第三話 それは突然に/亮輔サイド

 夏休み明け初日。つまらない始業式を終え教室に戻る。この後はホームルームがあるだけで授業はない。バイトまで時間があるけどどうしよう。そんなことを考えていると隼人が声をかけてきた。


「よう亮輔。この後暇か?」


 見上げるといつものイケメン顔がそこにある。まったく世の中は不公平だ。俺もこんなイケメンに生まれたかった。そうすれば今頃彼女の一人も出来ていただろうに。


「バイトがあるからそれまでにはなるけど、どこか行くのか?」

「ああ。皆とカラオケに行くことになったんだけど、お前も一緒にどうかなと思って」


 なるほど。いつものように俺がクラスに馴染めるよう気を使ってくれている訳だ。気持ちは嬉しいけど、俺みたいな陰キャが混じっていたらみんなが楽しめないだろう。


「悪いけど気持ちだけ貰っておくよ。俺が行っても盛り上がらないだろうし」

「そんなことないって。お前もたまには思い切って飛び込んでみた方がいいと思うぜ?」


 隼人の言葉が胸に刺さる。それが出来たらどんなにいいだろうか。こうして上京までして来る気概があったのだから、もう一歩踏み込んでみてもいいのかも知れない。けど。


「……やっぱり止めておくよ。途中で抜けなきゃならないのも何かアレだし」


 ここぞと言うところで、俺はへたれだった。


 「そっか……」と隼人がため息を付いたタイミングで、担任の長谷はせちゃんが教室の戸を開けて入って来る。


 長谷はせ美波みなみ。我等が担任にして超ド級のわがままボディーの持ち主だ。本人は彼氏がいないことを嘆いているらしいが、それは彼女が美人過ぎて周囲の男性陣が気後れしているからに過ぎない。立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花ってやつだ。彼女の方からアタックされれば、落ちない男性はいないだろう。


「は~い、みんな席について~」


 長谷ちゃんの一声で、クラスの皆はぞろぞろと自分の席に戻っていく。若いながら生徒達の心を掴むのが上手いのが、長谷ちゃんのすごいところだ。


 全員が席に着いたところで、長谷ちゃんが言う。


「突然だけど、今日からこのクラスに転校生が来ま~す」


 教室内にざわめきが広がった。動揺と期待が半々と言ったところか。一番後ろに位置する俺の席からはそれがよく見えた。今更ながら隣に目を向けると、確かに新しい机が一つ増えている。と言うことは必然的に転校生は俺の隣の席になるということだ。


 それにしてもこんな中途半端な時期に転校してくるなんて、よほどの理由があるに違いない。一体どんな人なんだろう。


「は~い。入ってきて~」


 長谷ちゃんが教室の外へと声をかける。すると教室の戸が開き、一人の女性徒が入ってきた。その人はとても姿勢よく、堂々とした態度で、教壇の横に立つ。


「夢ヶ丘女学院から転校してきました。すめらぎ琴音ことねです。よろしくお願いします」


 一度頭を下げ、再び真っ直ぐに前を見据える女生徒。俺はその女生徒に見覚えがあった。つい一週間ほど前の晩に、出会ったあの少女だ。


「え?」


 思わず声が漏れる。何で彼女がここにいる。それに夢ヶ丘女学院って言ったら金持ちばかりが集まるって言う超名門校じゃないか。そんなところから転校? WHY? 何故? それに皇って、あの皇? 「産声から墓場まで」で有名なあの皇財閥? 一体どうなってるんだ。


 俺が混乱していると、女生徒――皇さんの視線がこちらを捉える。


「朝霧亮輔君。見~つけた」


 彼女の一言でクラス内が騒然となった。次いでクラス中の視線が俺に集まる。


「え? え?」


 俺はただただ混乱しているだけだ。あの晩出会った少女が皇財閥のご令嬢で、しかも夏休み明けに転校してきた。しかも明らかに俺をターゲッティングしてるし。一体何が目的なんだ。


「率直に言うわ。朝霧亮輔君。私の執事になってみない?」


 再び教室内に衝撃が走る。あの皇財閥のご令嬢が、俺を執事に? WHY? 何故?


「あの~皇さん? 今は一応ホームルール中だし、そういった勧誘は放課後にしてもらえないかしら」

「お言葉ですが先生。ことを先送りにして、もし誰かに先を越されてしまったら取り返しがつかないんですよ?」

「皇さん以外に朝霧君を執事に勧誘するような生徒は他にいないから、大丈夫だと思うけど……」

「……本当にそうでしょうか」


 何やら意味ありげに目を伏せる皇さん。そんな顔もやはりいい。可愛いと言うよりイケメンの部類だが、女子のこんな顔ならいくらでも見ていられる。


「まぁいいでしょう。それよりも、私の席は要望通り亮輔君の隣になっていますよね?」

「ええ、彼は元々一番後ろの席だったから、調整が楽でよかったわ」

「結構。それでは早速席に着いても?」

「そうね。そうして頂戴」


 クラスの視線を独り占めしながら、皇さんが俺の隣まで来た。


「これからは隣の席だね。よろしく、亮輔君」


 バチンとウインクをしてくる皇さん。思わず胸が高鳴る。こんな感覚は初めてだ。全身の血が沸騰したかのように熱く滾る。きっとこの時の俺の顔は真っ赤に染まっていただろう。


「よろしく、皇さん」


 何とか挨拶を返したが、何が気に食わなかったのか、彼女の顔がふと曇る。


「皇だなんて他人行儀な。熱い夜を一緒に過ごした仲じゃない」


 三度、教室内が騒がしくなった。女子からは黄色い悲鳴。男子からは怨嗟えんさの叫び。俺はそれに耐えられず、声を大にして言った。


「格ゲー! 格ゲーの話だから!」


 こんなに注目されたのはこれが始めてだ。俺はどうすればいいかわからなくなって、長谷ちゃんに目で助けを求める。


「み、みんな静かに! ホームルーム中ですよ!」


 それに気付いてくれた長谷ちゃんが何とか事態を収拾しようと声をかけるが、今のこのクラスにその声は届かず。


「みんな静かに。先生が困ってるよ」


 場を収めたのは他でもない、皇さんだった。皇さんの一声は騒がしかった教室内に響くように伝わり、あっという間に生徒達を宥めてしまう。これが持って生まれたカリスマというものなのだろうか。


「という訳で、詳しい話は放課後にしようか。亮輔君?」

「あ、ああ。うん」


 つい頷かされてしまう。何と言うか、この人には逆らえない。そんなオーラを纏っていた。




 ホームルームは無事に終わり、迎えた放課後。俺の周囲――正確には皇さんの席――はクラスメイト達でごった返していた。それもそうだろう。あの皇財閥のご令嬢だ。誰だってお近づきになりたいと思うに違いない。


「皇さん髪綺麗~。やっぱり高いシャンプー使ってるの?」

「皇さんこの後暇? よかったら一緒にカラオケ行かない?」

「皇さん、よかったら連絡先交換しようよ~」


 誰も彼も皇さん皇さん。このクラスは空前の皇さんブームを迎えていた。皇さんも一々やり取りをしているものだから、会話は後が耐えない。時々ちらちらと向けられる視線が、俺の心に刺さる。この場はさっさと退散した方が身のためだろう。


 そう思い席を立ったその時、伸ばされた手が俺の手を掴んだ。皇さんである。


「どこに行くのかな、亮輔君?」

「どこって、帰るんだよ。今日はバイトもあるし」


 「俺がいたって邪魔だろ?」と心の中で付け加えた。しかしそんな俺の心情はお構いなしに、皇さんは掴んだ腕を離さない。


「まだ肝心の君との話が終わってない」

「執事がどうのってやつ? 俺執事なんてやったことないし無理だよ。執事を探すなら、もっとふさわしい人が他にいるって」


 こんな陰キャに何を求めてるのか知らないけど、少なくとも陰キャでは執事は務まらないだろう。実際の執事がどんなものかは知らないけど、少なくともアニメや漫画の中にいる執事は、どこに出しても恥ずかしくない優れた人間ばかりだ。俺みたいに人間関係で困っているような人間がなるものでは決してない。


「わかってないな~。私は君だからなって欲しいんだよ?」

「俺のどこがそんなに気に入ったのかわからないけど、やっぱり無理だって。そういうのって専門的な知識とか作法とかいろいろあるんだろ?」

「知識や作法は追々憶えてもらえばいいよ。私が買ってるのは君の人間性なんだから」

「こんな根暗で陰キャな人間のどこがいいのさ」

「君は随分と自己肯定感が低いんだね。少なくとも君は、あの時、あの場で、唯一私を助けようとしてくれたじゃない」


 今にして思えば、あれはきっと皇家に仕えてる人達なんだろう。勘違いでひどいことをしてしまった。機会があればきちんとお詫びを入れに行かなければなるまい。


「あんなの、俺のただの勘違いだよ。君が悪い人に捕まりかけているんだって思って、それで――」

「そんな状況で、君は私を助けるために動いてくれたんでしょ? ほら、立派じゃない」


 そうなのだろうか。あの時は咄嗟のことだったから、後のことをよく考えもしないで動いただけだ。褒められるようなことじゃない。


「あ、そうやってすぐ下を向くの。やめた方がいいよ。下を見たってお金や幸せは落ちてないんだから」

「別にそういうつもりじゃ」

「ほら、しゃきっとする! こんなんじゃ無理言って転校までしてきた意味がないじゃない」


 腰を叩かれ、無理やり背筋を伸ばされる。すると皇さんの頭が、ずいっと迫って来た。


「うん。これで少しはマシになったかな」


 俺の顔を覗きこむように顔を近づけてくる皇さん。女子とこんなに近づいたのなんて幼馴染のなぎ以外では初めてだ。顔に血が上ってくるのがわかる。


「ち、近いよ、皇さん」

「うん? そう? まぁこれからはもっと親密な関係になるんだから、いいんじゃない? これくらい」


 そう言って、皇さんは俺の鼻にちょんと触れた。こんな衆人環視の前で、よくこんなことができるな。ちょっと女子としての自覚が足りないんじゃなかろうか。


 この時の俺は思ってもいなかった。これはあくまで始まりで、これから先、もっとすごいことになるだなんて。

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