バルトロ・ウィザース

 魔女ヘスティーヌを封印し、ユウマたちは腐海の森を目指している。腐海の森は遠いし、そのどこを目指しているのかもわからない。リサは何か、覚悟を決めた顔をしているし、クリスはクリスでリサが怖いのかなにやらそわそわしている。ノーマン・ナディア・デルテも魔法の威力が上がっているせいか、意気揚々と進んでいる。何か取り残されているような気がして、ユウマは早足で急いだ。身体強化魔法を連発することで、皆の進行速度は驚くほど速い。だから案外森へ到達するのに時間はかからなかった。ユウマは一番後ろにいたので、前を進む仲間が止まっていると分かり、ゆっくりと皆と肩を並べた。するとそこには不思議な光景が広がっていた。


まるで世界の時が止まっているかのような感覚。だが空気の流れ、鳥の声、土の擦れる音、木々の歯の擦れる音は聞こえている。だから時が止まっているわけではない。


どうして時が止まったと思ったのか、それは仲間全員がその場で立ち尽くし、さらには微動だにしなくなってしまったからだ。皆恐怖しているのでも、ふざけているわけでもなく、ただただ立ち止まっている。だから、そう錯覚したのだ。怪訝に思ったユウマは森を一瞥した瞬間に理由を悟った。


 そこには漆黒のキャソックの男が立っている。その事実は戦慄に値する。ルーネリアが立ち止まっている以上、ヴェルドーの魔法は神にすら影響しうるのだから。そして隣にいる男がカーズなのだろう。太陽の神と言われた最強の神の一人。外見はニコル・スタンフォードのままだとばかり思っていたが、明らかに別人だと瞬間的に感じた。だが髪色や一部の紋章はニコルそのものであり、今までの事実を振り返えるまでもなく、きっとニコル本人なのだろう。ニールの時は、ニールの体のままだった。そして感情の一部でさえニールのままだった。メグの時は感情はすでにヘスティーヌに奪われていたが、体液を除いてはまだメグのままだった。ならば順当に考えればあそこにいる金髪で瞳に黄金を宿す青年は、体と心全てを吸収し終わり、神へと変貌したニコルと呼べないモノである。まさに太陽神カーズそのものなのだ。


ただそのこと自体は別に想像できなかったわけではない。段階が進んでいくと神に近づくということは既に分かっている。だから、こういう事態も予測できた。勿論カーズを見るだけでも戦慄する。だが本当に驚愕してしまうのは、そのカーズでさえも動きを止めていることであった。ルーネリアが動きを止めている時点で神にも影響するのだとは分かってはいたが、何故か味方であるはずのカーズにまで同様の魔法をかけている。


そしてゆっくりとバルトロは口を開いた。


「少年・・・。いやユウマと言ったかな。ではユウマくん。」


ユウマは周囲を見回した。だがリサの演説が心に響いたのか人っこ一人いない。それに微動だにしない仲間たちはこの話を聞いているのかさえ分からない。バルトロからしてみれば、ユウマにその魔法が効かないことはすでに想定済みだろう。だからバルトロは間違いなくユウマと話すためにこの異様な空間を用意したことになる。


「君の考えている通りだよ、ユウマくん。君はどうも私のことを勘違いしているような気がしてね。これで最期になるかと思うと、少し話をしてみたかったのだよ。どう計算しても、どんなに作戦を練ろうとも、君たちではカーズには勝てないからね。一応言っておくが、妙な真似をしたら即刻カーズの拘束を解くからね。動かない方がいい。それに別に私はこの瞬間を使って君の仲間を傷つけるつもりもない。純粋に君と話がしたいだけなんだよ。」


やはり、完全にご指名らしい。バルトロはユウマと何か話がしたかったようだ。ユウマとしては身に覚えがないのだが、強制的であれば聞くしかない。それにしても何の勘違いを指しているのだろう。ユウマなどそもそも勘違いしまくりの人生を送っている。この世界に来てからも、来る前からも。


「まず、君はルーネリアの言葉を鵜呑みにしているだけ、そう思うのだが違うかな? 彼女の言ったことが真実かどうか、一度でも疑ってみたことはあるかい? もしかしたら君は騙されている、そう考えてみたことはないか?」


「そんなこと考えたこともないな。第一、ルーネリアが今回一番の被害者みたいなものじゃないか。」


被害者という表現は違ったかもしれない。本当の被害者は人間? 世界?誰だ?


「知っての通り、ルーネリアは冥府の門の門番の神。だから冥府の門の先、地獄の底に何があるのか、そしてそこで何が起きているのかは知らない。彼女の言う言葉は、常に誰かから聞いた言葉だ。既に知っている通り、ヴェルドーとダマスケスの入れ替わりにさえ気が付かなかった。それにそもそも門の奥に閉じ込められた三体の神、今ここに立っているカーズでさえも地獄の底にいたわけではない。君たちが魔神と呼ぶものは誰一人見ていないということになる。ちなみにこのヴェルドーでさえ、地獄の底がどうなっているのか、結局たどり着くことが出来なかったらしい。つまり君たちが悪魔と呼ぶ三体も何も知らないし。地獄の底に叩き落とされたという、二人の神については誰も見ていないということになる。真実を知っているとすればアルテナスだが、結局出てこないので参考にはならないな。」


「それって結局誰も何も知らないってことだろ?」


バルトロはパチンと指を鳴らした。その瞬間ルーネリアの咳き込む声が聞こえてきた。こんな器用なこともできるのか。謀略の神ヴェルドー。


「ルーネリアの拘束を音声に限り解除した。さてルーネリア、君は門から動けない。そして他の悪魔から夫婦神が大変なことに、地獄が大変なことになっていると聞かされただけの筈だが、違うかね?」


「・・・・・・ええ。でもヴェルドー、あなたは門の中にさえいない。ならば門の中の悪魔の方が信用できる。」


ルーネリアは少しだけ沈黙してから、自らの言葉の正当性を訴えた。


「もっともだ。私も知らない。私も最初、ヴェルドーが言っていることを疑ったものだよ。何故見ていないのにそう思うのか。だから私は唯一神と呼ばれるアルテナス神が顕現するのを一応待っていたはいたのだが・・・。。結局あれだけのパニックを起こしても顕現しなかった。全くもって期待外れだよ。勿論、唯一神アルテナスがどのような存在なのか、ヴェルドーにネタバレされてしまったからね。そもそも興味はなかったのだが、顕現していたのなら、ついでに1600年前の話を聞いてみたかったものだよ。」


「アルテナス・・・。本当に消えてしまったのか。」


今や大惨事だ。これでアルテナスが出てこずに、何が唯一神だと言ってやりたい。


「勿論私からは何も言えない。プライバシーの問題もあるからね。ルーネリアも口外せぬようにな。」


神ならば知ってて当然か。でも少しくらいは知りたい。秘密にされるとすーごく気になる。


「ええ。元から言うつもりもないし。出てこないならそれでいい。私はユウマがいればそれだけでいいもの。」


ルーネリアのこのスタンスはクリスとして会ったその頃から変わっていない。そして不自然なほど落ち着いている。


「なるほどな。やはりこれを神と呼ぶべきか迷ってしまうな。あぁ、少し話が逸れてしまったようだが、ユウマ君にもわかるだろう? この世界において本当に唯一神と呼ばれる存在は一人だけだということが。勿論、おまけに二人加えてもよいが。」


それにしてもバルトロは何がしたいのだろうか。ユウマが今までこの世界で聞いた神の名前、逸話、それらを合わせて考える。


「バルトロ、それは宗教観の違いじゃね? 俺の国は多神教だぞ。八百万の神っていうくらいだからな。だから俺から言わせたら、どれも『神』で間違いないんだよ。でも言いたいことはわかる。日本なんて無神論者だらけだから、逆に他の国の宗教観を外から見れるからな。お前が言いたいのは『デボネア』のことだろ? んでもっておまけの二人はこの世界を作ったとされる『アレクス』と『エストレア』のことで間違い無いよな? そうなると・・・あとは皆、精霊や化け物の類、さらには悪魔とも受け取れるな。」


ユウマの言葉にバルトロは嬉しそうに頷いた。


「そうか、あの文字は日本語か。ふふ、まぁ君は私にとってジョーカーのような存在だった。いつも楽しく報告を聞かせてもらっていたよ。あぁ、また脱線してしまった。同郷の者だと思うとつい嬉しくてね。デボネアはアレクスとエストレアを重ね合わせた。そしてその二つが合わさった瞬間に、この世界は生まれた。陰と陽が合わさるように世界が生まれたのだよ。興味深いとは思わないかい?」


「性行為の話なのか、科学の話なのか。言ってるのは後者の方だろうけれど。 物質と反物質。二つが合わさる時にエネルギーが大量に放出されるとかいう理屈か?無の状態から何かのきっかけでビッグバンが起きたとかそういうやつか?でも、反物質の場合は、そのまま消えちまうってことも確か・・・そう言われてるだろ?」


別に詳しいわけではないが、漫画や映画の題材としてよく登場するものだ。彼も地球にいたのならば、ほとんど同じ発想をしていても良さそうだ。


「さすが話が通じやすくて助かるよ。だがその発想に至れるのは異世界人である我々だけではない。ヴェルドー、彼もまた同じ疑問を抱いていた。勿論君と私のように共通した概念を持っていないから、対話するのに苦労はしたがね。でも私がしたのは彼の発想に一つのエッセンスを加えるというものだけだよ。」


聞いている全てが違和感だらけの会話だ。ユウマの困惑をよそにバルトロは語り続けた。


「それに一応彼の名誉のために言っておくが、世間では『謀略の神』、『戦争の神』と誤解されているが、彼は本来『知恵の神』と呼ばれていたのだ。それが転じて戦略、軍略と変わっていったのだよ。ありがちだとは思わないか?それに考えてもみたまえ。ヴェルドーが悪虐で卑劣だとして。この1600年間ずっと手をこまねいていたと思うかい? この厄災当日まで待っていたとでも?」


いきなり理解しろと言われても無理な話だ。それでも神や悪魔は器がなければ、この世界に顕現できない筈。そのために用意されるのが器という存在だ。そこまで思い至ってユウマは例外に気がついた。


・・・いやそうじゃない。術者と神は魔法陣で繋がることができる。器はあくまで自分たちが動く為のもの。冥府の門の中からでは不可能だが、実際ヴェルドーは1600年ずっと地上にいた。


実際にルーネリアとユウマは器や門に関係なく繋がっていた。そしてそれを通してユウマは加護を受けていた。ならばヴェルドーもそれが可能なわけだし、彼の場合はもっとダイナミックな動きをすることが出来た筈だ。人の意思を操ることができたのだから。


「そうだな。体がなくとも人間を操れるんだ。アルテナスが何時からいないのかは知らないが、見張り役がいないなら可能だな。それでも人間をあれだけ殺してるんだぞ。お前らを悪者と呼ばずになんて呼ぶんだよ。」


『アルテナスがいてもいなくても同じだと思うがね。彼女は人間そのものにそこまで寄り添っていたかといえばそうでもない。それに悪か善か・・・さすがにそこは見解の相違だね。君の宗教観と同じだ。神は人間と動物を区別したりなどしない。当然モンスターもね。使えるものを使ったまでだ。それとも君はモンスターは死んで当たり前だと思っていたりはしていないかい? まぁいい。この話はおそらく平行線だろうからね。」


ほんとそこは平行線だろう。命の重さを測れるのは、人間が勝手に作って勝手に決めた法律くらいだ。全部各々の事情というしがらみでできた完全とは程遠い法律だが。本当に絶対の神がいるとすれば、その神に委ねるべきだが、残念ながらこの世界でもそれは無理らしい。


「ちなみに彼がこのタイミングで事を起こしたのは兄弟を助ける為、そして冥府の門に入るためだよ。我々は冥府の先で大いなる実験をするつもりなのだからね。ヴェルドーからすれば、下手をすれば家族が死んでしまう大問題なのだし、肝心の実験の結果も分からない。だから待つほかなかった。門を破壊するというのであれば、いくらでもタイミングはあったということだよ。ここまでは分かるね。」


分からないことだらけだ。それでも何故か分かる。分かってしまう。最初の言葉がここに来て、ユウマに突き刺さる。ユウマの知っているこの世界の知識は聞いただけで構成された他力本願の知識だ。実際に門は見たけれど、だからと言って、本当に門が壊れるのかは分からない。ルーネリアにそう聞いただけだ。


「ユウマ少年、人間は完全たり得ない。その理由は進化する必要があるからだ。だが人間というものは完全というものを求めてしまう。病を患い、それを治したとて必ず死は訪れる。不老不死などそもそも人間の設計上不可能なのだ。肉体的にも精神的んもね。それにいくら努力しても結局残るのは屍だけだ。ちなみに私も完全を求めていた愚かな人間の一人だよ。最初は新たな世界に酔いしれた。神になった時にも酔いしれた。だが結局この世界でも、この世界の神になったとしても、何も変わらなかった。だからヴェルドーの案に乗ってみるのも良いと思っただけだよ。」


それにしてもさっきからバルトロの話し方がやけに気になる。ずっと違和感を感じる。


「ちょっと待て、お前はヴェルドーと一体化していないのか?」


同一人物だった筈のユウマは比較的スムーズな方だろう。本来ならばニールやメグのようになってしまうのではないだろうか。


「彼とは友人のようなものかな。君たちの言葉で言うと、拗らせたおじさん、似たもの同士なのさ。それに彼は記憶の管理とやらが得意なようでね。おかげで良い友人関係を築けている。・・・さて、そろそろ君たちはこの世界の神のお祭りの最終幕に参加しなければならないらしいね。いやはやヴェルドーの力はとても優秀だね。全ての神がそう信じ込んでいるのだから。せいぜい楽しむことだ。上手く生き残れば、この続きを聞かせよう。門で待っているよ。」


「門だと? 何の話をしているんだ、待てよ。」


バルトロは踵を返し、指をパチンと鳴らした。その瞬間止まっていた時が動き出したように、皆が身構えた。


「ヴェルドーの兄貴、もう戦っていいんだよなぁ。」


「あぁ。神らしく、激しく戦ってくれ給え。」


その瞬間、ユウマは全員をできるだけ突き飛ばした。ノーマン、ナディア、デルテを後方に放り投げ、クリスが神のオーラを張っているのを確認し、リサを抱えて背を向けて蹲った。


その後、視界が全て真っ白になり、強烈な光と爆風が周りの木々を全て薙ぎ払った。


「おいおい。まだ挨拶程度だぞ。祭りは始まったばかりだっつうのに、もろすぎねぇか、人間!」


余裕綽々というカーズの言葉もユウマの耳にはかすかに届く程度だ。とにかく周りの状況を確かめたいが、背中が猛烈に痛い。激しい痛みを感じながら、ユウマはリサを見下ろした。リサはしっかりと目を開けていた。そして臆した様子もなくユウマにこう言った。


「もう、私を庇わなくていい。私にはもう何もないの。でもユウマには仲間がいる。そしてユウマの方が私よりずっと強い。ユウマはルーネリアの眷属なんでしょ? 私のことは放っておいて・・・」


リサはあの時とは違う瞳でユウマを見つめている。ユウマを守るためではない。いじけているわけでもない。自らの死を受け入れた目をしていた。

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