第九話 朝/亮輔サイド

 朝。


 スマホのアラームで目を覚ます。時間は五時三○分。何故こんな早い時間に起きるかと言えば、バスケ部の朝練に参加する凪を起こしてやるためだ。


 まずはスマホに電話をかけてみるが反応なし。これもいつものこと。


 俺は素早く寝間着から部屋着に着替えて、軽く身なりを整える。幼馴染だからといってあまりだらしない格好で会う訳には行かない。こういうのはマナーの問題だ。


 玄関を出て右隣。一○四号室が凪の部屋である。流石にこんな早朝にインターホンを鳴らす訳にも行かないので、俺は合鍵を使って凪の部屋に入った。部屋の作りはほとんど俺の部屋と変わらない。短い廊下を通って、部屋の扉を開く。


 最早見慣れた凪の部屋。男っぽい見た目に反して、部屋の中は実に女の子らしい小物で溢れている。凪もああ見えて女の子なんだな~と思わされる瞬間だ。それにしても。


「……このパジャマはどうにかならないのか?」


 最近凪が新しいパジャマに変わったのだが、それが何とも。端的に言えば少しエッチな感じのパジャマなのだ。


 あまりジロジロ見るのも失礼だろうが、凪を起こすという任務がある以上、そのままという訳には行かない。俺は意を決して凪の肩に触れた。


「おい凪、起きろ。朝だぞ」

「う~ん、後三○分……」

「そんなに寝てたら朝練に遅刻するっての」


 腹の上に乗っかっている掛け布団を引っぺがし、無理やり上体を起こしてやる。


「……亮輔。おはよう」

「はい、おはよう。俺は部屋に戻るけど、二度寝するなよ」

「ん……」


 凪が伸びをしたのを確認して、俺は凪の部屋を後にした。次にやるのは朝食の準備だ。凪が諸々準備を終えてやって来るのが三○分後くらい。その間に朝食を用意してやらないといけないのだ。


 と、ここでふと気付く。


「あ、そうか。今日から皇さんも起こさないといけないのか」


 昨晩別れ際に言われていた。「明日の朝はよろしく」と。


「よろしくって言われても、何時に起こせばいいんだ? 部活には入ってないだろうからあんまり早く起こすのもなんだしな~」


 とは言え、朝食を別々に作るのは、それはそれで手間だ。出来れば一緒に済ませたい所である。


「仕方ない。やってみるか」


 俺は昨晩教えてもらった皇さんの番号に電話をかけた。しかし、いくら待っても出る気配はない。


「これは凪と同じパターンか?」


 同じく昨晩渡された一○二号室の鍵を取り出す。凪ならともかく、あまり知らない女子の部屋にそうほいほい入るのは気が引けるんだけど。


「まぁ、これで給料が貰えるなら、やるしかないか」


 と言う訳で、一○二号室のドアに鍵を差し込む。凪の部屋と同様、カチャリと鍵が開く音がした。


「おじゃましま~す」


 つい小声でそう言ってしまう。これから起こしに行くんだから普通に入ればいいのだろうが、そこはそれ。凪とそれ以外の女子とでは一緒にいる期間が段違いだ。凪とは兄妹きょうだいみたいなものだけど、皇さんはそういう訳には行かない。緊張の一つもしようというものだ。


 この部屋は以前親子が住んでいたというだけあって俺達の部屋より若干広い。部屋数も多いし、どこに皇さんが寝ているのかわからなかった。


「勝手に他人の部屋を空けるのは気が引けるんだけどな~」


 とりあえず一番奥の部屋に当たりをつけて、廊下を進むことにする。すると突然足元の感覚が消え、天地が逆転した。


「へ?」


 訳がわからないまま情けない声を上げた後、背中に衝撃が走る。誰かに投げ飛ばされたのだと理解した時には、俺の身体からだはうつぶせの状態で腕を締め上げられ、完全に拘束されてしまっていた。


「こんな時間に不法侵入とは、どこの愚か者かと思えば。朝霧亮輔さんではないですか」


 背中側から声が降って来る。どうやら俺を投げ飛ばしたのは女性のようだ。恐らく皇さんの護衛の人なのだろう。動こうにもがっちり拘束された身体からだはピクリとも動かなかった。


「は、はい。その朝霧亮輔です。お宅の皇さんを起こすよう言われて来たのですが……」

「そういうことでしたか。それならばさっさと起きてください。こんなことをしたとお嬢様に知られては私が怒られてしまうので」


 拘束を解除される。立ち上がって見ると、そこにいたのはメイド服を来た女性だった。


「私は新垣と申します。お嬢様のメイドをしております」


 メイドさんって実在したんだ。しかも秋葉原とかにいる似非えせ物ではなく本物のメイド。貴重な存在なのではなかろうか。て言うか、メイドさんいるなら執事必要なくない?


「お嬢様の寝室はこちらです」


 奥の部屋を手で指し示す新垣さん。随分若いけど、成人してるのだろうか。どう見ても同世代に見えるけど。


「あ、はい」


 とりあえず示された部屋のドアを開く。すると部屋に設置されたキングサイズのベッドの上で皇さんが寝ていた。この部屋とて然程広い訳ではないので部屋はほぼベッドで埋まってしまっている。元々はリビングスペースなのだろうが、これでは完全に寝室だ。


「皇さ~ん、朝だよ~」


 部屋の入り口から声をかけてみる。しかし全く起きる気配はない。


「そんなところから呼んでもお嬢様は起きませんよ?」

「ならどうすれば……」

「どうすればも何も、キスでもしてみたらどうですか?」

「それはハードル高過ぎですよね!?」


 いきなり何を言い出すのか、このメイドさんは。そもそも大事なお嬢様だろ。いきなりキスとか言っちゃっていい訳?


「冗談です」

「全然笑えないですよ!」


 すると皇さんがこちらの声に気付いたのか、寝返りを打った。


「う~ん、うるしゃい」


 と、寝返りを打ったことで掛け布団が捲れ上がり、皇さんの上半身が露わになる。その胸元はパジャマが大きくはだけていて、今にも胸が見えそうだった。


 俺は勢いよく視線を逸らす。少し距離があったとは言え、透き通るような柔肌は男心を刺激するには充分だ。凪の存在もあってだいぶ見慣れたと思っていたが、どうやらそんなことはなかったらしい。


 胸を見ないようにチラチラと皇さんの方に視線を向けつつ声をかけた。


「す、皇さん。ちょっと早いけど起きてくれないかな。凪もそろそろ起きてくるし、ご飯にしようよ」

「ん~、ご飯?」


 寝ぼけまなこのままの皇さんが上体を起こす。その瞬間、辛うじて肩にかかっていたパジャマの上着がポロリと落ちて、胸が片方丸見えになってしまった。


「いっ!?」


 慌てて後ろを向く。一瞬とは言え見てしまった。皇さんの胸の先の突起を。それはピンク色で綺麗な形をしていた。


「ん~。亮輔君。おはよ~」

「お、おはよう皇さん」

「どうして後ろ向いてるの~?」

「どうしてって、自分の格好見て!」

「ん~?」


 今頃自分のあられもない姿を見ているのだろう。しばらくして頭が冴えてきたのか、皇さんが声を上げた。


「ありゃ」

「それだけ!?」


 もっと恥ずかしそうにするとか叫ぶとかないの? アニメやマンガだとお約束の展開だと思うんだけど。


「ん~まぁ、亮輔君になら見られてもいいかな~って」

「もっと自分を大切にして!」


 何で俺の方が怒ってるんだ。普通逆でしょ。


「でも亮輔君も見たいでしょ? 男の子だし」

「ノーコメントで!」


 そんなこんなありつつ、やっとのことで皇さんの部屋を脱出した俺。動悸が激しい。それもこれも全部皇さんのせいだ。朝からとんでもない物を見せられてしまった。


 とりあえず顔でも洗って頭を冷やそう。そう思い、自室に戻ると、俺はすぐに洗面所に向かった。




 朝から皇さんに出くわして眉間にしわを寄せている凪と三人で朝食を取る。何だか朝だというのに空気が重い。メイドである新垣さんは自室で食べるとのことだった。


 ちなみに今朝のメニューはトーストとスクランブルエッグ、焼きベーコンに野菜のスープだ。


「いや~、亮輔君が料理上手でよかったよ~。これで食事の心配はしないで済むね」

「亮輔の腕前はこんなもんじゃね~し。もっとすごいの作れるし」


 皇さんに食って掛かる凪。何がそんなに気に入らないのだろうか。


 ともあれ、無事に食事を終えて凪が鞄を持って立ち上がる。


「んじゃ亮輔。部活あっから先に行くわ」

「ん。行って来い」


 「そんじゃな~」と片手を上げて、凪は玄関から出て行った。ここまでならばいつものことなのだが、問題は残っている皇さんだ。先ほどのことがあるから正直二人きりでいるのはきつい。


「亮輔君はこの後何するの?」

「あ~、いつもは朝食の片付けをしてからテレビを見てるかな」


 主に録画しておいた深夜アニメを見てるのだけど、皇さんの前でそれを言うのは憚られるので、大雑把にテレビとしておいた。嘘はついていない。


「ふ~ん」


 興味があるのか、ないのか。よくわからない返事だ。


「一緒に見てもいい?」


 顔をかしげながら聞いてくる。そのポーズはずるい。顔がいいものだから実に絵になる。美形はこういうところで得だよな。


「別にいいけど、皇さんは何かやりたいこととかないの?」


 お嬢様の時間の潰し方は気になるところだ。俺達が登校する時間まで小一時間ほど。皇さんならどうするのだろう。


「私は別にやりたいことはないかな~。今までは朝はギリギリまで寝てたし」


 意外だ。お嬢様だからそういうところはしっかりしてるものだと思っていたが、案外そうではないらしい。


「だから亮輔君のしたいことをしようかな~って」


 素で言ってるのか、それとも計算なのか。絶妙に男心をくすぐってくる。


「あんまり男子に対してそういうこと言うもんじゃないよ?」

「大丈夫。亮輔君以外には言わないから」


 皇さんはキメ顔でそう言った。

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