第四十二話 練習中のままある風景/凪サイド

 ジュリエット役が正式に決まったことで、キャスト陣の練習は本格的に始動。台本の読み合わせから始まり、徐々に実際の動きを織り交ぜた立ち稽古へと駒を進めて行く。


 一方のあたしはと言えば、小物を作るための買出しだったり、実際の作成だったりに追われて、ろくに亮輔と話も出来ていない始末。いろいろと意気込んではみたものの、そう上手くは行かないというのが現実らしい。高校の文化祭というものはもっと彩り溢れたものだと想像していた訳だが、現実は地味な作業の連続。まぁ、あくまで準備作業なのだからこんなものなのかも知れないが、それにしたってもう少し華があってもよさそうなものである。


 そうこうしているうちに始まった通し稽古。まだ衣装やら小物やらが完成していないので、見た目は地味だが、それでもようやく形になってきた我がクラスの出し物である。


 クラスのみなが見守る中、迎えたラストシーン。ジュリエットが死んでしまったと勘違いしたロミオが服毒自殺をし、目を覚ましたジュリエットがそれを知って、ロミオの短剣で自殺をする場面。短剣に見立てた定規を手に、皇が喉を突く振りをして、仰向けになっている亮輔の上に倒れ込んだ。何てうらやまけしからん光景だろうか。いい歳の男女があんなにくっついて。オーディションで勝ってさえいれば、あの場所にいたのはあたしなのに。


 しかし、オーディションに敗北したあたしにその権利はなく。ただ最後のナレーションが終わるまでくっついている二人を、こうして眺めていることしか出来ない。ナレーション担当の山野のセリフが終わり、脚本と演出を兼任している須賀さんが終了を告げる手を叩くと、亮輔は素早く皇の方を掴んで引き剥がし、距離を取った。


「そんなに急いで離れなくてもいいじゃん。私と亮輔君の仲なんだし」

「普通執事はご主人様とこういう体勢にはならないからね」


 亮輔の言い分は尤もだが、それで引き下がるような皇ではない。再び距離を詰めようとする皇を、亮輔は必死に遠ざけようとしていた。


 亮輔と皇の関係は、大よそクラス中に周知されている。普段から公言している訳ではないが、転校初日の皇の宣言もあったし、普段の様子を見ていれば、二人が近しい関係になっていることは一目瞭然。とは言え付き合っている風ではないので、そういうものなのだと、みな納得している感じだ。


「はい、そこ。一々主従でいちゃいちゃしない! 初めての通しだからこんなもんかも知れないけれど、改善点は満載なんだから!」


 須賀が声を張り上げる。大体台本通りに出来てはいたものの、亮輔の演技はまだぎこちないし、端から見ていて演技への向かい方に温度差を感じた。不真面目と言うことはないが、ノリノリで演技をする皇と比べると、どうしても他のキャストが見劣りしてしまう。亮輔に関してはやる気は感じられるが、技術がそれに追いついていない。素人の集団なのでこんなものと言えばこんなものなのかも知れないが、本番までには極力質を高めて欲しいところだ。


「い、いちゃいちゃなんてしてないよ! あんまり妙なことを口にされると俺の存在が消されかねないから!」


 羨ましいからそのポジションを変わって欲しい。などとみんなの前で言い出せる訳もなく、あたしは小さく息をつく。一体何度、こんなやり取りを見続けなければならないのだろうか。


「ちょっと! 亮輔君を消すなんてありえないから! 亮輔君には一生私の面倒を見てもらうんだからね!」

「皇さんはそういう発言が周りを焚き付けてるっていう自覚を持って!」


 慌てふためく亮輔と一瞬目が合ったが、あたしはすぐにそっぽを向いてしまう。暗い顔をしている時のあたしなんて見て欲しくない。


 オーディションが終わった後のあの言葉は、特にあたしの心を大きく抉った。よりにもよって「どうしてそんなに皇さんに対抗するのか」だ。思わず「亮輔のにぶちん!」と返したあたしを攻める者はいないはずである。


「はいはい! 一番改善点の多い朝霧君は、一番しっかり話を聞くように!」

「あ、はい」


 須賀の言葉を受けて背筋を正す亮輔。真面目な亮輔のことだから、きっと言われるがまま、必要以上に重く受け止めることだろう。こういうのは適度に聞き流すスキルも必要だというのに。


 ともあれ、やって来た休憩時間。教室を出て自販機の方に向かう亮輔に、あたしはついて行った。


「……こんなんで本番上手く行くのかな」


 哀愁漂う亮輔のうしろ姿。どう声をかけようかしばし悩んだ後、あたしは腰に両手を当ててこう言った。


「亮輔。あたし、ミルクココアな」


 不満をわかりやすく示すべく、少し頬を膨らませたりして。あたしの存在に気付いた亮輔は、ようやく少し笑顔を見せて、こう返して来る。


「いまだと冷たいのと温かいの両方あるけど?」

「ホットで」

「はいよ」


 放り投げられたミルクココアを難なく受け取り、あたしはプルトップを開けた。


「大変そうだな、ロミオ様は」

「そう思うなら冷ややかな視線を送るのはやめてくれ」

「それはそれ、これはこれだ」


 あたしの答えに亮輔はため息をついてから、手にしていたスポーツドリンクの蓋を開け、口を付ける。


「小道具の方はどうだ?」


 たぶんどう踏み込めばいいのか迷ったのだろう。無難な質問をしてくる亮輔。だから、あたしの方も顔色一つ変えずに答える。


「一応作るものリストは目を通したけど、何て言うか……しょぼい」

「まぁ、所詮は文化祭のクラス劇だからな~。予算がないのは仕方ない」

「この辺りは皇が出張ってくるかとも思ってたんだけど」


 はっきり言って皇の金銭感覚はおかしいので、意味不明な額のお金をポンと出しかねないと考えていたのだが、蓋を開けてみれば、本人は演技に集中するばかり。舞台装置などの出来栄えはあまり気にしていない様子だ。


「流石にそこまで非常識ではないでしょ」


 一方の亮輔は訳知り顔。それが少し悔しくて、ちょっとへこむ。


「理解があるんだな。まだ会ってからそんなに経ってないのに」

「そりゃ~図らずも一つ屋根の下で生活してる訳だし、多少の理解くらいはするだろ」


 その立ち位置はあたしの専売特許だと思っていたのに、今では皇もその位置にいる。皇が悪人ではないのはわかっているが、あの人の心にするりと潜り込む手練手管てれんてくだは気に食わない。まるでチートだ。


 だからあたしは、あえてそれ以上その話題は続けず、話を切り替えることにした。


「なぁ、ロミオ役で苦戦してるならさ。あたしが練習相手になってやってもいいぜ?」

「いや、お前には小道具作る仕事があるだろ?」

「それは持ち帰ってやるようなことじゃないし、家に帰ってからも練習できれば上達も早いじゃん?」


 もちろんこの話には無理がある。家にいるのは何もあたしだけじゃない。ジュリエット役の当人であり、あたしよりもずっと演技が上手い皇が一緒にいるのだ。あたしが出張る意味は、これっぽっちもない。


「何をそんなに焦ってるんだよ」


 と、亮輔がこんなことを言い出した。珍しく確信をついたその言葉は、あたしの我慢を易々と打ち砕く。


「……なんだよ」

「え?」

「嫌なんだよ! このままだと亮輔がどこか遠くに行っちまうみたいでさ!」


 たかがジュリエット役になれなかっただけのこと。今回の一件には、それ以上の意味はない。それなのに、どうしてあたしはこんなにも心を乱されているのだろう。どんなに愛を囁き合おうとも、それはあくまで演技に過ぎない。本当に亮輔が皇と付き合う訳じゃないし、この程度で二人の仲が進展するなら、あたしとはとっくに付き合っているはずだ。


 こんなに苦しいのは嫌だ。恋というのはもっと華やかで美しいもののはずなのに、あたしのそれはちっとも綺麗じゃない。悔しくて、苦しくて、きたならしいもの。そんな風に感じる。


 と、不意に亮輔の右手があたしの頭の上に乗った。そして、優しく髪を撫で下ろす。


「ああ、そうだ。これだよ」


 亮輔の言葉が心地いい。突然のことについ構えてしまっていた身体から力が抜ける。これはあたしのお気に入り。昔はどうしてこれが好きなのかわかっていなかったが、今ならわかる。亮輔があたしに優しくしてくれるこの瞬間が、亮輔のことが大好きなあたしは、たまらなく好きだったのだ。


 せっかくいい心地になってきたところなのに亮輔が手を離そうとしたので、あたしはそれを両手で食い止め、続きを請う。


「もう少し」

「少しってどれくらいだよ」

「いいから! あたしの気の済むまで撫でろ!」


 あたしがそう言うと、亮輔は仕方なさそうにしながらも、頭を撫で続けてくれた。


 あたしの想いは、いつから恋だったのだろう。小さい頃。恋なんて言葉を知らなかった頃は、それこそ実の姉弟きょうだいのように思っていたと思う。あたしの亮輔の対する想いが恋に変わった瞬間。それは一体いつだったのか。


 小学校? 中学校? 考えてみてもよくわからない。特に劇的な出来事はなかったはず。小学生の頃は一緒にいるだけでやれ「夫婦」だの「ラブラブ」だのとからかわれていたが、それほど意識はしていなかった。と言うことは、やはり中学校に入った頃。亮輔とあたしがお互いに少しずつ人目を気にし始めた頃からだろうか。何となくお互いに距離を取るようになって、それぞれ同性の友達と遊ぶようになった頃がある。それでもあたしは亮輔のことをずっと気にしていたのに、亮輔はそんなことはなくて。だから亮輔が東京の高校を受験すると聞いた時、あたしは頭を殴られたような気分になった。


 そう考えるなら、あたしの想いが恋に変わったのは、中学三年の頃ということになる。亮輔と離れ離れになることを、あたしの中の何かが拒絶した。それが恋の始まりだと言うのなら、実はあたしの片想いも、それほど長い期間ではないではないか。そこに皇が入って来たものだから、あたしは必要以上に衝撃を受けたのだ。


 皇の心情まで図り知ることは出来ないが、あれで亮輔に気がないというのは無理がある。少し前のあたしと同じで、本人が気づいていないパターンも充分にあり得るので、油断はならない。とにかく、皇がどう行動してもいいように立ち回る必要があるということだ。あの無駄に鋭い皇を出し抜くのは容易ではないだろうが、それを成さずに亮輔との関係を進展させることは不可能。となれば、少しでも多くの時間を亮輔と一緒に過ごす以外にない。理由は何でもいいのだ。とにかく亮輔と一緒の時間を多く過ごすこと。そしてチャンスがあれば、もう一度、今度は真っ当な告白をする。


 あたしは新たの誓いを胸に、亮輔を見据えた。そんなこととは気付いてもいない様子の亮輔は、ただ笑顔を向けてくれただけだけど。今はそれでいいだろう。そしていつか。そう遠くない未来に、あたしが亮輔の隣に立つのだ。

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