第十七話 ハプニングは突然に/琴音サイド

 朝。


 亮輔君が来るよりも先にベッドを出て、新垣から例のブツを受け取る。


「お嬢様。こちらになります」

「ええ、ありがとう」


 急遽取り寄せさせたのは、新しい下着だ。別に替えの下着に困っていた訳ではない。亮輔君のハートをより強く掴むための起爆剤である。


 何故ここまでことを急いているかと言えば、答えは単純。まだ行動を起こしていないであろう彼女に大差をつけるためだ。


 真新しい下着に袖を通す。最新のスリーサイズに合わせて作らせたので、着心地は抜群。それを一晩で用意させることが出来たのは、もちろん皇家の力あってのものだが、本当に欲しいものを手に入れるためなら親の力であろうとも何でも使う。それが私の主義である。


 そのような考え事をしていたので、亮輔君がやって来る時間になっていることに気が付かなかった。突如部屋の扉を開き、亮輔君が入って来たのである。


「おりょ、亮輔君。おはよう」


 本当は少し驚いたが、私は平静を装う。咄嗟の場面でも取り乱さないのが、皇家に生まれた者として、最低限身につけておくべき技術だ。


 本来の計画とは少し違ってしまったが、これは好機である。私は自らの肢体を存分に彼に見せつけることにした。


「何んでそっぽ向いてるのさ。亮輔君のために用意した新しい下着だよ?」


 そう語りかけるが、彼は新垣の方を向いたままこちらを見ようとしない。よくよく見てみると、亮輔君は耳まで真っ赤だった。


「なななな――」

「な?」

「何で隠さないのさ!」


 つまり、彼はこう言いたいのだ。「早く服を着てくれ」と。


 それでも私に引くつもりはない。むしろ積極的に自らの身体を晒して魅せる。


「何でって、だって亮輔君だよ? それに見られて恥ずかしい体型ではないと思うし」

「女子高生としてその基準はどうかと思うよ!」


 加えてポーズまでとって見せた。胸を強調するように腕で挟んで、少し前かがみになって見る。これは男子には効果覿面てきめんなのではないだろうか。


「う~ん。そんなもんかな~。あ、そうだ亮輔君。ちょっと制服取ってよ」

「何で俺に言うのさ! 新垣さんがいるでしょ!?」

「亮輔君はもう私の執事でしょ? なら仕事を全うして貰わないと」


 私は最終カードを切ることにした。これを出せば、亮輔君は逆らえない。


 案の定、彼は言葉に詰まり、ぎこちない動作で制服を渡してくれた。だがここで終わってしまっては皇家に生まれた女として不十分である。私は一歩亮輔君に近づいて、耳元で言った。


「着させてくれてもいいんだよ?」

「それは流石に出来ないよ!」

「え~、亮輔君ならいいのにな~」


 とりあえず制服は受け取ってあげるが、私の攻勢はまだ終わりではない。


「それじゃあ亮輔君。着替え終わるまでそこで待ってて。これ、ご主人様命令ね?」

「はい!?」


 私は「ふっ」と微笑んでから着替えを始めたが、生憎亮輔君は視線を逸らしてしまう。こんなことなら「しっかりと見ておくこと」という条件もつけておくべきだった。しかし、これならこれでやりようはある。出来るだけゆっくり、彼の想像力をかき立てるように、わざと音を強調するのだ。


 途中、チラチラと亮輔君の方を見やる。彼は固く拳を握りながら、こちらを見まいと必死に耐えているようだが、下半身はしっかりと反応しているようだ。男子のこういった生理現象は初めて見るが、なかなか興味深い。もっと間近で見てみたい気もするものの、あまりグイグイ行ってはしたない女と思われるのでは本末転倒だ。仕方なく一通りの着替えを済ませ――るのはやめにして、あえて胸元のボタンを二箇所ほど開けたままで亮輔君に声をかける。


「はい。終わったよ~」


 亮輔君がホッと胸を撫で下ろし、こちらに目を向け――。


「ぶっ!?」


 盛大に吹き出し、咳き込んだ。その様子がおかしくて、私は笑いを堪えることが出来なかった。


「ちょっ、皇さん! ふざけるのも大概にして!」

「いや~、亮輔君がどんな反応するか気になってさ~」


 怒っている亮輔君も新鮮で素敵だ。私が何かする度にこうして派手にリアクションしてくれるのだから、もう楽しくて仕方がない。


「とにかく、早く胸元のボタン閉めて! 女の子がいつまでもそんな格好してるもんじゃないよ」

「は~い」


 今日のところはこんなものか。私は胸元のボタンを閉める。


「朝から疲れた」

「何よ~。せっかくいいもの見せてあげたんだから、もっと喜んでよ~」


 結婚前の娘がこんなことをしていると両親に知られたら、何と言うだろうか。たぶん怒り心頭でこのアパートを強制退去させられるだろうが、ばれなければ何とやら。新垣は完全に私の味方だし、そこから情報が漏れることはまずない。尤も、仮にそうなったとしても、どうにかできる自信はあるが。


「とにかく、着替えが終わったなら、俺は朝食の準備に行くよ」

「ん。じゃあ一緒に行こうよ」


 私は亮輔君の方に手を伸ばす。後は彼がこの手を取ってくれるかだけど。


 亮輔君は一瞬眉間にしわを寄せたものの、すぐに自分で解して、大きく息をつく。


「はいはい。仰せの通りに」


 しぶしぶではあったが、彼は私の手を取ってくれた。私は基本体温が低いから亮輔君の手の暖かさが心地いい。以前黒服達からの脱走の際に腕を握られたことはあるが、その時はそこまで余裕がなかったから気が付かなかった。誰かと手を繋ぐというのは、存外いいものだ。


 などと思っていると、亮輔君が私の手をぎゅっと握ってくる。これには流石の私も驚いて、思わず身体を強張らせた。


「りょ、亮輔君?」

「いや、手、冷たいな~と思って」

「あ、ああ~。私体温低めだから」


 私は今の自分の表情を見られたくなくて、少し俯いてから、視線だけ亮輔君の方に向ける。


「亮輔君の手は温かいね?」

「寒い地方の生まれだからかな。昔から体温は高めなんだ」


 何だか無性に恥ずかしい。一体これは何なのか。私にもよくわからない。けど、それが何だか楽しくて、笑いが込み上げて来る。それは亮輔君も同じだったようで、二人で一緒に笑い合った。


「行こうか」

「うん」


 どちらからともなく手を離す。この時間は他の誰かに見られていいものではない。もちろん新垣は傍に控えている訳だけど、彼女は空気みたいなものだ。いても然程気にならない。


 などと思っていたら、玄関先で玖珂崎さんと出くわした。


「え……」


 玖珂崎さんが動きを止める。対する私と亮輔君も、咄嗟のことに驚き、身体を硬直させた。


「亮輔……何で……」

「いや、その、あれだ。俺は皇さんを起こしに行っただけで、やましいことは何も――」

「なら何で二人して部屋から出てくるんだよ」


 玖珂崎さんの言い分は尤もだ。実際、私は亮輔君が来る前に起きていた訳だし、彼に着替えている間、傍にいるように言った。それに関しては後悔してないし、謝るつもりも、言い訳するつもりもない。


 が、亮輔君が言葉に詰まったのは、玖珂崎さんにはこたえたようだ。亮輔君の言葉を待たず、玖珂崎さんは駆け出してしまう。


 亮輔君は動かない。どうやらいろいろと消化できずに動けずにいるのだろう。そんな彼に私は一言こう言った。


「一応言っておくけど。亮輔君、追わなくていいの?」


 決して玖珂崎さんへの情けからの言葉ではない。むしろ、私は亮輔君は彼女の後を追わないだろうと考えていた。根が真面目な彼のことだ。はっきりとした回答が得られるまで、玖珂崎さんとはまともに会話が出来なくなるだろう。


「……鞄は持って行ったみたいだし、そのまま朝練に出れば、少しは頭も冷めるでしょ。話はそれからの方がいいんじゃないかな」


 だから彼のこの返答も予測の範囲内。私は適当に相槌を打つ。


「ふ~ん。まぁ、二人のことは二人が一番よくわかってるんだろうし? 私から特に言うことはないけどね」


 「それよりも」と前置きをして、私は自らのおなかを押さえて見せた。


「おなかすいたよ、亮輔君。とりあえずご飯にしよう?」

「う、うん。そうだね」


 亮輔君は私の促すままに自分の部屋の扉を開く。その表情は暗かったが、今は触れないで置こう。あまり無理につついて、玖珂崎さんとの関係が壊れ、彼の彼らしさが損なわれてしまっても困る。


 亮輔君には私だけを見ていて欲しいが、『英雄色を好む』と言うし、彼の女性関係については多少の目は瞑るつもりだ。要はであればそれでいい。玖珂崎さんとの関係改善が見込めないようなら、多少の手助けをしてやる心積もりではいる。尤も、これくらいは亮輔君本人に解決して欲しいところではあるが。


 あれこれ考えてはいたが、私は然程心配はしていなかった。亮輔君ならきっと上手くやってくれる。そんな思いが、心のどこかにあったのだ。


「亮輔君、期待してるよ」


 亮輔君に聞こえないよう小さく呟きながら、私は朝食の準備をする彼の背中を眺めていた。

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