席からカーペットを進み、広間の中心で結婚の誓いを立てるのだ。 周囲を囲むように並べられた参列者向けの立食テーブルには黄金製の燭台が並べられており、当日はセーリング家の料理長とセーリング家の領内で最も有名なレストランの総料理長が腕によりをかけた豪華な料理と酒が並ぶ予定だった。

 会場の準備に追われ渡り廊下を行ったり来たりしていたメイドのアニーは、大広間の前に佇んでいる人影に気付くとパタパタと駆け寄った。


 「あらご主人様。 こんなところで何をされてるんですか?」

 「あぁ、アニーか。 どうも私は親戚付き合いというものが苦手でな。 あんまり声をかけられるもんだから適当にあしらって逃げてきたんだよ」

 「まあ、いけませんわご主人様。 きっと親族の皆様もご主人様を探していらっしゃいますわよ」


 アニーは口元に手を当てて大袈裟に驚いてみせたが、その目はパーシヴァルを揶揄うように笑っている。 パーシヴァルもニヤリと笑い返し、銀色の長髪に縁取られた顔に皺が刻まれた。


 「なあに、今頃マリウスのやつが連中の相手をしてくれているころだろう……式の準備は順調か?」

 「ええ、もちろんです。 パーティーの食材の調達もバッチリですし、会場もご覧の通り。 今のところは大きなトラブルは起きてないみたいです。 リラお嬢様のドレスの調整も先程終わったみたいですし……今日のお嬢様は随分とご機嫌だったみたいですよ。 きっと明日もいい式になると思います」


 アニーは自信満々に胸を張り真面目くさった顔で敬礼し、それからすぐにニッコリと顔いっぱいに笑顔を浮かべた。 それを見て、パーシヴァルも満足げに頷き返した。


 「そうか、それは良かった……いやしかし、お前たちにも迷惑をかけたな。 ここ数日のリラは私から見ても目に余るほどの我儘放題だった。 きっとあいつなりに緊張しているのだろうが……」

 「お嬢様の我儘っぷりは今に始まったことじゃありませんし、きっと他のみんなも気にしてないですよ……あっ! 今のはお嬢様には内緒にしてくださいね」


 アニーは心配そうに話すパーシヴァルを見て彼を励ますように明るい口調で言ったが、失言に気付くとすぐに慌てて口を手で隠し、リラの姿を探すように周囲をキョロキョロした。 幸運なことに、近くにリラの気配はなかったため、アニーは安堵のため息をついた。 その様子を見て、パーシヴァルの表情も和らぎ笑みをこぼした。 


 「ハハハ、それなら良いんだが……お前のように昔からこの屋敷にいる者ならともかく、エリスはかなり振り回されてるようだからな……」

 「たしかに、元々エリスはお嬢様の前だといつも緊張しているみたいだったけど、ここのところはほとんど毎日リラお嬢様からお説教を喰らってるみたいです。 でも、最近のエリスは前より明るくなった気がしますよ。 一緒に館のお掃除をしててもなんだか楽しそうな顔をしてることが多くて。 何か良いことでもあった?って聞いてみても、なんだかはぐらかされちゃうんですけどね」


 アニーはその時のエリスの様子を思い出しながら頬に指を当て首を捻った。 焦茶色の三つ編みが揺れる。


 「ふむ、そうか……まあ、エリスがあまり気にしていないのであれば良かった。 ……さて、準備も順調なようだし、私は部屋に戻るとするか。 悪いが後でマリウスに茶でも出してやってくれ。 きっと散々喋らされて喉が渇いていることだろう」


 パーシヴァルは何か考えるように一瞬険しい顔をしたが、すぐに気を取り直したようにアニーに笑いかけ、軽快な足取りでその場を後にした。


 「かしこまりました、ご主人様」


 アニーは立ち去っていく主人に向かってペコリと一礼した。 それから気合を入れ直すためにぐっと袖を捲り上げ、式の準備へと戻っていった。



 大広間の側の控え室には、木製の小柄なマネキンが部屋の中央に鎮座していた。 袖口の飾り付けやリボンの角度など、細部に至るまで徹底的にリラが注文を付けまくった末に完成した純白の豪華なドレスを身につけふんぞりかえっている。

 ようやく着付けの手伝いが終わり、リラの我儘から解放されたエリスは無言でドレスを着たマネキンを見つめていた。 窓から差し込む光に照らされ、マネキンは神秘的な雰囲気を纏っていた。

 エリスはマネキンに一歩近づき、ドレスの胸元にそっと包帯を巻いた手を添え花飾りを付けた。 純白のドレスの胸元で、大きく広がって垂れた黄色の花弁が3枚、ひらひらと笑いかけるように揺れる。 エリスもそれを見てニッコリと花飾りに向かって微笑み返した。

 するとその時控え室にノックの音が響き、ドアが静かに開いた。 エリスがパッと振り返ると、そこにはリラが立っていた。 リラはエリスの姿を見つけると、ちょっと意外そうに目を丸くした。


 「あら、あなたまだいたの? もう調整は終わったんだから、戻ってもいいのよ?」


 ヒョロリと背の高いエリスと話す時、リラはいつも精一杯胸を膨らませ、少し爪先立ちになる。 それでも目線はエリスの方が高い。


 「リラお嬢様こそ、どうしてここに……ブライアン叔父様と談話室に行かれたはずでは……」

 「ああ、私、あの人嫌いなのよね。 だから逃げてきたの。 ちょっと顔を合わせれば文句と昔の自慢話ばかりで、飽き飽きするわ」


 リラはさらりと言ってのけると、チラッと舌を出して笑った。 しかし、エリスは不安げな顔でリラを見ていた。


 「ですがお嬢様……」

 「何? 大体、私がどこで何をしてようと私の勝手でしょう? あなたに指図される覚えはないわ」

 「さ、指図だなんて! とんでもございません!」


リラがムッとした顔でエリスに詰め寄ると、エリスは慌てて胸の前で両手を振った。


 「まあいいけど……その手、どうしたの?」


 リラは彼女の手の包帯に気付くと訝しげに目を細めた。


 「こ、これは、その……」


 エリスが口ごもっていると、控え室の窓からそよ風が吹き込み豪華なドレスを揺らした。 そこでドレスを見上げ胸元の変化に気付いたリラは、指先で黄色の花飾りをつつきながら戸惑っているエリスの顔を見た。 


 「この花飾り……あなたが付けたの?」

 「あ、はい、その……アルフレッド様が、黄色が好きだと仰っていったので……それで、似合うかと思って……それで、花を切るときに手元が狂って、ちょっと切っちゃったんです」

 「はあ、そういうこと。 全く、本当に鈍臭いんだから……でも、たまにはあなたも気が利くのね」


 リラは呆れたようにため息をついたが、大きな瞳を細めエリスに笑顔を向けた。 ビクビクしていたエリスは、それを見て安心したようにホッと息を吐いた。

 リラはしばらくご満悦の表情で胸元の花飾りを眺めていたが、突然思い立ったようにパッと振り返り、部屋の出口へ一直線に歩いていった。


 「お、お嬢様!? 一体どちらへ……」


 エリスが問いかけ終わる前に、リラは扉を開け放ち部屋を飛び出して行った。 扉は開け放たれたまま、キィィと蝶番が軋む音を響かせた。

 リラは使用人たちが忙しそうに行き交う廊下の中央を堂々と、途中すれ違った客人たちの呼びかけも無視して颯爽と歩いていった。

 リラは彼女の寝室の前で立ち止まると、勢いよく扉を開けて中に入った。 大きな天蓋付きのベッドを横切り、出窓の前に立つ。 そこには初夏の太陽に照らされ鮮やかに色づいた花が咲く鉢植えが飾られていた。 リラはそこから紫色の小さな花弁が並んだ小枝を一本手に取った。 それから、鏡台に飾られた古い写真をチラッと見て、寝室を後にした。

 控え室の前の廊下まで戻ってきたリラは、控え室の扉の前で誰かが中を覗き込んでいるのに気付いた。


 「あら、アルフレッドじゃない。 こんなところで何をしているの?」

 「リ、リラ! 君こそ、どうしてここに?」


 ちょうど部屋に入ろうとしていたアルフレッドは突然後ろから声をかけられたことに驚いたのか、上擦った声をあげた。 


 「どうしてって、ここには私のドレスがあるのよ。 別に私がいたっておかしくないでしょう?」

 「ああ、そうか。 確かにそうだね」


 彼の態度を不思議そうに上目遣いで見つめてくるリラから目を逸らしながら、アルフレッドは口をもごもごさせた。 


 「そんなことより、見て、このドレス! とっても素敵じゃない?」


 動揺しているアルフレッドをよそに、リラは目の前のドレスに向かって手を広げた。 


 「……あぁ、そうだね。 すごく綺麗だ」

 「ああ、明日が楽しみだわ。 早くこれを着て、あなたと一緒に会場を歩いてみたい……どうしたの、アルフレッド?」


 リラは純白のドレスを着て大勢の前を闊歩する自分の姿を想像し、エメラルドグリーンの瞳をキラキラさせていたが、どこかいつもと違うアルフレッドの様子に気付いて彼の顔を覗き込んだ。 


 「いや、なんでもない……ちょっと部屋に戻るよ。 後でまた会おう」


 アルフレッドは早口でそれだけ言い残すと、足早に控え室を後にした。 残されたリラは彼を追うようにその後ろ姿を凝視していたが、やがて見えなくなると、考えるように顎に細く白い指をあてた。


 「……アル、どこか具合でも悪いのかしら? なんだか様子がおかしかったけど……エリス、どう思う?」

 「え? ええと……そうですね……アルフレッド様も緊張されているんじゃないでしょうか?」


 突然会話を振られたエレンは驚いて、考えるように視線をキョロキョロさせながらおずおずと答えた。 


 「緊張……そうね、そうかもしれないわ。 でもちょっと意外ね。 彼はそういうものとは無縁の人だと思っていたけど」

 「それより、お嬢様はどちらへ行かれていたんですか?」

 「ああ、そうそう。 すっかり忘れていたわ」


 エリスに言われてリラはハッと口元に右手を当て、自分の左手を見つめた。 それからドレスの前に立ち、黄色の花飾りを取って代わりに紫の花びらが並んだ小枝をドレスの胸元に挿した。


 「どうせ花飾りを付けるならこっちの方が私らしいと思って……これはあなたに返すわ」


 リラは手のひらで黄色の花飾りを転がしていたが、それをエリスに向かってヒョイと放り投げた。 大きな花弁の花飾りはふんわりと弧を描き、エリスの手元に着地した。 

 戸惑っているエリスの顔を見て、リラはニッと笑う。


 「明日は私の婚約式なんだから、あなたにも少しくらいオシャレしてもらわないとね。 もっとも、あなたは明日大忙しになるだろうから、ゆっくり会場で式の様子を見ている暇なんてないだろうけれど」


 そう言い残すと、リラは鼻歌混じりでその場を後にした。 エリスは手元の花飾りと上機嫌に歩いていくリラの後ろ姿を交互に見つめていた。

 この後、リラは厨房に顔を出しては明日のデザートのメニューにあれこれと注文を付けたり、お祝いに訪れた社交界の友人とペチャクチャお喋りしたりと気ままに過ごし、夜は式の準備が進められる傍ら、早々にぐっすりと眠りについた。 

 一方、アルフレッドの部屋は式の準備が終わり屋敷が静かになってからも明かりが灯っていた。

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