応援コメント

第7話 関山新道騒動の始まり(改4)」への応援コメント

  •  現在の令和の時代に無理に当てはめるならば、小学校低学年の児童のが英語を自在に読みこなすだけでなく、自作のポエムかエッセイを創作したようなものでした。
     →すごいです。

    作者からの返信

    コメントありがとうございます。

    確かにすごいのですが、正直言って私が当てはめたその例が的確かどうかについては、非常に自信がありません。むしろ無理に現代の基準に当てはめる必要はないかもしれません。

    しかし、明治初期というまだ教育が普及する以前の日本の地方において、彼のような存在が非常に稀有であったこと、そして、そのような社会状況であったからこそ彼の存在が非常に注目されやすかった事などが考えられます。

    それだけでもわがまち郷土の誇りでもあったと思います。

  • 隧道、洞門というのは、トンネルのようなものと理解すればいいんでしょうか。

    作者からの返信

    ありがとうございます。

    おっしゃる通り、トンネルです。それまでの山形の道は人しか通れない細道で、馬車や荷車、大八車というものが通れなかったので、流通量に限界がありました。それで新道計画が生まれました。

    ところが山形は山国ですから周りに行くには峠道ばかりで、道を広げてもかなりの急勾配で、もちろん舗装道路でもないですから、馬車も荷車も登れません。そこで今度はトンネルの必要性が出てきます。トンネルは単なるショートカットの意味合いだけでなく、むしろ勾配をなだらかにすることがもっとも期待されていたようです。

    やり方はかなり強引で住民にかなりの犠牲を強いたようでしたが、結果的に、そこで出来た県内の交通網が、山形の近代化に大きく寄与したのは否めません。