第三十五話 ジュリエットの座を賭けて/琴音サイド

 早速視線で一勝負する、私と玖珂崎さん。この時点で負けているようでは話にならないので、決して目をらしたりはしない。


「そうね~。やっぱりここはオーディションをするのが一番でしょ。審査員はクラスのみんな。今このクラスは偶数数人だから、誰か一人審査員から抜けてもらう必要があるけど……」


 私はオーディションによる勝負を持ちかける。根っからの体育会系である玖珂崎さんのことだ。運任せのジャンケンよりも、よっぽど乗り気になることだろう。元々クラス票のほとんどは私が握っている訳だが、彼女がその気になれば、それなりの結果を出すのではないかと考えている。


「オーディションか。やったことないけど、まぁいいぜ。その方が叩きのめし甲斐がある」


 案の定、玖珂崎さんは乗って来た。後は誰を審査員から外すかだが。


「それじゃあ審査員から抜けるのは亮輔にしよう。その方が後々禍根が残らないだろうし」


 言い出したのは輝崎君だ。もちろんその発言の内容に関しては想定済みだが、せっかくの他者からの申し出である。ここは素直に乗った振りをしておこう。


「う~ん。まぁ、亮輔君がいないのはちょっと残念だけど、ぶっちゃけ亮輔君が審査員やるなら、審査員は一人でいいし。うん。私は異論ないよ」

「そうだな。これに関しては皇の言う通りだ。あたしも異論なし」


 亮輔君は審査員が自分ひとりにならなくてよかったとでも思っているのか、ホッと胸を撫で下ろしている。


「オーディション自体は俺が仕切らせてもらうよ。今日中にはオーディションに使うシーンを抜粋して台本にして渡すから、それぞれ準備に入ってくれ。オーディションは……そうだな。あんまり時間がないから一週間後にしよう。それまでは他の配役や裏方の人員を決めておくってことで」


 対抗馬が玖珂崎さんと言うこともあって、クラス内は早くもオーディションのことで盛り上がり始めていた。私を支持していたはずのクラスメイトも、何人かは気持ちが揺らいでいる様子だ。


「最初は皇さん一択いったくだと思ってたけど、対立候補が玖珂崎さんってことなら、普段とのギャップも含めてワンチャンありそうだな」

「そうか~? それだとジュリエットの方が身長高くなっちまうぜ?」

「そこは朝霧に厚底の靴でも履かせておけば済むんじゃね?」


 事実。亮輔くんよりも玖珂崎さんの身長の方が若干高い。並んだ時のバランスで言ったら、私がジュリエットになった方がずっと見栄えがいいはず。この点は大きなアドバンテージだ。


「いっそ皇さんジュリエットの玖珂崎さんロミオで行っちゃえばよくない? あの二人なら全然ありでしょ」

「でもそれだと朝霧くんをロミオにって言う皇さんの意向に沿わないよ?」

「そこはさ、ほら。やっぱり朝霧君に説得してもらって」


 一部の女子の間では何やら別の構想が生まれつつあったが、そんなものを受け入れるつもりは毛頭ない。


 と、そこでホームルーム終了の鐘が鳴った。塚本さんは慌ててクラスメイト達に声をかける。


「続きの配役決めは次回にして、ジュリエット役のオーディションに関しては輝崎君が主導で進めるということで! 以上、今日の話し合いは終了です!」


 それを合図に、クラスメイト達が各々のグループへと散って行った。亮輔君はいつも通り一人だが、今ばかりは絡みに行っている場合ではない。しばらくは玖珂崎さんとにらみ合いを続けていたものの、このままではあまりに無益。玖珂崎さんもそれを認識したようなので彼女から視線を外し、私はスマホを取り出して『ロミオとジュリエット』について調べ始める。基本的な話は知っているものの、細かい部分は曖昧だし、ジュリエットの座を賭けた対決を前にしているのだから、下調べは重要だ。


 「ああ、ロミオ。どうしてあなたはロミオなの?」と言うジュリエットのセリフはあまりにも有名であるが、逆にそれ以外のセリフはと問われると浮かばないのがジュリエットというキャラクターとも言える。私は某歌劇団には興味がなかったし、何度か映画化されたことを知ってはいるものの、演目としての『ロミオとジュリエット』は実は見たことがない。


「もうすぐ十四歳ってことは十三歳か~。ロミオって実はロリコン?」


 そのまま情報を探っていると、ロミオも十七歳と書いてあるので、イメージしていたよりも若かかった。このギャップに関しては大人が演じているイメージが付いているからだろう。


 ロミオが最初に好きだったのがジュリエットでないという部分も、実は知らない人も多いのではないだろうか。ロミオの片想いの相手だったのはロザラインという女性。ロミオの親友であるマキューシオは、片想いに苦しむロミオを気晴らしにキャピュレット家のパーティーに連れて行く。そこで初めて出会ったロミオとジュリエットはお互いに一目惚れ。実家同士が仲が悪い二人は修道僧ロレンスの元で秘かに結婚する。直後に起こった街頭の争いでマキューシオが命を落とし、かたきであるティボルトを、ロミオは殺害。このことから大公エスカラスは、ロミオを追放の罪に処する。一方、キャピュレットは悲しみにくれるジュリエットに、大公の親戚のパリスと結婚する事を命じた。この時ジュリエットはロレンスに助けを求めるのだが、これが悲劇の始まり。仮死毒を使った計略を立てたものの、追放されたロミオにこの計画は伝わらず。ジュリエットが死んでしまったと勘違いしたロミオは、彼女の墓参りに来ていたパリスを決闘の末に殺害。その後ロミオはジュリエットの墓の前で毒を飲んで自殺。仮死状態から目を覚ましたジュリエットはロミオの死を知って、彼の短剣で自刃してしまう。結果としてモンタギュー家とキャピュレット家は和解するのだが、どうにも報われない話だ。


「これ、スマホが普及してる現代だったら起こらなかったよね」


 情報の伝達能力と速度に関して、『ロミオとジュリエット』の舞台となっている十四世紀と現代では大きな差がある。要はロレンスの計画が正確にロミオに伝わっていれば、この悲劇は起こらなかったのだ。そう思うとやはり報告、連絡、相談は重要なのだと改めて思い知らされる。


 とまぁ、物語の締めくくりはともかく、今重要なのはジュリエットの人物像。もちろん台本は渡されることになっているが、それだけで済ませるほど、私は甘くない。せっかくだから圧倒的な勝利というものをご覧に入れよう。何やら輝崎君とやり取りをしている亮輔君をちらりと見やってから、私は再びスマホとにらめっこを開始した。


 放課後になって、輝崎くんからオーディション用の台本を渡される。その場で軽くめくって内容を確認したところ、この台本が『ロミオとジュリエット』における、かの有名シーン。例の「ああ、ロミオ」から始まるバルコニーでのシーンであることがわかった。


「いいね~。いかにもオーディションっていう感じ」

「流石にあたしもこのシーンなら知ってるぞ」


 この日から一週間。私と玖珂崎さんの勝負の時が始まった。食事など最低限の接触以外、亮輔君に会うこともせず。私達はそれぞれ自室に引きこもってひたすらに練習にはげんだ。カラオケの前に作った防音室をこんなに早く再利用することになるとは思っていなかったが、私は新垣に演技の様子を録画させながら、自分の演技を研ぎ澄ませて行く。もうすぐ十四歳を迎えるジュリエットの心境をトレースするため、ロミオとジュリエットに関するあらゆる書籍を取り寄せ、精神発達の分野について書かれた専門書を読み漁った。泣いても笑っても、準備の期間は一週間。その間に心残りがないよう仕上げて行く必要がある。何せ、勝った方は亮輔君に愛を囁いてもらえるのだから。


 私は寝る間も惜しんで、自分なりのジュリエットの人物像を構築し、それに自分を合わせる訓練を行った。おかげで多少寝不足になってしまったものの、後悔はしていない。そして迎えた運命の日。私は目の下のクマをファンデーションで覆い隠し、何気ない顔で登校する。必死さを見せるのは一人の時だけ。人前では堂々とあらねばならない。私が皇家の人間である以上、こればかりはないがしろにすることが出来ないのだ。


 心の中にある熱い炎を皇琴音わたしという仮面で覆い隠し、私はひとまずいつも通りの自分を演じる。この炎を開放するのは、オーディションの時。順番はこの際どうでもいい。何なら審査員であるクラスメイト達すら関係ない。ジュリエットわたしを見せ付けるのはただ一人。ロミオである亮輔君だけ。彼の反応こそが、私の全力が報われるかどうかの判断基準だ。


「待っててね、亮輔君。ロミオの隣に立つのに相応しいのは私だって、証明して見せるから」


 何としても勝ち取って見せる。その思い一つで、私はオーディションの瞬間を迎えた。

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