第四話 それは突然に/琴音サイド

 家に帰った私は、すめらぎ家のネットワークを使って朝霧亮輔に関しての情報を調べまくった。皇家の広大なネットワークを使えば、調べられないことなんてほとんどない。朝霧亮輔に関する情報は数日の内に大抵のものは集まった。


 一つ。彼は新潟県の生まれで、東京には高校受験を機に上京してきたこと。


 一つ。先日訪れた彼のアパートは借家で、父親の妹が管理している住居であること。


 一つ。基本的には両親からの仕送りで生活をしているが、それとは別にバイトをして雑費の足しにしていること。


 その他、現在の身長や体重。血液型なんかもわかったが、重要なのは上記の三つであろう。状況的に考えれば彼はお金に困っている。これは使えるのではないだろうか。


 何故こんなにも彼のことが気にかかるのかはよくわからないが、そんなことはどうでもいい。今大事なのは、私が彼を気に入っているということだ。


 私は両親に直談判して、転校の手続きを迫った。最初は随分と反対されたけど、自立のためとかそれっぽい理由をでっち上げて何とか説得する。後は皇家の力を存分に発揮して、彼の通う高校――私立七浜学園に転校することに成功した。


 そして迎えた始業式――はどうでもいいから割愛して、その後のホームルームの時間。クラス担任である長谷先生と共に教室の前までやって来る。


「それじゃあ、私は先に入るから。呼んだら入ってきてね」

「はい」


 長谷先生が教室に入っていく。するとそれまで騒がしかった教室は途端に静かになり、イスを引く音がいくつも響いた。なかなか生徒を上手く纏め上げているようだ。若いながら頼もしい。


 この扉の向こうに朝霧亮輔君がいる。そう思うと何だか胸が高鳴った。この気持ちは何だろう。これまでに経験したことのない高揚感。これからきっと素晴しい学校生活が始まる。そんな予感がした。


 私は生まれてこの方、学校を楽しいと思ったことはない。ご機嫌取りばかりしてくる教師に、私の顔色を窺ってばかりのクラスメイト。表面上は上手く付き合ってきたつもりだけど、心のどこかでそんな自分をせせら笑ってきた。でもこれからは違う。私をあのつまらない鳥かごの中から連れ出してくれた彼がいるのだ。彼と過ごす学校生活はきっとこれまでにない刺激で溢れているだろう。それが今から楽しみで仕方ない。


「は~い。入ってきて~」


 長谷先生が呼んでいる。いよいよだ。


「よし!」


 私は姿勢を正し、堂々と教室へと踏み込む。そのまま教壇の横まで行き、教室を正面から見据える。


「夢ヶ丘女学院から転校してきました。すめらぎ琴音ことねです。よろしくお願いします」


 短くそう言って、頭を下げた。


 教室内からはどよめきが上がり、みな口々に「皇って、あの!?」とか「夢ヶ丘女学院って思い切りお嬢様校じゃん!?」とか言っている。それは仕方ない。私は天下の皇財閥の令嬢。この程度は有名税というものだ。


 頭を上げ、教室内を見渡す。すると一番後ろの席に彼はいた。すごく驚いた顔をしている。流石に彼も皇家のことを知っているようだ。


「朝霧亮輔君。見~つけた」


 私がそう口にすると、クラス中の視線が彼に集中する。


「え? え?」


 混乱している彼の顔は可愛らしく、思わず笑ってしまった。でも、問題はここからである。どうすれば彼ともっとたくさん一緒にいられるか。たくさん考えた末に私が導き出した結論。それは。


「率直に言うわ。朝霧亮輔君。私の執事になってみない?」


 お金に困っている彼を私の下に引き込む方法。答えは単純明快。直接雇ってしまえばいいのだ。


「あの~皇さん? 今は一応ホームルール中だし、そういった勧誘は放課後にしてもらえないかしら」

「お言葉ですが先生。ことを先送りにして、もし誰かに先を越されてしまったら取り返しがつかないんですよ?」

「皇さん以外に朝霧君を執事に勧誘するような生徒は他にいないから、大丈夫だと思うけど……」

「……本当にそうでしょうか」


 事前に調べた情報では、この七浜学園には彼女がいる。その彼女もどうやら彼に目をつけているらしいので、うかうかしてはいられない。


「まぁいいでしょう。それよりも、私の席は要望通り亮輔君の隣になっていますよね?」

「ええ、彼は元々一番後ろの席だったから、調整が楽でよかったわ」

「結構。それでは早速席に着いても?」

「そうね。そうして頂戴」


 クラスの視線を独り占めしながら、彼の元へと歩みを進める。ようやくだ。ようやく彼と話が出来る。逸る気持ちを抑えながら、私は数日ぶりに彼に声をかけた。


「これからは隣の席だね。よろしく、亮輔君」


 飛び切りのウインクを添えての挨拶。これはポイントが高いはず。案の定、彼は耳まで真っ赤になっていた。こうも素直に反応してくれると、アピールした甲斐があるというものだ。


「よろしく、皇さん」


 彼の一声にちょっとムッとした。せっかくこちらが名前で呼んでいるのに苗字呼び。何だか他人行儀で嫌だ。


「皇だなんて他人行儀な。熱い夜を一緒に過ごした仲じゃない」


 仕返しにちょっとからかってみる。クラス中が盛り上がる中、彼は立ち上がり声を張り上げた。


「格ゲー! 格ゲーの話だから!」


 その様子がおかしくて、また少し笑ってしまう。本当に見ていて飽きない。何故彼はこれほどまでに私の心を揺さぶるのが上手いのか。


 そんなことを考えていると、彼は視線で長谷先生に助けを求めていた。


「み、みんな静かに! ホームルーム中ですよ!」


 それでも教室内の喧騒は収まらない。って言うか、アイコンタクトとかずるい。私だってやってみたいぞ。


 ちょっと、と言うかかなり羨ましくはあったが、いつまでも騒がしいのは私の望むところではない。


「みんな静かに。先生が困ってるよ」


 仕方なく声を発する。それほど声を張る必要はない。そんなことしなくても、私の声はみんなに届くのだから。


 辺りが静まったのを確認してから、改めて亮輔君に言う。


「という訳で、詳しい話は放課後にしようか。亮輔君?」

「あ、ああ。うん」


 頷かせることに成功した。言質取ったよ、亮輔君。これで放課後は彼とゆっくり話す時間が取れそうだ。




 そして迎えた放課後。私は転校というものを舐めていたと思い知らされる。私の席の周囲が人で溢れていたのだ。


「皇さん髪綺麗~。やっぱり高いシャンプー使ってるの?」

「皇さんこの後暇? よかったら一緒にカラオケ行かない?」

「皇さん、よかったら連絡先交換しようよ~」


 畳み掛けるような質問の嵐。中には放課後のお誘いや、連絡先を聞きだそうとしてくる子までいる。私は亮輔君と話がしたいのに。


「シャンプーは海外から取り寄せたものを使ってるの。日本では確か売られていなかったと思う」

「やっぱりそうか~」

「この後は予定があるんだ~。よかったらまた誘って?」

「それなら仕方ないね。また誘うから、次はきっと来てね!」

「連絡先はごめんなさい。防犯上の理由から教えられないのよ」

「そっか~。まぁお嬢様だもんね~」


 シャンプーのこと以外は口から出任せだけど、思いの他すんなりと信じてくれる。前の学校でもこれくらい素直は子ばっかりだったら、まだよかったのかも知れないけど。今となってはどうでもいいことだ。


 いつまでも終わらない問答に付き合っていると、亮輔君が席を立つのが見えた。私は咄嗟にその腕を掴む。


「どこに行くのかな、亮輔君?」

「どこって、帰るんだよ。今日はバイトもあるし」


 確かに、彼が今日バイトの日なのはわかっている。けれど彼の表情は言外に何か他のことを言っているように見えた。


「まだ肝心の君との話が終わってない」

「執事がどうのってやつ? 俺執事なんてやったことないし無理だよ。執事を探すなら、もっとふさわしい人が他にいるって」


 私から視線を逸らし、目を合わせようとしない。周囲を見ると、このクラスでの彼の立ち位置がまざまざと見て取れた。しかし、そんなことは私には関係ない。私は私の思うように行動するだけだ。


「わかってないな~。私は君だからなって欲しいんだよ?」

「俺のどこがそんなに気に入ったのかわからないけど、やっぱり無理だって。そういうのって専門的な知識とか作法とかいろいろあるんだろ?」

「知識や作法は追々憶えてもらえばいいよ。私が買ってるのは君の人間性なんだから」

「こんな根暗で陰キャな人間のどこがいいのさ」

「君は随分と自己肯定感が低いんだね。少なくとも君は、あの時、あの場で、唯一私を助けようとしてくれたじゃない」


 そう。少なくとも、あの場にいた大勢の中で、唯一、彼だけが私に向かって手を差し伸べてくれた。その事実に変わりはない。


「あんなの、俺のただの勘違いだよ。君が悪い人に捕まりかけているんだって思って、それで――」

「そんな状況で、君は私を助けるために動いてくれたんでしょ? ほら、立派じゃない」


 黒服達を悪漢だと思ったと言うのは少し面白かったが、あの時の私にとっては彼の思う通りだったのだ。それなのに彼は下を向いてしまう。あの時のかっこいい彼はどこに行ってしまったのだろうか。


「あ、そうやってすぐ下を向くの。やめた方がいいよ。下を見たってお金や幸せは落ちてないんだから」

「別にそういうつもりじゃ」

「ほら、しゃきっとする! こんなんじゃ無理言って転校までしてきた意味がないじゃない」


 彼の腰を叩いて、無理やり姿勢を正した。ほら、こうして真っ直ぐ立てば、私より背が高くて、いかにも男の子らしいではないか。


「うん。これで少しはマシになったかな」


 そう言って、彼の顔を覗きこむ。見開かれた彼の瞳には、私の姿が映りこんでいた。


「ち、近いよ、皇さん」

「うん? そう? まぁこれからはもっと親密な関係になるんだから、いいんじゃない? これくらい」


 彼の鼻先にちょんと触れる。これだけしておけば、クラスの女子は彼にちょっかいかけることはしないだろう。


 私はこれからの生活に思いを馳せる。これはまだ始まりに過ぎない。もっと刺激的で楽しい日々が私達を待っているのである。私は今出来る最高の笑みを彼に見せつけた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る