第47話 五條郡長と留守書記(改)

(これまでのあらすじ……)


 東村山郡役所と山形県庁が善後策に腐心する中、峰一郎は天童村の佐藤伊之吉に頼まれた使いに出かけ、伊之吉の小作人の小屋において怪しげな人物と接触します。その謎の男から、現在の東村山郡住民が直面する不条理を教えられた峰一郎は、その男の聞かされた内容のすべてに愕然とします。そして、更にその謎の男は、この世の中を変えなければいけないと峰一郎に詰め寄りました。峰一郎は悩みながらも少しづつ成長していきます。


 **********


 天童(てんどう)村から高楯(たかだて)村への帰り道、いまだに峰一郎は思案し続けていました。出口の見えない袋小路、まさにそんな感じです。


(峰一郎……さん……)


 峰一郎の後ろ姿を追いかけながら、梅は不思議な不安感にさいなまれます。なぜだか、峰一郎が急に遠い人になったような、言い知れない思いに捕らわれたのです。


 峰一郎が佐藤伊之吉(さとう・いのきち)のもとに戻った時も、伊之吉はあの謎の男について詳しくは教えてくれませんでした。


 しかし、「自分たちのせいだ」と言った男の言葉が峰一郎には引っかかり、伊之吉にそれを伝えました。


 伊之吉は、「ほう、あいづ、そんな事ば言ってだっけが」とつぶやき、ぽつりぽつりと話してくれました。


「あいづは、元は天童藩の人間だ、織田家中のれっきどしたお侍だがらな。自分だなりに責任ば感じっだんだべ」


 峰一郎は驚きました。お侍さんが小作人の野良着を着てあんな質素な小屋のような家にいたということがそもそも信じられませんでした。


 しかし、伊之吉はそれ以上の詳しいことは、名前すらも教えてはくれませんでした。それに、峰一郎もそれ以上、無理に聞こうとも思いませんでした。なぜだか、今の時点ではそれを聞いてはいけないように、峰一郎には憚られたのでした。


 **********


 明治13年10月1日のこの日、峰一郎が伊之吉の使いで怪しい男と会っている頃、天童村の東村山郡役所でもひとつの出来事がありました。


 天童地区にある十数ヶ村の戸長が郡役所を訪れていたのです。そこには伊之吉の父親でもある天童村戸長、佐藤直正(さとう・なおまさ)翁の姿も見えました。


 彼らは郡役所からの督促状を受けて、「明日中に納付を済ませますから」と郡長への嘆願に来たものです。


 その趣旨を郡長執務室で聞いた五條為栄(ごじょう・ためしげ)は、純朴なる民の苦衷を哀れみ、民に言葉を垂れるべく部屋を出ようとしました。そこへ、筆頭郡書記の留守永秀(るす・ながひで)がやってきました。


「閣下、ちょうどいい機会です。向こうからガン首揃えて来てくれたのです。しかも、天童村の主だったところの戸長がうち揃っています。今こそ彼らを検束するべきです」


 五條は気分よく嘆願に来た者に目通りしようとしていたところに、行く手を塞がれただけでも不愉快であるに、更に乱暴な留守の提案を唐突に聞かされて面喰らいます。


「なんですと! 正気ですか? 嘆願に来た民を捕らえるなど、そんな天をも恐れぬ無慈悲なまつりごと、……留守くん、君は陛下の御名を汚すおつもりですか! 」


 目を丸くして憤りをあらわにする五條に対し、留守は静かに立ちすくむのみです。しかし、その堂々とした佇まいは、むしろ五條を怯ませるに足るものでした。


 確かに周辺巡回や戸長訪問を強化したり、半直体制で全職員に非常呼集をかけるなど、留守の異常なまでの警戒感を、郡長自身は面白からざる思いで見ていました。


 そんな思いもあって、五條は必死に反駁を続けます。


「第一、検束する名目が立ちません」


 留守は心の中で舌打ちをしますが、もちろん、その表情にはおくびにも出しません。


(名目なぞ要らんというのが分からんか! 無防備に戸長だけで来ている。これだけのまとまった首謀者を一気に捕らえられる機会は、後にも先にもないではないか! )


「いえ、閣下。彼らは既に連合会決議を破っております。衆議に逆らい、どこまでも我意を通し、三島県令閣下の下された住民意思尊重の温情に泥を塗ったも同然です」


「そ、それは……」


 三島県令の名を出された郡長は、一瞬、言葉に詰まります。留守はここを先途と、言葉を重ねます。


「納付を意図的に履行せざるは、皇国の民としては慳貪にして吝嗇、目にあまり、陛下に対しては不義不忠の大罪です。これを遇するに、税金逃れ、兵役逃れに準じた厳しい裁断が必要であると思われます」


 郡長は顔を真っ赤にして反論を繰り返します。


「留守くん、あなたは四角四面で大袈裟に過ぎます。よいですか、まつりごとというのは、陛下の徳や慈愛を下々の民に施すことです。民を哀れみ慈しむことが王道の政事というものです」


 いにしえの堯舜の聖人政治にも似た徳化の王道政事を語る五條と、目の前の現実の政策施行を唱える留守の両者の意見はどこまでも平行線をたどります。


「お言葉ですが、閣下、今において、彼らを捕らえねば悔いを千歳に残します。検束して戸長宅をしらみつぶしに探せば、一揆の企みは明白となります」


 それは一揆を仮定した予防措置としての留守の言葉でした。しかし、それに続く留守の言葉は、その一揆すらも関係ないとする、より過激な意味を含んでいました。


「たとえ一揆の恐れが低かろうと、首謀者となる恐れある者共の半数をこちらで押さえれば後は烏合の衆です。煮るなり焼くなり、いかようにでもできます」


 留守としては住民の叛意に確信を持っていましたが、たとえそれが留守の先走り過ぎた思い過ごしでも一向に差し支えありません。というのも、それについての前例は幾らでもあったのです。


 明治9年11月、山形県庁造営の際、どうしても献金に応じない山形の住人長谷川吉郎治(はせがわ・きちろうじ)を、県は警察署を使嗾して3日間検束させました。そして、拷問まがいの脅迫の末、長谷川に献金を強制させたのです。


 これ以後、長谷川吉郎治の顛末を知った地元住民たちからの献金はスムーズに進展し、県庁は予定通りに竣工開庁を迎えたのでした。また、県庁よりも規模は遥かに小さいながらも、東村山郡役所の造営も似たような経緯で作られており、これについては東村山郡住民たちはより身近な感覚で骨身にこたえていました。


 つまり、関山(せきやま)新道工事遂行を唯一無二の至上命題としている留守にすれば、手段が如何に悪辣無慈悲であろうと、それを躊躇する理由には当たらないのでした。


「あなたは、か弱いお年寄りをとらえてどうするというのですか。そのような夜盗まがいの狼藉はもってのほか!まして陛下の御徳を汚すようなことは断じて許されません!」


 五條郡長は大きな金切声を上げて顔を真っ赤にして叫びました。留守は郡長のその興奮した姿を見て、自らの徒労を思い知ったのでした。


 知恵・見識・体力・財力、自ら恃みとする何物をも自らに持たない公家にとり、帝と伝統の他に依って立つもののない哀れさが留守に重苦しく感じられたのでした。


「閣下のお気持ちはよく分かりました。しかし、閣下がどう思われようと、わたくしは、わたくしの考えを曲げる積もりはありません。……これまでの非礼の段、お詫び申し上げます」


 留守は恭しく頭を下げると、静かに郡長執務室を辞去したのでした。


 結局、五條郡長は住民の懇願を受け入れ、郡長からの懇切なるお言葉をいただいた住民たちは感激を隠そうともせず、嬉しそうに帰途についたのでした。また、その住民代表たちの様子に対して、自尊心をおおいにくすぐられた五條郡長が至極満足したのは言うまでもありません。


 **********


「留守書記、これでよろしいのですか?」


 郡役所の2階の窓から、帰途についた後ろ姿の天童地区の戸長たちを眺めつつ、次席の和田徹(わだ・とおる)が留守に尋ねます。


「いや、これで奴等の狙いは読めた」


 なぜか、留守はニヤリと微笑みを浮かべました。


「は?」


 思わず和田は怪訝な表情を浮かべます。それに対し、留守は窓の外から視線を外し、部屋の中に向き直ります。


「奴等には、一揆を起こすつもりなんぞ、さらさらないということだ」


「えぇ!し、しかし……奴等には負担金を用意している素振りも見えませんが?」


 和田は、その留守の答えに驚きます。


 しかし、その真顔の和田の表情を楽しそうに、留守は笑みすら浮かべて話します。


「奴等のしていることは、すべて時間稼ぎだ。本当に一揆を起こすなら、ギリギリまで気配を隠して、同じ時期を見計らい一斉に蜂起するものだ。こんな迂遠なことはせん」


 郡役所から一斉検束される危険性は住民の側にもあったはずです。それを押して、彼らがなぜこのような行動に出たか?


 一揆であれば数を恃んで押し寄せます。ならば、村毎に百姓たちをまとめる指揮官、足軽大将に当たる者が必要ですから、その立場に立つであろう戸長に、このような危険はおかさせません。


「で、では、奴等は一体、何を……」


 留守には、住民の考えがようやくつかめたことで、自らにも随分と余裕ができたようです。


「ふふふっ、まあ良い、これから奴等がどんな芝居を見せてくれるか、せいぜい楽しませてもらおうよ」


 留守は凄みのある形相で笑いました。それは、見ている和田が思わず凍りつく思いをするような、冷たい笑みでした。


 しかし、留守の顔がふと緩んだと思うや、今度は本当に心底楽しそうな笑顔で和田に語りかけます。


「時に和田くん、わたしは郡長閣下と完全に反目してしまった。すまんが、今後の郡長閣下の補佐は、君によろしく頼むよ」


「る、留守書記……(ず、ずるい!!)」


 留守の手腕に全幅の信頼を寄せている和田でしたが、この時だけは留守の狡猾さを心から恨めしく思うのでした。


 **********


(おわりに)


 峰一郎が謎の男と会った同じ10月1日、東村山郡役所には天童地区の主だった戸長が負担金納付猶予を嘆願するために訪れました。その対応を巡り、五條為栄郡長と郡書記筆頭の留守永秀は決定的に対立しました。五條は王道政事を説いて住民への慈愛を説き、留守は住民中心人物を一挙に拘引して力ずくで事態の収束をはかるべきことを主張します。結果として郡長の顔を立てた形となりましたが、その動きを冷静に分析した留守は、住民たちの狙いを的確に見抜き、一揆の可能性を排除したのでした。

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