第十話 朝/凪サイド
朝。
「……このパジャマはどうにかならないのか?」
亮輔の声で目が覚める。が、正直寝足りない。昨晩は皇の来襲で心が乱されていたから寝つきが悪かったのだ。
「おい凪、起きろ。朝だぞ」
「う~ん、後三○分……」
「そんなに寝てたら朝練に遅刻するっての」
無理やり掛け布団を持っていかれ、更には上体を起こされる。ここまでされては起きない訳にはいかない。
「……亮輔。おはよう」
「はい、おはよう。俺は部屋に戻るけど、二度寝するなよ」
「ん……」
その場で精一杯伸びをする。亮輔はどうやら部屋を出て行ったようだ。これは二度寝のチャンスだが、亮輔が何か言ってたっけ。
「あ、そうか。朝練か……」
バスケ部の朝練は朝七時から。亮輔はそれに間に合うように起こしてくれたのだ。全く持って亮輔には感謝しかない。あたしはベッドから這い出て、洗面所へと向かう。
顔を洗ったら少しすっきりした。何か大事なことを忘れているような気がするけど、まぁ忘れているくらいだからどうでもいいことだろう。
ハンガーにかかっている制服に着替え、髪を整える。本当はお化粧の一つもしたいけど、あたしには似合わないし、部活で汗だくになるから邪魔でもあった。
「亮輔もちょっとお化粧してるくらいの子が好きなのかな~」
作晩出会った皇はほんのりだが化粧をしていたし、元々があの顔だ。さぞモテるに違いない。あたしは女子には好かれているけど、男子からは全くだ。やっぱり身長が高くて胸が小さいのがいけないのだろうか。
中学の時に伸びに伸びた身長は現在一七五センチメートル。亮輔よりも身長が高くなってしまった。本当は亮輔の方が高いのが理想だけど、亮輔は男子だし、これから伸びるよね。亮輔の父親は結構長身だし、その遺伝子を受け継いでいる亮輔なら大丈夫なはず。
「まぁ、こんなもんかな~」
髪が整った所で時計を見ると、亮輔が起こしに来てから既に三○分ほど経っていた。女子の準備時間としては短いのだろうが、あたしとしてはこんなものだ。
「今日の朝ごはんは何かな~」
ウキウキ気分で部屋を後にするあたし。あたしは毎朝、亮輔と一緒にご飯を食べている。これは上京する前からの習慣だから、今更変えるつもりはない。
でももし、亮輔に彼女が出来たら。例えばあの皇とかがその座に着いたとしたら、この関係は変わってしまうのだろうか。あたしは首を横に振った。
「いやいや、ないない。あの根暗な亮輔だもん。そんな簡単に女子に好かれる訳ない」
あたしはこの時、油断していたんだと思う。亮輔が本当は、根が真面目で優しい性格であるということに気付く人間が、自分以外にいるなんて思っても見なかったのだ。
だからこそ、朝から皇に出くわした時、あたしは不満を隠すことが出来なかった。さも当たり前のように亮輔の部屋に来ている皇に、あたしは対抗心の炎をメラメラと燃やしたのだ。
「いや~、亮輔君が料理上手でよかったよ~。これで食事の心配はしないで済むね」
「亮輔の腕前はこんなもんじゃね~し。もっとすごいの作れるし」
こんなんじゃせっかくの亮輔の料理を楽しめない。どうしてこんなことになってしまったのだろう。そもそもだ。あの皇財閥のお嬢様が、どうしてこんなアパートに引っ越してくる必要があったのか。いくら亮輔のことを気に入ったからって、そこまでするか、普通。お金持ちはお金持ちの家でのんびり暮らしていればいいのに。
あれこれ考えながらも食事を終え、あたしは鞄を持って立ち上がる。
「んじゃ亮輔。部活あっから先に行くわ」
「ん。行って来い」
いつも通りのはずのやり取りなのに、気分が重い。原因ははっきりしてる。亮輔と皇をこの場に残して自分だけ出発しなければならないからだ。
「そんじゃな~」と家を出たはいいが、どうしても二人のことが気になってしまう。学校に到着しても、あたしの心は晴れないままだった。
朝練中。あたしは
「どうした~、凪。今日は調子悪いみたいじゃない」
「あ、詩音先輩……」
詩音先輩は女子バスケ部のエース。あたしの憧れの先輩だ。普段から目をかけてくれている分、あたしの動きの違いにすぐに気付いたようだった。
「あんまり集中できてないみたいだけど、
さすが先輩。あたしのことをよく見ている。亮輔のことはよく話題にしていたので、すぐにその件だと察したようだ。
「……実は」
あたしはことの顛末を先輩に話して聞かせる。皇という女子が転校してきたこと。その皇が皇財閥のお嬢様で、亮輔を気に入っているっぽいということ。亮輔の隣の部屋に引っ越してきたこと。亮輔を執事にしたいといっているということ。あたしの知る限りの情報を、洗いざらい吐き出した。
「凪さんや、そりゃ~ライバルの登場と見て間違いないでしょうよ」
「ライバル?」
何の? あたしはバスケをやっているけど、皇はそうでもないっぽい。もしバスケ部に来るようならギタギタにする準備はあるけど。
「……凪にはまだわかんないのか~」
先輩はため息を吐きつつあたしの肩をポンポンと叩いた。
「まぁ、あんまりうかうかして、愛しの彼を取られないようにね」
「愛しの彼って……亮輔はそんなんじゃ……」
あたしにとって亮輔はずっと一緒に育った
「失ってから気付いても遅いんだよ?」
先輩の言葉が妙に心に引っかかった。
亮輔の隣にいるのはあたしだ。今までも、そしてこれからも。そう思っていたけど、本当はわかっていたのかも知れない。亮輔は一人前の男の子で、その気になれば彼女の一人も作れる存在だ。もしそうなったら、あたしの居場所は一体どこになるんだろう。
あたしは混乱で頭がぐちゃぐちゃになり、ますますプレイに集中できなくなってしまった。そんなあたしを見て詩音先輩は「青春だね~」としみじみと呟いている。大好きなバスケをしているのに、どうして亮輔のことばっかり考えているんだろう。今まではバスケをしている時はバスケに集中できていたのに、今はそれが出来ていない。それもこれも全部皇のせいだ。あいつが来たことで、あたしの日常は変わってしまった。
皇琴音はあたしの敵。その構図は、この時に出来上がったのだろう。何故だかわからないが、あの女は好きになれない。亮輔がすごい奴だって知ってるし、亮輔を褒めるし、悪い人間ではないのだろう。今まで亮輔のすごさを認める人間は少なかったが、それがようやく現れた。それだけで断言できる。皇はいい奴だ。それでも皇を好きになれないのは、亮輔の近くにいるから。何だか不思議な気分だ。
今後も皇とは一緒にいる時間が増えるだろう。何せ同じアパートに住んで、一緒に食卓を囲むのだ。そう思うだけで憂鬱になった。
亮輔は彼女のことをどう思っているのだろう。最初こそ混乱しているようだったけど、結局世話を焼いてるし、このまま行くとズルズルと彼女のペースに乗せられてしまうのではないだろうか。
「それはダメだ」
直感がそう告げている。あの女のペースにだけは乗ってはいけない。そうなったが最後、亮輔はあたしの隣ではなく、あの女の隣に行ってしまう。そう思えてならなかった。
「亮輔はあたしのだ」
生まれた日からずっと一緒にいるのだ。今更他の女にやれるものか。
あたしは気を新たにし、放課後に備えることにした。授業中や昼休みなど、二人が一緒にいるのを見る度に胸がモヤモヤしたが、極力あたしも混ざることで、何とかその場の気持ちを押える。本当はあたしだって亮輔の隣の席がいい。そうすれば授業中も一緒にいられる感じがして幸せなのに。
幸せ? 幸せって何だ。あたしにとっては亮輔の傍にいるのが当たり前で、幸せ云々の話ではないはず。あ~、また頭が混乱してきた。こんな時は寝るに限る。授業中だけど仕方ないよね。朝練で早起きしたし、疲れてるし。お腹いっぱいになると眠くなるじゃない?
結局。あたしは何もわかっていなかったのだ。亮輔と一緒にいたいということがどういうことなのか。
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