第二章 玖珂崎凪はご立腹

第七話 幼馴染/亮輔サイド

 ポケットから鍵を取り出し、家の鍵を開ける。すると、その音に気付いたのか隣の部屋のドアが開いた。


「あ、亮輔。おかえ……り」


 顔を出したのは俺の幼馴染で一緒に上京してきた玖珂崎くがさきなぎ。男と見紛うばかりの短髪に切れ長の目。身長は俺より高い一七五センチ。女子バスケ部に所属しており、一年ながら持ち前の運動神経でレギュラーの座を勝ち取った実力者である。中学の頃は、そのボーイッシュな見た目からやたらと女子に人気があったが、高校に進学してもその状況はあまり変わりないようだ。ちなみに胸は小さい。


 そんな凪の視線が、俺から皇さんに移る。


「誰、その女」


 凪の目が鋭く細まった。身長が高い分、その威圧感は半端ない。


「誰って、今日転校してきた皇さんじゃないか。同じクラスなんだからそれくらい憶えとけよ」


 あまり他人に興味を持たないのは凪の悪い癖だ。そのせいでミステリアスクールな性格だと思われているらしい。本当は結構ポンコツなのに。


「そういうこと聞いてるんじゃない。どうして亮輔がその皇さんとやらと一緒にいるんだよ」


 どうやら凪は皇さんが俺の隣に引っ越してきたことを知らないようだ。何故そこまでする必要があったのかわからない俺に上手く説明できるかは微妙だが、とりあえず状況をい摘んで説明することにした。


 夏休みに皇さんと出会ったこと。皇さんが転校してきたこと。皇さんが隣に引っ越して来たこと。皇さんがバイト先まで押しかけてきてバイトをクビになったこと。一つずつ説明していく。執事の件に関しては俺もよくわかっていないのでぼかしておいた。


 一通り説明すると、凪はますます険しい顔になる。


「何だよそれ。疫病神か何かか?」


 歯に衣着せぬ物言いは凪の美徳でもあるけど、同時に諸刃の刃でもあった。今回に限っては刃の方が目立ったようだ。眉間にしわを寄せた皇さんが、凪の前に立ちはだかった。


「随分な物言いね、玖珂崎凪さん?」

「な、何だよ。あたしのこと知ってるのかよ」

「それはもうしっかりと調べさせてもらったもの」


 皇さんは腕を組んで凪を見据える。


「何なら、今あなたが使っているパジャマのメーカーまで知ってるけど?」

「なっ!?」


 それを聞いた途端、凪の顔が真っ赤になった。


「い、い、い、言うな! それ以上言うな!」


 パジャマ。小さい頃は凪とも一緒に寝たこともあるけど、その時は普通のパジャマだったよな。最近は妙にエッチな感じのパジャマを着ているが、それが恥ずかしいのだろうか。


「全く。皇だっけ? お前おっかない奴だな」

「褒め言葉として受け取っておくわ」


 とりあえず和解、でいいのかな? 二人の表情から険しさは消えた。


 その時、俺の腹の虫が鳴く。流石に限界だ。だいぶ遅い時間だが、さっさと部屋に入って夕飯にしよう。


「んじゃ、俺は部屋に戻るよ。おやすみ二人とも」


 そう言って立ち去ろうとしたが、何者かに腕を掴まれ、阻まれてしまう。腕に先に目を向けると、そこにいたのは凪だった。


「な、なぁ、亮輔。その、何だ。夕飯のおかずが残ってるんだけど、よかったら食べるか?」


 何かモジモジしている。いつもの凪らしくない。一体どうしたのだろう。


「それは助かるけど。いいのか?」

「あ、ああ。お前さえよければ……だけど」

「それじゃあ、いただこうかな」


 それがそう伝えると、凪はパッと笑顔になった。


「そ、そうか。それじゃあ準備して持っていくから、ちょっと待っててくれ!」


 凪は自分の部屋へと駆け込んで行く。それを見届けてから、俺は改めて自分の部屋のドアを開けた。


 部屋に入り、電気をつける。狭いながらも立派な我が家。帰ってくるだけでどこか安心すると言うものだ。


 ようやく一日が終わる。そう思うと自然とため息が漏れた。


「あんまりため息ばっかり吐いてると、幸せが逃げるよ?」


 自分以外の声が響いたのを聞いて、俺は思わずその場を飛び退く。声のした方に目を向けると、そこにいたのは皇さんだった。


「ど、どうして皇さんがここに?」


 ここは既に俺の部屋の中だ。つまり今、俺の部屋に皇さんがいるということになる。


「どうしてって、私もお腹が空いたからね。何か作ってもらおうかと思って」


 皇さんが何を言ってるのかよくわからない。


「えっと、つまりどういうこと?」

「君はわざとボケているのかな。それとも天然?」


 要するに皇さんはこう言っているのだ。俺に食事を作って欲しいと。


「どうして俺が?」

「何度も言ってるよ? 私は君に執事になって欲しいって」

「執事は食事までは作らないんじゃないかな?」


 執事の仕事についてはあまり詳しくないけど、料理を作るのは料理人の仕事のはずだ。少なくともアニメやマンガではそうだった。


「そうだっけ? まぁいいじゃない。料理、出来るんでしょ?」

「そりゃ多少は出来るけど……。皇さんが普段食べていたような物は出せないと思うよ?」


 皇財閥のご令嬢ともなれば、さぞよいものを食べて育ってきたのだろう。今の俺では、財力、調理技術どちらにおいても、皇家の物には遠く及ばないはずだ。


「別に構わないよ、食べられる物なら。憧れてたんだよね~、庶民的な食事ってやつ。いつもはテーブルマナーとかあって煩わしいし」

「そんなこと急に言われても……」


 流石に皇家のご令嬢の前に、俺が普段食べてるような手抜き料理を出す訳には行かない。楽して野菜も取れるからとお手軽一人鍋、みたいな事は出来ないということだ。


 とは言え、それを伝えた所で帰ってくれるとも思えない。俺はもう一度ため息を吐きつつ、冷蔵庫を開けた。


「何か食べたいもののリクエストはある?」


 あまり無茶振りが来ないことを祈りつつ、皇さんに問う。


「それじゃあ、亮輔君の好物がいいかな」

「そう来るか……」


 俺の好物はから揚げだけど、この時間から揚げ物をするのは流石に手間がかかって仕方がない。出来れば避けたいところだ。一応鶏肉は先日買ったお買い得品のもも肉があるから行けなくはないけど。


 どうするかと迷っていると、玄関のドアを開けて凪がやって来た。インターホンを鳴らさないのはいつものこと。まぁ実家でもいつもこうだったし、今更気にするようなことでもない。


「亮輔! 今日はから揚げいっぱい作ったんだ! だからおすそ分けに……」


 あれ? この感じ、ついさっき同じことがなかったか?


「……どうして亮輔の部屋に皇がいる訳?」


 凪の表情がスッと冷める。あ、これはあんまりよくないやつだ。本能的がそう告げている。


「どうしてって、言ってなかったかしら。今日から亮輔君は私の専属執事になったのよ」

「はぁ!?」


 いや。なるとは言っていないけどね。皇さんが一方的にそう言ってるだけであって。


「亮輔! どういう事だよ!?」

「ちょっと落ち着けよ、凪。俺もその辺りはよくわかってないんだ」


 改めて執事の件を説明する。と言っても、俺がわかってる範疇でだけど。


「で、俺に執事にならないかって皇さんが」

「……いきさつはわかった。けど、執事って具体的に何をするんだ?」


 それは俺も聞きたい。俺と凪が視線を向けると、皇さんは右の頬に人差し指を当てながら答えてくれた。


「簡単に言うと身の回りのお世話かな~。朝起こしてもらったり、食事の用意をしてもらったり、いろいろ。もちろんちゃんとお給料も出すよ? いくら欲しい? 月収で一〇〇万円くらいあれば足りるかな?」

「ちょっと待った! 桁がおかしいよね!」


 高校生のバイトで月収一〇〇万円? そんな訳のわからないレートがあってたまるか。


「足りない?」

「どうしてそう思ったのかな!? 逆だよ! 多過ぎ!」

「え~、だって私の専属執事だよ? お金払ってでもなりたいって人がいるくらいだよ?」


 それはそれでどうなんだ? お金払って執事の仕事をやらせてもらうって。


「とにかく、そんな大金受け取れないよ。そもそもまだ執事になるって決めた訳でもないし」

「でもお金欲しいでしょ?」

「そりゃ欲しいけどさ」


 買いたくても我慢してるマンガとかゲームとか、挙げ始めれば限がない。皇さんの執事になれば、少なくともそれらを我慢しなくていい程度にはお金が貰えるようだ。それは魅力的な提案だけど、やっぱり不安もあった。


「俺なんかに執事なんて務まるのかな」


 執事という言葉は知っている程度の認識でしかない俺に、執事が務まるとはとても思えない。上流階級の教養なんてまるでないし、俺。


「最初は簡単なことからやってもらえればいいよ。とりあえず、今日の所はご飯から」


 そう言って、右の人差し指をピンと立てて見せる皇さん。まぁ、スーパーのバイトはクビになっちゃったし、他に仕事の当てもない。しばらく皇さんに付き合ってあげてもいいかな。そのうち飽きて元の生活に戻ってくれるだろう。


「凪はもう夕飯は食べたのか?」

「いや、亮輔が帰ってきてから一緒に食べようと思ってたから、まだ……」

「それじゃあ、用意するから手伝って」


 ご飯は一度炊いたやつを一食分ずつ冷凍してるからそれをレンジでチンすればOK。作るのはみそ汁と、付け合せのサラダくらいでいいだろう。メインはもちろん凪が作ってくれたというから揚げだ。


 俺は凪と一緒にキッチンに立つ。これはいつもの光景だが、今日は皇さんもいるのだ。きっといつも以上ににぎやかな食事になる。この変化が俺にとってよいものかどうかはまだわからないが、少なくとも嫌な気分ではない。後は凪が皇さんと仲よくやってくれるかどうか。それが俺の平穏に取っては重要な部分である。


 様子を窺った限り、皇さんの方は凪にそれほど抵抗を持っていないようだ。一方の凪の方はちょっと居心地が悪そうである。せっかくクラスメイトになったんだから仲良くやって欲しいものだ。皇さんも転校したばっかりでまだ友達がいないだろうし。


 そんなことを考えながら、俺はサラダ用のキャベツを刻んだ。

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