第三十七話 決選投票/亮輔サイド

 あれから他の配役や大道具、小道具、衣装など、それぞれの担当が決まり、本格的な星陵祭準備週間に入る。今更な情報ではあるが、我等が高校の正式名称は私立星陵せいりょう高等学校。そこでおこなわれる文化祭ということで、星陵祭せいりょうさいと呼ぶのが代々のならわしなのだとか。準備期間に入ったことで校内は活気付き、いつにない賑わいを見せている。俺のような陰キャには若干居心地が悪い雰囲気ではあるが、他でもないクラス劇の主役の座を賜ってしまった以上無関心でいる訳にも行かず。クラスの中心で四苦八苦している訳である。


 さて、振り分けられた残りの配役だが、割りと物語の序盤に死んで退場するマキューシオ役が隼人。マキューシオの敵討ちでロミオに殺されるティボルト役が藤村。物語の終盤でこれまたロミオに殺されるパリス役が大森。というように、主要キャラのほとんどがイケメンで塗り潰されてしまった。正直舞台上で並んで立つのも嫌なくらいであるものの、主役であるロミオが引け腰では舞台全体が締まらないと言うのが事実。まだジュリエット役が決まっていないので本格的な練習とまでは行かないが、用意された台本の読み合わせなどをしながら、俺は時間を過ごしていた。


「なぁ、これセリフ多くない?」

「そりゃ~ロミオは主役なんだから、出番が多いのは仕方ないだろ」


 これを全部暗記し、かつ演技をしなければならないというのだから、役者というのはすごいな、と改めて思う。皇さんのごり押しの結果とは言え、主役を任されたのだから最大限努力するつもりではあるが、当日までに形に出来るだろうかと少し心配になった。


 そして迎えたジュリエット役オーディションの日。クラスメイト一同が集まった教室内でそれは始まる。いつもなら教卓きょうたくが設置されている教室前方の辺りに立つ皇さんと凪。両者とも既にジュリエット役のイメージを膨らませているからか、その雰囲気はいつもと少し違って見えた。


「今更ではあるけれど、順番はどうする?」

「私はどっちでもいいよ」

「同じく」


 隼人の仕切りに対しても、両者は自信たっぷりにこたえる。お互いに負けるつもりは皆無のようだ。


「それじゃあ、挑戦者である玖珂崎さんからにしようか。心の準備はいい?」

「いつでも」


 それを聞いた皇さんが場所を凪にゆずる。そして数秒後、凪の演技が始まった。


 演技が始まった途端、自信たっぷりだった表情から一変、憂いのある儚げな表情へと変わる。そして身振り手振りを交えながら、最初のセリフを口にした。


「ああ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの?」


 『ロミオとジュリエット』という作品において、最も有名であると言っても過言ではないセリフ。ジュリエットが一目見て恋をしたロミオが、実家であるキャピュレット家と仲が悪いモンタギュー家の一人息子であると知った時の心境を独白する場面である。


「お父様と縁を切り、その名を捨てて。それが無理なら、せめて私を愛すると誓って。そうすれば、私はキャピュレットの名を捨てましょう」


 俺の渡された台本にも書かれているシーン。この時ロミオはバルコニーの下でこれを聞いており、その後ジュリエットと言葉を交わすことになるのだが、これがまた歯の浮くようなキザなセリフばかりで、これを人前で口にしなければならないのかと思うと顔から火が出そうだ。


 それにしても、凪の変貌振りは大したものである。普段は男勝りな部分が多い凪だが、今の凪はどこかのお嬢様と言われれば信じそうなほどだ。これはこの一週間の間に、相当練習を重ねてきたのだろう。ふと周囲を見渡すと、クラスメイトの誰もが感嘆の声を上げ、拍手を送っていた。これはひょっとするとひょっとするかも知れない。


 凪の出番が終わり、次は皇さんの番。凪は脇にはけ、代わりに皇さんが中央へとやって来る。すれ違うその瞬間にも両者は視線を合わせて火花を散らしていたが、それも一瞬のこと。皇さんが場に立ち目を閉じると、教室内が再び静かになった。


 数瞬後。皇さんが目を開いたと思ったら、目の前の風景が変わった気がした。そこに広がっていたのはキャピュレット家の屋敷にあるジュリエットの自室のバルコニー。そこに立っているのは豪華な部屋着に身を包んだ皇さんの姿。


「ああ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの?」


 同じ状況、同じセリフなのに、こうも与える印象が違うものか。凪の演技の出来がよかった分、尚更皇さんの演技との格差が目に付いた。今、目の前にいるのは、皇さんというよりジュリエットそのもの。どれだけの練習を重ねればこの領域に辿り着くのだろうと、気が遠くなるほどだ。


「お父様と縁を切り、その名を捨てて。それが無理なら、せめて私を愛すると誓って。そうすれば、私はキャピュレットの名を捨てましょう」


 一言一言が胸に刺さる。それはまるで、俺が本当にロミオで、実際にその言葉を間近で聞いているような気持ちにさせた。


「私にとって敵なのは、あなたの名前だけ。たとえモンタギュー家の人でなかったとしても、あなたはあなたのまま。モンタギュー――それが、どうしたというの? 手でもなければ、足でもない、腕でもなければ、顔でもない、他のどんな部分でもないわ。ああ、何か他の名前を付けて。名前にどんな意味があるというの? バラという花にどんな名前をつけようとも、その香りに変わりはないはずよ。ロミオだって同じこと。ロミオという名前でなくなっても、あの神のごときお姿はそのままでいるに決まっているわ。ロミオ、そのお名前をお捨てになって、そして、あなたの血肉でもなんでもない、その名前の代わりに、この私の全てをお受け取りになって頂きたいの」


 こんな熱烈な愛を口にされたら、思わず自分の想いの丈をキザなセリフで口にしてしまうのも納得だと言わざるを得ない。


「お言葉通りに頂戴いたしましょう。ただ一言、僕を恋人と呼んでください。さすれば新しく生まれ変わったも同然、今日からはもう、ロミオではなくなります」


 気が付けば、俺はロミオのセリフを口にしていた。そんなつもりはまったくなかったのに、つい口からこぼれていたのだ。


 その一連の流れを見ていたクラスメイト達は反応に困ったのか一瞬固まったものの、ちらほらと拍手ががり始める。そしてそれは徐々に数を増やし、やがてクラスメイトのほとんどが拍手をするまでに至った。拍手をしていないのは、俺と皇さん、それから凪くらいのものである。


 しばらく鳴りやまなかった拍手。それが何を意味しているかは口にせずともみな理解していただろう。「それじゃあ念のため」と前置きをしてから隼人がめに入った。


「決選投票と行こうか。これから投票用の紙を配るから、ジュリエットに相応ふさわしいと思った方の名前を書いて、この箱に入れてくれ」


 そう言って配られた紙に、クラスメイトのそれぞれが名前を書いて投票して行く。それを見守る俺と、ジュリエット役を争っている当人である皇さんと凪。とは言え、先ほどの様子を見ればどちらが優勢であるかは一目瞭然。一度は凪に傾きかけたと思われる空気も、皇さんの演技を前に一蹴されてしまっていた。かく言う俺もその一人。今回、俺に投票権はないが、もし投票するのなら皇さんを選んでいただろう。それだけの明確な差が、両者の間にはあった。


 全員の投票が終わり、開票作業に移る。数名の補助を足して開票は進められ、黒板に一票、また一票と正の字で票が入って行った。わかってはいたが、クラスの半分ほどが開票された時点で皇さんが圧倒的に優勢。残りの開票を待つまでもないくらいの差が、そこには映し出されていた。


 開票が終わった時点で票の九割を占めていたのが皇さん。凪が一割の票を得られたのは、恐らく熱心な凪のファンをしている女子生徒のおかげだろう。ともあれ、結果は結果。こればっかりは覆しようがない。この度のジュリエット役オーディション、制したのは皇さんであった。

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