ニール(上)
生まれた時から商人の息子だった。豪商の息子、御曹司、何もかも持っている。幸せな日常、両親には二人の良いところだけを受け継いだ美少年だと言われていた。そばかすだけは両親に似ていたと言えばそうかもしれない。他は全然似ていないけれど、整っているのであればそれはそれで良いことだ。とにかく何でも持っている。持っていないのは貴族の称号だけ。
勿論子供の頃はそんなこと気にしない。自分とは似ていないが、それはそれで可愛い妹と一緒にどこへでも遊びに行った。子供は探検が大好きだ。下水道探検に裏山探検。今日の目的は行ってはいけないと大人達から言われている禁止された場所への冒険だ。妹と一緒にはしゃぎまくったのはとても楽しかった。ちょっと怪我はしたけれど、あれはまさに大冒険だった。また妹と一緒に遊びに行きたい。
数日後、妹は原因不明の病になった。傷口自体はヒールで治したはずなのに、体が動きにくいらしい。味もしないし、口も開きにくいという。両親がこの国で有名な治癒魔法師を何人も呼んでいるが、全然治らないらしい。魔法師が言うには、病の魔女ヘスティーヌの呪いだということだ。病の魔女ヘスティーヌは絵本に出てくる魔女で、いたずらをした子供を叱るときによく脅されるセリフにも登場する。『親の言うことを聞かないとヘスティーヌに呪い殺されるよ』、その言葉を思い出して、鳥肌がたった。妹は悪くない。自分が親の言うことを聞かなかったのだ。だから両親に正直に話した。こっぴどくしかられた。そしてそれ以来、妹は家の小さな部屋に隔離された。
ヘスティーヌの呪いが伝染らないようにということだった。昔、妹と決めた壁をノックする暗号。一回で『うん』。二回で『いいえ』。それ以外にも複雑なものも決めていた。そして聞こえてきたノックのリズムは『助けて』だった。
いてもたってもいられなくなった。どこをどう走ったのかは分からない。とにかく大きな教会を目指して、精一杯走った。お小遣いも全部持ってきたからきっと大丈夫だ。お金なら持っている。だからきっと大丈夫。お金を見せて一番偉そうな人を探してもらった。そしてそこで罪の告白をした。親の言いつけを無視して、山に入ってしまったことを、そしてそれでヘスティーヌの呪いを受けたことを。全て洗いざらい話した。
「器はやはり惹かれ合うものなのだな。」
聞き間違えでなければあの人はそう言った。そしてにっこり笑って「安心しなさい」とも言ってくれた。そして馬車に乗って、その人は家まで来てくれた。そしてその日から何日も通ってくれた。部屋の中には入れてくれなかったけれど。そしてある日、言ってくれた。
「もう大丈夫だよ。ニール君。君にはこれから色々教えてあげるから、休みの日には必ず来なさい。」
そう言い残してその人は帰っていった。そして数日後には妹の呪いは解けていた。
その日から自分にとっての神はバルトロ・ウィザース教皇となった。休みの度に教皇の元へと通った。そこで世の中のことを色々教えてくれた。不思議な話もときにはあったけれど、その全てが楽しかった。ある時、うちの店の従業員が貴族相手にヘマをやらかして、死刑になったことがあった。
「うちで雇ってる平民がヘマをして死刑になっちゃったんですけど。貴族と平民ってそんなに違うものなんですか?神様にそんな風に作られたんですか?」
何気なく聞いただけだった。貴族が偉いのは当たり前だし、こんな話はどこにでもある。自分にとっては些細な日常会話のような感覚で言った言葉だ。
「人間は皆、不完全な状態で作られているんだよ。だから神様はときどき人間に罰を与えるんだ。」
教皇は真面目な顔でそう言った。以前から聞かされた1600年周期説、あと数年でこの世界は終わる。そしてまた生まれ変わる。
「今度は完全な状態の人間になれると良いですね。」
その言葉を言った後の教皇の悲しそうな顔を今でも覚えている。その後、当時の枢機卿が病に倒れた。そして新たな枢機卿を選出する議会が始まった。勿論、うちの店は全領土に呼びかけてバルトロ・ウィザース教皇を推した。おそらく自分の店が推さなくても、彼は選出されただろう。彼はヘスティーヌの呪いを解く天才だった。でも彼は枢機卿になっても自分にとっては何も変わらない。優しい人だった。
ある時妹が死んだ。母も死んだ。ただの事故、そう片付けられたが明らかに貴族がらみの一件だった。それも枢機卿に相談した。生き返らせたいとも願った。
「不完全だから死んでしまう。それに世の中が不完全だから罪にも問えない。この世界も別の世界だって全てが不完全なまま。完全な世界を作りたいとは思いませんか?完全な世界を作れば、世界は全員救われるのに・・・。」
その言葉には大賛成だった。だから・・・
完全な世界を作るために、俺は枢機卿の部下になった。
それから枢機卿に言われたこと。それは明確な『器』が存在するメリル家の監視。そしてなるべく広い交友関係を築くこと。それは悪魔付き探しの為に必要らしい。悪魔付きは突然性格が変わり、非常識な発言をし始める人間の事を言うらしい。
ただ、自分もそうだが、人間誰にだって表と裏がある。クリスティーナ・メリルもそうだ。そのお付きのマルコっていうやつもそうだ。マルコは貴族なのに平民のふりをしている。表裏がなさそうな人間なんてエリザベス・ローランドくらいなものだ。勿論、貴族側の監視はマーガレット・ウォルフォート担当だ。だが彼女はそこまで枢機卿に心酔しているとは思えない。分かっていないのだ。枢機卿の素晴らしさを。マーガレットだって十分に壊れている。表と裏が別人だ。完全とは程遠い。だったら自分は、どうだと聞かれたらやはり壊れている。
ある日マーガレットから悪魔付きが現れたという報告を受けた。しかも今までで一番完璧に近いと思っていたエリザベスの付き人の冴えない男だった。交友関係が自分しかいないという本当に何の意味もない人間。エリザベスが飼っているということ、それだけしか取り柄のない人間。それを取り柄というのか分からないが、なぜかエリザベスは彼がお気に入りらしい。勿論ペットとしてなのだが。
テスト期間が終わり、彼に近づいてみた。そうすると悪魔がついた彼は、本当に人が変わったようだった。エリザベスのペットには違いないが、急に反抗的になったり、タメ口になったり、訳がわからない事を言ったりする。それも禁忌に当たる発言までしている。明確な悪魔付き、悪魔崇拝者だ。この場合の対処は決まっている。枢機卿に報告をする。彼の発言、一言一句を報告する。ただの悪魔付きであれば魔女裁判送りで決まり。通常業務ではその予定だった。ただ彼の行動は貴族も平民も関係ない違った価値観で見ていて面白かった。だから暫く観察していた。
枢機卿と話をする時とは違った楽しさだった。悪魔付きである以上、あまり感情移入するべきではないが、彼が活躍して、貴族に泡を吹かせる姿は見ていて痛快だった。ひとしきり観察した後、枢機卿に報告にいった。すると枢機卿は彼を泳がせるようにと言われた。悪魔がついているのに泳がせる必要があるのかは知らないが、自分にとってもそれは都合が良かった。
それに彼は明確に強かった。一緒にいて安心できるほどに強い。その強さは世界を作り替える為に枢機卿は有効利用するという。相変わらず見事な手際の良さだ。皆が枢機卿の描いたままに動いていく。まるで世界が枢機卿の掌にあるようだった。あの完璧に近いと思っていたエリザベスさえもその手を血に汚したのだ。結局聖女でさえ表裏があった。やはり人間は作り変えられるべきなのだ。
次の任務が最後になるらしい。学校の運営自体はニコルがやってくれる。マルコが変な動きを見せてももう関係ない。ユウマも関係ない。クリスも関係ない。マイクも関係ない。もう全て関係ない。どうせ壊れてしまうのだ。だったら全部壊れてしまえ。友情も何も関係ない。壊れたもの同士が友情を築いたところでそれは壊れた友情だ。
神の加護?なんだそれ気持ちが悪い。早く任務を達成しろよ。
そうすれば俺は神になれる・・・
「って感じねぇ。うーん。ヴェルドーの教育なのか、私の器の性質なのか、どうなんでしょうねー。相変わらず狂ってるねぇ。あたしはぁ・・・。」
ニールの外見の何かは奇妙に笑いながらぶつぶつと何かを呟いていた。
「ニール、いい加減にしろ。お前も枢機卿に操られているだけなんだろ?」
ユウマにはどうしてもニールが本気で裏切っていたということが信じられなかった。リサだって操られていたんだ。ニールだってそうに決まっている。悪魔がついたって記憶は残っているのだ。クリスだってルーネリアだってそうだったじゃないか。
「さぁ、操られていたのかなんて、分からないよー。だって、枢機卿は神なんだからさぁー。ユウマも思うだろ? エリザベスっていう完璧な人間に心酔してたじゃんー。あたしにとっても同じようなもんよぉー。それよりも早くエリザベスを返しなさいよ。って言っても無理よねー!!」
ユウマは空間魔法という言葉である程度の目星はつけていた。そして最初に感じた空気の渇いた音を聞いて、空間を少しだけズラすことで体を切断する魔法ということに気が付いていた。だいたいそんなもんだろうとは思っていたが、予想よりも全然威力が低かった。おそらくニールは本気ではない。もしくはダマスケスが本気を出せていないだけだろう。
「空間を切ったよな、お前。ダマスケスだったよなー。バレバレなんだよ。それにその魔法、俺とは相性が悪いみたいだなぁ!」
嘘だ。頭か心臓を狙われれば、一発で終わる。実際今も危なかった。体をズラしていなければ、持って行かれていただろう。なんとか右腕一本だけで済んでいる。やはりルーネリアから話を聞いていて良かった。当然、神なのだから『詠唱をしない』。突然魔法がやってくる。当たり前だろう、誰に頼むでもなく自分の力でそれをやってくるのだ。
だから今は少しでも相手を混乱させることが大事だ。とにかく情報収集をする。一応今ので二回目だ。自分が囮になることでリサにできる限りの相手の情報を伝える。そしてあわよくばユウマ自身でダマスケスを刈り取る。とにかくがむしゃらに行くしかない。そしてなるべく話しかけることが重要だ。自分がそうだった時のことを思い出せ。記憶が混じる感覚、あの頭が溶けるような、弾けるような感覚が今、確実に起きている筈だ。
「あたしは別に隠してないんだけどねぇー。」
『崇高なる強き光、轟く音の美しき神レイザームよ。我が名はノーマン。我の声に応え、偉大なる稲妻を轟かせ給え
『偉大なる
雷撃と炎の合わせ技。口笛を吹きたくなるような攻撃だが、どう考えてもユウマにも当たる攻撃だ。絶対に気にしないで撃ってきている。だがこの攻撃は空間魔法でどう避けるのかを見るためのものだと分かる。
さすがリサとノーマンだ。だが今の戦いの趣旨を理解できていない者がいた。ユウマは痺れていて暫く動けそうもない。だから反応が遅れてしまった。
「ニールさん、一体どうしたんすか!ニールさんなんでしょ?」
マイクがニールに駆け寄っていく。マイクからすれば当然だろう。マイクはずっとニールにくっついていたのだ。もしかしなくてもこの中で一番ニールと近かった存在なのだ。だからいてもたってもいられなかったのだろう。
「マイク!! やめろ!!」
ユウマは漸く声を出せた。まさかマイクがニールに近づくなんて思わなかったので、誰もマイクを引き止めることが出来なかった。おそらくマイクにはニールが怯んだように見えたのだろう。きっと話しかけるタイミングに見えたのかもしれない。怯んでいるなら自分の話を聞いてくれるのかもしれない。そう思ったのだろう。だが、ダマスケスは一瞬だけ空間転移をして、魔法のダメージを最低限に抑えていた。怯んでいる訳ではない。それに今近づくのは危険だ。特に今はニールの記憶が錯綜している最中なのだ。自分が何をやっているのかさえ分かっていないだろう。
「ニールさん、おか・・・し・・い・で・・・」
ニールの周りの空間が歪んで、彼の体に亀裂が走っている。けれど断面が綺麗すぎて、暫く会話が出来てしまう。もう死んでいてもおかしくないのに口だけが、肺と咽頭と声帯と舌だけが、バラバラに断絶されていても成立してしまう口の中の共鳴。
「うるさい、うるさい!!俺は俺だァ。そんなふうに見るなぁ!!」
ユウマの声は間に合わなかった。ニールが左手でマイクの動きを止めようとしただけで、マイクの体はサイコロステーキのように刻まれてしまった。力が暴走しているのだろう。そもそもこれが神の力なのだ。
誰も声を上げることが出来ない。ユウマもそうだ。ニールでさえもそうなのだ。まさかこんなタイミングで自分の仲間が死ぬなんて思ってもみなかった。もはやタイミングとか、頃合いとか、キリが良いとか悪いとか、そういうのは何もない。突然の死。戦いが始まって数分も経っていないのに、
こんなにあっさりと人が死ぬ。
「お前らのせいだぁぁ。人間が全部悪いんだぁぁぁ!!」
ニールが逆ギレする。ニールもマイクを殺そうなんて思っていなかったに違いない。まだ覚悟もなにも足りていなかったのだ。そもそもニールはユウマしか狙っていなかった。ユウマだから安心して戦っていた。そう簡単に死なないと分かっていたから。この戦いはそんな歪んだものだった。改めて思う、こんな戦いを繰り返すこの世界はあまりにも狂っていると。人間の人格というものをこれほどまでに無視をした戦いが今まで繰り返されていたと思うと反吐が出る。
それでも、分かっていてもユウマはここで止まってはいけない。この先にある悲劇を避ける為?それとも英雄になりたい為? 理由なんて分からない、それでもユウマは戦う。自分でも不思議で仕方ない。理由なんてないのかもしれない。それでも一度は親友と呼んでいた彼を壊さなければならない。ルーネリアは神は死なないと言った。でもニールの記憶はどうなるのか、そういえば聞いていなかった。そう思いながらも、ユウマはバスタードソードを片手に一気に距離を詰めた。
「その通りだよ、ニール。そもそも人間なんて碌なもんじゃねぇよなー。」
碌でもない人間代表のユウマが放った一撃。横凪ぎに振られたバスタードソードはニールの胴を真っ二つにするものだった。だが空間魔法による移動でニールはそれをあっさりと躱していた。
「っぶねぇ。殺す気かよ!」
戯けたようにニール、いやダマスケスが笑いながらユウマを煽るが、ユウマの目線に気が付いてダマスケスは目を見開いた。
「そうだな、ダマスケス。是非ともお前には退場してもらいたい。出来ればお前だけ死んで欲しいんだけどなぁ。じゃないとちゃんとニールと話が出来ないじゃないか。それにしてもニール。避ける方向の癖が治ってないぞ。それじゃ動きがバレバレだ。」
ユウマもダマスケスと同じ方向、ニールの右手が落ちている地面を一瞥した。ユウマはニールが避ける方向を予測していた。そして先程放たれた魔法の蓮撃で瞬間移動の距離も見切っていた。そのための横凪ぎ。それを放つ瞬間にさらに前進して間合いを詰めていた。ダマスケスとニールが混濁している今だからこそ決まる技だ。きっとダマスケス、神の力ならばこんな姑息な手段は通用しないだろう。混濁している今だからこそできる芸当だった。ただユウマも躊躇していた一撃だ。本気なら一発で終わったかもしれない。それくらいユウマにとっても戦いにくい相手だった。
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