第二十八話 母、来襲/亮輔サイド

 胸が苦しい。一体この現象は何なのか。あの凪が、女の子として可愛く見えるなんて。


 そもそも、凪は歌の歌詞に沿って歌っただけであって、本当に俺に告白をした訳ではない――と思う。断言できないのは、これまで凪にこういった浮いた話がなかったからだ。凪のことについてはほぼ全て知っていると言える俺だが、こと恋愛に関しては、彼女がどういう行動に出るのか全くわからない。ラブソングに乗せた告白。そんなものが現実に存在するのだろうか。


 曲が終わったと言うのに、誰も反応できないでいる。一方のカラオケ機はというと、凪の歌に採点をし、その得点を弾き出していた。俺はカラオケに来たのは初めてだからよくわからないが、九五点というのはかなりの高得点なのではないだろうか。


 とまぁ、いつまでも歌の得点に気をそらして逃げている訳にも行かない。この状況で最初に反応するべきは俺なのだろう。何と答えればいいのかはわからないが、俺が真っ先に答えなければならないというのは直感的にわかった。


「凪……。俺は――」


 何と答えようとしたのかは俺にもわからない。開きかけた口が硬直して、その先を発することはなかったからである。そうなったのは、突然部屋の扉が開き、何者かが侵入してきたからだ。


 入ってきたのは妙齢の女性。美人過ぎて見た目で年齢が把握できない。肌ツヤを見れば二○代にも見えるし、落ち着いた物腰を見れば三○代にも見える。はっきりとわかるのは、そこにいるだけで息が詰まるような存在感を放っていると言うこと。これと同じような感覚を、俺は知っている。そう、皇さんだ。そう思って改めて女性を見ると、どことなく顔立ちやスタイルが皇さんとそっくりだった。皇さんの家族構成は聞いたことがなかったが、お姉さんだろうか。部屋の外では、皇さんと初めて出会った時に見たような黒服の男達が控えている。


「お母……様……」


 え? お母様ってことは、母親!? この見た目で!?


 何故だか、皇さんの母親がやって来た。皇財閥の人間とは大よそ無関係であろうこの施設に。


「……どうしてここに?」


 皇さんが問う。


「それは、あなたが皇家の人間として恥ずかしくない生活をしているか確認するためです」


 皇さんの母親は静かにそれに答えた。カラオケ屋の喧騒の中において、それでもはっきりと耳に届く声。決して大声を出している訳でもないのに、これほど伝わってくるのだから、やはり皇家の人間というのは一般人とは格が違うようだ。


「それは毎日ご報告差し上げているではないですか! そもそも、どうして私がここにいるとわかったのです?!」


 皇さんが声を荒げているところを、俺は初めて見た。実家にいた頃の皇さんがどうだったかは知らないが、少なくとも、俺の前に現れてからは初めてである。


「新垣はあなたの専属メイドである前に、皇家の使用人なのですよ?」


 皇さんの母親は、先にそちらを答えてから、改めてもう一方に答えた。


「確かにあなたからの報告は耳にしています。しかしあなたももういい歳でしょう? 隠しごとの一つや二つはあるかと思いまして、こうして確認に来た次第です」


 図星を指されたとでも言うように、皇さんが口ごもる。基本的に誰に対しても優勢に立ってきた皇さんが見せる、劣勢の姿。その様子を前にすると、俺如きでは挟む言葉すら浮かばない。


「それで? そちらの殿方達は、あなたとどういう関係なのかしら?」


 この場にいる男と言えば、俺と隼人の二人だ。皇さんの母親は、皇さんに対して何かしらの疑念を抱いている。皇さんが家族に何と言って実家を出て、転校して来たのかを知らない俺にとっては、あくまで想像の範疇でしかないが、皇さんほどの出自の人間ならば、付き合う人間にも配慮すべき。相手が男ともなれば尚更だろう。


「私の友人です」


 俺のことは家族には伝えていないか。執事という単語は出てこない。


「本当にそれだけ?」

「何がおっしゃりたいのです?」


 空間を支配する緊張感。先ほどまで可愛く見えていた凪も、すっかりいつもの凪に戻ってしまっている。


「では単刀直入に聞きます。あなたはそちらの殿方達と、男女の関係になりましたか?」


 皇さんの身体が硬直した。そんな疑いをかけられても仕方のない行動を、俺と皇さんはしている。皇さんの母親は、そこを的確に突いて来たのだ。


「荒木から話は窺っています。先日、あなたが家を抜け出した際、少年と行動を共にしていましたね? 確か朝霧亮輔さんでしたか。そこにいる殿方のどちらかが、その朝霧亮輔さんなのではないのかしら?」


 顔をちょっと見られただけで個人の特定も出来るのか。どうやら皇さんの母親は俺の顔までは知らないようだが、やはり皇家の情報網は伊達ではない。


 一方の皇さんは、俺の方をちらりとも見ずに答える。


「仮にそうだったとして、お母様に何か不都合が?」

「もちろんありますよ。あなたはいずれ皇財閥の跡取りとなる方と結婚をする身なのですから、それまでは清い体でいてもらわないと。そういった遊び相手を作るのは、子どもを生んでからでも遅くはないでしょう?」


 それを聞いて、皇さんは拳を強く握り、そして激高した。


「――っ!? 亮輔君をそんな風に言わないで!」


 皇さんが怒ったところを、俺は初めて見る。これまではそういった感情とは無縁のものだと勝手に考えていた。いくら皇家の人間とは言え、皇さんもまだ一六歳の少女。変な理屈で攻められれば腹を立てるのも道理である。このままでは皇さんが母親に対して手を上げかねない。


 俺は思わず、皇さんと皇さんの母親の間に割って入っていた。


「いくら母親とは言え、その言い方は酷いんじゃないですか?」


 皇さんが心底驚いたように俺を見据えるが、ここで立たなければ男が廃ると言うもの。それに暫定的にとは言え、俺は皇さんの執事なのだ。彼女を守るのも俺の役割だろう。


「どちらかと思ったら、あなたの方でしたか。なるほど。確かによい目をしていらっしゃる」


 流石は人が出来ていると言うか、俺を馬鹿にするような真似はしない。しかし、この人は今、皇さんの気持ちを無視した発言をしたばかりだ。それを許していい道理はない。


「あなたのお嬢さんは行きずりの男と関係を持つような女性ではありません。謝罪してください」

「あら。それをあなたが言うのですか? 人様の娘を勝手に連れ出したあなたが」


 ものすごいプレッシャー。だがここで負けるような軟な育てられ方はしていないつもりだ。俺は真っ直ぐに皇さんの母親を見据え、口を開く。


「確かに、私の勘違いでお嬢さんを連れ出してしまったのは事実です。ですが誓って、やましいことはしていません」

「口では何とでも言えますよ?」

「おっしゃる通り。しかし、ないものはないのです。それを証明せよと言うことは、まさしく悪魔の証明になります。それともお嬢さんの身体検査でもしますか?」


 皇さんの母親はしばらく俺のことを無言で見詰めていたが、ふと口元を緩めた。


「……なかなかよい人材を発掘したようですね、琴音」


 先ほどまであった息の詰まるようなプレッシャーは、もう感じない。こうして見ると、そこいらの主婦と何ら変わらないように見える。その様子に、皇さんもいつもの調子を取り戻したようで、声高らかに言った。


「そりゃ~もう。この私が見出した人材ですから」


 フッと微笑む皇さんの母親。それを見て、俺は改めて名乗ることにした。


「改めまして、琴音さんの暫定専属執事をさせていただくことになりました。朝霧亮輔です」


 恭しく頭を下げて見せる。礼儀作法なんてちゃんと学んだことすらないが、アニメやマンガではこうしていた。見よう見まねだが、果たして通用するのだろうか。


「まぁ、琴音が専属執事をつけるなんて。今までは男性使用人のことを毛嫌いして、身の回りのことはみんな新垣に任せきりだったのに」


 それは初耳だ。皇さんのことだから、黒服の方々を始め、多くの男性使用人を手玉に取ってきたものだとばかり思っていたが。


「あ、お母様! それは亮輔君には秘密なのに!」


 皇さんは慌てた様子で、母親の口を押さえる。すると皇さんの母親は何を思ったのか、少し考えるような素振りをしてから、皇さんの耳元で何かを呟いた。


 声が小さくて内容は聞こえなかったが、皇さんの頬が突然ボッと赤くなる。


「ちょっ! お母様っ!?」


 こんなに動揺している皇さんを見るのは初めてだ。母親の前ではこんな顔をするのか。


「亮輔君も! 何ニヤニヤ笑ってるの!?」

「あれ? 俺笑ってた?」


 多少口元は緩んでいたかもしれないが、少なくともニヤニヤはしていないと思う。


「ああ、もう! お母様! こんなところでいつまでもお話している暇はないのではありませんか?!」

「あら、そうでした」


 皇さんの母親は黒服にこの後の予定を尋ね、去り際に俺に視線を寄こした。


「朝霧さん、今日はお話が出来てよかったです。私は皇静音しずね。以後、お見知りおきを」

「……は、はい」

「娘のこと、どうかこれからもよろしくお願いしますね」

「その点に関してはご心配なく。執事として、誠心誠意お仕えさせていただくので」


 俺の言葉に何を思ったのか、皇さんの母親――静音さんはくすりと笑う。


「執事として……ですか。本当にそうなるか怪しいものですね」


 それだけ言い残して、静音さんは黒服達に囲まれながらその場を去って行った。

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