第四十一話 練習中のままある風景/琴音サイド

 ジュリエット役に決まって最初にやったのは、台本の読み合わせだ。正式な台本の方に目を通すのはこれが初めてになるが、学生が作った台本にしてはよく出来ていると思う。脚本を担当したのは確か須賀さんだったか。特にそれらしい部活には所属していなかったはずだが、なかなかどうしていい仕事をする。このまま才能が伸びるようであれば、皇グループでの仕事を斡旋してもいいかも知れない。


 それはともかく。練習は着実に進んで行き、読み合わせだけだった練習は、徐々に立ち稽古へと変わって行った。もちろん衣装や小物などはまだ完成していないので、服装は学校指定のジャージだし、小物は文房具などを代用品として使っている。裏方担当の生徒達が資材の購入や製作で奔走する中、私達はいよいよ通し稽古へと駒を進めていた。


 服毒で自殺したロミオを見て、ジュリエットがナイフで自刃するシーン。仰向けに横たわる亮輔君の上に、ナイフに見立てた定規を喉に刺した振りをして、私は倒れ込む。後はモンタギュー家とキャピュレット家が和解する部分のナレーションが入り、一連の物語は終了。この間は亮輔君の心音をじかに感じ取れるので、割りと気に入っている。私と密着することに緊張しているのか、いつもよりも少し早いのであろう心音は、本当に力強くて、彼の存在をより一層私の胸に刻み込んだ。


 しかし、ナレーションが終わると、亮輔君はいつもものすごい勢いで私の両肩を掴み、引き剥がしてしまう。顔が真っ赤なので嫌がっているという感じではないものの、それが少し不満なので、少し頬をふくらませつつ、私は彼にこう言うのだ。


「そんなに急いで離れなくてもいいじゃん。私と亮輔君の仲なんだし」

「普通執事はご主人様とこういう体勢にはならないからね」


 もちろんそれはその通りなのだのだが、そろそろ私の癖というか、好みに合わせてくれてもいいのではないだろうか。


 私と亮輔君の関係は、既にクラスメイト達の知るところである。公言した訳ではないが、毎日一緒に登校したり、同じお弁当を食べていたりするのだから、それなりに近しい関係であることは言わずもがな。私はそれを隠すつもりはないので、クラスの女子達を中心に話が広がったのだろう。


「はい、そこ。一々主従でいちゃいちゃしない! 初めての通しだからこんなもんかも知れないけれど、改善点は満載なんだから!」


 演出も兼任している須賀さんが声を張った。彼女の言い分は尤も。私からしても、今のキャスト陣の演技では到底人様に見せられるものではないと言える。もちろんプロ並の演技を期待している訳ではないが、それでも限度というものがあるだろう。


「い、いちゃいちゃなんてしてないよ! あんまり妙なことを口にされると俺の存在が消されかねないから!」


 私が黙っていると、亮輔君はすぐにこういうことを言い出す。亮輔君以上に私の隣に立つのに相応しい人間なんてこの世にいないとすら思っているのに、どうしてそれが伝わらないのだろうか。


「ちょっと! 亮輔君を消すなんてありえないから! 亮輔君には一生私の面倒を見てもらうんだからね!」

「皇さんはそういう発言が周りを焚き付けてるっていう自覚を持って!」


 何を言っているのだ。こうでもしないと亮輔君に近寄って、彼の魅力に気付いてしまう女子が増えかねないから、あえてこうしているというのに。肝心の亮輔君は玖珂崎さんの方に視線を送っている。玖珂崎さんの方は一見そっけない態度を取っているように見えるものの、その心中しんちゅうで何を考えているのかは警戒しておくべきだろう。


 オーディションで落ちた玖珂崎さんは、結局小物担当の枠に収まった。性格は大雑把だが手先は器用なので、この采配はよく考慮されていると思う。尤も、本人はどこに配置されても文句は言わなかっただろうが。


「はいはい! 一番改善点の多い朝霧君は、一番しっかり話を聞くように!」

「あ、はい」


 須賀さんの言葉に、素直に頭を下げている亮輔君。波風を立てない振る舞いと言えば聞こえはいいが、言い換えれば流されやすいということでもある。それのおかげで今の私との現状があるという部分もあるものの、これでは受身が過ぎる。元々人付き合いが得意ではない亮輔君は、話題の引き出しが少ないので、会話の主導権の握るのが苦手なのだが、そこは経験が物を言う世界。今の内に慣れておいて貰わないと、今後の私との生活にも支障が出かねない。お母様には気に入られた様子だが、お父様は何て言うだろう。私だってお父様を言いくるめるのは楽ではないので、亮輔君の働きにも期待したいところ。結局のところ、亮輔君の対人能力が今後の私達の生活を支えることになるのだから、この星陵祭でのクラスメイトとの交流で、彼にはレベルアップをしてもらいたい。


 そんなこんなで練習は続き、亮輔君がたっぷりとダメ出しをされたところで一旦休憩。若干肩を落として教室を出て行く亮輔君の背中を見送り、私は再び台本と向き合うことにする。自分の担当する部分が完璧になれば、その分亮輔君の練習に付き合うことが出来るようになるので、先にジュリエットの演技を仕上げてしまおうという算段だ。


 台本のページを捲りながら、舞台のイメージを膨らませていると、輝崎君から声がかかった。


「亮輔について行かなくていいの? 玖珂崎さんの方はこっそりついて行ったみたいだけど」


 輝崎君が何を考えて声をかけて来たのかは正直どうでもいいが、恐らく彼の中では私と玖珂崎さんが亮輔君を取り合っていることになっているはず。取り合うも何も、亮輔君は既に私の執事で、そこに介入してくる玖珂崎さんの存在など光に集まる羽虫に等しい訳だが。


「玖珂崎さんが何をしたところで、私と亮輔君の関係は崩れないもの。だったら私は出来だけのことをして、早く亮輔君のサポートに回れるようにした方が得じゃない?」

「なるほど。皇姫はそう考えている訳か。正妻の余裕ってやつかな?」


 正妻か。若干正確さには欠けるが、悪い響きではない。


「別に妻って訳じゃないけど。そうね。多少の女遊びくらいは見逃してあげてもいいかも知れない。尤も、亮輔君にその気があるなら、だけど」

「亮輔には女遊びは無理そうだな~。どう考えても、あいつはその気になったら一途なタイプだから」


 それに関しては輝崎くんに言われるまでもないことだ。これまでの言動もそうだが、ロミオ役に決まってからの彼の演技に対する身の入れようを見ていれば、誰でもそう思うだろう。今はまだ思い入れに実力がついて来ていないが、亮輔君の事だ。最終的にはきっと、私のジュリエットと並び立つロミオを演じてくれるはずである。


「輝崎君は亮輔君とそんなに長い付き合いじゃないよね? 結構仲いい感じだけど」

「そうだな。皇姫ならわかってくれそうなところだけど、俺の場合はギャップ萌えって感じが近いかも」


 彼が言うには、初見では印象が薄くてよく憶えていなかったらしい。しかし学外で初めて会った時、その印象は一気に塗り替えられ、いろどりを放ったとのこと。私の初見の印象も、どこにでもいそうな普通の男の子だった。それでも、彼は私をあの閉じられた世界から解き放ち、世界を新しい色で満たしてくれたのだ。そういう意味では、私も亮輔君のギャップにやられた口なのだろう。


「あいつは自分のことをよく卑下するけど、俺からすれば、俺にないものをいろいろ持ってるやつなんだよ。もっと自身を持てば、いろいろと見え方も変わるだろうに」


 流石は亮輔君が親友と呼ぶほどの男である。付き合いの長さは関係ない。それを体現しているのが、まさに彼等の関係なのだ。


「輝崎君って亮輔君のこと好きだよね。もしかしてそっちの気があったり?」

「その言葉はそっくりお返しさせてもらうよ。皇姫こそ。亮輔のこと大好きじゃんか」


 輝崎君にそう言われた時、私の心臓が一瞬跳ねた気がした。私が口にしたのは、輝崎君が亮輔君に恋愛感情があるのではないかということ。それをそのまま返された時、私は咄嗟に返答出来なかった。


 何だろう。この胸の高鳴りは。私が亮輔君に抱いているのは親愛の情であって、恋愛感情ではなかったはず。なのに、どうして輝崎君の一言で、こんなにも心臓が荒ぶっているのだろう。


「ありゃ、これは俺が口にしたらいけなかったパターンか?」


 私の様子を見て、輝崎君は苦笑いを浮かべている。反論しようにも言葉が出てこない。何か他のことに意識を向けようと台本に目を落としてみたが、全く文字が頭に入って来なかった。


「悪い、皇姫。まさか気付いていないとは思ってなかったんだ」


 輝崎君が頭を下げて来る。それでも、私の頭は沸騰したまま冷めることはなく、まともに応対も出来ない。皇に名を連ねる者として、こんなことではいけないのに、この時の私にはまったく余裕がなかった。


 私の中にある亮輔君への感情。それは恋と呼ぶべきものなのだろうか。今まではずっと女子校だったし、特定の男性にここまで思い入れを持ったのは初めてではある。出会いからしてもドラマティックなものではあったし、一時の興奮に捕らわれているだけだったりするのでは。いや。それはあり得ない。この私が一時の感情で一人の男性に振り回されるなど、あってはならないのだ。では、これが一時の感情ではないのだとしたら。輝崎君の言う通り、いわゆる恋愛感情というものなのだとしたら、私はどうすればいいのだろう。


 玖珂崎さんの私への対抗心。その根本にあるのは、彼女の亮輔君に対する恋愛感情なのは間違いない。もしそれに対抗する側の私が持っているのも亮輔君に対する恋愛感情なのだとしたら、これはもう相容れるものではないではないか。先ほど自分で「女遊びも認める」的な発言をしたばかりだが、こうなって来ると話は変わる。選ぶのは私ではなく亮輔君。つまり、私が選ばれない未来もありるということだ。


「……どうしよう」


 こんな感覚はこれまでに憶えたことがないので、対処に困る。私中心に回っていたはずの私の世界が、私の手を離れてしまった。他者の采配で決まる未来なんて、この私に受け入れられるであろうか。それが例え亮輔君の判断だったとしても、私以外の女性と並んで歩く彼の姿なんて見たくもない。


 私は途方に暮れる。これまで明るいだけだったはずの未来に、暗雲が立ち込めて来たからだ。恋愛感情というものは、こうも人間を不安にさせるものかと思い知らされる。幸と不幸は表裏一体。誰かを好きだという想いは美しいが、それ故に生まれる苦しみもある。これは一大事だ。暢気に構えている場合ではなくなった。


 私は台本に目を通すのも忘れ、全思考を亮輔君との今後についての計画立案へと切り替える。まずは亮輔君との仲の進展、いや、外堀から埋めて行くべきか。こと亮輔君の家族関係で見るならば、幼馴染である玖珂崎さんに大きく遅れを取っているというのは事実。であるのなら、私も早々に亮輔君のご両親と懇意の仲になるべきだ。星陵祭に彼の両親が来るかどうかは不明だが、もし来るというのであれば、この機会は絶対に外せない。私はあらゆるパターンを想定して、彼の両親との対面を最良のものとするべく、対応策を練ったのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る