第五章 配役決めは波乱の予感

第三十一話 ロミオとジュリエット/亮輔サイド

 凪の告白めいた歌唱を聞かされて以降、何かと凪のことを気にかける機会は増えたものの、当の凪の方はそれに関して踏み込んでくる様子はなく。この件に関しては皇さんも静観を決め込んでいるのか、これと言ったアクションを起こすことなく時間は過ぎて、十月の終わり。中間試験を無難に突破した俺を待っていたのは、予想だにしないことだった。


 それが起こったのは、我が校の文化祭であるところの星陵祭せいりょうさいの出し物を決めるホームルームの時間。クラスの半分以上を占める陽キャと、それに付いて行けるテンションの人達の発案により、我がクラスの出し物がクラス劇『ロミオとジュリエット』に決まる。『ロミオとジュリエット』と言えば、シェイクスピアの有名な戯曲の一つであるということくらいは知っているが、詳しい内容はよくわからない。仮に知っていたとしても、陰キャである俺に役が回ってくることはないだろうし、ここは傍観を決め込むのがよいだろう。


「じゃあ、ジュリエット役は満場一致ですめらぎさんで決まり!」


 星陵祭実行委員の女子生徒――確か名前は塚本つかもとさんだったはず――が、声高らかに言った。


 クラス内での人気にんきを考えれば、順当な配役か。確かジュリエットはいいとこのお嬢さんだったはずなので、その点でも皇さんにぴったりと言える。


「それじゃあ次にロミオ役だけど――」 

「あ、ちょっといいかな」


 塚本さんの発言に被せるように、皇さんが言う。本当に、この辺りは躊躇がないと言うか、マイペースと言うか。もう少し他人ひとの話を聞く癖を付けた方がいいかも知れない。雇用主の品格を高める手助けをするのも執事の役目であるはず。今度進言してみることにしよう。そんなことを考えていたから、この後に続く皇さんの発言を俺は聞き逃していた。


「ロミオ役は亮輔君がいいな~」

「え?」


 塚本さんの驚きの声。


「ん?」


 それに気付いた時には、クラス中の視線が俺に集まっていた。こんな光景は何回目だろうか。


「え~、ロミオ役は隼人はやと君がいいよ~」

「そうそう。隼人君の方がかっこいいし」

「……俺はどっちでもいいけど、肝心のすめらぎ姫がな~」


 流石の隼人も皇さんの前では頭が上がらない。何せ相手は皇財閥のご令嬢。多少仲よくなったとは言え、機嫌を損なえば何をされるかわからないのだ。もちろん皇さんはこの程度で他人ひとの人生を台無しにするような非情な性格ではないものの、出来るだけ悪い印象は与えたくないというのが人の常であろう。


「亮輔君がロミオ役じゃないなら、私はジュリエット役を降りるよ」


 肝心の皇さんがこんなことを言い始めたものだから、クラス中が騒然となる。それも仕方のないことだ。何せ皇さんがロミオ役に指名したのは俺。クラスメイトからすれば『何故か皇さんに気に入られている陰キャ』くらいの印象だろう。そんな俺に、この物語の主役とも呼べるロミオを託する訳がない。


「ちょっと皇さん。流石にそれは無理があるって」


 こればっかりは俺の口から言わなければ、彼女も納得しないだろうと思い、口を挟む。


「どうして?」


 俺自身はあまり悪目立ちをしたくないから、普段から控えめな行動を心がけている訳だが、皇さんの疑問も尤も。元々彼女からすれば、俺は卑屈過ぎるのだ。


「だって『ロミオとジュリエット』のロミオって言ったら花形だよ? 俺は『ロミオとジュリエット』のこと詳しくないし、演技の経験とかもないし、そんな大役振られても困るって」

「それを言ったら、私だって『ロミオとジュリエット』のことに詳しいとは言えないし、演技の経験だってないよ? まぁ、ピアノのコンクールとかには出たことあるけど」


 流石はお嬢様と言ったところか。俺からすればそれすら想像もつかない領域である。


「仮に何か役をやるとしてもさ、もっとこう……地味なキャラと言うか、出番の少ないやつとかで――」

「それじゃあ意味ないの。私は亮輔君のロミオを相手にジュリエットをやりたいんだもん」


 一度こうと決めたら聞かない皇さんのことだ。いつも通りの流れであれば、俺が折れるまで追及は続くだろう。だったら、早々にこちらが折れて、他のクラスメイトの説得に時間をかけた方が労力が少なくて済みそうなほどだ。とは言え、主役など俺には荷が重いし、どうしたものか。


 と、ここで声を上げ立ち上がったのが我が親友、隼人である。


「それじゃあ、みんな。ここは皇姫の案を受け入れるとして、残りの役はどうする?」


 流石はうちのクラスのイケメン代表と言うだけあって、あっという間にクラス中の視線を集めた。すると、クラスメイト達の中から「隼人君がそう言うなら……」とか「皇さんには逆らえないしな~」とか消極的ながら賛同する声が挙がり始める。


「ちょっと待った! 俺の意見は?」


 このままでは主役にされかねないと、俺は声を張った。こんな形で主役に抜擢されても嬉しくないし、そもそもが大勢の人前で何かをするのに向いていないのが俺なのだ。それが出来たのなら、今頃は無事に高校デビューを果たしていたはずである。


「他でもない皇姫の推薦だ。これを無碍に出来るほど、俺達の立場は高くない。もしどうしてもって言うなら、お前が皇姫を説得することになるけど?」


 それはまた難しい案が出たものだ。何だかんだ言って、常に皇さんの思うように行動してきた俺である。ここに来て彼女を説得するなど、ハードルが低いはずがない。ふと皇さんの方を見ると、したり顔で投げキッスなどしてくる始末。これは立ち向かうだけ無謀と言うものだ。俺は大きくため息をついて、長いものに巻かれる決意をした。


「……わかったよ。で? 残りの役だっけ? どうやって決めるのさ」

「う~む。皇姫、何か要望はある?」

「亮輔君がロミオなら、後はどうでもいいよ」


 俺以外にはとことん興味がないのもいつも通り。周囲を見渡すと、がっかりと言った様子の女子達のため息姿が目に付く。よほど隼人のロミオが見たかったのだろう。それでも皇さんの意向を無視出来ないというのだから、皇の名の強さと言うものを改めて思い知らされた。塚本さんも渋々と言った感じで、俺の名前をロミオの欄に書き記す。


 さて、まだ主役の二人しか決まっていないのだから、残った役の方が多い。名前だけ見ても誰が誰だかわからないが、マキューシオだのティボルトだのロレンスだのと、他にも結構役がある。こうして見ると、男子の方が役が多いようだ。何故それがわかるかと言えば、塚本さんが役の名前の下にわざわざそれぞれの性別を書いてくれていたからである。


「ちょっと待った!」


 ここで手を上げて立ち上がった女性徒がいた。俺の席は一番後ろの列だから、それが誰なのか一目瞭然。待ったをかけた人物は他でもない。凪だ。


「どうかしたの? 玖珂崎さん」


 塚本さんも何事かと目を丸くしている。それもそうだろう。皇さんの意向に沿ってようやく主役が決まったと言うのに、それに待ったをかけたのだから。


「亮輔がロミオをやるなら、あたしもジュリエットをやりたい!」


 何を言い出すかと思えば、自らがジュリエット役の対立候補になろうと言う。クラスの大半が皇さんに票を入れた後なのだから、この状況で立候補したところで採用される見込みは薄い。それでも皇さんに対立の姿勢を示したのは、やはり先日のカラオケの件があったからだろうか。


「へ~っ。亮輔君がロミオになった瞬間にやる気じゃない。あなたはジュリエットって柄じゃないと思うけど?」

「学校の文化祭でクラス劇としてやるくらいなんだから、そんなのはどうでもいいだろ?」


 ジュリエットの詳しい人物像は俺にはわからないが、少なくともロミオよりも背が高いと言うことはないはずだ。


「まぁそうだけど。でも出来るの? あなたに演技なんて」

「そう言うそっちも演技は経験ないんだろ? なら条件としては同じじゃないのか?」

「それはどうかな。私は日頃から人前に立つことを前提に、他人ひとからどう見えるか想定して、それとズレないように過ごしてる。だからそれを普段の私からジュリエットという役に移し変えるだけ。あなたはどう? 普段は人目なんて気にしてないでしょ?」


 凪が言葉に詰まった。確かに皇と言う名を背負って生まれ、皇家の人間として生きてきた皇さんと、自由奔放に生きてきた凪では、その手のスキルに関して雲泥の差があると言っていい。


「お前の言うことはもっともだ。けど、あたしだって、皇には遠く及ばないまでも玖珂崎の名前を背負ってる身だ。人前に出て恥ずかしい振る舞いはしてないつもりだぜ?」

「そう? その割には、この間のテストでは赤点ギリギリだったみたいだけど?」

「何でお前があたしの点数知ってるんだよ!」


 家では割りとしょっちゅうだが、学校でこうしていがみ合うのは珍しいのではないだろうか。それだけ二人の関係が固定化さて来たということなのだろうが、はてさて、ここはどうしたものだろう。


 俺がそんなことを思っていると、隼人が声を上げた。


「相手が皇姫とは言え、クラスの一員である以上、機会は平等に与えられるべきだよな? そうだろ? 皇姫?」

「……まぁ? 親の七光りで役を決められたとか言われても癪だし、私と勝負するって言うなら乗るけど?」

「そっちがその気なら、仕掛けさせてもらうとするぜ」


 こうして、皇さんと凪の勝負が始まることとなる。例えそれが出来レースだったとしても、凪は引かなかっただろう。それだけの気迫が、今の凪からは感じられた。

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