第2話 石合戦の始まり(改)

(これまでのあらすじ……)


 山形盆地の西端にある小さな村、山形県東村山郡高楯村、そこに生を受けた安達峰治郎、後の外交官・安達峰一郎の幼少期から話は始まります。山形盆地の西側、出羽山地に連なる朝日連峰の東端にある故郷の山、小鳥海山があります。その山には出羽の霊峰鳥海山から分祀された鳥海神社とともに、その神社の御神木のように巨大な一本杉が聳えてます。父・安達久に連れられて小鳥海山を訪れた峰治郎少年は、その小鳥海山の大杉のように、大きく真っ直ぐな大人物になると誓ったのでした。


 **********


 うららかな春の陽気の中、それとはかけ離れたものものしい雰囲気で、血相を変えて細道を駆けていく子供たちの一群がありました。


 そして、天満神社の裏手にある藁葺きの一軒の民家の土間に、息せき切った10人ばかりの子供たちが駆け込んできたのです。


「安達のおっかさん、峰治はいねべが? 」


 田んぼの用水路で泥を洗い流した大根を、上がりかまちに並べて、五右衛門風呂くらいの口径はあろうかという大きな樽で漬物を作る準備をしていたのは、峰治郎(みねじろう)の母・安達しうでした。


 血相を変えて駆け込んできた少年たちに、しうは驚いて尋ねます。


「あんらまぁ、おめぇだ、みんな揃って、なしたのや」


 峰治郎より年長の三浦定之助(みうら・さだのすけ)という子供が、頬を赤らめて、興奮気味に答えます。


「こいがら、大寺(おおてら)の奴らど、いぐさだべ」


 興奮気味に、しかし、胸を張って定之助が大きな声で答えました。


「ほうがぁ、そいづぁ難儀だべの。んで、峰治郎ば、呼びさ来たっけのがぁ。……あいにぐ、家さも畑さも、いねみだいだべす、……多分、天神様さ、いだべ。どうせまだ小鳥海の大杉ば眺めっだべがらな」


 しうは満面の笑みで子供たちに答えます。


「ありがどさまっす。よし、みんな、いぐべ! 」


「おう! 」


 少年たちは大声で返事をすると、一目散に天満神社の方に駆け出して行きました。


「けがすんなや~」


 子供たちの血相には不釣り合いなのどかさで、しうは、はなむけの声をかけて勇敢な小さい戦士たちを見送りました。


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 大寺というのは、少年たちのいる高楯(たかだて)村の北隣、西の朝日連山から東の村山盆地に向かって流れる出る小鶴沢(こづるざわ)川を境として隣接する大寺村のことです。高楯村の少年たちは、たびたび大寺村の少年たちと、小鶴沢川を挟んでの石合戦を繰り返してきました。いわば宿命のライバル同士です。


 少年たちは、峰治郎の家から天満神社に駆けていきます。峰治郎の家は天満神社のある高台のすぐ裏手にありました。


 天満神社のある高台の裏手は急峻な崖になっていましたが、子供ひとりがやっと登れるような細い小道がつづら折りになって作られています。その小道を少年たちは登って行きました。


 峰治郎は、父の久(ひさし)と一緒に小鳥海山に登ったあの日から、よくこの高台に登って大杉を遥かに眺めるのが日課になっていました。峰治郎はここから大杉を見ながら、あの日、大杉と父親に誓った自分の大望を噛みしめていたのでした。


 まだ、自分に何ができるか、何をしたいか、少年にはまったく何も未来が見えません。でも、だからこそ、少年は自分の大望を日常に埋もれさせないために、毎日、この場に来て大杉を眺め、大杉に語り掛けていたのです。


(大杉よ、見ていてくれ、俺は絶対にお前に負けないような大きい真っすぐな人間になって、お前の元に戻ってくる)


 少年は、毎日、大杉にそう語りかけていたのでした。小鳥海山は、少年のいる高楯村から大寺村を通って山中へ入り、杉下(すぎした)村を経て、その先の北山(きたやま)村の奥、大蕨(おおわらび)村との境目にある山で、天満神社からは直線距離で4キロ強ほどの距離でした。


 しかし、父と登った時も、高低差がある上に、山際を回りくねり、あちこちつづら折りのある山道であることを考えれば、歩いた距離はその数倍はあると思われます。


「お~い、峰治~! 」


 峰治郎は自分を呼ぶ声で我に返りました。彼は高台の南西角から朝日連山を眺めていましたが、気付くと、西側に向いた高台裏の崖を登って来る地元の友達が眼下に見えました。


「おぉ! 定ちゃんでねが! いってえ何したなや! 」


 峰治郎が下を見下ろしながら声をかけると、上に登ってから話すのももどかしそうに、先頭を登る定之助が興奮気味に応えます。


「峰治! いぐさだべ! 大寺の奴らが、挑戦状ば寄越しできやがったべ。今、小鶴沢川で待ち構えっだ! 」


 しかし、それを聞いた峰治郎は、驚くどころか不敵な笑みを浮かべました。


「懲りねぇ奴らだず。何人ぐらいで来ったなや? 」


「20人はいるべ! 」


「ほう! 結構集めだな。おらだは、せいぜい10人? ……が? 」


 峰治郎は集まった少年の顔ぶれをみて、楽しそうに笑みを浮かべました。相手が倍以上いるというのに、それを知った上でここまでやってきたこの10人は、一騎当千の強者ぞろい、顔ぶれを見て峰治郎も満足そうにしています。


「感心しった場合でねぇべ。大寺の奴ら、この前の仕返しだがら、峰治ば連れで来い、って言ってだんだず」


「数ば集めだら勝づいと思たが、進歩のねえ奴らだべ。よし、まだ返り討ちにしてけっべ。みんな、行ぐべ」


 峰治郎は、仲間の士気を鼓舞するかのように、まるで勝利が当たり前のような平然さで言い放ちます。その時、峰治郎に声を掛ける血気盛んな少年がもうひとりいました。


「にいちゃん、俺も行ぐ、ちぇでってけろ」


 崖道を登ってきた定之助が、初めて見かける幼い少年にうろんな目を向けました。


「誰だ、こいづ? 」


「山野辺(やまのべ)村さいだ俺のいどごだ。……清十郎(せいじゅうろう)、にさも行ぐが? 石いぐさ、したごどあっか?」


 自分も加わりたいというその勇敢な言葉を愉快そうに受け止め、峰治郎がその少年に聞きました。


「ねども、俺もにいちゃんさ、付いでぐ。俺も負げね」


 峰治郎はその幼い従弟の勇敢さがとても可愛らしくてしかたありませんでした。今まで以上の大きな笑みを浮かべて、その少年の参陣を許したのです。


「んだが、いぐべ! 」


 こうして、高楯村の少年たち12人の小さな勇士たちは、大きな歓声を上げて、天満神社の裏手の崖道を騎虎の勢いで駆け下りていきました。


 峰治郎の家の土間で大根漬けの作業をしていた母のしうは、天神様から挙がるその子供たちの歓声を聞き、嬉しそうに、にっこりとほほ笑んで、樽の中に大根を漬ける仕事を続けていたのでした。


**********


 高楯村の少年たちが、安達峰治郎少年を先頭に天満神社を降りて、おっとり刀で大寺村との境目に流れる小鶴沢川に向けて元気に駆けていきます。


 その途中、武田信安(たけだ・のぶやす)公が開山となる浄土真宗・了広寺(りょうこうじ)の門前を少年たちは通り過ぎます。その際、武田家の家来筋である安達家の峰治郎は、了広寺の門前で立ち止まり、寺門から見える本堂に向かって一礼をしました。


 特に必勝祈願というわけでもないでしょうが、峰治郎の後に続く少年たちも同じように一礼しました。他の少年たちも峰治郎と同じく、なにかしら、武田家とのゆかりを持つ家の出である者が大半でしたから。


 入母屋に似た寺院本堂屋根の最上部の棟にある紋章には、高らかに『武田菱』の四つ割菱の家紋が設置されています。もっとも厳密な意味での『武田菱』は武田宗家だけが使用を許されており、傍流や分家の武田家は宗家をはばかり、菱間隔が若干広い四つ割菱の家紋を使用しています。


「おぉ、わらすども、おめぇだ急いでどさ行ぐなや。今度は、どだな悪さするなや? 」


 武田信安公の後胤となる住職の武田智蔵(たけだ・ちぞう)老師が、子供たちの賑やかな歓声に誘われるように、寺門から出てきて少年たちに声を掛けました。


「りょうごんつぁま(了広寺様)、おらだ、遊びでねえべ、今がら大寺といぐさだべ。」


 小さな戦士たちの勇ましい答えに、ほほえましくも驚いて見せた住職は、少年たちを激励しました。


「ほうがほうが、そりゃ、難儀じゃの。ケガすねで、頑張って来い。」


 するとその小さな戦人は、住職も頭をかいてしまいそうな、純粋なる正義感と忠誠心に溢れた稚戯をもって、住職の激励に応えたのでした。


「もぢろんだべ、りょうごんつぁま(了広寺様)の名誉さ懸げで、大寺の奴らさは負げらんね。みんな、いぐべ! 」


 住職は特に少年たちをけしかけたつもりでもありませんでしたが、少年たちの意識の上では、このいくさは了広寺のためでもあるのでした。


 それというのも、大寺村には安国寺(あんこくじ)という由緒ある曹洞宗寺院があり、その寺院は、南北朝の戦乱の時代に足利尊氏が国家安寧のために全国に建立させた寺院のひとつで、創建は延文元(1356)年、了広寺よりも百年以上古い名刹でした。


 それぞれの住職は、宗派も違うし、少年たちが思うほどの対立意識はありませんでしたが、少年たちは何かと理由を付けては開戦の口実に使いますので、理由はどうでも良かったのでしょう。事実はどうあれ、少年たちにとっては自分たちの主君筋でもある菩提寺の名誉に賭けて、大寺村に負けることは許されないのでした。


 峰治郎の少年時代の石合戦については、住職武田智蔵老師の懐旧談として、峰一郎の腕白小僧ぶりを記録した談話が、峰治郎の負け知らずの勇名とともに現在に伝わっています。なお、この了広寺は現在も武田家の血統を絶やさずに守り続けて現在に残っています。


 安達峰治郎は先頭をひた走り、峰治郎より年長の三浦定之助、石川確治(いしかわ・かくじ)といった面々がその後に続き、最後に少し遅れて、いとこの安達清十郎が必死について駆けて行きます。


 少年たちは頬を真っ赤に染めて、大寺衆の待ち構える小鶴沢川の戦場へとひた走るのでした。


 **********


(おわりに)


 幼少期の安達峰治郎は、故郷の高楯村で近隣の少年たちと石合戦に興じている、どこにでもいるような腕白小僧でした。この日もまた、隣村である大寺村からの挑戦状を受けて、村の子供たちが峰治郎のもとに集まってきました。いつものように天満神社の高台から小鳥海山の大杉を眺めていた峰治郎は、地元の友人たちからの知らせを受けて、村と村の境目となる川、決戦場たる小鶴沢川に向かいます。そして、主君筋に当たる了広寺の武田智蔵住職に、戦いに向かう決意を披歴するのでした。

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