第28話 開削工事費問題(改3)

(これまでのあらすじ……)


 関山新道開削工事が始動する中、安達峰一郎ら村の少年たちを一人前の男衆と判断した高楯村総代の安達久右衛門は、少年たちを集めて新道問題の起こりから語り始めます。村山四郡連合会では、西村山郡選出県会議員西川耕作議長主導のもと、北村山郡と西村山郡のペースで進められ、それに対抗するため、東村山郡では独自の建議書を作成しようとの動きを水面下で始めます。更に東村山郡の議員団は、北西両村山郡に対抗するため、南村山郡議員団との協力連携をはかるのでした。


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 しかし、東村山郡の建議書が提議しているような郡域毎の分担制度を採用することは、また新たに大きな問題を引き起こします。


 新道の総長、約13里超、約50キロ以上の内、約8割超の約40キロ以上が西郡と北郡の郡域を通り、東郡と南郡を通る新道の長さは、全体の約2割、12キロにも及びません。


 更に、平坦部で尚かつ県都に近い東郡と南郡の新道予定地は、既存道路が既に幅広い区間も多く、馬車や大八車での往来にも不都合なく、整備工事費自体を圧縮し押さえることが容易に可能です。


 これに対して、既存の道路自体が狭く、また、関山隧道からの山間の道を整備しなくてはならない北郡と西郡での工事費は、予算的には工事費全体の9割以上、ほとんどをその路線につぎ込まねばなりません。


 つまり、四郡にわたる関山新道建設とは言いながら、実態は北郡と西郡のみの新道工事と言うことができます。


 しかし、その新道開削工事費を北郡と西郡だけで賄うことは現実的に不可能であり、それは工事着手そのものができないことを意味します。そんな状況は、県側として、とてものこと、容認できる事態ではありません。


 そこで、県都山形に接続するという名目で、東郡と南郡に工事費を拠出させることにしたものと見られます。


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 具体的に課税内容と金額を見てみましょう。


 工事費は、明治政府の基本的租税制度である地租の割合を課される「地価割」と、各戸に課される「戸数割」、そして事業者に課される「営業税割」、以上の三つです。


 まず、全体の7割に及ぶ主要財源である「地価割」について、これは地価の0・215%を課するものです。


 しかし、当初の明治政府による地租改正で江戸時代より実質的な増税となった課税率3%を、先頃の全国的地租改正反対一揆で2・5%に下方修正されたばかりの租税体系でしたから、次の「戸数割」と含めて結果的に地租3%の実質的復活となります。


 この「地価割」では、もっとも農地化が進んでいる東村山郡が6847円、現在の価格で約1億4千万円弱ともっとも高額でした。もっとも低い西郡より1500円、現在の価格にして約3千万円もの開きがありました。


 「戸数割」は1戸あたり10銭で、これも人口の多い東村山郡が1172円、約2350万円相当の負担で、もっとも低い西郡では2千万円にも届きません。


 しかし、当時の戸数割課税は、既に1戸あたり40銭の通常徴収が行われており、10銭の税額アップは、一時的にせよ25%増税として住民家計を直撃しました。


 「営業税割」は、従来の営業税10円に対して約3円81銭を更に徴収するもので、実質的に営業税の40%増になります。もっとも高い南郡で2077円、約4200万円、2番目の東郡で1508円、約3千万円超となります。北郡と西郡はそれぞれ1000円超、約2千万円超程度にとどまります。


 以上のごとく、ほぼ北郡と西郡の郡域での工事でありながら、実質的に東郡と南郡で総工費の3分の2近くを賄っていることが分かります。


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 次に、以上の新道開削負担金の3本柱をまとめたものをご紹介します。


 四郡連合会で採択された工事費の負担金総額は以下の通りです。左側が当時の金額、右側が現在の金額に換算したものとなります。


・東村山郡、9528円、約1億9千万円

・南村山郡、8907円、約1億8千万円

・西村山郡、7500円、約1億5千万円

・北村山郡、8614円、約1億7千万円


 東郡がもっとも高額な負担ではあるものの、一見、それなりに平等に見える金額ではあります。


 しかし、これを郡域毎の路線単価で負担割合を見てみると、もっとも路線の長い北郡よりも、もっとも路線の短い東郡が5倍以上の負担を強いられてしまうことになります。


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 このあからさまな金額の違いに、東村山郡の戸長や代表委員たちは不満を募らせていました。


 そのために、大人たちは脳漿を絞りだし、苦労の結晶たる独自の建議書を作り上げたのでした。


「最後の最後の決議までに俺だの建議書ば作んのには間に合わねっけ。北ど西、東ど南で真っ二つに賛成ど反対が分がっだ」


 最終的に残された議案は、「地価割」「戸数割」「営業税割」の審議でした。


 北郡と西郡の委員たちは、村山四郡住民全体の平等な負担を声高に叫びます。一方の東郡と南郡の委員たちは、同等負担を求めるには路線の郡域通行があまりにも不公平なことを訴えて、負担割合を実態に合わせることを主張します。


 会議最終日、両者の意見はどこまでも平行線をたどります。既に、県側との密約が出来ている北郡と西郡は、結論の決まっていることでもあり、無理に歩み寄って、わざわざ負担額を増やすつもりもありませんから強硬です。


 特に北郡の委員は、比較的温暖な気候と肥沃平坦な土地で恵まれた生活をしているように見える東郡や南郡に対し、かねてから感じている妬み嫉みがない混ぜになった不公平感までもが噴出し、敵意剥き出しで聞く耳を持ちません。


 西郡の委員は、既に谷地ルートを獲得し、議長与党として悠然と構えています。このまま推移すれば、東郡と南郡の資金で自分たちの道路が整備され、まさに漁夫之利を占めることが確実です。


 東郡と南郡は、条理を尽くして北郡と西郡の委員に説諭しますが、このような背景の中、容易には理解が得られるはずもありません。歩み寄る糸口すら見えません。


「……ほんで最後の議長決裁で、郡長原案のまんま決議さっでしまった」


 安達久右衛門(あだち・きゅうえもん)は淡々と会議の顛末を語りました。


「ええ……」「ああ……」


 その結果に、久右衛門の話しを聞いていた少年たちが、落胆の声を上げました。


 現地にいた安達久(あだち・ひさし)からの報告でも、その模様は久右衛門に語られていました。


 北郡の委員はあからさまに喜びを表し、西郡の委員は端然と席に着きながらも、にやにやと笑みを浮かべる者が多かった、と……。中でも、久たち、委員を憤慨させたのは最後の議長挨拶です。


 西川耕作(にしかわ・こうさく)議長は、その巨大な体躯と迫力ある声音で会議をリードしてきましたが、最後に打って変わった穏やかな声の谷地(やち)弁で議長総括をしました。


「意見の違いだばあったべげんど、住民総意で決またがらにゃあ、謹んで一致協力、しぇえ道路ばこしぇで、大いに山形県の発展さ邁進させでもらうびゃあ。東郡と南郡の委員だも、みんなで決めだんだべす、あどはあだこだやねで(後はああだこおだを言わないで)、協力してけらんなねのっだずにゃあ」


 住民総意で決定したからには、今後は一切文句を言わずに協力しよう……との議長の言葉に、東郡や南郡の委員は空々しいものを感じただけでなく、「住民総意」という現実とはかけ離れた美辞麗句に憤りさえ感じたのです。


 少年たちも、それをうなだれて聞いていました。しかし、次の久右衛門の言葉に少年たちは意表を突かれます。


「んだげんと、ほれは、どうせそうなんのは分がてだっけがら、かまねんだっけ。……俺だは、俺だの建議書ば出すのば、わざど遅っだんだ、いや、わざど建議書ば出さねんだっけ」


「え? 」「んだの? 」


 一旦はがっかりした少年たちでしたが、悪戯な笑みを浮かべて、決議に間に合わないことは折り込み済みであったことを久右衛門は話します。


「せっかくこさえだ建議書が、会議の議長決裁で否決さっだら、もう陽の目は見らんね。郡役所も否決意見なんかだば、堂々と無視すっべ」


「ああ! 」「んだがらが! 」「さすがだべ! 」


 久右衛門の説明に少年たちは感心しきりでした。


「俺だはその出来だばりの俺だの建議書ばたがて、東ど南の委員が議長の部屋さ押し掛けだ。議長、副議長の二人だ、もう終わたつもりでお茶飲みしったどごさ、廊下さ溢れるぐらい、ぎっつぐ入いて『こいづが俺だの建議書だ! 』って置いできたんだ」


 夢中で頷き聞いている少年たちに久右衛門は話し続けます。


「『会議で決またなは北ど西の建議書だげんど、こいづは東と南の建議書だがら、責任持て両方の建議書ば出してけっべ』て議長さ詰め寄たら、議長も副議長も目ば白黒させで、たまげで、ウンウンて何遍もうなづいっだっけ……て、こいづは、間違いなぐ、峰一郎の親父の目ど耳で、見で聞いだんだ。久は間違いなぐ、その場で直に確認しった」


「やった! 」「よっし! 」


 夢中で聞いていた少年たちは、そのくだりで堪えきれずに歓声を挙げたのでした。


 不当な方法で多数決を歪ませた議長に対し、イライラを募らせていた少年たちは、そこで鬱憤を晴らすかのように快哉を叫んだのです。


「総代さん、村の親父だ、みんな頑張ってんのさ、俺だ、何もしゃねで、ばがな騒ぎば起ごして、ほんてん、悪っけっす! 」


 石川確治(いしかわ・かくじ)が言うと、他の少年たちもみんな、久右衛門に頭を下げました。


「総代さん、悪っけっす! 」


 素直な少年たちの謝罪の言葉に、照れながら頭に手をやっていた久右衛門でしたが……、しかし、まだ話しはここで終わりではありません。


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(おわりに)


 そもそもの関山新道の工事は、ほぼ9割以上が北村山郡と西村山郡での工事でありながら、その工事費の3分の2を東村山郡と南村山郡で賄うバランスを欠いた負担割合構造であり、当然ながら筋の通らない負担割合に対して東村山郡の住民はどうしても承服しかねました。だからこそ、そのための別段建議書でもありました。東南村山郡の議員団は、会議終了直後に議長・副議長の控室に押しかけ、東南村山郡独自の建議書を別段建議書として、直接、議長・副議長に手交したのでした。

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