第三十九話 決選投票/凪サイド

 星陵祭の準備期間に入った校内は、今までにない賑わいを見せている。もちろんうちのクラスも例に漏れず、準備は着々と進行していた。大道具を作る生徒、小道具を作る生徒、衣装作りに向けて採寸をしている生徒と様々。ジュリエット役はオーディションで決まった方の採寸をするということなので、あたしと皇のどちらが採寸されることとなるかは、これから行われるオーディション次第という訳だ。


 クラスメイト達が見つめる中、いつもなら教卓が置いてある辺りに、あたしと皇が並んで立つ。皇もジュリエットのイメージを膨らませてきたのか、どこか普段とは異なる雰囲気をまとっているように見えた。


「今更ではあるけれど、順番はどうする?」

「私はどっちでもいいよ」

「同じく」


 あらかじめ決めてあった通り、仕切りは輝崎。皇はもちろんのこと、あたしも自信たっぷりに答えるので、輝崎は少し考えてからこう言った。


「それじゃあ、挑戦者である玖珂崎さんからにしようか。心の準備はいい?」

「いつでも」


 最初はあたしの番からだ。皇はそれを聞いて場所を譲ってくれる。あたしは最後にジュリエットのイメージを膨らませるために目を閉じた。


 そして数秒後。自身をジュリエットへと切り替えたあたしは、目を開いて表情を作る。


「ああ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの?」


 詩音先輩を相手に何度も練習したセリフ。『ロミオとジュリエット』において有名なこのセリフだが、台本を見て、あたしは初めてこのセリフに続きがあることを知った。


「お父様と縁を切り、その名を捨てて。それが無理なら、せめて私を愛すると誓って。そうすれば、私はキャピュレットの名を捨てましょう」


 台本を見る限り、実はロミオはジュリエットのこの独白をバルコニーの下で聞いていて、この後言葉を交わすことになる。


 しかし、ロミオもなかなか行動力があるではないか。他に好きな人がいたのにジュリエットに一目惚れしたという点は、今一理解しがたいが、好きになった人のためにここまで出来るのは大したものだ。もし亮輔がロミオのような性格だったら、あたしとの関係も今とは違っていたのだろうか。


 いや。そんなことを考えていても仕方がない。今はジュリエット役を得るために全力を尽くすべきだ。ふと視線を周囲に向けると、クラスメイトのみんながあたしに注目しているのがわかる。それなりに完成度の高いジュリエットが出来ているという自負はあった。もちろん詩音先輩のお墨付き。これならば皇にも負けないはず。あたしは最後の瞬間まで気を抜かず、ジュリエットを演じきった。


 あたしの番が終わり、クラスメイト達から拍手が挙がる。やりきった。そう思うには充分な反応だ。あたしは皇に順番を回すために脇にはける。すれ違う瞬間の皇の表情は、どこか挑発的に見えて気に食わない。あたしと入れ替わりに中央に立った皇は、あたしの演技を見てもなお自信たっぷりだった。


 皇が目を閉じると、再び教室内が静かになる。しかし、そこからがあたしの時とは全く違った。皇が目を開いた時、そこにはキャピュレット家のバルコニーが広がっていたのだ。そしてそこに立つのは他の誰でもない、豪華な部屋着に身を包んだジュリエットの姿。


「ああ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの?」


 あたしの時と同じ言葉を発しているはずなのに、受ける印象が全く違う。それはもう皇というよりは完全なジュリエット。一体何をすれば、こんな領域にまで辿り着けるのだろうと愕然とする。


「お父様と縁を切り、その名を捨てて。それが無理なら、せめて私を愛すると誓って。そうすれば、私はキャピュレットの名を捨てましょう」


 一言一言の重みがまるで違った。ジュリエットの抱える恋心が、これでもかと言うほど伝わって来る。


「私にとって敵なのは、あなたの名前だけ。たとえモンタギュー家の人でなかったとしても、あなたはあなたのまま。モンタギュー――それが、どうしたというの? 手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、顔でもない、他のどんな部分でもないわ。ああ、何か他の名前を付けて。名前にどんな意味があるというの? バラという花にどんな名前をつけようとも、その香りに変わりはないはずよ。ロミオだって同じこと。ロミオという名前でなくなっても、あの神のごときお姿はそのままでいるに決まっているわ。ロミオ、そのお名前をお捨てになって、そして、あなたの血肉でもなんでもない、その名前の代わりに、この私の全てをお受け取りになって頂きたいの」


 聞いているこちらまで胸が苦しくなってくるほどだ。これが演技というものなのだろうか。皇が先に言っていたように、普段から自分の見え方を意識している人間というのは、こうも異次元の演技が出来るのかと、思わず膝を着きそうになる。


「お言葉通りに頂戴いたしましょう。ただ一言、僕を恋人と呼んでください。さすれば新しく生まれ変わったも同然、今日からはもう、ロミオではなくなります」


 不意に響いたロミオの声。いや、正確には亮輔の声だ。それでも、今目の前で繰り広げられているのは、ロミオとジュリエットのやり取りそのものだった。そう思い知らされる。


 ここで拍手が挙がった。それを聞いて、あたしは現実に引き戻される。その数は徐々に増え、やがてクラス中が拍手で溢れた。拍手をしていないのは亮輔と皇、そしてあたしくらいである。明らかな勝敗がそこにはあった。


 「それじゃあ念のため」と前置きをしてから、輝崎がめに入る。


「決選投票と行こうか。これから投票用の紙を配るから、ジュリエットに相応ふさわしいと思った方の名前を書いて、この箱に入れてくれ」


 そう言って配られた紙に、クラスメイトのそれぞれが名前を書いて投票して行いった。それを見守るあたしと皇、そして亮輔。とは言え、結果は既に目に見えている。あたしは思わず視線を落した。


 全員の投票が終わり、開票作業に移る。数名の補助を足して開票は進められ、黒板に一票、また一票と正の字で票が入って行った。やはりと言うべきか、半分ほど開票が終わった時点で皇の圧倒的優勢。最後までその流れは変わらず、全ての開票が終わった時点で九割の票を皇が持って行っていた。一割の票を得られてのはあたしをしてくれている女子達のおかげだろう。


 ともあれ、オーディションを制したのは皇の方。これでジュリエット役が正式に決まったので、いよいよ全体が進み始める。後は当日まで全力で駆け抜けて行くのだろう。


 それなりに自信を持って臨んだはずなのに、結果はご覧お通り。一度は掴みかけた流れも、皇の演技に全て持って行かれた。それを達成した皇をすごいとは思うが、結果としてあたしは敗北。悔しくないと言えば嘘になるが、あの演技を見せられた後では文句を言える訳もなく。結局この日は、家に帰っても皇に話しかけることは出来なかった。かと言って亮輔に話しかけられる訳でもなく、しばらくは微妙な距離感で過ごすこととなる。


 詩音先輩に結果を話したら「今度残念会しよう!」ということになり、数日後に先輩と二人で密かに集まって残念会を開いた。星陵祭の準備期間なので長く時間は取れなかったが、それでも楽しく過ごすことが出来、多少ショックからも立ち直る。


 最終的に、あたしは小道具担当に配置されることとなり、裏方として働くことになった。他の役は既に決まっているし、ジュリエットになれないのなら演者えんじゃとして参加する意味もない。徐々に仕上がりを見せて行く亮輔のロミオと皇のジュリエットを陰から眺めつつ、あたしは小物作りに没頭する。自分が負けたこととクラスとしての成功は別の話。どうせやるのなら成功させたいし、お客さんにも盛り上がって欲しいところだ。


 とりあえず、星陵祭自体は楽しみだし、当日まではクラスメイト達ともワイワイやることになるだろう。そのうち亮輔達にも絡んで行ければ上々だ。オーディションに敗れただけで、恋愛で負けた訳ではないのだから。

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