第三十八話 決選投票/琴音サイド
学校は本格的に星陵祭の準備期間に入り、そこかしこで生徒達が奔走している。もちろん我がクラスも例に漏れず、着々と準備は進行していた。大道具や小道具はもう作り始められているし、衣装用の採寸も行われたようだ。ジュリエット役はまだ決まっていないので、その辺りは先送りにされているらしい。しかしながら、そんな状況も今日までである。何せジュリエット役のオーディションが、もうすぐ
クラスメイト達が見つめる中、いつも
「今更ではあるけれど、順番はどうする?」
「私はどっちでもいいよ」
「同じく」
「それじゃあ、挑戦者である玖珂崎さんからにしようか。心の準備はいい?」
「いつでも」
まずは玖珂崎さんの番のようなので、私は場を彼女に譲る。最後にイメージを膨らませているのか、玖珂崎さんが目を閉じて数秒。ここでまた雰囲気がグッと変わった。
自信たっぷりだった表情は、瞬く間に憂いのある儚げな表情に一変。思っていた以上に、玖珂崎さんの方も仕上げてきたようである。ジュリエットになりきった彼女は、最初のセリフを口にした。
「ああ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの?」
『ロミオとジュリエット』という作品において、これ以上に有名なセリフがあるだろうか。それこそ、『ロミオとジュリエット』という作品を見たことがない人でも知っているであろうと言うほどに、知れ渡った言葉である。
「お父様と縁を切り、その名を捨てて。それが無理なら、せめて私を愛すると誓って。そうすれば、私はキャピュレットの名を捨てましょう」
実はロミオはこの独白をバルコニーの下で聞いていて、その後ジュリエットと言葉を交わすのだ。
こうして見ると、ロミオの行動力の高いこと。不法侵入なので褒められたことではないが、好きな相手に対してここまで熱烈にアプローチ出来るというのは一種の才能である。それ故に悲劇が起こるのがこの作品である訳だが、これくらいの熱意を亮輔君にも持ってもらいたいところ。理想的なのはその熱意の全てを私に向けることではあるものの、そう簡単になびくようでは、やりがいがないと言うもの事実。欲しいものは何が何でも手に入れる主義だが、その過程は楽しければ楽しいほどいい。今は上辺だけの主従関係でしかないが、いずれは私の隣に並び立つ存在になって欲しいだ。それが叶うのであれば努力は惜しまない。その第一歩は、ここで玖珂崎さんに勝って、ジュリエット役を手に入れることである。
それにしても、玖珂崎さんのジュリエットも大したものだ。決して上辺だけ取り繕ってる訳ではない、見事な演技。普段のガサツさは身を潜め、立派に貴族令嬢になり切っている。クラスメイト達の様子を窺うと、誰もが感嘆の息を漏らし、彼女の演技に見入っていた。現段階では、彼女に投票しようと考える者も多いだろう。こうなると、俄然やる気が湧いて来る。簡単に手に入ってしまってはつまらない。玖珂崎さんが素晴しい演技をするのなら、私はその上を行く演技でクラスメイト達を――亮輔君を魅了すればいいのだ。
玖珂崎さんの出番が終わり、次は私の番。脇にはけた玖珂崎さんに変わり、私が中央に立つ。すれ違う瞬間に視線を
私が目を閉じると、教室内が再び静かになる。そうすることで教室外の音が強調され、よく聞こえるようになるが、それもこの瞬間まで。私が目を開いたその瞬間、玖珂崎さんを始め、クラスメイト達は思い知ることになる。演技の何たるかというものを。
目を開くと、そこに広がっているのは
「ああ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの?」
一目見た瞬間に恋に落ちた。それなのに、あの人はあのモンタギュー家の一人息子。神様は何と意地の悪いことをするのか。
「お父様と縁を切り、その名を捨てて。それが無理なら、せめて私を愛すると誓って。そうすれば、私はキャピュレットの名を捨てましょう」
そう簡単に叶うとは思っていないが、それでも口にせずにはいられない。こんな経験は初めてだ。
「私にとって敵なのは、あなたの名前だけ。たとえモンタギュー家の人でなかったとしても、あなたはあなたのまま。モンタギュー――それが、どうしたというの? 手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、顔でもない、他のどんな部分でもないわ。ああ、何か他の名前を付けて。名前にどんな意味があるというの? バラという花にどんな名前をつけようとも、その香りに変わりはないはずよ。ロミオだって同じこと。ロミオという名前でなくなっても、あの神のごときお姿はそのままでいるに決まっているわ。ロミオ、そのお名前をお捨てになって、そして、あなたの血肉でもなんでもない、その名前の代わりに、この私の全てをお受け取りになって頂きたいの」
一度溢れた
「お言葉通りに頂戴いたしましょう。ただ一言、僕を恋人と呼んでください。さすれば新しく生まれ変わったも同然、今日からはもう、ロミオではなくなります」
不意に耳に届いた言葉。そこには思っても見なかった、愛しき人の姿があった。
と、ここで拍手が挙がる。その数は次第に増えて、私は一気に現実へと引き戻された。
ああ、そうだ。私は今の今までジュリエットになりきっていた。オーディションには亮輔君がセリフを返すとは書いていなかったけど、何かのサプライズだろうか。拍手はしばらくの間続き、私は自分がやりきったのだということを、ようやく自覚する。玖珂崎さんの時も拍手は挙がっていたが、私の時はそれとは比べるまでもない。
「それじゃあ念のため」と前置きをしてから、輝崎くんが
「決選投票と行こうか。これから投票用の紙を配るから、ジュリエットに
そう言って配られた紙に、クラスメイトのそれぞれが名前を書いて投票して行く。それを見守る私と玖珂崎さん、そして亮輔君。とは言え、結果は既に見えていると言っていい。玖珂崎さんもそれがわかっているからか、表情が暗かった。
全員の投票が終わり、開票作業に移る。数名の補助を足して開票は進められ、黒板に一票、また一票と正の字で票が入って行った。当然ではあるが、半分ほど開票が進んだ時点で私の圧倒的優勢。最早全開票を待つまでもないくらいの差が、そこにはあった。開票が終わった時点で、票の九割を占めていたのが私。玖珂崎さんに一割の票が行ったのは、恐らく彼女の熱心な女子ファンがこのクラスにもいたからだろう。
結果は全てを物語る。このオーディションの勝者は私。これにて、私はジュリエット役を手中に収めることとなった。玖珂崎さんは悔しさを噛み締めるでもなく、複雑そうな顔をしていたものの、結局この日は家に帰っても私に話しかけて来ることはなく、亮輔君とも視線を合わせようとしない。それだけショックが大きかったのだろうが、彼女のことだ。そのうち復活して、また何かと絡んでくるだろう。これくらいで折れるような人間なら、そもそも相手にするまでもないのだから。
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