マーガレット・ウォルフォート(上)

 ユウマ達からメグを引き剥がすために、リサが向かった先は王族が持つ国有林のある民家のない広い公園だった。腐海の森までは遠いし、それに町を壊すわけにもいかない。幸い人は教会に集まっている筈だ。ここならば思いっきり戦える。そう思ってリサは、メグの怪し気な魔法をギリギリで躱しながら、ここまでたどり着いていた。それにメグ自身も本気で戦っているようには見えなかった。


 それにしてもメグはわざとなのか、ほとんど下着が見えそうなほどメイド服のスカート丈を短くしており、ノースリーブのブラウスは胸元まで開けている。そしてリサに向かって、挑発のつもりなのか、嗜虐的なポーズをとっている。


「リサ様ー。お逃げにならずとも、私はリサ様の味方ですぅぅ。傷つけたりなんかぜーーーったいしませんーー。」


「そう、ならメグ。大人しくするから、逃がしてくれないかしら。それかヴェルドーのやつを一緒にぶっ殺さない?」


「ふむふむ、・・・うーん。」


その言葉にメグは本気で悩んでいるようだった。やりにくい。ユウマもこんな気持ちで戦っていたのだろうか。ユウマにとってニールは戦友だし、自分にとってメグは幼馴染だ。そこには大きな差はないだろう。けれど肝心のメグに入った悪魔の正体がまだ分からない。ユウマとクリスはニールのことをダマスケスと断定していた。それに、枢機卿はヴェルドーで決まりだという。ならばヘスティーヌあたりが一番怪しいが、カーズも未だ姿を見せていない。神の器がどのような形なんて分からないし、今のところ特別な魔法は撃っていない。


「うーん。すごく魅力的な話でございますが、人という存在がいる限り危険は存在しますよ。またリサ様を横取りしようとするでしょう? あの薄汚い犬のように! それに・・・なんて言ったかしら。北の辺境伯の甥、あの変態猿も枢機卿にお願いして、最前線で討ち死にさせておきましたよ。ほら、私はずーーっとリサ様をお守りしているのですよ?私だけいればリサ様は安心できるのです。」


いくらリサと言えども常軌を逸したメグの発言に言葉を詰まらせる。


「勿論ー、ヴェルドーに借りなんかないし、貸しだって作りたくもないんですがー、この世界を破滅させるという思想自体は私としても嬉しい限りなんです! だって困るでしょう? リサ様を連れて散歩に行く時、他の人間がいたら、リサ様のその魅力的な体に発情してしまいますし・・・。あ、でも勿論、首輪はかわいいのを用意しますね!それでもやっぱりたまーにノーリードで公園の野原を駆け回っている姿も見たいですね。それだと人間が邪魔なんですぅ。あ、私言ってませんでしたっけ。前からずっとリサ様に首輪を付けたかったんです。それで生まれたままの姿のリサ様と一緒に公園をお散歩するんです。それがずーっと夢だったって・・・」


リサはユウマたちのケースを想像していたが、全く違うケースだった。おそらくメグの裏側の部分と『この悪魔』の性格がマッチしすぎている。


「聞いてないに決まってるじゃん。気色の悪い趣味してんじゃないわよ!」


「あら、リサ様はあの犬にそんなことやあんなことまでさせていなかったのですか?毎日血だらけでしたが、あれは痛めつけるのがご趣味ということでしたの? もしかして、私の夢もそれだと勘違いされてません? それを想像して怖がらせてしまったのかしら・・・。でも安心してください。エリザベスのその美しさを傷つけたりは絶対にしません。大切に大切に面倒みますから・・・ね!」


どうしようもなく狂っている。しかもニールのような葛藤もない。それはそれで戦いやすいかもしれないけれど、鳥肌が立って仕方がない。


「ねえ、覚えていらっしゃいますか? 昔リサ様と遊んでいた時、私の膝を舐めてくれたことを。覚えていらっしゃいますか? 貴族令嬢の嗜みとして、一緒にお料理教室でのひと時を。あの時もリサ様は私の指を咥えて、微笑んでいらしたでしょう?他にも、他にも色々ありましたけど・・・。本当に私、興奮してたんですよ?」


全部あっているが、全てズレている。傷を舐めてあげた行為は子供だったらよくする行為だし、料理教室だってそうだ。「こんなん唾つけとけば治る」という子供ながらの理屈で行動しただけだ。勿論、その行為が淑女としてどうかと言われれば、はしたないとは思う。けれどメグのあれらの行為がわざとだったとするならば、とんでもない人物に目をつけられたことになる。もっともメグの表の顔はただのリサが大好きな少女だった筈だ。それなのに悪魔によって裏の側面が増幅してしまったのだろう。


リサの衣装は人目に付く。ウェディングドレスなので当然だがリサを探している人間がすぐに駆けつける。だからといって今ユウマの所に戻っても混乱を招くだけだ。なるべく一眼につかないように戦わなければならない。それでもリサのカリスマはそう簡単には収まらない。今ばかりはもう少し地味なら良かったのにと思う。


     □


「エリザベス!! 大丈夫ですか!?」


正義感の塊、そして常識知らず、超絶美男子、金髪色白、そしてなによりも第一王子。そんな高嶺の花であるアルフレド自らが花嫁を探しに来たらしい。確かに、素性の分からない冒険者風の男にエリザベスは攫われてしまった、というふうに映っても仕方がないとリサも思う。


しかもエリザベスを探し出した瞬間が最悪だった。どこまで間の悪い男なのだろうか。彼の目から見れば、エリザベスが林の中で乱暴された後、マーガレットがなんとか救出して暴漢を追い払った、もしくはリサ自らがドレスをボロボロにしながら暴漢から見事に脱出した所をマーガレットに発見された。このどちらかだと思っているだろう。


白馬に跨りやってきたのは良いが、あれはまさにユウマが乗っていた馬だ。よほど急いでいたのか、自分の馬も用意せずにそのままのタキシード姿で登場とは、なんと勇ましい王子様だろうか。周りを見ずに行動したのだろう、後ろから近衛兵がやっと追いついたと言わんばかりに、わらわらと到着し始めている。


「おい、マーガレットだったか。エリザベスは大丈夫なのか?」


まずリサではなくメグに聞くあたり、前者の想像をしているのかもしれない。リサが襲われたと本気で思っているのだろう。勿論今、絶賛メグに襲われ中なのだが。アルフレドはメグの右肩に手をかけようとしたが、それをメグが手でパチンと払い除けた。


「き、貴様!!王子に向かって不敬だぞ!!」


当然、近衛兵たちはそんな反応になるだろう。時代に乗り遅れてしまった可哀想な国民達。もうすでに王族は終わっているというのに。


「性病が伝染るので、触らないでもらっていいですか?」


「せ、性病だと!?貴様ぁぁぁ!!伯爵の娘如きがぁぁ!!」


メグは近衛兵の剣をさらりと躱して、勢い余ってよろけたところを背中でとんと押した。


「ご、誤解です。エリザベス。わ、私は、私の体は・・・」


知っている。クソ真面目な正確も十分すぎるほどに分かっている。それとも実はやましいことでもあるのだろうか。でもきっと彼はもうダメだろう。


「リサ様、近づいてはいけませんよ。あんな破廉恥な男はやましいことだらけですわ。ほら、見てくださいよ。」


アルベルトの様子がおかしい。腹痛でも起こしたように前屈みになっている。表情は青ざめ、ガタガタと震えている。白のタキシードにしたのが失敗だったのか、いや、そもそもここへ来たのが失敗だった。下腹部がみるみるどす黒い緑色に染まり、彼はまるで大切なものを失ったかのように両手で確認している。顔は青ざめ、体はガタガタ震えている。ひとしきり確認し終える前に、彼の顔がブヨブヨと深緑に染まり始めた。そして体の穴という穴から深緑の液体を吹き出した。


グチャ・・・


気持ちの悪い音を立てて、この世界でもっとも栄光のある男は地面に転がった。いや地面にどろっと広がったというべきか。


触られた他の衛兵も皆同じようにどろどろと溶けていく。


「ね、思いません? 男なんて皆下品で厭らしい存在なんです。」


紫に輝く瞳、メグの瞳の色は青色だった筈だ。でも今はアメジストのようだ。艶やかに紫色に輝き、リサを見ながら艶かしく微笑んでいる。


『闇と病の神ヘスティーヌだ』


リサはその瞬間、後方へ宙返りの如く跳躍してメグとの距離を稼いだ。


「メグ、やめなさい。関係ない人を巻き込まないでよ。全員聞いて、彼女は病の魔女、闇のヘスティーヌ。貴方たちじゃ、呪い殺されてしまうだけよ。皆、急いで逃げなさい!」




 リサのその言葉は真っ当で、通常ならばそれに従うべきだ。だが、ここに民衆が混じっていればどうだろう。人々は白馬の王子に魅せられ、憧れ、彼の後をついてきていた。白馬に乗った王子が攫われた花嫁を助けに行くなど、こんなドラマチックな展開など長く生きていても拝めるものではない。報道関係、野次馬、通りすがりの人までもが、リサの破れた花嫁姿、そして蠱惑的なメイドを見ようと集まっていた。


そんな時にリサの言葉を聞けばどうなるだろうか。目の前で幾人もの兵士だった何かを見てしまったらどうなろうだろうか。


『闇の魔女ヘスティーヌは光の神アルテナスの神々しい光によって消滅した』


この国の人ならば誰でも知っている御伽噺だ。暗闇を光が照らす。どこにでもある神話や寓話。


「厄災は払われたんじゃなかったのか!!」


「あの女、魔女だって!エリザベス様が戦っていらっしゃる! 王、王は!!王族は何をしているの!!」


「そうだよ!光の魔法が使えるんじゃないのか!? 王族を呼べ!!」


群衆は別に無責任というわけでも、ヤジを飛ばしているわけでもない。彼らはずっとそうやって教わってきたのだ。絵本にだって聖書にだってそう書かれている。彼らは緊急安全マニュアルに沿った行動をしたに過ぎない。強盗が現れたら警察を呼ぶ。それと同じ発想だ。彼らはそれほどまでに敬虔な信者にならないといけない国で育ったのだ。


「公爵は何をしてやっている。戦争ばっかしやがって。王族の親戚なんだろう? 今どこにいる!?」


「おい、お前貴族だろ、早く王を呼んでこい!」


高そうな服を見つけては声をかけていく。城へと向かう奇妙な伝言リレー。ある者は逃げ惑い、ある者は誰かに伝えようとする。火事なら消防署だ。モンスターなら兵舎に連絡だ。交通事故なら治癒魔法師のいる教会だ。情報が錯綜しているが、皆この国の国民として常識的な行動をしているだけだ。


それでも全てがズレている。リサもその違和感に気がついている。ただ、リサはメグに睨みを利かせないといけないため、違和感の正体にまでは気づけなかった。


ヴェルドーの強制力はいつのまにか解除されていることに


『大いなる風の神シルフィードよ。我が名はエリザベス。我が前に立ちはだかる悪魔に貴女の刃を大旋風鎌鼬エアカッタートルネード


『偉大なるほむら操りし勇敢なる神リブゴードよ、我エリザベスは請う。我が前に立ちはだかる悪魔に制裁を。今こそ神の鮮烈なる業火をここに示し給え。極大業火グレーターヘルファイア


リサが詠唱して連続して魔法を唱える。そしてその魔法がメグを風の刃と地獄の炎で包み込む。リサは上級魔法を容赦無く使っていく。なるべく周りに被害を出さないように、限られた範囲だけに的を絞る。リサの視界では、炎の向こうでメグの影がゆらゆらと揺れている。


「あら、お優しい。もっと広範囲であれば、私も巻き添えになったのですが・・・。さすがリ・サ・さ・ま!」


リサの背後からメグの声が聞こえる。メグはリサの耳元でそれを言った後、そのままリサの顔を舐めた。リサの全身に鳥肌が立つ。


「ふふふ。大丈夫ですよー。リサ様を傷つける訳ないじゃないですか。闇の女神ってことをリサ様もご存知なんでしょう?デコイくらい出せますよ。ほら!!」


その言葉とともにメグは消えた。そして、消えた先の視界の向こうにいるメグを見つけてしまった。人混みの中にいる。そしてクルクルとダンスを踊るように、野次馬その他もろもろの体に指先を当てている。ずっと恍惚な笑みを浮かべながら。


 その後に聞こえてくるのは阿鼻叫喚の嵐だ。リサの中で何かがキレる。そして絶対に殺すと誓いながら踏み込んだ時、またもやおかしな群衆が集まってきた。林はほとんど焼け落ちているので視界は広い。ただ、地面は深緑色の液体の水溜りだらけになっている。ここはもう地上と呼んではいけない場所だろう。


 そしてさらに兵隊が隊列を組みながらやってきた。地獄の風景の中、足を揃えて行進している。場違いで済む話ではない。だが隊列が進むにつれて、リサはこの異常さの意味を知った。これは兵隊の行進ではない。王族を連行しているのだ。正しくは、婚姻の儀の列席者を強制連行している。当然リサの両親もその中にいる筈だ。リサは強化視力で隊列の奥の方を見た。


おかしい。枢機卿がいない? どうして?もう儀式は済んだと言うの? それならばここに群衆が溢れている理由は分かる。


人心掌握魔法が解かれているのだ。そして枢機卿がいないという事実は、もう一つの事態を引き起こしていた。チューブ人間と化した王のチューブが全て抜かれている。あれは命を繋げるチューブだった筈だ。それがないということは、途中で死んでしまったのか。それとも必要がなくなったから?


「リサ様、これはお祭りです。今から余興が始まるみたいですよ。今は戦うのをやめて楽しみましょう!」


リサとメグの前に、土色の顔の死んだ王、そして第二王子、第三王子、そして対岸の国にいたという王の弟、その息子たちが整列させられた。オリエッタは王の血族ではないが、共に並ばされている。どうやら本当にクーデターが起きてしまったらしい。ユウマから聞いていたクリスの一件とはまた違う。これこそが本当の国民の声なのだろう。いざという時の貴族、ここぞという為の貴族。だった筈なのに、肝心な時に役に立たない。だから皆ずっと鬱憤を溜めていたのだ。


「ねぇ、リサ様、ちょっと側に行ってみましょうよ。」


メグはリサにそう言って、一人でとことこ前に出ていってしまった。ほとんど下着が見えそうなほどにたくし上げられたスカート、胸の下部分まで外されたボタン。メガネを外してボタンのところにひっかけ、髪を掻き上げながらショーガールの様に王族の前で艶かしく煽っている。光の魔法、出すなら出しなさいよ。態度だけでそう言っているようだ。


その魔女の態度に急かされたように、それとももしかしたら背中を押されたのかもしれないが、王の弟が代表して声を上げた。


『唯一最高にして、ただ一人の御方、女神アルテナスよ。貴女の作られし人間の系譜、デショーンボルグ一族の名に於いてお頼み申す。是非に、是非に、我らに光を。唯一神の栄光グローリーオブアルテナス


皆の期待が彼に注がれる。数秒待っては何度も繰り返す。だがアルテナスの光が彼に差す事はなかった。


「ふーん。だめね。次。」


メグがそう言って彼をビンタした。彼は数mほど横に吹き飛び、そこで深緑色の体液を吐きながらドロドロと溶けていった。


「次って言ってるでしょ。っていうか・・・・」


王族は皆顔を青くしてガクガク震えている。たとえ王族と言えどもこの場で失禁することは責められないだろう。メグはつかつかとヒールで歩いていき、王と呼ばれる死体が座っている車椅子の前で、彼を覗き込んだ。


「王様・・・死んでるんですけどぉぉぉぉ!! ねぇ、リサ様、王様、死んでますよ? これってリサ様が王で良いんじゃないですか?」


この場の群衆は足が地面に根を張ったように動けない。魔法にかかったというより空気に飲まれている。一部の貴族以外の国民はアルテナスが最初に作った人間の子孫が王であり、この世界で唯一、光の魔法が使えると信じていた。つまり今まで信じていたこと、いや信じさせられていたことが全て裏切られたような感覚に陥っていた。彼らは強いられてきた。聖書に書いていないことには対処できない。それこそが正義だとずっと思わされていたのだから。


群衆に囲まれた貴族は逃げ出そうにも逃げ出せない。自分たちは圧倒的多数の平民に囲まれているのだ。一部の平民は逃げ出しているが、皆今日世界が滅ぶのではないかと立ち尽くしている。子供をつれて逃げ出す母親も中にはいる。そして親とはぐれてしまった子供の泣き声が至る所で聞こえる。この騒然とした様子を俯瞰している者がいた。


「くだらない・・・もう飽きた」


漆黒のキャソックの男は逃げ惑う人間の間を透明人間のようにすり抜け、ある場所へと向かっていた。






「あー、違うか。違いましたね。リサ様。王位継承権がリサ様にくるように、ここにいる貴族は全員いない方がいいですよね。どいつもこいつも下劣で汚らわしい奴らです。きっとこいつらも感染してますよぉぉ!誰か、光の魔法唱えなさいよ。ほら、ほらほら。」


メグは若い男に声をかけている。第二王子ユーリ、病弱であまり表に出ることのなかった彼にとって、久しぶりの外の景色は地獄のような光景だった。なんでこんな日に限って外に出てしまったのだろう。どうしてこんな日に限って儀式があったのだろう。全部父上のせいだ。


心の中で文句を言ってもこれは夢ではない。でも夢かもしれないと思って、まだ実はベッドの中かもしれないと思って、彼はメグに言われるがまま一歩前に出そうになった。本人は出ようと思ったのだが、左腕を強く引っ張られた。母、オリエッタが左腕を掴んでいる。


「私がやります。私がやればこの子達は・・・」


オリエッタが奮い起こした勇気、尊敬に値するだろう。我が子を守る勇気だ。きっとユーリの手を引いた力は相当なものだった筈だ。オリエッタはメグを必死で睨みながら、前へと出ようとした。


「あらあら、母親の愛ってやつですか? 泣かせるじゃないですか。でも、お前は王の血を引いてねぇだろうがよぉ!!」


メグから突然とんだ罵声。そしてメグは悪魔の手、それでオリエッタの頬めがけて振り下ろした。オリエッタの中でどうしてこうなった、その思い。そして今まであったこと、過去、その全ての走馬灯が流れた。今から自分はあんな酷い死に方をするんだ。どうして、私が一体何をしたというのか、全て王と枢機卿のせいなのに・・・。それでも子供が先に死ぬのを見るのは嫌だ。そういえばアルベルトの姿はない。せめて彼を見つけてからの方が良かったのではないか。それより、この魔女はもっと酷いことをするかもしれない。残された子はどんな死に方をするのだろう。


走馬灯というものは、もっと短いものだと思っていた。そこでオリエッタはふと気づいた。自分はまだ生きていると。


目の前の誰・・・いや、知っている。庶民の英雄・・・いや、彼はすでにナイトの称号を得て死んだ筈・・・そうか、自分はもう死んだのか。思ったよりも苦しくなかった。本当に良かった。だが不敬なことにそのナイトはあろうことか、自分を蹴り飛ばした。いや、不敬ではない。彼に死ねと命じたのは王族なのだ。それは甘んじて受けるべきだ。どうか神よ・・・


「早く逃げろっつってんだろ! どけ!」


吹き飛ばされて尻餅をついた。そして自分は我が子に囲まれている。一体何が起きたのかしばらくオリエッタは気づかなかった。


「メグ、いやヘスティーヌだな。お前もいい加減にしろー!!」


黒髪の少年が魔女を盛大に奥の方まで突き飛ばした。そしてリサに向かっても少年は何かを叫んでいるようだ。地獄から舞い戻った英雄。彼こそが真の勇者なのだと、オリエッタは思った。



「リサ、お前もそろそろしっかりしろ!! メグは完全にヘスティーヌに乗っ取られている。お前はお前のやれることをしろ。しばらく俺が時間を稼ぐ!」


突然現れたユウマにリサは感動を超えて、動揺している。


「ユウマ、大丈夫なの?」


「あぁ。とにかく群衆をなんとかしろ! お前にしかできないだろ!!」


一応ユウマもそれなりには有名人だが、ちゃんと顔は知られていない。それにそもそも死んだことにされている。しかも皮が被った・・・いやそこはいい。とにかく死んだ人間がでしゃばる方が混乱する。そしてリサは超有名人だ。そして今日この日この国での主役だったのだ。だったらリサしかいない。


「うん、わかった・・・。」


リサは先ほどまでヘスティーヌが蠱惑的なダンスを披露していた場所まで、努めて堂々と歩いていった。そして王族、そして貴族、平民を見渡して通る声で言った。



「魔女ヘスティーヌは聖女である私エリザベス・ローランドと、腐海より戻りし勇者ユウマが倒すと誓うわ。それに厄災も含めてぜーんぶ。私たちに任せなさい!!だから、家で大人しく待つこと、いいわね!!」


よく通りるだけではなく、声量もすごい。ほぼ無詠唱で風魔法まで使って後ろの方まで響かせてある。聖女エリザベスの名前は勿論有名だし、強いのは皆知っている。そしてその聖女から語られた言葉、あの腐海から生きて帰ってきたという真実は、彼らにとってアルテナスの光よりも眩しいものだった。王族の権威は失墜したかもしれない。それでも縋るものが出来たことが彼らの心を希望の光となった。


わらわらと逃げ帰っていく庶民と残された王族。


「オリエッタ様。貴女方もお逃げなさい。貴女たちの出番はもうないわ。」


オリエッタも心はもはや平民と何ら変わるものではなかった。生き残った子供たちを連れて帰路に着く。そして振り返ってリサに聞いた。


「アルベルトは・・・」


その言葉にリサは静かに頭を横に振った。それを見てオリエッタは肩を落とし、城へと向かった。リサに最後に言われた「王の寝室と図書館の秘密の部屋を調べなさい」という言葉を胸に。

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