第一章 皇琴音との出会い

第一話 コンビニ帰り/亮輔サイド

 何もない日常。一学期に人間関係の構築に失敗した俺は、一人寂しい夏休みを過ごしていた。せっかく両親に無理を言って上京して都内の高校に入学させてもらったって言うのに、何も成せていない。細々と一人暮らしをしながら、何者にもなれない日々を、ただ無意味に消化しているに過ぎなかった。


 夏休みも終盤に入ったある晩。


 俺はアイスを買いにコンビニへと足を向ける。夏だからと言う安易な発想から来る行動だったが、これが人生の転機になるだのと、この時の俺は考えてもいなかった。


「嫌! 離して!」


 ふと声のした方に目を向けると、そこには絶世の美少女がいて、数人の黒服の男達に無理やり車に乗せられそうになっている。助けに入るべきかと考えて、少し待つ。


 こんな人通りの多い時間に誘拐事件なんて起こるものだろうか。俺が元々住んでいたド田舎ならともかく、この時間の都会はまだ明るい。そんな中でのこの騒動だ。当然注目を浴びて、遠巻きにだが人だかりが出来始めている。


 俺は「自分には関係ない」と通り過ぎようとした。だって考えてもみろ。どう見ても筋骨隆々な黒服相手に、俺が敵う訳がないし。逃げるったって行く当てもない。どうせ何も出来ないのなら、初めから関わるべきではないだろう。


 「それでいいのか?」と問うもう一人の自分がいた。俺は何のために上京してまで自分を変えようとした? 何かを成したいからだろう。誰かから認められる生き方を自分の手で掴み取る。そのためにわざわざ上京までして東京の高校に入ったんじゃないのか?


 ふと、少女と眼が合った。「助けて」と言外に言っているかのようなその瞳に、俺は釘付けになる。


 気が付くと、俺は黒服に背後から体当たりをかまし、少女の手を掴んでいた。


「逃げるぞ!」

「う、うん!」


 どこへともなく走り出す。見たこともない、名前も知らない少女と。どこまでもどこまでも。


 黒服達は慌てて追ってきたが、生憎土地勘ならこちらの方が上だ。趣味の散歩と無駄な冒険心がこんなところで役に立つのだから、人生何が起きるかわからないというものである。入り組んだ路地を右に曲がり、左に曲がり。一五分ほどで黒服達を撒いて、やって来たのは俺の住むアパート。家賃が安い代わりにボロなアパートだが、これでもバストイレつきの立派なマイホームである。


「とりあえず上がりなよ。大したおもてなしは出来ないけど」


 少女は見たところ、俺と同年代くらいだし、それほど気を使う必要もないだろう。


 少女の方は何やら物珍しげに部屋を見渡した後、小声で「お邪魔します」と言って靴を脱いだ。


「汗かいただろ? シャワー使っていいから汗流してきちゃいなよ。その間にエアコン入れておくから」


 手に持った袋の中のアイスはすっかり溶けてしまっていたけれど、俺の気分は清々しかった。あの黒服が何者であれ、少女の窮地を救ったのだ。これはことによると運命的な出会いだったりするのではなかろうか。もしかしたらムフフな展開も。


 などと考えたところで首を大きく横に振る。相手は見ず知らずの女の子だ。お互い名前も知らないし。って、そんな子をいきなり家に連れて来てよかったのだろうか。今更ながら少女の顔色を窺う。どうやら走り回っていたのが相当堪えたようで、今もまだ肩で息をしていた。


「そ、それじゃあシャワーいただこうかな」


 少女がそう言うので、洗濯したばかりの新しいバスタオルと、俺の物で申し訳ないけど部屋着を一着渡す。


「ありがとう。行って来ます」

「あ、シャンプーとかは適当に使っちゃっていいから」


 俺の方も思わず汗をかいてしまう事態になったもんだから、汗を拭いて着替えくらいはしておいた方がいいだろう。それがエチケットと言うものである。女子のシャワーがどの程度時間がかかるのかはわからないが、汗を拭く時間くらいはあるはずだ。


 俺はタオルを水で濡らし、固く絞ってから身体を拭いていく。それにしても、どうしてこうなった。今、俺の家に女子がいて、しかもシャワーを浴びてる。そんなことが起こっていいのだろうか。


「落ち着け、俺。これは避難だ。これ以上ことを大きくしちゃいけない」


 とは言え、ここは一人暮らし用の小さな部屋。防音だって特に力が入れられている訳ではないボロアパートの一室だ。シャワーの音が漏れ聞こえてくる。ドア一つ向こうには少女が着ていた服があり、その向こうでは彼女が実際にシャワーを浴びている。これが興奮せずにいられようか。


 理性を総動員して暴走を堪える。それに、考えることは山積みだ。謎の美少女。それを無理やり車に押し込もうとした黒服の男達。どう考えてもやばい案件である。このまま警察に連絡をするべきか。いや、それは彼女が戻ってきてからでも遅くはない。彼女が戻ってきたら詳しい話を聞くことが出来るかも知れないし。


 あれこれ考えている間にシャワーから出てきたらしい少女が風呂場の戸を開けて現れる。


「シャワー、いただきました」


 少女の言葉尻からあふれ出す気品。しっとりと濡れた髪からは、俺と同じシャンプーを使っているとは思えないいい匂いが漂っている。これがJKと言うものか。恐ろしい。


 とりあえず飲み物くらい出しておこうと、冷蔵庫から取り出した麦茶をコップに注ぐ。来客用のお茶なんていう高価なものは持ち合わせていないし、今は夏だ。冷たい麦茶の方がきっと喜んでもらえるに違いない。


「これ、よかったら」

「あ、ありがと~。喉渇いてたんだ!」


 少女は躊躇いなくごくごくと麦茶を飲み干した。


 汗まみれになっていた少女の服を洗濯機に放り込んでから数分。特にやることがなくなった俺達は互いに正座しながら、そわそわとしていた。


「……これからどうしよっか」


 少女がポツリと漏らす。それはあれですか? ナニがナニでナニなやつですか?


「あ、ゲーム! 君、ゲームやるんだ!」


 彼女の視線の先には、俺が度重なるバイトの末に手に入れた据え置きゲーム機。まだソフトの方はそれほど揃えられていないけど、この夏休みもバイト頑張ったし、そろそろ何か新しいソフトが欲しいところである。


「え~と、何々? あ、格ゲーあるじゃん! やろうよ!」


 どうやら彼女は格ゲーに興味があるようだ。昔からあるシリーズ物の最新版。まぁこれならあまりゲームが上手でなくてもそれなりに楽しめるだろう。俺はめっちゃやり込んでるけどね。まぁ、手加減してあげることにしよう。


 ところがどっこい、彼女は滅茶苦茶強かった。思わず俺も本気で相手をしてしまったほどだ。ギリギリのところで俺が勝つ。最後に物を言ったのは日頃からのやり込み具合だったと言う訳だ。


「あ~もう。君、強いな~」

「そりゃ結構やりこんでるからね。そういう君こそ、思ったよりも上手かったじゃないか」

「これでも苦労してプレイ時間を捻出してるんだよ。私の一日の予定は分単位で刻まれてるからね」


 それは何とも大層な身分じゃないか。もしかして、俺はとんでもない人を家に連れ込んでしまったのかも知れない。


「そろそろいい時間だし、今日はもう寝ようか」


 彼女が言う。


 時計を見ると二三時を回ったところだった。明日も朝からバイトであることを考えれば、そろそろベッドに入った方がいい時間だ。


「それじゃあ君がベッド使いなよ。俺は床でいいから」

「え? でもそれは――」

「いいのいいの。今は夏だし、風邪引く心配もない」

「……それじゃあ、お言葉に甘えようかな」


 ベッドに横になった少女が俺に問う。


「ねぇ、君の名前は?」

「亮輔。朝霧亮輔だ」

「ふ~ん。亮輔君か~。いい名前だね?」

「普通だろ? そういうそっちは?」

「う~ん。秘密」

「はぁ? 何だよそれ」

「女の子には秘密の一つや千個くらいあるものだよ?」

「いや、千個は多過ぎだろ」


 女の子と一つ屋根の下。何か起こるんじゃないかと期待したが、もちろんそんなことは一切なく。ドキドキして眠れなかった俺は、明け方になってようやく眠りに落ちる。


 目覚ましのアラームが鳴って音を覚ますと、ベッドはもぬけの殻だった。一瞬夢だったのかと疑ってみたが、テーブルの上に残された俺の部屋着と、一枚のメモが昨夜の出来事が夢ではないことを物語っている。


 メモにはこう書かれていた。


「ありがとう」


 ただ一言。それでも感謝してもらえたのなら、嬉しい限りだ。名前も知らない少女との逃避行は、たった一晩であえなく終了したが、それでも、俺に新しい何かを期待させるには充分なものだった。

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