第六章 亮輔、スポットライトを浴びる

第四十話 練習中のままある風景/亮輔サイド

 ジュリエット役が正式に決まったことで、練習はより本格的なものへと移行して行く。最初は台本の読み合わせだけだったのが、実際の動きを織り交ぜた形へと変わり、一気に難易度が増した。スーパーのバイトから皇さんの執事に仕事が変わったことで自由時間が多くなったのを、幸いと呼んでいいものか。おかげで台本の暗記に時間を費やすことが出来たのは、俺にとっては大きい。


 裏方に配属されたクラスメイト達が、資材の購入やら、組み立てやらで目まぐるしく奔走しているのを尻目に、この日が初めてとなる通し稽古が始まる。脚本を担当した須賀さんの一存により、ロミオとジュリエットが自殺した後のモンタギュー家とキャピュレット家が和解するシーンはナレーションのみとなったので、ラストシーンは服毒自殺したロミオの後追いでナイフで自刃するジュリエットの場面だ。


 まだ小道具が完成してないので、ナイフに見立てた定規を手にした皇さんが床に仰向けに寝そべった俺に覆いかぶさるように倒れ込んで来る。上半身がほぼ密着するような姿勢。演出上仕方ないとは言え、この距離感はどうにかならないものか。本番は暗転しているとは言え、ナレーション担当の山野さんのセリフが終わるまで、この姿勢のままでいないといけないと言うのだから、これがまたハードルが高い。他の男子からの怨嗟の声が聞こえてきそうな中、ようやくこの姿勢から開放される瞬間が来た。俺は素早く皇さんの肩を掴んで起き上がり、彼女と距離を取る。


「そんなに急いで離れなくてもいいじゃん。私と亮輔君の仲なんだし」

「普通執事はご主人様とこういう体勢にはならないからね」


 いくら執事という職に疎いとは言え、使用人である以上、不必要にご主人様と接触するようなことはしないだろう。問題なのは、それを全く皇さんが理解していないと言うことだ。もう少し男女のあれこれと言う一般的な教養を身につけて欲しい。


 クラスメイト達の前で公言した訳ではないものの、俺が皇さんの執事らしきものをしていると言う話は、クラス中に知れ渡っている。毎日一緒に登校したり、同じ弁当を食べたりしていれば、それなりに近しい関係であるというのは一目瞭然。皇さん本人もそのことを隠そうとはしないので、女子を発信源としてクラス中に話が広まったという訳である。


「はい、そこ。一々主従でいちゃいちゃしない! 初めての通しだからこんなもんかも知れないけれど、改善点は満載なんだから!」


 演出も兼任している須賀さんが声を張った。一応舞台監督は他にいるのだが、その女生徒は大人しめな性格なので、あまり口を出してこない。その分、演出である須賀さんが前に出て、こうしてキャスト陣に叱咤をするのである。


「い、いちゃいちゃなんてしてないよ! あんまり妙なことを口にされると俺の存在が消されかねないから!」


 俺みたいなどこの馬の骨とも知れぬ輩が皇財閥のご令嬢に手を出したなんて話になれば、俺だけでなく朝霧一族の全員が社会的に抹殺されかねない。それだけは何とか避けたいところだ。


「ちょっと! 亮輔君を消すなんてありえないから! 亮輔君には一生私の面倒を見てもらうんだからね!」

「皇さんはそういう発言が周りを焚き付けてるっていう自覚を持って!」


 こういうやり取りをするのも何度目だろう。その度に、凪の冷たい視線に晒される俺の身にもなって欲しい。俺が視線をやると、凪はぷいっとそっぽを向いてしまうので、その心情までは伺い知ることは出来ない訳だが。


 オーディションで敗退した凪はキャストに加わることはなく、小道具の枠に収まることとなった。ジュリエット役に熱意を注いでいた分、その座を得られないのであれば後はどうでもいいという心境なのだろう。結局、どうして皇さんにあれほどまでに対抗心を燃やすのかは話してもらえず、代わりに「亮輔のにぶちん!」との言葉を賜ったのだった。


「はいはい! 一番改善点の多い朝霧君は、一番しっかり話を聞くように!」

「あ、はい」


 こういう時は流れに逆らわない方がいい。昔から変わらない俺の処世術な訳だが、こういう部分が高校デビュー失敗の要因でもありそうだ。ある程度の流れが出来るまで会話に介入できない。引き出しの少なさが浮き彫りになる訳だから、そこを改善せずしてクラスに馴染めるはずもないのである。


 とりあえず、演技に関してたっぷりとダメ出しをされた後、しばしの休憩となった。その後はシーンごとに分けての練習とのこと。ここで細かい演技のレベル上げを図るのだと言う。出番が少ない隼人なんかはほとんどダメ出しを受けていないので、やはり主役というのは大変なのだと、改めて思い知らされた。


「……こんなんで本番上手く行くのかな」


 自販機で飲み物を買いながら、一人呟く。星陵祭について両親に電話で伝えたところ、「行く!」との答えをいただいているので、手を抜く訳にも行かない。何せ家計が苦しい中、授業料や仕送りをいただいている身だ。皇さんの執事になったことでこれらの心配はなくなったものの、いまだに両親に執事の件を話せていない以上、相応の態度を示すのが筋と言うものだろう。尤も、両親と直接会う機会があるのなら、思い切って執事の件を打ち明けると言うのもありなのかも知れないが。


「亮輔。あたし、ミルクココアな」


 不意に背後から響いた凪の声。振り返ると、少し頬を膨らませた凪が腰に手を当てて立っていた。


「いまだと冷たいのと温かいの両方あるけど?」

「ホットで」

「はいよ」


 こうして凪と二人きりで会うのは久しぶりである。俺は彼女の要望通り、ホットのミルクココアを買い、彼女へと放った。難なくそれを受け取った凪は、早速プルトップを開けて口を付ける。


「大変そうだな、ロミオ様は」

「そう思うなら冷ややかな視線を送るのはやめてくれ」

「それはそれ、これはこれだ」


 凪の答えにため息をついてから、俺も買ったばかりのスポーツドリンクの蓋を開け、口を付けた。


「小道具の方はどうだ?」


 どこまで踏み込んでいいかわからず、無難なことを聞いてみる。凪もそれがわかっているからか、顔色一つ変えずにこう答えた。


「一応作るものリストは目を通したけど、何て言うか……しょぼい」

「まぁ、所詮は文化祭のクラス劇だからな~。予算がないのは仕方ない」

「この辺りは皇が出張ってくるかとも思ってたんだけど」


 皇さんがその気になれば、私財を投じて豪華な舞台を作ることも可能だろう。アパートの件があるので、皇財閥の力を持ってすればそのくらいは容易いというのは実証されている。


「流石にそこまで非常識ではないでしょ」


 それでも、俺は皇さんはそんなことをしないという謎の確信を持っていた。常識外れな一面は確かにあるが、不正を行うような人間ではない。彼女から直接話を聞いた訳ではないが、今回の星陵祭に関しては、他のクラスと同じ条件で参加すると決めたのだろう。


「理解があるんだな。まだ会ってからそんなに経ってないのに」

「そりゃ~図らずも一つ屋根の下で生活してる訳だし、多少の理解くらいはするだろ」


 そう言うと、凪は何を思ったのかそれに対して返答することはせず、代わりにこんなことを言い出した。


「なぁ、ロミオ役で苦戦してるならさ。あたしが練習相手になってやってもいいぜ?」

「いや、お前には小道具作る仕事があるだろ?」

「それは持ち帰ってやるようなことじゃないし、家に帰ってからも練習できれば上達も早いじゃん?」


 その話に無理があるのは、凪自身も気付いているだろう。何せ、家に帰ったところで、そこには皇さんもいるのだ。練習相手なら実際にジュリエット役をやっている皇さんがいればこと足りるし、わざわざ凪が出張るようなことではない。


「何をそんなに焦ってるんだよ」


 今にして思えば、カラオケの時も感じていた。そう。凪は何かに焦っている。それが何なのかわからないのが、俺にはたまらなく心地が悪いのだ。


「……なんだよ」

「え?」

「嫌なんだよ! このままだと亮輔がどこか遠くに行っちまうみたいでさ!」


 たぶんだが、凪自身もその正体に気付いていない。だからこそ、曖昧な言い方しか出来ないでいる。だから何と返せば凪が納得してくれるのか、俺にもわからない。それでも、長年一緒にいた幼馴染がこうして苦しんでいるのだ。何かしてやりたいというのが人の情と言うものだろう。


 こんな時、昔はどうしていたか。凪が何かに困っている時、彼女は大抵俺のところに来て、ひたすらに愚痴をこぼしていた。上手い具合にかける言葉が見つからない俺は、そんな時、決まって同じことをしていた気がする。


 そんなことを考えていたら、自然と体は動いていた。凪の頭の上に伸びた俺の右手。俺はその手で凪の頭を優しく撫でていたのだ。


「ああ、そうだ。これだよ」


 凪を落ち着かせる、俺の取って置き。いつもは男くさくて荒っぽい凪だが、これをするとたちまち大人しくなる。どうしてそうなるのかは俺にもわからない。しかし、今凪が抱えている不安を取り除くにはこの方法が一番であると、どことない確信があった。


 最初は驚いた様子の凪だったが、次第に構えを解き、目を細め始める。そろそろいいかと思って撫でるのをやめようとしたら、凪の両手が俺の右手をガシッと掴んだ。


「もう少し」

「少しってどれくらいだよ」

「いいから! あたしの気の済むまで撫でろ!」


 そんなことをしていたら休憩時間が終わってしまう。そうは思ったものの、心地よさそうに撫でられている凪を見ていると、俺も心のもやもやが晴れるような気分だった。そうだ。思春期に入って多少変わってしまったが、凪との距離感はこんな感じだった。恋愛感情とは異なるが、それでも温かく居心地のよい関係。そこに皇さんが入って来たことが、凪にとっては心地が悪かったのだろう。


 凪の頭を撫でながら、俺は考える。俺にとって皇さんとはどういう立ち位置なのだろうか。もちろん主従の関係であることは明白なのだが、問題はそこではない。振り回されてばかりだからか、改めて考えたことがなかった。少なくとも一緒にいて不快ではない。むしろ、新しい発見をもたらしてくれるので興味深い存在ではある。ならばそれが、凪に向かうのと等しい感情なのかと問われると、それは少し違う気がした。


 俺は皇さんのことをどう思っているのだろう。それは俺にとってなかなかに難しい問いだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る