第十二話 放課後/凪サイド

 放課後は部活の時間だ。亮輔と皇を残してこの場を去るのは、何と言うか、少し引っ掛かりがあるが、他校との練習試合が近いので気を抜く訳には行かない。


 一瞬亮輔に視線を向けてから、あたしはバッグを掴み、そそくさと教室を後にする。更衣室で着替えを済ませると、両手で両頬をはり、気合を入れ直した。


「集中だ。集中」


 練習試合とは言え大事な経験の場だ。出来ればスタメンで参加したい。幸いあたしは身長には恵まれているが、それだけでレギュラーに選ばれるほど、女子バスは甘くないのである。


「どうした、玖珂崎! 反応が遅いぞ!」


 ハーフコートを使った五対五の練習中。顧問の千葉先生から叱咤が飛ぶ。教育熱心で熱血系だからいつものことと言えばいつものことなのだが、今回ばかりは自覚があったので返す言葉もない。


「すいません!」

「謝る前に足を動かせ!」

「はい!」


 反応が遅れたのは言うまでもなく、練習に集中できていないからだ。それだけ亮輔と皇がどうしているかが気になっている。集中しようと思えば思うほど、二人のことが脳裏を支配して、あたしから集中力を奪っていく。結局、五回も注意を受けてしまった。


 自分の番が終わり、コートから出る。すると、待ってましたとばかりに詩音先輩がやって来て、あたしの隣に陣取った。


「今日は一段と練習に身が入ってない様子だね? その様子だと、くだんの彼との状況が悪化したのかな?」


 あたしは何と答えようかと少し考えてから、小さく口を開く。


「何だか、よくわからなくなっちゃって」

「ほうほう」


 詩音先輩は静かにあたしの話を聞いてくれた。


「あたしは亮輔が傍にいるのは当たり前だと思ってて、だけどいきなり皇が現れて、これまでのバランス? みたいなものが狂っちゃってるんです」


 亮輔の隣はあたしの居場所のはずで、でもそこに皇が割り込んで来ようとしている。これまでにも亮輔が女子と話しているのを見たことはあるが、こんな気持ちにはならなかった。何故だかわからないが、皇はダメだと、あたしの中の何かが警告を発している。


「そのバランスが崩れることで、凪にはどういった不利益があると思う?」


 詩音先輩が言うには、亮輔と顔を合わせる時間自体は減っていないのに、何がそんなに不満なのか、ということだ。言われて見れば、確かにそうである。朝練の前にはきちんと起こしてくれるし、朝食だって用意してくれて、お弁当だって亮輔の手製だ。家に帰れば亮輔と夕飯を食べて、寝るまでの一時を一緒に過ごし、そしておやすみを言って別れる。その一連の流れには一切の乱れがない。


「凪はさ、怖いんだよ」

「怖い?」

「このまま彼が遠くに行っちゃうんじゃないかって」

「亮輔が、遠くに――」


 その感覚には覚えがある。それは中学時代。亮輔が都内の学校を受験すると言い出した時だ。それを聞いて、あたしは愕然とした。てっきり一番近い高校を受験するものだと思っていたから。


 当時のあたしの成績では、亮輔と同じ高校を目指すのはほぼ無理と言われていた。それまでずっとバスケに打ち込んできたのだ。よってあたしの成績は下の下。義務教育だから辛うじて卒業できる。そんなレベルだった。そこに来ての県外受験である。当然不安はあったが、あたしは必死に勉強した。大好きなバスケを我慢して、寝る間も惜しんで。全ては亮輔の傍にいるために。


「必死に勉強して、東京まで追っかけて来たんでしょ? そこにはそれなりの理由があるはず」

「理由――ですか?」

「そう。凪がそうまでして彼と一緒にいたかったのは何で?」

「それは、あたしと亮輔は幼馴染で一緒にいるのが当たり前って言うか――」

「でも、彼はそう思わなかったから、わざわざ東京こっちの高校を選んだんじゃない?」

「それは――!?」


 言い返すことが出来なかった。そうだ。亮輔は東京の高校を受験するに当たり、あたしに何も言ってくれなかった。それが原因で亮輔と喧嘩になったこともある。今となっては懐かしい話だが、あの時亮輔は何て言ったんだっけ?


「もう一度言うよ」


 詩音先輩はあたしの顔を真っ直ぐに見詰めて言った。


「失ってから気付いたんじゃ遅いんだ。欲しい未来があるなら、今動かなくちゃ」

「欲しい、未来……」


 未来とか正直よくわからない。あたしはずっと今を生きてきたから。でも、詩音先輩が言おうとしているのは、それじゃあダメだと言うこと。ならばあたしの欲しい未来とは何か。いろいろグルグルと考えたけど、行き着いたのは、とてもシンプルな答え。


「あたしは、亮輔と一緒にいたい」


 あたしの答えを聞いて、詩音先輩は「うん」と頷いた。


「それじゃあ、その未来を掴むためのすべを伝授してしんぜよう」

「何かいい方法があるんですか!?」

「お、食いつきがいいね~。そうだな~。まずは手堅いところから行ってみようか」


 詩音先輩がちょいちょいと手招きする。耳を貸せ、とのことのようだ。あたしは素直に先輩に耳を預ける。すると聞こえてきたのは、これまで考えたこともないことだった。




 部活を終え、帰宅する。薄い壁の向こうから、亮輔と皇の談笑が聞こえた。


「……やっぱり一緒にいるのか」


 だが、それは想定済み。要は亮輔が、皇よりもあたしを意識してくれればいいのだ。そのための方策を詩音先輩から賜ったのだから、これを使わない手はない。ないのだが――。


「それがまさかあんな方法だなんて……」


 詩音先輩が囁いた方法を思い浮かべる。瞬間、あたしの顔面がボッと火を吹いた。


「あたしが、亮輔に……」


 その行動自体は大したことはない。よくよく思い返してみれば、子どもの頃は普通にやっていた気がする。けど、いつの頃からかそれをしなくなって。しなくなった最初のきっかけは何だったっけ?


 などといろいろ考えてはみたが、考えているだけでは何も始まらない。あたしは私服に着替えて亮輔の部屋へと向かう。すると亮輔と皇は食卓についてあたしを待っているところだった。


「おかえり。ほら、今準備終わったところだから、一緒に食べようぜ」

「お、おう」


 あたしはいつも通り、亮輔の右隣―と言っても、テーブルの角を挟んでだが―に腰を下ろす。逆隣には皇の姿。これは昨晩、今朝と一緒だ。


「いただきます」


 今日のメニューは豚肉のしょうが焼き。刻んだキャベツが添えてあって、いかにも家庭の味といった感じである。これなら詩音先輩直伝のも試しやすい。


 しかし、ここで問題となるのは皇の目だ。をやるのには、はっきり言って皇は邪魔である。あたしはちまちまと刻みキャベツを口に運びながら、タイミングを見計らった。


 だが、流石は亮輔と言ったところか。あたしの様子がおかしいことに気付いたらしい。すぐさま声をかけてくる。


「凪、どうかしたか? 献立が口に合わなかったとか」

「い、いや。そんなことはねぇよ? 今日も亮輔が作る料理は絶品だ」


 本当は胸がドキドキして味なんてよくわかっていないが、亮輔が作った料理が不味いはずがない。


 真っ直ぐに亮輔の方を見られず、つい目が泳いでしまう。たぶん亮輔にも気づかれているが、こればかりはどうしようもないと言わざるを得なかった。


 すると、ここで皇がとんでもない行動に出る。


「亮輔君、あ~ん」


 それは奇しくも、あたしがやろうとしていたことと同じであった。ハッとして皇の方を見ると、皇は不敵な笑みを浮かべている。どうやらあたしのしようとしていたことを先読みしたようだ。恐るべし、皇の勘のよさ。


 だが、ここで引いては女が廃る。あたしは意を決して亮輔の方に端で摘んだしょうが焼きを差し出した。


「亮輔、あ~ん」


 出してしまった以上、後には引けない。これはもう皇との真っ向勝負だ。


 自分を選んで欲しいという気持ちと、恥ずかしいと言う気持ちが胸の内でせめぎ合う。皇が引いてさえくれれば、まだ冗談で済ませられる場面。しかし皇は一向に引く素振りを見せない。仕方ない。ここは根競べと行こう。


 状況が飲み込めていないのか。亮輔は皇とあたしを交互に見詰めるばかりで、一向に差し出されたおかずに口をつけようとしない。


 ここでどちらを選ぶのか。これは重要な場面である。今回の勝者が今後のイニチアシブを取ると言っても過言ではないだろう。ここで亮輔がどう出るか。はっきりさせるのは怖い。もし皇の方を選んだのなら、しばらくは立ち直れないかも知れないからだ。


 でも、もう賽は投げられてしまった。後は結果が待っているのみ。


 あたしはその答えが出るのを今か今かと待つことしか出来なかった。心の中で、自分を選んで欲しいという、淡い期待を膨らませながら。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る