第二話 コンビニ帰り/琴音サイド

 変わらない日常。財閥の娘に生まれたからと言う理由で、決められたことを決められた通りにこなす日々。正直その生活にはうんざりしていた。


 学校も金持ちばかりが集まるいわゆるお嬢様学校で、人間関係が鬱陶しい。皆上辺だけ取り繕って、腹の底では利権と保身ばかりを追いかけている。


 何か新しい刺激が欲しい。そう思って独り、夜の街に繰り出したのだ。夜の街は人が多くて、まるで自分の知っている世界とは違う世界に迷い込んでしまったようだった。見るもの全てが真新しく見えて、キラキラ輝いている。


 しかし、そんな楽しい時間も長くは続かない。すぐに黒服達に発見されて、車に押し込まれそうになる。


「嫌! 離して!」


 私はもっと外の世界を見たいのだ。自分で物事を決め、自分の力で生活していく。そんな当たり前が欲しくて、私は必死に手を伸ばした。


 周囲の人達は遠巻きに見ているだけで、誰も助けに入ろうとはしてくれない。それもそうだろう。誰だって面倒ごとは御免だ。下手に関わって自分の人生を台無しにはしたくない。


 ふと一人の少年が目に入る。コンビニの袋を片手から提げたその少年は、私と同い年くらいだろうか。見た目は普通。かっこ悪いというほどではないが、かっこいいとも言えない。着ている服もきっと既製品だ。オーダーメイドのブランド品のみを身につけている私とは住む世界が違う。そんな少年だった。


 それでも、きっと彼は私の持っていないものをたくさん持っているのだろう。そう思ったら、助けを求めずに入られなかった。


 私は必死に視線で助けを求める。彼は応じてくれるだろうか。彼も他の人達と同様に、遠巻きに見ているだけかも知れない。彼だって厄介ごとに巻き込まれたくはないはずだ。それでも。


 少年が意を決したように走り出す。こちらに向かって。


 少年は黒服に体当たりをして、私の手を掴んだ。


「逃げるぞ!」

「う、うん!」


 引っ張られるまま、私は走る。少年は見た目に反してなかなか脚が速かった。私も脚には自信があったが、やはり相手は男の子。体力面では彼の方が上回っているようだった。


 十五分ほど走っただろうか。少年と私は見事黒服達を撒くのに成功し、一軒のアパートの前にたどり着く。私の家とは比べ物にならない古くて安っぽいアパート。私は手を引かれるまま、そのアパートの一室の前までやって来た。


「とりあえず上がりなよ。大したおもてなしは出来ないけど」


 ドアが開かれ、部屋の中が露わになる。はっきり言って狭い。私の部屋よりずっと狭いその一室が、どうやら彼の家のようだ。


 私は小声で「おじゃまします」と言って部屋へと入る。


 一人で住んでいるのだろうか。家族と住むには狭すぎる室内は、綺麗に片付いており、家主の品のよさを伝えてくれた。


「汗かいただろ? シャワー使っていいから汗流してきちゃいなよ。その間にエアコン入れておくから」


 そう言えば、走ったから結構汗をかいている。久しぶりの全力疾走だったから、結構体力も使ってしまった。なので少年の申し出はありがたい。


「そ、それじゃあシャワーいただこうかな」


 少年はバスタオルと部屋着を一着渡してくれる。流石に下着はなかったけど、それは仕方ないよね。


「ありがとう。行って来ます」

「あ、シャンプーとかは適当に使っちゃっていいから」


 私は風呂場と部屋を隔てるドアを閉め、服を脱いだ。思ったよりも汗をかいている。夜とは言え夏場に全力疾走したのだから、当然と言えば当然か。一瞬、少年が覗きに来ないかとも気になったが、そんなことが出来る性格ではないだろう。見たところ、結構真面目そうだし。


 服は後で洗濯するとして、今はシャワーだ。狭い浴室に入った私は熱いシャワーを頭から浴びる。何だか不思議な気分だ。見ず知らずの少年の家にいて、こうしてシャワーを浴びている。こんなことを家族が知ったら何て言うか。そう考えると、思わず笑みがこぼれた。


 シャワーを浴び終えて、少年が用意してくれたシャツに袖を通す。流石は男の子と言ったところか。サイズがぶかぶかでちょっと面白い。ズボンの方には腰周りの部分に紐がついていたので、それを引き絞って調節することが出来た。恐らく少年はそこまで考えて、このズボンを渡してくれたのだろう。


「シャワー、いただきました」


 部屋に戻ると、少年は先ほどとは違う服に着替えていた。どうやら少年の方も汗の処理をしたようだ。


 と、少年が何か飲み物を用意して渡してくる。


「これ、よかったら」

「あ、ありがと~。喉渇いてたんだ!」


 大量に汗をかいた上にシャワーまで浴びたのだ。喉はカラカラだった。飲んだことのない味のお茶だったけど、冷たくて美味しい。私はそれを一気に飲み干した。


 喉の渇きが癒えたところで、次に気になるのは今後のことだ。黒服から逃げてしまったから、家ではかなりの大騒ぎになっているはずだ。


 少年に洗濯機を借りて、汗まみれになってしまった服を放り込む。洗濯機が仕事を始める中、やることがなくなった私達は、互いに正座をして時間が経つのをただ待っている。


「……これからどうしよっか」


 改めて部屋の中を見渡した。が、狭い室内はすぐに見終わってしまう。目に付いたのは一台のゲーム機。私はそのゲーム機に夢中になった。私の持っているのと同じモデルのものだったからだ。


「あ、ゲーム! 君、ゲームやるんだ!」


 棚に並んでいるソフトを順に眺める。これでも私は結構なゲーマーだ。少ない自由時間を見つけては、ゲームに没頭する。それが私にとっての唯一の息抜きだったのだ。


「え~と、何々? あ、格ゲーあるじゃん! やろうよ!」


 コントローラーは二つある。これなら対戦が可能だ。いつもはもっぱら通信で対戦相手を探していたが、幸いこの部屋にはプレイヤーが二人いる。直接対決なんて今までに経験したことがないので、この機を逃す訳には行かない。


 この対戦格闘ゲームは有名なシリーズ物だ。流石に初期の方はプレイしたことがないが、そんな私でも知っている人気作。実は結構やり込んでいるので自信もある。さて、この少年の腕前を拝見と行こうじゃないか。


 結果から言えば、少年には手も足も出なかった。流石は持ち主と言うべきか、そのコントローラー捌きから、相等の手練れであることが窺える。これ大会とか出たらいい線行くのではないだろうか。


「あ~もう。君、強いな~」

「そりゃ結構やりこんでるからね。そういう君こそ、思ったよりも上手かったじゃないか」

「これでも苦労してプレイ時間を捻出してるんだよ。私の一日の予定は分単位で刻まれてるからね」


 やはり空いた時間でこっそりやっている程度じゃダメのようだ。私は大人しく負けを認めることにした。


「そろそろいい時間だし、今日はもう寝ようか」


 自分でも驚きの提案だ。しかし、このまま家に帰るという選択肢はなかった。もしこのまま家に帰れば、私の今日の行動は無意味なものになってしまう。そんな気がしたのだ。


「それじゃあ君がベッド使いなよ。俺は床でいいから」

「え? でもそれは」

「いいのいいの。今は夏だし、風邪引く心配もない」

「……それじゃあ、お言葉に甘えようかな」


 お言葉に甘えて、ベッドに横になる。何だか不思議な光景だ。見ず知らずの少年の家で、安っぽいベッドに横になっている。こんなところ絶対に家族には見せられない。


「ねぇ、君の名前は?」

「亮輔。朝霧亮輔だ」

「ふ~ん。亮輔君か~。いい名前だね?」

「普通だろ? そういうそっちは?」

「う~ん。秘密」

「はぁ? 何だよそれ」

「女の子には秘密の一つや千個くらいあるものだよ?」

「いや、千個は多過ぎだろ」


 そんなくだらない会話が、無性に楽しく感じる。このまま寝てしまうのが何だかもったいなく思えて、私は明け方まで眠りにつくことが出来なかった。


 そして迎えた朝。と言っても、ほんの少し前まで起きてたんだけど。小鳥のさえずりで目を覚ました。


「ん~」


 軽く伸びをして身体からだをほぐす。ふと横を見ると、床では少年が眠っていた。


「寝顔は案外可愛いね~」


 つい頬をつついてしまう。少年はむず痒そうに身をくねらせた。


「朝霧亮輔君か~」


 昨晩のことを思い出す。誰もが遠巻きに見ていることしかしなかったあの状況で、唯一自分を助けようと手を伸ばしてくれた少年。その時の表情は頼もしくて、今でも少し頬が赤くなる。


 今日のところはそろそろ帰ろう。あまり自由にし過ぎても家族に心配をかけてしまう。それは私としてもあまり本意ではない。


 乾燥まで終わった洗濯機から服を取り出し、着替える。ちょっとしわになってしまっているが、この際だ。仕方がないだろう。


 テーブルに置きっぱなしになっていた家の鍵を取り、代わりにメモを残す。借りていた部屋着も綺麗にたたんで、テーブルの上に置いた。


「ありがとう、亮輔君」


 私は部屋から出ると、部屋の鍵を閉め、そのまま郵便受けに鍵を入れる。


 かなり寝不足ではあったが、見上げた空は快晴で、実に心地がいい。私は軽い足取りで駅を目指した。この先の楽しい未来を想像しながら。

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