第三十話 母、来襲/凪サイド
亮輔は放心したように動かない。これはつまり、今のが告白だと気づいてもらえたと言うことか。あたしの顔も大概だろうが、亮輔の顔は真っ赤で、まるでゆでだこのようだった。
男子の妄想力に訴える、ガチ恋必死のラブソング作戦。詩音先輩から聞いた時は耳を疑ったが、これはこれで効果的のようだ。誰かに向かってラブソングを歌ったことなんてないから、正直侮っていた。
誰も、一言も発しない、張り詰めた空気。それを自分が生み出したと言うことは今でも信じられないが、根が真面目な亮輔のことだ。真っ先に答えてくれるに違いない。
待っている間にもカラオケ機は今の歌の採点を始め、九五点という高得点を弾き出す。この歌はあたしの持ち歌の中でも特に得意な歌なので、九○点程度の得点なら割とコンスタントに出せるのだが、今回は特に出来がよかったらしい。やはり心の込め方が普段とは段違いだったからだろうか。
「凪……。俺は――」
来た。予想通り、最初に口を開いたのは亮輔だ。顔を真っ赤にしている辺りを見るに、感触は悪くないはず。後はどういう答えになるのか――。
しかし、その答えを聞くことは叶わなかった。何者かが、突然部屋の扉を開けて侵入してきたからだ。
入ってきたのは女性。知らない顔だ。が、どことなく皇に似ている感じもする。皇は皇で大層な美人だが、侵入してきた女性はそれに加えて、大人特有の落ち着いた優雅さのようなものも備えていた。二○代、いや三○代か。美人な女性は見た目で年齢を測るのが難しいが、目の前の女性はそれが際立っている。唯一見て取れたのは左手の薬指にはまっている指輪――つまり既婚者であると言うことと、部屋の外に何やらがたいのいい黒服達が控えていると言うこと。只者ではないということは一目でわかる。この女性は皇の関係者だ。
「お母……様……」
皇が呟く。
なるほど母親か。見た目だけならば姉でも通用しそうなほどだが、纏っている空気は、言われて見ればなるほど親のそれである。
「……どうしてここに?」
皇が問う。
「それは、あなたが皇家の人間として恥ずかしくない生活をしているか確認するためです」
皇の母親だと言う女性が答えた。声自体は大した声量ではない。それでもカラオケ屋特有の喧騒をものともせずに、はっきりと耳に入ってくる。皇のよく通る声は親譲りと言うことか。
「それは毎日ご報告差し上げているではないですか! そもそも、どうして私がここにいるとわかったのです?!」
皇が珍しく声を荒げている。これはこれで新鮮味があって面白かったが、よく考えてみればあたしの渾身の告白は一体どうなってしまったのか。せっかく勇気を振り絞ったと言うのに、これでは亮輔のときめきも冷めてしまう。
「新垣はあなたの専属メイドである前に、皇家の使用人なのですよ?」
新垣? 誰だ? また知らない人間が出てきた。専属メイドと言うからには皇の傍にいるのだろうが、少なくとも、あたしはそんな人物は見たことがない。
「確かにあなたからの報告は耳にしています。しかしあなたももういい歳でしょう? 隠しごとの一つや二つはあるかと思いまして、こうして確認に来た次第です」
あたしの思考を余所に、会話は進んで行く。
「それで? そちらの殿方達は、あなたとどういう関係なのかしら?」
皇の母親の視線が、亮輔と輝崎に向いた。疑ってかかるようなその目を見れば、皇の母親が何を言わんとしているのかは何となく想像がつく。
「私の友人です」
答える皇の声に力はない。それはつまり、多少なりとも後ろめたい何かがあるということ。
「本当にそれだけ?」
「何がおっしゃりたいのです?」
皇が何を隠しているのかはわからない。しかしそれが亮輔との何かだとしたら、あたしはそれを知りたいと思った。そしてついに、皇の母親の口から決定的な一言が飛び出す。
「では単刀直入に聞きます。あなたはそちらの殿方達と、男女の関係になりましたか?」
男女の関係。それはつまり肉体的な接触があったかということ。気にはなるが、同時に知るのが怖いと言う感覚もある。仮に亮輔と皇の間にそういう関係が既にあったとしたら、あたしはどうすればいいのだろう。
「荒木から話は窺っています。先日、あなたが家を抜け出した際、少年と行動を共にしていましたね? 確か朝霧亮輔さんでしたか。そこにいる殿方のどちらかが、その朝霧亮輔さんなのではないのかしら?」
あたしの知らない亮輔と皇の出会いの日。あたしはとある事情で実家に帰省していたから、その日のことを知らない。
「仮にそうだったとして、お母様に何か不都合が?」
「もちろんありますよ。あなたはいずれ皇財閥の跡取りとなる方と結婚をする身なのですから、それまでは清い体でいてもらわないと。そういった遊び相手を作るのは、子どもを生んでからでも遅くはないでしょう?」
その一言には流石に驚いた。皇の母親はこう言ったのだ。子どもを生んでからならば不倫は構わないと。
「――っ!? 亮輔君をそんな風に言わないで!」
皇が声高らかに吠える。こんな怒った表情の皇を見るのは初めてだ。なるほど、怒るとこうなるのか。
皇の手に力が加わり、まさに振り上げられようとしたその時だった。すっかり落ち着いてしまった様子の亮輔が、両者の間に割って入ったのは。
「いくら母親とは言え、その言い方は酷いんじゃないですか?」
皇を背に隠すように立つ亮輔。その行動自体は逞しくてかっこいいが、守る対象があたしでなく皇なのは気に食わない。
「どちらかと思ったら、あなたの方でしたか。なるほど。確かによい目をしていらっしゃる」
亮輔の見せる鋭い視線。滅多に見せないその表情に、あたしも少しときめいてしまう。ずるい。あたしを何かから守る時に、その表情をして欲しかった。
「あなたのお嬢さんは行きずりの男と関係を持つような女性ではありません。謝罪してください」
「あら。それをあなたが言うのですか? 人様の娘を勝手に連れ出したあなたが」
皇の母親の追及は続く。しかし、そこで折れてしまうほど、亮輔は軟な男ではないということを、あたしは知っていた。
「確かに、私の勘違いでお嬢さんを連れ出してしまったのは事実です。ですが誓って、やましいことはしていません」
「口では何とでも言えますよ?」
「おっしゃる通り。しかし、ないものはないのです。それを証明せよと言うことは、まさしく悪魔の証明になります。それともお嬢さんの身体検査でもしますか?」
亮輔のその一言が効いたのか、皇の母親は押し黙る。そのまましばらく亮輔を見詰めていたと思ったら、不意に口元を緩めた。
「……なかなかよい人材を発掘したようですね、琴音」
言われて、皇は元の調子を取り戻したようだ。
「そりゃ~もう。この私が見出した人材ですから」
腰に手を当てて堂々と振舞う様は、あたしが今まで見てきた皇そのものだった。それを見て、皇の母親がフッと微笑む。
すると亮輔が居住まいを正して、一歩前に出た。
「改めまして、琴音さんの暫定専属執事をさせていただくことになりました。朝霧亮輔です」
執事。聞けば聞くほど気に入らない。亮輔はスーパーの店員をしているくらいが丁度いいと言うのに。
「まぁ、琴音が専属執事をつけるなんて。今までは男性使用人のことを毛嫌いして、身の回りのことはみんな新垣に任せきりだったのに」
皇の母親は何やら驚いた様子だが、そんなことはどうでもいい。亮輔は皇じゃなくて、もっとあたしに構うべきだ。
「あ、お母様! それは亮輔君には秘密なのに!」
皇は慌てた様子で母親の口を塞ぐ。すると皇の母親は、しばらく何か考え込む素振りを見せてから、皇の耳に口元を寄せた。
声が小さくて何を言ったのかは聞こえなかったが、皇がそれに対して超反応を見せたのはすぐにわかる。それもそのはず。あの皇が、赤面していたのだ。
「ちょっ! お母様っ!?」
ここまで動揺している皇を見るのは新鮮だ。写真でも撮っておけば、後で何かに使えるかも知れない。
あたしはこっそりスマホを取り出し、皇の姿を写真に収める。
「亮輔君も! 何ニヤニヤ笑ってるの!?」
「あれ? 俺笑ってた?」
あたしの行動に気付いた様子はない。しめしめと、あたしはスマホをしまう。
「ああ、もう! お母様! こんなところでいつまでもお話している暇はないのではありませんか?!」
「あら、そうでした」
皇の母親は黒服の一人と何やら話をした後、去り際に亮輔に向かって言った。
「朝霧さん、今日はお話が出来てよかったです。私は皇
「……は、はい」
「娘のこと、どうかこれからもよろしくお願いしますね」
「その点に関してはご心配なく。執事として、誠心誠意お仕えさせていただくので」
誠心誠意お仕えか。亮輔になら、あたしもされてみたい。そんなことを考えていると、皇の母親がくすりと笑う。
「執事として……ですか。本当にそうなるか怪しいものですね」
黒服達を引き連れて、皇の母親が差って行った。後に残されたのは、あたし達四人とカラオケ屋の喧騒だけ。あたしの作り出した告白ムードはとうに霧散し、何事もなかったかのような雰囲気だ。あたしは小さくため息をつく。ここからもう一度告白なんて、そんな器用さはあたしにはなかったからだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます