第42話 県令の帰県(改)

(これまでのあらすじ……)


 東村山郡役所では住民対策を講じる留守永秀筆頭郡書記に対して、あろうことか役所トップの五條為栄郡長がひっくり返す混乱の中にあり、郡書記次席の和田徹も山形県庁を訪れ、高木秀明土木課長や鬼塚綱正一等警部と面会して善後策に腐心します。一方、佐藤伊之吉の娘・梅と許嫁を装う安達峰一郎は高楯村と天童村の間の連絡を取り持つ密使を勤めていました。互いにそれとは知らぬ峰一郎と和田のふたりは、落合の渡しでニアミスをし、次なる静かな戦いへと向かうのでした。


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 明治13年9月28日夕刻、三島通庸(みしま・みちつね)山形県令は、南村山郡長の村上楯朝(むらかみ・たてとも)と北村山郡長の中山高明(なかやま・たかあき)の二人を伴い、山形県庁に到着しました。


 三島は非常にご機嫌の様子で、二人の郡長も互いに首尾を確かめ合いつつ、和やかに県庁舎に入ってきました。


 それもそのはず、この3人の東京出張は大成功の確かな手応えを感じさせるものでしたから。


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 かつて、三島は2年前の明治11年9月18日、北陸御巡幸中の明治天皇に新潟で拝謁して天機を伺い、供奉している政府要人に山形御駐輦を願い出ました。


 その後、自らの薩摩閥ネットワークをフルに活用して、東北御巡幸の布石を着々と打っていました。明治12年には伊藤博文内務卿・松方正義内務大輔・奈良原繁(ならはら・しげる)内務権大書記官の栗子(くりこ)隧道工事現場視察をも実現しました。


 その後、伊藤から内務卿を引き継いだ松方が、共に薩摩出身の奈良原書記官とともに宮内省への働きかけを行いますが、それも三島県令の巧妙な浸透策のひとつです。


 三島は、いよいよ機が熟すると見るや、この時とばかりに畳み掛けるように布石を打ちます。この二人の郡長の動きもその一手でした。つまり、彼ら郡長も三島の手駒のひとつに過ぎません。


 二人の郡長は三島県令の意を体して、それぞれ別個に上京し、飽くまでも三島県令とは関係なく、あくまでも自らの発意という形にて、御巡幸請願を松方内務卿に建議したのでした。


 その建議書では、宮城・青森・新潟の諸県に巡幸がおこなわれたのに「我が山形県の如き、さきに巡幸の公布を得て、いまだその実幸を得る能わず。いやしくも地方官吏の列に加える者、豈に遺憾ならずや。いやしくも地方臣民たる者、豈に不幸ならずや」


 ……と、明治の御徳沢受益13年間の県内状況視察のため、明治14年に巡幸を希望したいと健気にも建議したのでした。


 明治天皇の行幸は、明治政府の政治的意図が多分に含まれていました。明治天皇が14歳で即位した当時は、まだ国民のほとんどが知らない無名の青年君主でした。そのため、巡幸は新時代の君主として、あまねく国民に知らしめるための国策行事でもありました。この結果、初めて「目に見える天皇」が実現し、可視化された天皇として、近代的天皇制度がスタートします。


 そして、これは行幸を迎える受け入れ側にも計り知れない無形のメリットがありました。特に、東北地方のように戊辰戦役で畏れ多くも天朝に逆らった逆賊の地では、住民を手っ取り早く撫育恭順させる効果的な手段であったからです。つまり、地方官にとっても、栄誉とともに、滞りないスムーズな地方統治を遂行する上での大きなメリットが見込まれたのでした。


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 三島県令の手法はすべからく同じプロセスを踏襲しています。この御巡幸請願の過程は、そっくりそのまま、関山(せきやま)隧道計画を内務省に認可させた推移とまったく同じです。


 薩摩人の行動原理なのであろうか、まず最初に三島県令自身が、薩摩示現流の掛声「チェスト!」とばかりに、真っ向勝負で相手の懐に飛び込みます。これにより、先方に強烈なファースト・インパクトを植え付けます。


 次いで、薩摩閥など人的ネットワークを駆使して根回しを進め、自分の考えを先方にじわじわと浸透させていきます。利用できるものは、たとえ政敵である将軍慶喜だろうが会津藩であろうが、目的完遂のためには一時的な提携をも辞さないという、幕末薩摩藩の政治力を彷彿とさせます。


 その次は、人民を駆使します。郡長を使嗾して、郡民県民、皆こぞって陛下の徳を慕い、御幸を切に熱望していると、猛烈にアピールを繰り広げます。


 しかも、三島が巧妙なのは、この際、同時に政府側の現実的メリットを同時提案して、政府担当者の心を掴んで一気に事を決するのです。


 それが、世界に3台しかない最先端の鑿岩機を輸入して作った隧道であり、当時、日本最長の隧道の開通なのです。この一大事業の完成を内外に大きく宣命し、国威発揚に資する国家的メリットを大いに説くのです。


 栗子隧道掘削に威力を発揮した世界に三台しかない最新鋭掘削機械とは、米国インガソール鑿岩機械株式会社製の『三脚付き蒸気力圧搾空気鑿岩機』でした。完成時の栗子隧道の全長は480間、約864mで、当時の日本国内隧道で最長であるだけでなく、山岳隧道工事としては欧州でもまだ端緒に就いたばかりで、栗子開通は世界的にも大きな偉業として迎えられるもので、世界からも注目されている一大事業でした。。


 翻って関山隧道計画では、まず、県庁から事業計画を内務省にぶつけました。それが叶わぬと見ると、時間をかけて大久保利通内務卿、次いで伊藤博文内務卿に根回しを行い、その賛同がほぼなった時点で郡長・戸長・地主などを総動員して請願を繰り返し、同時に、道路整備にかかわる工事費の一切を住民自らの寄付で賄うと言わしめたのです。


 つまり、関山隧道開削事業推進運動も天皇行幸要望運動も、まったく同じ構図だった、おです。


 かくして、山形・秋田を巡る明治天皇の第二回東北御巡幸は、事実上、ここに内定したのでした。この時の三島県令の絶頂感たるや知るべし。


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 9月28日夕刻、ようやく山形に帰県して県庁舎に登庁した三島県令は、久しぶりに座る県令執務室の重厚な椅子の上で、高木秀明(たかぎ・ひであき)土木課長と鬼塚綱正(おにづか・つなまさ)一等警部からの報告を受けて、初めて東村山郡の状況を知りました。


「やはり、東村山の住民どもが、裏でなんば画策しよっとか」


 意外に三島は冷静に報告を受け止めました。既に連合会で東村山郡が独自の建議書を提出しようとしていたことは、高木課長からの報告で聞いていましたから、薄々は予感めいたものを感じていた三島でした。


「うむ、騒ぎが出るん前に押さえんねばならん。治安に不安があっては、畏れ多くも御奉輦をお迎えするこつはできもはん」


 それに対して高木が答えます。


「ですが、具体的にはなんら住民の表立った行動は何もありません。すべて推測の域を出ておりません。この状況で県が迂闊に動くのは憚られます」


 高木の答えは、現状での対策の苦しい点についての説明でした。


 しかし、既に山形への行幸が内々に決まった上は、三島にとって、もっとも問題なのは治安の確保でした。


「住民どもに表だっての不穏な動きが、あるかないがは問題ではなか。現実に現場の担当官が違和感を感じちょる、ほいこそ、重視せんといかん。しかも、現に不払いが起きちょる」


 東村山郡筆頭書記の留守永秀(るす・ながひで)は、開拓使から三島が引き抜いてきた生え抜きの内務官僚です。その留守の判断に三島は全幅の信頼を置いていました。


「高木くん、出来んちゅうて何もせんこつにはいかん、今んとこで、できる対策は?」


 県令からの問いかけに、高木課長は淡々と答えます。


「経理課を通じて第1期納付分の督促状を出し、直接、経理課長をも派遣して五條郡長に状況説明を求めております。山形警察本署の巡査は青壮年層を選抜した特別編成をして、既に出動態勢を終えています」


 三島は、やや物足りなさそうな顔をします


「うむ、確かにそいぐらいしかできんじゃろうの。そいでんよかが……郡役所ん状況はどげんじゃ?」


 これもまた、高木が流れるように状況説明をします。三島は、この高木の情報力のおかげで時間を無駄にすることなく適宜に判断することができるのです。


「留守殿が郡職員を動員し、半直体制で役所三里四方を常時警戒しつつ、主だった戸長・地主への監視・威圧も強化しております。これには留守殿からの要請で、天童分署も総動員で協力に当たっております」


 三島は頷きながら高木の話を聞いていました。


「うむ、さすが留守だ、やるべきこつは言われんでもやっちょる。……じゃっどん、上があれでは気の毒じゃっで、人手も足らんじゃろう。他に協力的な戸長や地主は掴めんがか?」


 これにも淀みなく高木が答えます。既に和田書記からつぶさに聞き取りは済んでいます。


「留守殿の分析では、関山新道路線沿いとなる予定の長崎(ながさき)地区はおおむね協力的らしいものの、現段階では逆にこちらの動きが気取られる恐れもなしとせず、現有職員のみにて、ギリギリで廻しているのが実状のようです」


 高木の報告に満足したように三島は大きく頷きました。


「状況は、よお、分かった。とにかく、五條どんには、おいから、すぐでん命令書ば遣わそう」


「県令閣下、差し出がましくはありますが、わたしにお役に立てることがあるやもしれませぬが……」


 そう切り出したのは、三島と一緒に帰県してきた北村山郡の中山郡長でした。


「うむ、そうじゃのう……」


 中山は、三島県令に、暗に五條郡長の更迭による事態の刷新を訴えたのでした。そして、必要であれば自分がその任に当たっても良いと。しかし、それに対する三島の反応は意外に鈍いものでした。


「ここまで進めてきた関山新道計画です。御鳳輦をお迎えする栄に浴さんとする今、どんな些細なことも見逃しはできません。今こそ万難を廃し……」


 中山は押し蓋を掛けるように三島県令の決断を促します。


 五條郡長の能力不足は周知のことであり、だからこそ留守を始めとする有能なテクノクラートを郡書記として補佐役に付けていました。また、比較的豊かな土壌に恵まれた東村山郡であれば、世間知らずの公家でも問題ないだろうとの甘い予測があっての人事配置でもありました。


 しかし、これに対し、中山は言外に人事の刷新を県令に訴えたのです。


「うむ……中山どん、おはんの申し状、もっともじゃ。そん時は遠慮なくお頼みしもんそ、じゃっどん、もう少し、待ってくいやんせ」


 三島としては、今の時点での更迭はまだ尚早であると判断し、中山の申し出をやんわりと断わったのでした。


 三島の心は既に福島との県境に工事中の栗子に飛んでいます。今すぐにでも栗子に飛んでいきたい三島にとって、人事の煩わしさは一揆を鎮圧するよりも面倒に思えたのでした。


 しかし、ここで人事問題を先送りしたことを、後に三島は振り返って後悔することになります。


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(おわりに)


 ようやく山形県庁に帰りついた三島通庸山形県令は県令は、天皇陛下の山形行幸の事実上の決定という大きな成果を持ちかえりました。しかし、その三島県令を県庁で待ち構えていたのは、東村山郡での不穏な状況報告でした。三島は、高木秀明土木課長から、住民の状況と山形県庁と東村山郡役所の対応についての報告を受けます。三島は当面の指示を出しますが、その場に居合わせた北村山郡の中山高明郡長からの人事刷新の提案には慎重な態度を見せるのでした。

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