リスタート

 土色のマントを翻し、彼はこの辺りで一番高い木の枝に立っている。下にはマントを付けていない下賤な者や、破けて使い物にならなくなったものを健気に使っている部下が見える。そう、この完全にまっさらな土色のマントを羽織った彼こそが、この中で一番偉い。彼らの王だ。偉いに決まっている。


少し前まで強そうな奴がマーキングしたのか、とても臭かった。だからこの辺りには近づけなかったが、どうやら近づいて正解だったらしい。鎧や剣までもが、たっぷりとそこには落ちていた。きっと前にここで暮らしていた部族がゴテゴテ鎧の何かを纏った細身で毛のない猿と戦ったのだろう。


もしかしたら部族も毛なし猿も全部まとめて、あの強そうなマーキングをしたやつの餌食になったのかもしれない。いやそうに違いない。しかし、その強そうな大猿の尿の臭いも薄れてきた。きっと森の奥地に帰ったのだろう。そうなれば、ここで最強は王である自分ということになる。宣言しよう、ここに我が国を建国すると。


さて今日もメスザルを捕まえて、子孫繁栄だ。今日も元気だメスザル探せ。


彼は悠然と森の奥を眺める。下など見ない。彼の眼差しは遥か遠く・・・


そしていつか、いつの日か、この森の王者になるのだ。




「っていう感じだったのかな、こいつ。偉そうに一番綺麗なマント羽織ってたけど。」


ユウマは背負っている白と薄紫の髪の毛の可愛い少女に話しかけた。ユウマのえんじ色のマントはすでに少女の上着へと変わっている。


「うーんその話なんだろう。何故か分からないけど、サブイボが立つんだけど・・・。っていうよりごめんね。私がユウマのマントを切っちゃったから。」


申し訳なさそうに、クリス=ルーネリアはユウマにペコリと頭を下げる。猛々しい様を見せていたゴブリンには申し訳ないが、通りがかったついで、いやマントが欲しかったついで殲滅させてもらった。


「いや、あれは仕方ない。っていうか、そうしなきゃ移動自体無理だろ。まず俺の精神状態が持たない。それに、なんというかマントがないとやっぱ街だと不安なんだよなー。」


ユウマの言葉にクリスはジト目で応える。


「流石にユウマの戦い方は引くもん。あれなら、むしろ死んでくれって思っちゃうー。」


「死んでくれはひどくない? ってか、続き、どういう根拠で犯人が分かるって?」


もうそれは死ねよくらいの見た目だったらしい。ゴブリン惨殺に夢中になっていたが、ルーネリアの話が途中だった。


「ユウマ、『クリス』はほとんど全属性を使える・・・でしょ?」


「なんですか、嫌味ですか?」


「そうじゃなくて、リブゴード、レイザーム、アクエリス、サファリーン、フォーセリア、シルフィード、リバルーズの魔法を使えるのね。あと、本来ならここにアルテナスの光魔法が追加される筈なんだけど、ユウマが知っている通り、アルテナスは今いないから、光の魔法は使えない。」


そういう考え方ができるのか。そもそもユウマには発想さえできない理論だが、ルーネリアが言うのであればそうなのだろう。本来ならアルテナスが『いる』から光の魔法が使えたのだ。逆に言えば、使える魔法の神々は、外界に『いる』のだ。


「逆に地獄の神の魔法がないのは、そのせいか。闇魔法とかあってもいいもんな。普通。」


「ユウマの普通は置いといて、私の両親であるアレクスとエステリアの魔法は今は存在しない。そしてユウマが言ったようにヘスティーヌ、闇魔法ね。それからカーズの爆発魔法、そしてヴェルドーの掌握魔法、みんな地獄にいるから使えない。」


「あぁ、冥府の門があるのだし、交信さえも不可能なんだったらそうなるよな。もう開きかけてるっぽいけど。」


ユウマは今、緊急事態だったと思い直して、急いでクリスごとマントを羽織る。クリスがそのままだと埋もれてしまうので、クリスは頭をもぞもぞと動かして、ちょこんと顔だけ出した。


「ぷはー。一言いってよ。・・・いや、いいか。なんか落ち着くー。あったかーい。」


「あったかーい。じゃねぇって続きは?」


「ユウマ、後一人忘れていないかい?」


神話、寓話、聖書、一通りを読んでいるし、そこまで言われれば誰でも分かる。あの砦での出来事だ、どれほど前かは分かっていないが。ニールが言っていたじゃないか。


「んー。でもダマスケスの袋は機能してたぞ?」


「あれは多分昔に作ったものだと思う。これは言っていいのか、分からないけど。クリスの記憶にも申し訳ないんだけどね・・・。多分あれはメリル男爵のお金で買ったものじゃない。それこそ国宝レベルの代物なの。だからあれは昔のものであって、今はダマスケスの魔法も存在していないでしょ?もちろんこの1600年の間だけだけど。」


「なるほど、ということは、宙の神ダマスケスが黒幕ってわけだな?」


当然そうなる。地上にいるのに魔法が使えない。それは裏切り者だからだ。きっとアルテナスと敵対しているということだ。だから魔法を使わせないように、力を貸さないようにしているのだろう。


「そう、クリスの記憶を覗いて、私も最初はそう思ったの。実際戦いの後はみんな原型をとどめていないから、誰が地獄にいるのかってアルテナスに聞かないと、私には判断できないからね。」


「最初はって、ことは違うってこと? んーっと、じゃあ語られていない神話があるってことか・・・。」


三つの選択肢から選ばせておいて、答えは4番でしたみないな感じか、ユウマは合点した。


「違う違う。驚くほど全員を網羅しているよ。だから今話したので全員よ。勿論眷属まで入れちゃうと話は別だけどね。えっとユウマが見せてくれた地図、そしてユウマが話してくれたこと、そしてクリスの記憶、これらを照らし合わせていくと、これは前回の戦いにまで振り返らないとダメだなーってなったの。」


前回の戦いの話などユウマは分かる筈もない。だから軽く聞き流そうと思ったのだが、ルーネリアが語った話はもっと分かりやすいものだった。それにユウマ好みの話でもあった。


「僕が言ったように、夫婦で地獄に落ちれば、概念がぶつかって魔神になること自体は元々分かっていた。だから、わざと戦いを拡大させた奴がいるんだと思う。たぶんだけど冥府の門自体、そいつは気に入らなかったってことだろうね。」


「つまり、わざと戦線を押し広げて、アステリアの怒りを買い、あたかもアステリアが暴走したように見せかけた神がいる。そして・・・うーん。ダマスケスって宙の神だけど昼と夜を司る二面性を持つ神、だよな。」


「よく知ってるね、ユウマ。ってか逸話の中にも正しいことは残ってたりする。ダマスケスの袋の力で想像出来ると思うけど、彼は空間魔法を得意とする。」


もはや正解を言ってくれたようなものだった。アステリアが暴走するように仕向けること、人間を囮にすること、それよりも何より、今まで自分たちが操られてきたこと。人の心を掌握し、さもそれが正しいことのように思わせて、人を操る能力があるとすれば。


「さっきルーネリアが言った掌握ってのは人心掌握ってことだよな。ってことは・・・」


「そう、戦争、謀略の神、ヴェルドーが前の戦いでダマスケスと入れ替わっていた。だからこんなにことが簡単に進んでしまった。僕はそう考えてる。」


「ってか、間違いないな。でなきゃ・・・」


ユウマのほっぺがぎゅーっとつねられる。勿論言うつもりはなかったけど・・・。


「じゃなきゃ、僕の恋のライバルであるリサが、こうもあっさりと戦争に駆り出される筈がないでしょ?ユウマぁ?」


「んー。まぁ、そういうことだよな・・・。」


「でも、今回は仕方ない。眷属の浮気を許す! でも一回だけだからね!それにまず先に言っておかなければならないことがある。おそらく今回の厄災は今、地上にいる神々は参戦しない。いつものお祭りごとではないのだからね。みんな静観を決め込むはずよ。勿論、人間たちが魔法を使うくらいは許してくれると思うけど。それと、申し訳ないんだけど、僕も戦えない。僕は審判の神でもあるからね、そういう決め事、概念なんだ。だからこそ、同じ審判でもあり、今回の対戦相手でもあるアルテリアがいないのはすごくマズイってことなんだけど・・・」


そもそも浮気という概念が違う気がするが、そんなことも吹き飛ばしてしまうような言葉だった。だったら人間だけで戦わなければならない。そんなの絶対に不可能だ。人間は台風や活火山なんかに敵う筈がない。吹雪にも、大雨にも、土砂災害にも負けてしまう。


「なるほど、だから人類最強で行かなきゃいけないってことか・・・。」


「むー、不本意だけどね。でも魔法を使える人間は集めといた方がいいよ。もしかしたらだけど、静観を決め込む彼らが力を貸してくれるかもしれないからね。」


「よし、了解した!!」


「あ、そうだ。ユウマ、あのね・・・」


「え、まじ?」



ルーネリアがユウマにそっと耳打ちをした。そしてその後すぐにうっそうとした森が開け、遠くに立ち尽くした老夫婦が見えた。




 分からない。どうして自分がこんなことをしているのか。何故戦い続け、何故王族に入ることになったのか。そもそも平和な世界。貴族とか平民とかそういうのを全部ぶち壊すため、そう考えていただけなのに。それにあの時どうして王族に憧れを抱いていたのかさえ、もはや分からない。


考え続ける日々、それももうおしまいだ。今から自分は彼を裏切る行為をする。勿論約束なんてしていない。けれど、心のどこかで待っていた。でも、彼はもういない。全て自分が悪い。全部、全部、全部、自分が悪い。いくら強くても、いくら速く走れても、結局レールの上で戦い、走り続けていただけだった。


だったら平和の世界のために祈りを、いなくなった彼を裏切って、全世界の国民の祈りを、その魔力を全て込めて、せめて冥府の門だけでも打ち壊す。それが普通だろう。王族のしかも王位継承権第一位の王に最も近い人間アルベルトと結婚できるのだ。そして世界も平和になるのだ。誰がどう考えてもそれが一番良い。


でも! 全部全部全部全部全部、ユウマを助けるためにやったことだ!


なのにどうして、彼は行ってしまったのか。違う彼だけじゃない。どうして自分は彼から離れてしまったのだろうか。もはやこの世界に価値はない。このまま死んでしまってもいいとさえ思う。自分が死んだら彼はどのように迎えてくれるだろうか。彼は怒るだろうか。それとも喜んでくれるだろうか。


「エリザベス様、時間です。また思い詰めていらしたのですね。でもそれも今日で終わりですよ。」


「ええ。世界を救うのですもんね。」


「そうですよぉ。」


気持ち悪い。こんな笑い方をする娘じゃなかった。勿論彼女が好意を向けていたのは知っている。それでもこんなに嗜虐的な笑い方なんてしなかった。彼女の顔は世界を救う、そんなふうには見えない。


「分かっている。」


分かっている。世界が救われて、それで皆も救われる。でもその世界は私が要らない世界。私が欲しくない世界。どうしてと聞かれても、そんなの分からない。どうして彼なの?と聞かれても分からない。


それでも彼が愛おしい。


高級な壁紙、それにふかふかなカーペット、そして窓には多くの群衆。世界中の皆が見に来ているのだろう。もしかしたら元敵国の捕虜も参列させられているのかもしれない。先日、枢機卿自らが1600年周期の終焉を演説した。そして平和の象徴として、新たなプリンスとプリンセスが生まれるのだ、と婚姻の儀の全員参加を要請した。


祝う人々の中には両親の姿もあるだろう。いや両親は婚礼式の式場に通されているのだろうか。両親がどこにいるのかなんて、一番大事なことの筈なのに、そういえば全く聞いていない。聞くのを忘れていた。ずっと閉じこもって、生まれてから今までのことをずっと振り返っていた。どこで間違ってしまったのかを。後ろを向いている時間がもったいない。立ち止まっているなんて時間がもったいない。そんなことを言う人がいる。


けれど、向かう先に幸福なんてないのだから、前を向けなんて言わないで欲しい。私の欲しいものは全部過去に残してきてしまったのだから。


大歓声が上がっているのか、厳粛なのか分からない。吐き気とめまい、それに耳鳴りのせい?突発性難聴というものなのだろう。周りの音が何も聞こえない。


「エリザベス様!! 前へ、前へお進みください。」


なんだ、耳が聞こえなくなった訳ではないらしい。全部の感覚が機能しなくなればいいのに。一歩ずつ歩を進めるが、足が重い。どうしても前に進めない。きっと周りから見れば、私だけがスローモーションになっているように見えているだろう。


そういえばなんだっけ、私の夢って・・・結婚すること?・・・王族になること?・・・違う。 王様になること?・・・違う。


白馬の王子様に攫ってもらうこと・・・


そうだった。でもおかしいのよね。白馬の王子様って誰よ? それに攫われてるんだよ、それって、絶対悪いやつじゃん。


目の前に美しい花嫁姿の女性がいる。美しい金髪の少女だ。でもどうしてそんなにつらそうなの? 聞いても返事がない。当たり前だ。もうおかしくなってしまったらしい。私は鏡に向かって何をしているのだろうか。でも関係ない。鏡に映ってる貴女に聞きたい。ねぇねぇ、今どんな気持ち?



視力まで低下しているのかもしれない。誰かに手を握られている。そうか、今私は手を引かれている。この手は知っている。大好きなパパだ。それにママもこんなに近くにいた。あれ、私今、何してるんだっけ。



「新郎アルベルト、あなたはエリザベスを妻とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」


ああ、なんか聞いたことがあるセリフだ。乙女の憧れのセリフが聞こえる。でもなんだろ、私の名前があったような気がする。私と同じ名前なのかなぁ、普通によくある名前だし、そうなのかも・・・



「新婦エリザベス、あなたはアルベルトを夫とし、健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか?」


私の名前がまた聞こえた。新婦さん? んー、なかなか返事しないなぁ。どうしたんだろう・・・何かあったのかなぁ・・・



「誓いますか?」


えっと、なんだろ、もう一度聞かれている。


あれこれ聞いたことがある。別の儀式で。この感覚。どこかで聞いた・・・。そう、確か・・・あの時、ユウマの声がした・・・なんだっけ・・・ユウマ・・・ユウマ・・・



しっかりしろ、私!!! 考えろ、私!私はこんなんじゃない!!こんなの私じゃない!!



場内はざわつき始めていた。当然だ。新婦が誓いの言葉を全然言わないのだから。困ったような新郎の顔と神父の顔、そして親族。


そして神父がもう一度口を開きかけたその時、リサは走り出した。


教会の出口に向かって。


動きづらいドレスを手で乱暴に掴み、白い光と金色の残像を残して、教会のドアを蹴破った。



「リサ?」


不思議なことに目の前に白い馬に乗った男性がいた。


彼のことは誰よりもよく知っている。絶対にここにはいない筈の人。



絶対にここにいてはいけない人・・・




この世にいてはいけない人・・・




彼が手を差し伸べた。




「ユウマぁぁぁ!!!」



考えよりも声が先に出た。そしてリサは彼の手を取り、彼の後ろにしがみついた。



「ユウマぁぁぁぁ!待ってた、待ってたよぉぉぉ!!」



リサは、彼がどうしてそこにいるのか、今なにが起きているのか、自分が何をしているのか、彼が生きているのか、死んでいるのか、自分が死んでいるのかさえ・・・



考えない。




だって今この瞬間、自分の夢が叶ったのだから・・・・


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