第五話 バイト/亮輔サイド
俺は駅の近くにあるスーパーでバイトをしている。親から仕送りは貰っているが、それだけでは自由になるお金が少ないからだ。バイトは月、水、金、土の週四日。平日は十八時から二十二時。土曜日は学校が休みなので八時から十七時が俺の勤務時間である。学校では根暗で陰キャな俺だが、仕事となれば話は別だ。給料分はきっちり働く。それが俺の流儀なのである。
バイト先での俺の仕事は主にレジ打ち。並みいる女性陣を差し置いて俺がこの位置にいるのは、俺のレジ打ちの速度と正確性が抜きん出ているからだと店長に聞いた。然程大きな店ではないとは言え、食事前ともなればレジには結構な行列が出来る。それを捌き切るのが俺の仕事であり、俺が唯一、誰かに必要とされていると実感できる時間なのであった。
「いらっしゃいませ!」
今日も混雑の時間がやって来る。俺はいつものようにレジスターと一体になり、高速で、かつ丁寧に、商品のラベルをレジに読み込ませ、隣のかごへと移していった。
「二九八六円でございます」
計算は全部機械がやってくれるので、特に頭を使う必要はない。大事なのは笑顔と
「三〇〇○円お預かりいたします。一四円のお返しです。ありがとうございます。またお越しくださいませ!」
一人のお客さんが終わってもまだ終わりではない。またかごいっぱいに商品を詰め込んだお客さんが次に控えている。今並んでいるのは三人ほどだが、この時間だともっと増えるだろう。手元のブザーでレジの応援を呼んで、俺は次のお客さんを迎えた。
集客のピークも過ぎて、そろそろ勤務時間を終えようかという頃。見知った顔が、レジに商品を持ってくる。皇さんだ。
「やぁ、亮輔君」
皇さんが手に持っているのはスポーツドリンクが一本。五〇〇ミリリットル入りのやつだ。
「いらっしゃいませ~」
相手がクラスメイトとは言え、今は勤務中。私語は厳禁だ。
俺はスポーツドリンクを受け取り、レジに通す。
「袋はご入用ですか?」
「そのままでいいよ」
「それではテープのみ張らせていただきます」
店の名前入りのテープをバーコードの上に貼った。バーコードの一部を完全に隠すように貼るのがポイントだ。
「一四九円でございます」
「カードで」
そう言って差し出されたのは、黒いカードだった。質感も、いつものクレジットカードとは違う。これってもしかして、いわゆるブラックカードと言うやつか。
俺の
「どうしたの? 亮輔君」
皇さんはきょとんとしている。きっと本人は使い慣れているんだろう。だからこのカードの凄さがわからないんだ。
俺は緊張しながらカードをレジに通す。て言うか、このカードこんな使い方していいのか? 何か専用の機械とかあったりしない?
などと思っていると、普通にレジはカードを認識し、レシートと利用明細を吐き出す。思ったより普通に使えるんだな、このカード。
「こちらレシートと明細でございます」
「ありがとう」
これで帰ってくれるかと思ったが、そうは問屋が卸さないらしい。レジが暇になったのを確認した皇さんは俺に話しかけてきた。
「ねぇ、亮輔君。この後暇?」
なんか安っぽいナンパみたいだ。だけど今は勤務中。しっかり接客する必要がある。
「お客様。申し訳ございませんが、当店では店員のお持ち帰りはお断りさせていただいております」
「いいじゃん。もうすぐ勤務終わりなんでしょ?」
ますますナンパみたいだ。どうしたものかと困っていると、店長が様子を見にやって来た。
「お客様。うちの朝霧に何か不手際がございましたでしょうか」
もちろん俺に不手際などあるはずもないし、店長もそのことはわかってくれているだろうが、お客さんとのやり取りに割って入るのだから、それなりのやり方と言うものがあるのだろう。
「いいえ。大変満足な接客でした。ですので」
相手が店長であることを察したのか、皇さんの顔が一層笑顔になる。何か嫌な予感がした。
「少々引き抜きの交渉を」
「引き抜き……でございますか?」
店長はいきなりのことで混乱している。それもそうだろう。店長は彼女が皇財閥のご令嬢だということを知らないのだ。いきなり引き抜きがどうのという話を振られれば、誰しもこんな反応になるだろう。
「申し遅れました。わたくし皇琴音と申します」
そう言って名刺を取り出す皇さん。差し出された名刺を見て、店長は相手がどのような人物なのか察したようだ。ぺこぺこと頭を下げている。
「朝霧君も頭を下げなさい。この方はわが社の経営母体である皇グループのご令嬢だよ!?」
え? うちの店って皇グループの傘下だったの? 知らなかった。全く意識していなかったけど、どうやら俺は知らぬ間に皇グループのお世話になっていたらしい。
店長に倣い、俺も頭を下げる。俺からすれば、相手は突然転校してきたお嬢様くらいの感覚だが、お世話になっている店長の顔を潰す訳にも行かない。
「顔を上げてください店長。現在の皇グループはあくまで父のものであって、わたくしはその家に生まれたというだけの高校生ですから」
「いえいえ。皇グループのご令嬢に失礼があってはなりませんので!」
店長は必死だ。一介のバイトに過ぎない俺とは背負っているものが違う。そりゃ畏まりもするだろう。
「それで引き抜きの件でしたよね!? うちの朝霧でよろしければ、どうぞ使ってやってください!」
「ちょ、店長!?」
「朝霧君、今までありがとう! 新しい職場でも頑張ってくれたまえ!」
「そ、そんな~」
これには俺も驚いた。いきなり職を失い、放り投げられたのだ。
「話が早くて助かります。このお店のことは父にもきちんと報告させていただきますね」
「はは~。どうぞ、どうぞよしなに!」
そんなこんなで、俺のバイト生活は唐突に終わりを迎えた。せっかくいい環境だったのに、こんなにあっさり首を切られるなんて。
「朝霧君、今日はもう上がっていいから。皇さんのことを送って差し上げなさい」
「は、はぁ」
時計を見ると上がりの時間まであと少し残っていたが、店長がこういうのであれば仕方ない。俺はバックヤードに入り、エプロンを取った。
「このロッカーとも今日でお別れか~」
高校に入ってすぐにバイトを始めたから、四ヶ月くらいか。ようやく他の人達ともそれなりに仲良くなり始めてたのに、ちょっともったいない。
「何? 朝霧君辞めちゃうの?」
仕方なく私物をまとめていると、バイト仲間の柳瀬さんが話しかけてきた。柳瀬さんは学校は違うけど同じ高校生。一年先輩で、レジの打ち方を教えてくれた人でもある。
「そういうことらしいです」
「そっか~。ちょっと残念だな。君とは仲良く出来そうだと思ってたのに」
夏休みの間はお互いバイト三昧だったので、それなりに話す機会もあった。アニメの話で盛り上がったりした時は楽しかったな。それだけに、よき先輩との別れは、悲しいものである。
「君が抜けるとなると、レジの集計が大変になるね。こりゃ」
「そこは柳瀬さんが頑張ってくださいよ」
「まぁ君が抜けるなら新しいバイトの子雇うだろうし、それなりに楽しくやるさ」
「新人には優しくしてあげてくださいね。柳瀬さん結構スパルタだから」
本当はもっと話していたい所だが、柳瀬さんはまだ仕事中。ゆっくり話が出来る状況ではない。
「それじゃあ、今までお世話になりました」
「うん。朝霧君も元気でね」
「はい」
たまに買い物に来る約束をして、俺はバックヤードを後にした。
帰り道。
自転車を押す俺と、その前を歩く皇さん。皇さんを送ると言う話だったはずだが、当の皇さんはどんどん俺の家の方に歩いて行く。流石におかしいと思って、皇さんに声をかけた。
「ねぇ、皇さん。そっちは俺の家の方向だけど……」
「大丈夫だよ。私の家もこっちだから」
どうも様子がおかしい。こっちの方角には高級住宅街なんてない。少なくとも皇さんが住んでいそうな家がないのは確かだ。
そんなこんなでたどり着いたのは、俺が住んでいるアパートだった。
「ここ、俺のアパートだけど?」
「今日からは私のアパートでもあるのだよ、亮輔君」
「はい?」
何やら妙なことを言い出す。
「だから、今日から私もここの住人なんだよ」
「そんな馬鹿な。このアパートはもう満室のはすだよ?」
そう。俺と幼馴染の凪が入居した時点で、このアパートは満室だった。皇さんが入り込む余地はないはずだ。
「そこは、ほら。いろいろとやりようがあるでしょ?」
指先をくるくる回しながら、皇さんが言う。
「君の部屋の隣。一○二号室を私が買い取ったんだよ。元々住んでた人達も快く了承してくれたよ?」
確か一○二号室には若い夫婦と子どもが一人住んでいたはずだ。そう言えば昨晩はやたらと荷物を動かすような音が響いていたけど、どうやら皇さんが裏で手を回した結果らしい。
「今日の夕方には私の荷物の搬入も終わってる。これで晴れて私の新生活が始まると言う訳さ」
開いた口が塞がらないとはこういうことを言うのだろう。この行動力をもっと他のことに生かせなかったのだろうか。
「本当にここに住むの?」
「住むよ。言ったじゃない。私の執事にならないかって」
「本気で言ってるの?」
「冗談でこんなこと言わないよ。私は君に執事になって欲しいんだ」
滅茶苦茶キラキラした顔でそう言われた。やっぱり皇さんは顔がいい。マンガ的な表現にはなるが、背後にバラでも背負っていそうなくらいだ。
俺は大きくため息を吐く。彼女がここまでしてしまった以上、俺に拒否権はないのだろう。相変わらずキメ顔で俺の方を見る皇さんを前に、もう一度大きくため息を吐いてから、俺は言った。
「とりあえず飯にしよう。腹減ったし」
執事というのが何をする仕事かもよくわかっていないが、仕事と言うくらいだから給料は出るはずだ。
「そうだね。私もお腹空いた」
当然のように俺の後ろについてくる皇さんの姿に違和感を覚えるべきだった。それがこの後の俺の人生を決定付けた瞬間であったことなど、この時の俺は知る由もなかったのだ。
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