第十一話 放課後/亮輔サイド

 皇さんが転校してきてから二度目の放課後。今日も今日とて、皇さんは大人気である。みな、今日こそは皇さんとお近づきになろうと必死だった。


 しかし、当の皇さんはそんなクラスメイト達を千切っては投げ千切っては投げ――もとい、口八丁で全員を言いくるめ、俺を教室から連れ出す。当然クラスメイト達の妬みの矛先は俺へと向かい、ますます教室に俺の居場所がなくなっていくのだった。


 無遠慮に手を引かれることしばし。駅前の商店街あたりまで来た頃、俺は先を歩く皇さんに声をかけた。


「皇さん、少しは俺の立場も考えてよ。あんまり度が過ぎると皇さんまで嫌われちゃうよ?」


 だが、俺の心配も何のその。皇さんはにっこりと上品な笑顔を浮かべつつ、答える。


「誰と一緒にいたいかは私の自由でしょ? 私は亮輔君と一緒にいたいのであって、その他の大勢は眼中にないの」

「でもクラス内での人間関係は大事だよ? 行事イベントとかにも響くし」


 俺達はまだ一年生。これから様々な行事がある。その時にものを言うのが、日頃の人間関係なのだ。例えば何かの事情で班分けが行われた時。普段人間関係が希薄な人間はどうしてもあぶれてしまう。それがクラス内の嫌われ者ともなれば結果は言うまでもない。学校という社会の縮図の中で居場所を失うと言うことは、すなわち社会的に居場所を失うと言うことに等しいのだ。


「わかってないな~、亮輔君は」


 皇さんは立ち止まり、振り返ると、俺の鼻にちょんと右手の人差し指を乗せる。


「確かに人間関係は大事だけど、人間関係っていうのは何も学生時代だけのものじゃないんだよ? 高校の三年間なんて、長い人生の中で見たらほんの一瞬のことなんだから。そこでの人間関係に捕らわれ過ぎて、その後の人間関係まで棒に振っちゃうのはどうかと、私は思うな」


 皇さんが何を言っているのか、一瞬理解できなかった。要するに、皇さんはこう言っているのだ。「学校での人間関係など無意味だ」と。


 確かに、卒業してしまえば、基本的には進路はバラバラ。高校を卒業して進学する者もいれば、卒業後すぐに就職する者もいるだろう。たまに何らかの理由で進路を同じくする者もいるかも知れないが、その関係が永遠である保証はどこにもない。


「私はクラスの人気者になるために転校してきた訳じゃない。言ったでしょ? 私は亮輔君と一緒にいるために、わざわざ転校して来たんだよ?」


 その瞳は真剣だ。少なくとも、嘘をついている人間の目ではない。


 それでも、やはり俺はこう思うのである。「どうして俺なのか」と。


 俺にとって皇さんは雲の上の存在だ。お金持ちの家に生まれて、美人でスタイルがよく、成績も優秀。人に会えば持て囃され、本人もそれに上手く対応できている。俺にないものを全て持った、まさしく完璧超人。俺からすれば眩しすぎて、本来なら近づこうとも考えない部類の人間だ。


 それがどういう訳か。今こうして、俺と皇さんは一緒にいる。他の誰でもない、この俺を、皇さんは選ぼうと言うのだ。


「亮輔君がどうしてそんなに卑屈なのかわからないけど、私が気に入っている亮輔君を卑下するなら、誰であろうと許さないよ。それが亮輔君自身であってもね」


 何もかもを持って生まれた彼女が、俺を必要としてくれている。何故、彼女がそこまで俺に固執するのかはわからない。しかし、高校生デビューに失敗した俺からすれば、まさに天から伸びた蜘蛛の糸だ。別に今更クラスの人気者になりたい訳ではないが、誰かから必要とされていると言うのは存外悪いものではない。それは、これと言った目標のなかった俺の人生の中で、せめて彼女にだけは嫌われたくないと言う願いが生まれた瞬間であった。


「皇さん。今まではっきりとした返事はしてなかったけど――」


 俺は意を決して、その言葉を口にする。


「俺、皇さんの執事やるよ。正直何をすればいいか全くわかってないけど、皇さんが俺のことを買ってくれてるのなら、それに答えたい」


 すると皇さんはふっと笑って、俺の前に右手を差し出した。


「これからよろしく、亮輔君」

「こちらこそ」


 俺はその右手を取って、硬く握る。往来の真ん中で何をやっているだろうと思わなくもないが、これは俺なりの覚悟の証明だ。


 凪の手の平とも少し違う、柔らかな感触。まだまだ暑いこの季節だからか、握った手の平は少し熱く感じた。




 とりあえずネットで『執事』と検索してみたところわかったのは、執事と言うのは使用人の中でも最上位の職であるということだ。本来であれば、身の回りの世話を直接行うと言うより、そういった役職の人達を統括するポジションである。現状、皇さん本人には専属の使用人がメイド兼護衛の新垣さんしかいないため、人を動かすというところまでは求めないとのことだが、ゆくゆくは人事まで任せたいとのこと。当面の間は食事や生活周りのお世話も兼任するという具合になるようだ。


 と言う訳で、本日の夕飯の買い出しである。商店街にある安売りのスーパーで食材を見繕う。


 最初は皇さんに合わせて高級な食材をとも考えたのだが、皇さん自身は然程高い食材に興味がないとのことで、いつもの路線で食材を選ぶ運びとなった。


「今日は豚肉が安いな」


 持ってきていたスーパーのチラシを見ながら、俺は献立を思い浮かべる。昨晩は凪がから揚げをおすそ分けしてくれたので、とり胸肉が丸々残っているが、こういうのは安い時に買って保存しておく方が後々お得だ。調理方法をいくつか脳裏に思い浮かべながら、俺は野菜から順に買い物かごへと入れていく。


「さすが一人暮らしをしていただけのことはあるね。手際がいい」

「まぁ、これくらいは皇さんもやってればわかるようになるよ」


 尤も、今後は皇さん自身が一人で買い物に出るような状況には、ならないだろうけど。


 買い物を終え、自宅へ。着替えるという皇さんと部屋の前で別れ、俺は買ってきた食材を冷蔵庫へと詰めていく。


「流石に着替えを手伝えとまでは言われなかったな」


 そういうのこそメイドである新垣さんの仕事だろう。今朝会って以降姿を見ていないが、普段は何をしているのだろうか。


 などと考えながら着替えを済ませると、俺の部屋の戸が開く。現れたのは私服に着替えた皇さんだった。


「チャイムは必要だったかな?」

「いや、いいよ。どうせ凪も使ってないし」


 これからは使用人とご主人様という間柄である。最低限気を使ってもらえれば、ある程度の勝手は容認するべきだろう。


「そう言えば、今後の皇さんの呼び方だけど、やっぱりお嬢様とか呼んだ方がいい?」


 そう言うと、皇さんはしばらく考えてから、首を横に振る。


「亮輔君にならそう呼ばれるのもやぶさかではないけど、やっぱり普通に呼んでもらいたいかな。出来ることなら下の名前で呼んでもらいたいところだけど――」

「それはもうちょっと仲良くなってからでお願いします」

「でしょう?」


 と言う訳で、当面の間呼び方は元のまま「皇さん」ということになった。ちょっと他人行儀の気もするが、いきなり呼び方を変えるとクラスメイト達から在らぬ疑いをかけられかねない。俺の保身のためにも、元のままというのが最善の手であろう。


「まぁ、ゆくゆくは下の名前で呼び捨てあうってのが理想なんだけどね」


 そう言ってばっちりとウインクをして見せる皇さん。お互いに呼び捨てって、それじゃあどう考えても使用人とご主人様の関係じゃないじゃないか。


「呼び捨てって、まだお嬢様って呼ぶ方がハードル低いよ」

「そう? よくない? お互い呼び捨てあう主人と従者って」

「アニメやマンガならともかく、実際はそういうのはないんじゃない?」


 相手はあの皇財閥のご令嬢だ。本人がいいと言っても周囲が許すかはまた別の話。それがきっかけで、俺だけならともかく家族にまで迷惑をかける訳には行かない。


「あ、そう言えば。家族にはこの状況をどう説明しよう」


 「バイトがクビになって、代わりに皇家の執事をすることになりました」何て言ったところで、信じてもらえるとはとても思えない。少なくとも、俺がそんな話をされたら信じたりしないだろう。


「事実なんだし、ありのまま伝えればいいんじゃない? まぁ、彼女と半同棲することになりました~でもいいけど?」

「そ、そんな大それたこと言える訳ないじゃんか!」


 相手は見目麗しい皇財閥のご令嬢。片や自分は、見た目普通の上京して半年の田舎者だ。どう考えたって釣り合う訳がない。


「でも亮輔君って気が利くし、案外モテるタイプだと思うんだけど」

「そんなことないって。俺は見てくれもこんなだし、モテたことなんて一度もないよ」


 まぁ、女子の友達がいないということもなかったが、それはあくまで友達として付き合いがあるだけだったし、凪は女子って言うよりも凪だし、とにかくモテると言われてもピンと来ないのである。


「ふ~ん。まぁ君がそう思ってるのなら、私としては都合がいいのだけどね」


 皇さんは何やら意味深なことを言っているが、どういう意味なのだろう。


 とまぁ、考えたところで答えが出るわけでもなし。俺は夕飯の仕込みに入ることにした。




 部活を終えた凪が帰宅し、迎えた夕飯の時間。何故だか俺のほうをチラチラと見やっては視線を逸らすという行動を繰り返す凪と、素知らぬ顔で食事を続ける皇さんという、何とも例えがたい空気が充満していた。


「凪、どうかしたか? 献立が口に合わなかったとか」

「い、いや。そんなことはねぇよ? 今日も亮輔が作る料理は絶品だ」


 言いつつも視線が泳いでいるのが一目でわかる。心なしか顔が赤く見えるのは照明のせいだろうか。


 そんな微妙な空気をぶち壊したのは、皇さんのとんでもない一言だった。


「亮輔君、あ~ん」


 おかずを箸で挟み、俺の方へと向けてくる皇さん。満面の笑みを浮かべるその様子は、どこか意地の悪さも感じさせる。


 それに超反応を見せたのは、俺ではなく、凪の方だった。凪はびくりと肩を震わせてから、ごくりと息を飲むと、皇さんと同様、俺の方へとおかずを差し出してくる。


「亮輔、あ~ん」


 何だこれ。どういう状況?


 俺はただ混乱して、両者を見やる。しかし、伝わってくるのは静かな気迫だけ。どちらを口にするのか。ただそれだけを問われている気がした。

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