応援コメント

第8話 関山新道計画の真実(改2)」への応援コメント

  • 「ほだなバガな話があっか!他人がしぇえぐなるためさ、なして俺だが金ば払うんだ!おがしぐねぇが!」
     →うーむ、なるほど。確かに。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    当時は公共事業の概念がまだ確立しておらず、地元のインフラ工事は当たり前に地元の人間が負担すべきものという考え方が一般的でした。

    ただ、それが江戸時代のように、川に橋を架けるとか、川の堤防に盛り土をするとかいうのであればまだしも、都市と都市を繋ぐ街道全般の建設や、長大なトンネルを掘削するとなるとただごとではなくなってきます。

    公共工事の嚆矢は、富士山噴火による小田原藩の復興工事計画で、二宮尊徳が活躍して携わった事業としても有名ですが、幕府が全国の大名に石高に応じて賦課したことで、公共事業の魁と言えるものだったとNHK「英雄たちの選択」で見ました。しかし、そこからまだ数十年しかたっていないこの時期、まだまだ公共事業の概念は官民ともに浸透していなかったようです。

    公共事業をするとなると、お金の面だけではなく、大手ゼネコンのようなマクロな存在が必要になります。そこから計画的な物資動員・人員動員・機材動員のプランニングとノウハウが必要ですし、大手ゼネコンを中核として作業を有機的に分担結合する現場下請け企業が必要です。どれをとっても明治の時代には無理な話しかもしれません。

    しかし、問題はその体制の見直しをよくよくしないまま、昭和の時代まで持ち越して太平洋戦争に突入し、ツルハシかついでブルドーザーに喧嘩を売ったような有様になったことでしょうね。この明治の本質的な体質が改まらなかった非常に日本的な事情が、その後の日本の悲劇にまで繋がっていくような気がして単純に文明化時期の悲喜劇として切り捨てることができませんでした。

  • 山形弁の味わいが、物語に「まさにそうであったのだろう」というリアリティを与え、いぶし銀のかがやきをそえます。

    作者からの返信

    海石榴さん、コメントありがとうございます。山形弁の使用を御評価いただき嬉しいです。これについては非常に悩みましたが、あまり方言に走りすぎると意味不明になりますし、解説を付けすぎると本文が煩わしくなるし、非常に悩ましいところです。たとえば通常分では、あまり「事」は使わず「こと」にしていますが、山形弁の会話では「ごと」になるので、前後の平仮名と合わさって意味不明になるので、わざと会話では漢字を多用して「事」にしています。「時」もそうですし、「教える」を「おしぇる」とすると前後の平仮名と合わさって、また意味不明になるので、最近は「教ぇる」と漢字にするようにしました。

    現在は、山形弁でも、山形周辺の山形弁と、より北側の東根市・村山市あたりの北郡訛りもちょっと変化を付けて、出来るだけ違いが出るようにしています。

    物語後半では、県令が鹿児島出身なもんですから、薩摩弁もかなり使っています。熊本弁は分からないから、薩摩弁と一緒にしたり、小倉出身の方もいるのでちょっと違いを付けたりと工夫はしましたが、テレビの時代劇で聞きかじりした方言なので、九州の方からクレームが来ないかとひやひやもんです。

    でも、御指摘の通りに、地方の方言は文化ですので大事にしたいと思います。ありがとうございました。

  • 面白いです!

    作者からの返信

    ありがとうございます。少年時代を描いた青春物は書いていても楽しいですね。話しが進む中で、ちょっと恋愛ぽいのも書いてます。青春ですからね。お楽しみくださいませ。

  • これは……実によく、事実関係を調べておられますね。
    しかも目に見えるように、耳に入りやすいようにきちんと整理がされている。
    歴史小説はそこが難しいところかと思うのですが。
    お見事です。

    作者からの返信

    ありがとうございます。やはり何でもそうですが、歴史は人間のドラマで、様々な人間の思惑が混ざりあい、もつれ合い、綾なして時代が作られます。絶対の正義もなければ、絶対の悪もない、調べるほどに奥が深くて尽きることがありません。

  •  実に詳細で綿密な調査、資料による当時の軋轢、権力の横暴さを教えて頂きました。ありがとうございます。

     あらためて庶民住民への態度に腹が立ちます。
     怒りとは、こういう不条理に対して向けられてこそ意味を持つと思います。

     

    作者からの返信

    ありがとうございます。この辺の事情はこれまで誰も言及していないところで、特に研究された形跡もありませんでしたから、事実を繋ぎ合わせて推測する作業がとても楽しかったです。

    三島県令が福島と栃木に県令として行った時は自由民権運動が激化して、弾圧も非常に激しいものになりましたから、たくさんの研究や先行論文がありますが、山形の関山新道問題は、自由民権運動前夜の地方の田舎問題だけに、誰も取り上げなかったのでしょうね。でも、当時の政界の縮図が地方でも伺える面白い資料でしたし、後の福島事件や加波山事件に通じるものがあり、ぜひ、研究者に注目していただきたいテーマだと思っています。

    編集済