第三十二話 ロミオとジュリエット/琴音サイド

 玖珂崎さんのカラオケ曲に便乗した告白があってからというもの、亮輔君が玖珂崎さんを意識するようになったのは明らか。とは言え、私の母が乱入してきたことであの告白も有耶無耶になり、亮輔君が返事を返すような事態にはなっていない。玖珂崎さんもあれ以来その点に触れることはしていないし、無理に介入して再燃しても困るので、私は静観を決め込んでいた。そうして時は過ぎて行き、迎えた十月の終わり。中間試験を無難に学年上位で突破した私は、学校中が浮かれ始めるのを肌で実感し始める。クラスメイト達がしきりに口に出すのは「星陵祭」なる単語。どうやらそれは、この学校の文化祭であるらしい。


 ある日のホームルームの時間。星陵祭実行委員となった塚本さんが教壇の前に立ち、場を仕切り始める。どうやら、これから星陵祭でクラスとして何をやるのかを決めるようだ。私としてはこういった一般の学校の文化祭と言うものを経験したことがないので、今一イメージが掴みにくい。一体何をしようというのかと見守っていると、ある生徒が提案したクラス劇が多くのクラスメイトの支持を得て、我がクラスの出し物がクラス劇『ロミオとジュリエット』に決まる。企画案を聞く限り、体育館の舞台を使って行うようで、素人が行う劇としてはそれなりに規模が大きいものになるようだ。


 そのまま成り行きを見守っていると、配役を決める段階になって私の名が挙がる。それはあれよあれよと言う間にクラス内に伝播して行き、最期に塚本さんがこう締めくくった。


「じゃあ、ジュリエット役は満場一致ですめらぎさんで決まり!」


 私はジュリエットをやりたいなんて一言も言ってないのに、クラスメイト達はすっかりその気になっている。まぁ、やるとなれば全力で取り組むのはやぶさかではないが、それは相手役が誰かということによるところが大きい。


 と、ここで私のイタズラ心が首をもたげる。標的はもちろん亮輔君。私がジュリエットをやるというのなら、相手は亮輔君しかいない。


「それじゃあ次にロミオ役だけど――」 

「あ、ちょっといいかな」


 これから起こるであろうことを想像して、私は一人笑みを浮かべた。


「ロミオ役は亮輔君がいいな~」

「え?」


 塚本さんを始め、クラスメイト達は口をポカーンと開けて驚いている。


「ん?」


 私の言葉を聞き逃していたのか、亮輔君が今気づいたかのように声を上げた。それに釣られたらしい、クラス中の視線が亮輔君に集まる。


「え~、ロミオ役は隼人はやと君がいいよ~」

「そうそう。隼人君の方がかっこいいし」

「……俺はどっちでもいいけど、肝心のすめらぎ姫がな~」


 数人の女子が口々に好きなことを言い始めた。輝崎君は確かにイケメンではあるものの、私の中ではロミオのイメージではない。尤も、亮輔君がロミオのイメージに合っているかと言われれば、答えはノーな訳だが。


 見ると、輝崎君も私の様子を窺っているようだ。ここで「なら自分が」と言い出すような性格ではないことは把握済み。仮にそう言い出したとしても、私は彼の弱みを知っている。出来ればこのカードは残しておきたいところだが、ことと次第によっては容赦なくカードを切るつもりだ。


「亮輔君がロミオ役じゃないなら、私はジュリエット役を降りるよ」


 それを聞いたクラスメイト達の間にどよめきが走った。クラスメイト達からすれば、亮輔君は何故か私に気に入られている影の薄い人物なのだろうが、私は知っている。亮輔君の中には熱い情熱もあるし、人を気遣う優しさもあるのだ。


「ちょっと皇さん。流石にそれは無理があるって」


 しかしそれは、あくまで肝心の亮輔君自身がその気になってくれればの話。最初の段階で亮輔君がごねるのは毎回のことなので想定の範囲内である。


「どうして?」


 さて、今回はどうやって卑屈な彼をその気にさせようか。


「だって『ロミオとジュリエット』のロミオって言ったら花形だよ? 俺は『ロミオとジュリエット』のこと詳しくないし、演技の経験とかもないし、そんな大役振られても困るって」

「それを言ったら、私だって『ロミオとジュリエット』のことに詳しいとは言えないし、演技の経験だってないよ? まぁ、ピアノのコンクールとかには出たことあるけど」


 確か何かの賞を取ったこともあった気がするが、よく憶えていない。親に言われて始めた習い事などその程度だろう。


「仮に何か役をやるとしてもさ、もっとこう……地味なキャラと言うか、出番の少ないやつとかで――」

「それじゃあ意味ないの。私は亮輔君のロミオを相手にジュリエットをやりたいんだもん」


 私の性格はもう亮輔君も把握しているだろうし、ごねたところで無駄なのは既に承知しているはず。それでも抗うのは、自分に自信がないから。たぶん彼の中では、ちょうどいい落し所を探っている状態なのだろう。


 と、ここで声を上げたのが輝崎君だ。


「それじゃあ、みんな。ここは皇姫の案を受け入れるとして、残りの役はどうする?」


 輝崎君は塚本さんよりもずっと求心力がある。彼の声を受けてちらほらと「隼人君がそう言うなら……」とか「皇さんには逆らえないしな~」と言う、消極的ながら賛同の声が挙がり始めた。


「ちょっと待った! 俺の意見は?」


 珍しく教室内で亮輔君が声を張る。気心が知れた輝崎君に対する発言だからだろうが、クラスメイトの中には驚いた様子の人もいた。


「他でもない皇姫の推薦だ。これを無碍に出来るほど、俺達の立場は高くない。もしどうしてもって言うなら、お前が皇姫を説得することになるけど?」


 流石は輝崎君。自分の立場をよくわかっている。これはあくまで皇家の力であって、私自身の力ではないが、持って生まれた立場も才能の内。クラスメイト達も概ね輝崎君の言葉に同調している様子だ。ふと亮輔君と目が合ったので、したり顔で投げキッスをしてやった。


「……わかったよ。で? 残りの役だっけ? どうやって決めるのさ」

「う~む。皇姫、何か要望はある?」

「亮輔君がロミオなら、後はどうでもいいよ」


 他の配役のことは全く考えていなかったので、ありのままにそれを伝える。輝崎君のロミオを期待していたのであろう女子達はため息をついているが、ご愁傷様。亮輔君はあなた達にはわからない魅力を持っているのだ。他の女子の例に漏れず、塚本さんも渋々と言った感じで、ロミオの欄に亮輔君の名前を記入している。


 さて、『ロミオとジュリエット』の他の登場人物と言えば誰がいただろうか。有名なのはマキューシオとかティボルトとかだが、他にも細々こまごました登場人物はいる。大抵は男性の役なので、男子が配役されることになるだろう。


「ちょっと待った!」


 やはりと言うべきか。ここで声を上げた一人の女生徒がいた。他でもない。玖珂崎さんである。


「どうかしたの? 玖珂崎さん」


 塚本さんも何事かと目を丸くしている。せっかく亮輔君を相方に『ロミオとジュリエット』をやれるはずだったのに、このタイミングで待ったをかけるのだから、相応の事柄なのだろう。


「亮輔がロミオをやるなら、あたしもジュリエットをやりたい!」


 亮輔君をロミオに押した時点で言い出すだろうとは思っていたが、やはり来たか。クラス票のほとんどを得てジュリエット役に決まった私を相手に対抗馬として出てくるのだから、恐れを知らないとはまさにこのこと。たぶん先日のカラオケでの失敗を、ここで帳消しにしたいのだろう。


「へ~っ。亮輔君がロミオになった瞬間にやる気じゃない。あなたはジュリエットって柄じゃないと思うけど?」

「学校の文化祭でクラス劇としてやるくらいなんだから、そんなのはどうでもいいだろ?」


 長身であることを除けば、顔立ちはいい彼女のことだ。それはそれで舞台栄えはするだろうが、ここは譲るつもりは毛頭ない。


「まぁそうだけど。でも出来るの? あなたに演技なんて」

「そう言うそっちも演技は経験ないんだろ? なら条件としては同じじゃないのか?」

「それはどうかな。私は日頃から人前に立つことを前提に、他人ひとからどう見えるか想定して、それとズレないように過ごしてる。だからそれを普段の私からジュリエットという役に移し変えるだけ。あなたはどう? 普段は人目なんて気にしてないでしょ?」


 案の定、玖珂崎さんは言葉に詰まっている。日頃からありのままの自分で生きている彼女にとって、何かを演じると言うのは未知の領域。その点において、私には一日いちじつちょうがある。


「お前の言うことはもっともだ。けど、あたしだって、皇には遠く及ばないまでも玖珂崎の名前を背負ってる身だ。人前に出て恥ずかしい振る舞いはしてないつもりだぜ?」

「そう? その割には、この間のテストでは赤点ギリギリだったみたいだけど?」

「何でお前があたしの点数知ってるんだよ!」


 そんなの方法を明かせる訳ない。もちろんうしろ暗い方法ではないものの、教えてしまったら面白みがないではないか。


 私がそんなことを考えていると、輝崎君が声を上げた。


「相手が皇姫とは言え、クラスの一員である以上、機会は平等に与えられるべきだよな? そうだろ? 皇姫?」

「……まぁ? 親の七光りで役を決められたとか言われても癪だし、私と勝負するって言うなら乗るけど?」

「そっちがその気なら、仕掛けさせてもらうとするぜ」


 こうして、私と玖珂崎さんの直接対決の幕が上がる。私に対抗しようなんていう人間は稀なので、これはこれで少し楽しみかも知れない。やるからには全力でやらせてもらおうではないか。せいぜい盛大に叩き潰してやることにしよう。私は不敵な笑みで玖珂崎さんを見据えた。

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