第十六話 ハプニングは突然に/亮輔サイド
そして迎えた翌朝。
いつも通りに凪を起こして、向かった皇さんの部屋。今回は廊下にメイドの新垣さんがいなかったから、少し油断していたということもある。俺は皇さんの部屋の扉をノックして、すぐに扉を開けた。
この時、返事を待っていればこんなことにはならなかっただろう。この時間、皇さんはまだ寝ているだろうから、と勝手に思い込んでいたのも失敗の原因と言える。
とにかく、俺は遭遇してしまったのだ。
皇さんの着替えシーンに。
「おりょ、亮輔君。おはよう」
俺が入ってきたと言うのに顔色ひとつ変えずに着替えを続ける皇さん。その傍には新垣さんが静かに控えている。
咄嗟に新垣さんの方に視線を逸らしたものの、はっきりと見えてしまった。真新しい黒い下着に身を包んだ皇さんの裸体を。
「何んでそっぽ向いてるのさ。亮輔君のために用意した新しい下着だよ?」
染み一つないキメ細やかな柔肌。豊満な胸に細い腰周り、そして安産型と思しきお尻。それでいて下半身太りしているかと言えばそうではない。長く細い足は、ともすればポッキリと折れてしまいそうなほどだ。
「なななな――」
「な?」
「何で隠さないのさ!」
その振る舞いたるや、実に堂々としたもの。俺に見られることを何とも思っていないのだろうか。仮にも年頃の男子だぞ。こんなシーンに出くわせば、いろいろと反応してしまう。
「何でって、だって亮輔君だよ? それに見られて恥ずかしい体型ではないと思うし」
「女子高生としてその基準はどうかと思うよ!」
むしろ見せ付けるようにポーズまでとって見せる皇さん。俺はただただ混乱し、慌てふためくことしか出来なかった。
「う~ん。そんなもんかな~。あ、そうだ亮輔君。ちょっと制服取ってよ」
「何で俺に言うのさ! 新垣さんがいるでしょ!?」
「亮輔君はもう私の執事でしょ? なら仕事を全うして貰わないと」
ぐうの音も出ないと言うのはまさにこのこと。確かに俺は執事になると明言してしまっている。であれば、ご主人様に対して欲情する以前にやることがあるだろう。
俺は壁にかかっている制服を取り、ハンガーごと皇さんの方に手渡そうとする。すると、皇さんは一歩俺に近づき、耳元で言った。
「着させてくれてもいいんだよ?」
「それは流石に出来ないよ!」
「え~、亮輔君ならいいのにな~」
文句を言いつつ制服を受け取ってくれる皇さん。しかし、彼女の攻勢はこれで終わりではなかった。
「それじゃあ亮輔君。着替え終わるまでそこで待ってて。これ、ご主人様命令ね?」
「はい!?」
基本的に朝は起こすだけでいいんじゃなかったのか? 着替え終えるまで待っていろって、それはこの生殺し状態を更に続けるってことだろう?
もちろん新垣さんの目もあるし、よからぬことを致す余地はない。しかしだ。俺は男で、目の前に成熟した女性が下着姿でいるのこの状況で、何も考えるなと言うのはどだい無理のある話。今の俺に出来ることと言えば、せいぜい皇さんの方を見ないようにすることぐらいだ。
だが、それはそれでリスクもある。意識して視界を逸らしている反動か、音が妙に耳につく。布のすれる音、ジッパーを上げる音。むしろ想像力をかき立てられ、俺の下半身が否応なく反応してしまう。
何故だ。どうしてこうなった。何で俺は着替えをしている女子と同じ部屋に立っているんだ。
「はい。終わったよ~」
皇さんが言う。やや安心して皇さんの方の向くと、そこにはシャツの間から覗く黒い下着があった。
「ぶっ!?」
思わず吹き出して、咳き込んでしまう。そんな俺の様子を見て、皇さんはコロコロと笑った。
「ちょっ、皇さん! ふざけるのも大概にして!」
「いや~、亮輔君がどんな反応するか気になってさ~」
それにしたってやっていいことと悪いことがある。今回に限っては後者であると、個人的には言わざるを得ない。
「とにかく、早く胸元のボタン閉めて! 女の子がいつまでもそんな格好してるもんじゃないよ」
「は~い」
目の前でボタンを閉めたのを確認してから、俺はぐったりと肩を落とした。
「朝から疲れた」
「何よ~。せっかくいいもの見せてあげたんだから、もっと喜んでよ~」
確かにいいものだったけどね。皇さんほどの美少女の生着替えだ。本人の了承済みだから犯罪にはならないだろうが、ことによると相当危ない場面である。今回は俺も耐えられたが、次があったらどうなることやら。尤も、新垣さんが傍に控えている以上、手出しは出来ないだろうが。
「とにかく、着替えが終わったなら、俺は朝食の準備に行くよ」
「ん。じゃあ一緒に行こうよ」
そう言って手を差し出してくる皇さん。それではまるで手を繋いで行こうと言っているようなものではないか。
俺はしわの寄った自分の眉間をぐりぐりと解しながら、深くため息をつく。
「はいはい。仰せの通りに」
仕方なく皇さんの手を取った。握った手は柔らかく、そして少し冷たい。以前腕を掴んだ時は、緊急事態だったのでそこまで気が付かなかった。それが少し気になって、俺は少しでも熱が伝わればと思い、皇さんの手をギュッと握る。
これには流石の皇さんも驚いたのか、少し身体を強張らせた。
「りょ、亮輔君?」
「いや、手、冷たいな~と思って」
「あ、ああ~。私体温低めだから」
皇さんはちょっと俯いて、視線だけこちらに向けてくる。
「亮輔君の手は温かいね?」
「寒い地方の生まれだからかな。昔から体温は高めなんだ」
恥ずかしくなって、二人してそっぽを向いてから、どちらともなく吹き出して、笑い始めた。
「行こうか」
「うん」
少しだけ寂しさを憶えつつ手を離して、俺と皇さんは揃って皇さんの部屋を後にする。こんなところ凪にはとても見せられない。二人揃って部屋から出て来るなんて、何だか男女の関係があるみたいではないか。
などと思っていたら、その凪と玄関先で出くわした。
「え……」
凪の動きが止まる。俺と皇さんも、咄嗟のことに身体を強張らせていた。
「亮輔……何で……」
「いや、その、あれだ。俺は皇さんを起こしに行っただけで、やましいことは何も――」
「なら何で二人して部屋から出てくるんだよ」
凪の言うことは尤もだ。起こしに行っただけなら、二人で部屋から出てくることはあり得ない。それは明らかに、着替えや準備の間に一緒にいたことを示している。
一瞬答えに詰まったのがいけなかった。その隙に凪はそのまま駆け出して行ってしまう。
俺はそれをただ眺めていることしか出来なかった。いい訳ばかりを考えていて、身体が動かなかったのだ。
「一応言っておくけど。亮輔君、追わなくていいの?」
皇さんの一言が刺さる。確かに、この状況で凪を放っておくのはよくない気がした。けれど、俺の口から出たのはこんな言葉だ。
「……鞄は持って行ったみたいだし、そのまま朝練に出れば、少しは頭も冷めるでしょ。話はそれからの方がいいんじゃないかな」
その言葉に何を思ったのか。皇さんは特に表情を変えずに相槌を打った。
「ふ~ん。まぁ、二人のことは二人が一番よくわかってるんだろうし? 私から特に言うことはないけどね」
「それよりも」と前置きをしてから、皇さんは自分のおなかを押さえて見せる。
「おなかすいたよ、亮輔君。とりあえずご飯にしよう?」
「う、うん。そうだね」
皇さんに促されるまま、俺は自分の部屋の扉を開けた。このまま朝食を抜く訳には行かないし、弁当だって用意しなければならない。凪のことは気にかかったが、今は自分に出来ることをしよう。そうすれば、俺自身も少しは冷静になれるだろうし、凪ともきちんと話もできるはずだ。
「何でこんな気持ちになってるんだろう」
自分の感情なのに上手く理解できない。凪とはずっと一緒にいたから、何でもわかるものだと思っていたが、今、凪が何を考えているかは全くわからなかった。
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