動き出した神話

 豪奢な部屋、御伽噺に出てくるプリンセスにぴったりな意匠を凝らした家具、それに絵本から出てきたような天蓋付きの大きなベッド。ここには何もかもが揃っている。棚に並べられた調度品の一つには、その部屋に不釣り合いなゴテゴテとした黄金の馬と剣と盾を持った少女をモチーフにした盾が飾られている。『金翼爆撃栄誉賞』そう書かれた、他人の血と肉と引き換えに貰ったお姫様には全く似つかわしくない代物。


金色の少女は雨が降る街の様子を窓から眺めている。ここからはあの森は見えない。いつか旅立った少年の姿は見えない。


最近マーガレットが枢機卿とよく話をしている。あまり良くない話をしているのはなんとなく分かってはいる。けれど、もはやどうでも良い。



あの日、北で奇妙な衣装を纏った異国の王を力でねじ伏せ、奇妙な塔を建てた。これで世界が救われるのだという。親しい少年を救うため、手を血に染めた。勿論出来るだけ、抵抗する者としか戦わないようにしていた。それでも彼らには彼らの正義があり、その正義のために刃を振るってきた。


北の夷狄が信仰していたのは、悪の帝王アレクスだった。それ以外にも神とつけてはならないものを信仰していたため、アルテナス聖騎士団は正義の名の下に、その全てを焼き尽くした。そして誓いを立てさせる。その役目も担っていた筈だ。


「聖女様、さすがです。あとは私が引き受けましょう。」


そう言って、あの男が急に現れた。あの時は戦争についてきたのだと、自分を監視するために来ているのだと思っていた。元々誓いを立てさせる意味がわからない。その祈りをどの神に捧げても同じではないのか。そう思ってその場を後にした。



別の日、今度は南の国をこの世から葬り去った。彼らはエステリアを地母神として信仰していたのだ。奇妙にもエステリア建国をした精霊の名前を神と語る彼らは、私にとって、とても憎い存在に見えた。その精霊も元々神であったことは知っていた。それにその神は今地獄にいて自分の大切な少年に呪いをかけていることも知っていた。だから憎かった。でも、本当にそれで良かったのか、それは今でも分からない。それでも、その瞬間はそれが一番良い方法だと思った。


そしてそこでも塔を建てた。その時、再びあの男が現れた。おかしい。あまりにも早すぎる。彼はいつ出発したのか。確か少年に話があると言って、その場に残った筈だ。それにあの時は少年のために最速で敵国の首都に辿り着いた。元々首都近辺までは南の辺境伯とアドルマイヤー公爵がすで進行を済ませていた。だからほとんど休みも取らずに夷狄を葬り去った。


なのに枢機卿は肩で息をすることもなく、突然現れた。この時ももっとあの男を観察すべきだった。


「聖女様、さすがです。あとは私が引き受けましょう。」


そして同じ言葉を話してきた。影武者?それとも双子?それはない。断じて違う。あの雰囲気を漂わせることが出来るものが二人以上いて良い筈がない。そして彼はまた誓いを立てさせ、祈りを上げさせた。


「これで約束を果たしたわ。これで世界は救われる。そう言ったのはあなたでしょう?」


私はその時そう言った。祈りをあげる瞬間に世界が変わると思っていた。そう信じて疑わなかった。だって、この国はユウマに呪いをかけたエステリアを信仰していたのだからと。


「いえいえ、さすがに最後に王都アルテで祈りを捧げなければなりません。そうでなくてはおかしい。そうでしょう? 魔力を込めて祈りを捧げなければ、魔法陣は完成しないものです。世界を救うのに塔を立てれば終わり、そんな都合の良い話はある筈がないのです。ですがぁ、ご安心してください。中心部の魔法陣はすでに完成していますから。素晴らしい!こんなに愉快なことはないです。」


その言葉に胸の痛みを覚えた。今でも思い出すと腸が煮えくり返る。『完成しています』 明らかに場違いな言葉だった。そして気が付いてしまった。彼の言葉を噛み砕く必要もない。自分だけが魔法陣を完成させるために奔走していたのではなかったということを。そして彼はそれを隠す必要がなくなったということを。




 雨は止んだようだ。水滴が邪魔で歪んで見えるが、後ろにマーガレットが立っているのが分かる。すでにユウマの密告者は分かっている。


「今頃になって気がつくなんて・・・」


なんてバカな私。枢機卿がユウマを利用しない筈がない。ただ円を描くだけならば、北と南、双方を最強の人間を投入すれば良い。それに森なんか放っておけば良い。それなのにユウマを森に向かわせたのは、そこにも魔法陣を描く必要があったからだ。


自分の頭には脳なんか詰まっていないのではないだろうか。本気で頭を割ってやりたい。何故自分は秘密の部屋で全てを知った気になっていたのだろうか。聡明な頭を持っていたから? その通りだ。自分にはなんでも見通せる。なんでもできる。どんな困難にも立ち向かえる。そう思っていた。それに今も・・・。どうして、何を根拠にそんなことが思えるのか。どう考えてもあそこに足らなかったものがあったのは確かだ。ユウマは確かにそれを知っていた筈だ。


そもそもどうして冥府の門がこの世界に存在するのか。どうして1600年で神が入れ替わるのか。そしてどうしてその間は安寧の時が刻まれるのか。もしかすると、いやもしかしなくてもユウマは何かを知っていて、それを伝えるために自分の命令を無視して、森の最奥部へ突き進んだのだ。


私が彼を守ろうとして猛進したように、彼もまた私に何か伝えようとしていた。そうでなければ辻褄が合わない。彼に急ぐ理由はない。そして彼は私よりも早く任務を達成した。それこそが彼が私に告げたかったメッセージなのだ。


また勝手に話を決めつけている。悪い癖だ。図書館に行った時も最初から罠だと気付いていたのに、まんまと策略に嵌ってしまった。もっと考えるべきだったのに・・・。


「エリザベス様、良い機会ではありませんか。ナイトの帰還を労った時に、当事者から聞いたでしょう? もう彼は死にました。しかも仲間を庇って名誉の死を遂げたのです。きっと彼はあの世で言っていますよ。エリザベス様は自分のことは忘れての新しい未来を歩んでくれと。」


よくもまぁそんなことをズケズケと。やはりメグは変わってしまった。いや、少しずつ変わっていっている。枢機卿と話をする度におかしくなっている。


「別れは必ず来るものです。それに、婚姻の儀式の為に世界各国から人々が集まっていますよ。世界には祈りと祝福が必要なのです。」


密告者の発言に耳を貸してはならない。それでも、もう考える必要はない。もう何もない。今歩んでいるのは、何の意味もない人生なのだから・・・。




ユウマはルーネリアから祖母の名前が出て来たことに興奮を覚えていた。やはり国生みの神のその上の存在がいたのかとオカルトオタク根性に火がつく。


「デボネア様ってのがお祖母さんなのか?」


「そう、本当の名前は知らない。でもその方がこの世界を、そして私たち神々を生み出した父アクレスと母エステリアの創造主様。おそらく正体は混沌から世界を生み出せる高位次元生命体なのだと思う。だから私たちは彼女が作り出す影を『デボネア様』、そう呼んでいる。」


三次元の世界で影を作れば、平面。二次元になる。だから三次元より上の存在が影を落とした場合、この三次元世界では四次元以上を表現することができないため、三次元体として存在するという理屈らしい。


「異世界から魂、もしくはそういう情報を繋ぎ合わせることができるとしたらデボネア様以外は考えられない。デボネア様の気まぐれか何か・・・。そうとしか思えない。」


「じゃあ、そのデボネア様ってのが、枢機卿の?」


ユウマの率直な疑問に、ルーネリアは顔を振ってこたえる。


「デボネア様がそんな瑣末なことをするとは考えられない。デボネア様にとってはこの世界さえも取るに足らない存在。今回の件は作為を感じる。だったらこれは神によるものだとしか思えない。勿論、デボネア様が些細ないたずらをしなければ、これほど複雑にはならなかったかもしれないけれど、でもおそらくこの計画はもっと長い時間をかけて行われている筈、デボネア様の介入など関係なく、結局事態は引き起こされていた、と思う。」


「ん、だから最初の話に戻って、悪魔になった神が操っているんじゃないのか?」


それに対してもルーネリアは顔を横に振る。


「間接的にはそうかもしれないけれど・・・。でも冥府の門の結界はそう安易と越えられる筈がない。いえ、それとも別の・・・。ユウマ、この世界ではどのように伝えられているのかは知らない。いえ、ある程度は私も知っているわね。クリスの記憶でも少しは分かる。でもきっと私たちの目線では語られていない。まず冥府の門は神々の戦いを終わらせるために作られた。」


「それって大体1万年前くらい?」


それ以前の歴史がないのは、そもそも文明が持てるような環境になかったからか。


「そう。正確にはそれより少し前。ただ問題があった。冥府の門、その効果は1600年が限界だった。そして何故かは知らないけれど、1600年というのがどうも神々には都合が良かったみたいなの。1600年に一度、神が悪ノリをするお祭りのようなイベントになってしまった。アレクスが勝てば、次はエステリアに味方をする。もちろんその反対もそう。決着がついてしまえば、お祭りは終わってしまう。二連敗や三連敗なんかしたら、決着がついてしまう。だから永遠に戦い続けられるように、数人の神が定期的にどちらかに加勢する。そんな馬鹿げた争いになってしまったの。」


ユウマはリサのように王立図書館には入っていない。なのでこの世界ではどのように伝わっているのかをきちんと理解することはできない。ただ、一応は絵本や寓話、それに聖書の記述を神に置き換えれば、なんとなく理解はできる。


勿論、だからと言って神の考えなんて理解はできない。それこそ迷惑極まりないお祭りだ。ただ神話大好きのユウマにとっては、ルーネリアの話は『神話ですごくありそうだな』という印象だった。どの国にも破滅神話があるし、破壊と再生を繰り返すなんてのも、よくある神話だ。それに春と秋それで、神が入れ替わるなんてのもよく聞く話だ。それがこの世界の場合1600年周期だったというわけだ。


「んじゃあ、今回はえっと伝え聞いてるのだと、悪の帝王アレクスって感じだな。」


「そう。その筈だった。でも冥府の門を作った頃から、アルテナスは人間というものに興味を抱くようになっていたの。そして最後の争いはいつにも増して苛烈なものだった。人類を絶滅させるほどに。」


神々からすれば人間はただそこにいる存在。それでもアルテナスは何故か興味を持ち始めていた。何かだんだん繋がっていきそうな気がする。ユウマはこの手の話が大好きだ。そもそも高位次元生命体が出てきただけで、興奮度はマックスだった。


「それで、今はアルテナスが人類を守るっていう構図になっているのか。」


「そうね。でも姉さんはその、なんていうかやりすぎちゃうので・・・」


「姉さん? あ、なるほど。両親がアレクスとエステリアであとは兄弟か。夫婦喧嘩に子供が加わって・・・、うーん家庭崩壊だな。」


愉快そうに聞いているユウマにちょっと不服そうにしながらもルーネリアは続けた。


「人類に肩入れしていたっていう、姉さんの気持ち、今ならなんとなく分かる。けど姉さんはやりすぎなの、父と母に、『こんだけ戦うのが好きなら、とことんやればいいじゃん。二人とも地獄で好きなだけ戦いなさい! そしてお前たちもふざけすぎた罰が必要ね。一緒に入ってなさい!!』って、両親と悪ふざけの子供たちをひっくるめて冥府の門に閉じ込めてしまったの・・・」


うーん。すごく人間っぽい。


「めちゃくちゃ強引だな。でも、アルテナスかっこいいじゃん! ってのは、まあ人類目線だな。これってお前たちからしたら、両親を閉じ込めた暴力娘って感じになるのかもなぁ。」


ユウマにジト目を少しだけ向けて、ルーネリアは肩を竦めた。


「冥府の門を守る私の身にもなってほしい。ほんといつもいつも勝手なんだから・・・」


「それで、夫婦の中はどうなったんだ?」


今日いちばんのジト目をルーネリアはユウマに向けた。


「神なんて、概念の塊よ?折り合いなんかつく筈がない。それに今回は共通の敵が生まれてしまった。だからもうアレは神や悪魔と呼べるものじゃない。理性と呼べるものも、知性と呼べるものもなくなってしまった。憤怒という概念で融合された魔神になってしまったの。でも、これは予想できたことね。ほんとに迷惑な話だわ。」


概念というもののぶつかり合い。そんなもの、まとまるわけがない。友好という概念と平和という概念さえも結局のところズレている。折り合いがつけられないのであれば、結局争うしかない。しかし、いがみ合っている者同士が暴力娘という共通敵を見つけることにより、協力することはあるのかもしれない。だが、それが神になると魔神になってしまうのだという。怖い話だ。だが他人事である限りは、それでもやっぱり、そーゆー話はユウマの大好物だ。


「今回はその魔神が出てくるから、ルーネリアは焦ってたのか?」


ルーネリアは一度眼を閉じて、一呼吸ついた。


「あれはもはや神ではない。だから冥府の門を潜ることはできない。だから最初は単純に冥府の門が開くタイミングで姉さんに話をつけに行ってもらおうとしていたの・・・。」


だんだん話が見えてきた。そしてこればっかりは楽しい話で済ませてはいけない。いままで来た厄災なんて比ではないクラスの大厄災がこの世界を襲うことになる。ユウマはその片棒を担がされたのだ。途端に他人事ではなくなってしまう。仲間がいる。大切な人がいる。そんな中に復讐の鬼が出現するのだとしたら・・・。


「じゃ、じゃあ・・・。冥府の門自体が壊れたら・・・」


「魔神の怨嗟はアルテナスと恐らくはその元凶になった人類。今までのように文明崩壊レベルでは済まない。いいえ、そもそも神には人間と他の生物との差なんてほとんど分からない。だからあの物体はこの星に生きているもの全てを根絶やしにする。」




 青い髪、そして赤い縁のメガネを光らせながら、マーガレットはエリザベスの美しい髪を整えている。何と麗しい髪なのだろうか。どれをとっても完璧だ。黄金の髪、黄金比を1mmも崩さない容姿。そして粉雪のような繊細な肌。マーガレットはもうすぐ、この女が自分のものになのだと思うと、下腹部に熱を帯びてくるのが分かった。太ももにたらりと液体が流れるのを感じる。後で下着を替えなければならない。


婚礼の儀? そんなもの形だけだ。重要なのは祈りにこそある。それにもうすぐこの世界は終わるらしい。それに加担するだけで、愛しのエリザベスをこの手にできる。神の特権なのだ。あと一歩のところまできた。


最初はただの悪魔付き探しという任務だけだった。悪魔付きを見つけだし、そして報告する。それしか聞いていなかった。しかもこの任務はあの悪名高い枢機卿だという。だが、そんなことは関係なかった。自分の大切な人の飼い犬こそが悪魔付きだったのだ。


同じ悪魔付き探しにバトンを渡すだけ。それでエリザベスから引きがせると思っていた。だがあの犬はあまりにもしつこかった。結局庶民の英雄にまで上り詰めたのだ。だがたかだか庶民の英雄だ。


そして、そこで新たな任務を受け取ることになった。そこからが人生の転換期だった。エリザベス様を枢機卿の元に送り届けさえすれば良い。枢機卿にいつ、どのタイミングでエリザベス様が秘密の部屋に向かうかを知らせれば良い。


それであの犬とおさらばできるという。王族のあの第一王子に嫁がせるのは鼻持ちならないが、とにかく一番鬱陶しかったやつを排除できる。そして侍女としてずっと側にいる権利が得られる。相変わらず枢機卿は不気味だったが、ある時真実を教えてくれた。


もうすぐ世界が崩壊する。そして悪魔に、いや神に転生することが出来るのだと。


「メグ、どうしたの? 熱でもあるの?」


エリザベス様が心配してくれた。これはもはや両思いだろう。性別なんて関係ない。そんなことを言う奴は神の力でねじ伏せれば良い。


「いえ、あまりにもエリザベス様が美しいもので・・・」


その言葉には返事をしてくれない。けれどそこがまた愛おしい。なんと気高いのだろうか。


だめだ、これ以上は計画に支障をきたす。祈りが完成するまでの辛抱だ。


それに・・・


もうすぐ冥府の門が開く・・・


そしてその後に冥府の門が崩壊する

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