死地への方舟

 ユウマが衛兵に連れられていくと、尋問を受けているマイクに遭遇した。ユウマが「マイクはこれからナイトと行軍をする予定」と話すと、あっさりと解放してくれた。それどころか少し憐れんだ目をされた。どうやらお察しらしい。リサがくれたハンカチはまだ見ていない。なんとなく胸が苦しいのと、内容を見て泣いたらどうしようという理由だった。きっとないとは思うが、本気の別れの手紙だったらどうしようかとも思う。ハンカチに刺繍された模様が手紙なのだが、枢機卿は見逃した。どちらかというと、もはやどうにもならない。と言われたようなものだった。


ニコルの姿はいつの間にか消えていた。どうせ王族と裏でよろしくやっているのだろう。ということは帰りの馬車がない。歩いて帰るのは骨が折れる。いや、実際折れてもすぐに治るのでそこは問題ないのだが、マイクは精神的にHP0状態なのだ。ユウマがやれと言ったせいなのだが、そもそも戦時中に地図を記録するなど、その場で切り捨て御免されても文句が言えない。どの道、地獄行き観光船に乗せられるのだから、あの兵士も剣の手入れをしなくて済んだというわけだ。お互いラッキーだったで済ませよう。


「でもでもー。じつはちゃーんと、とってあるんですよー。」


こういうところは素直にすごい。生まれてきた時に、ステータスのパラメーターを全て運に注ぎ込んだのではないかと思ってしまう。


確かにそんな生き方してをみたいが、だからといって運に全振りするなんて勇気がない。


「ある意味すげーな。マイクを連れてきたの、大正解だな。ってかまだ敷地内だぞ。罠があるかもしれないから、もうちょっと待ってくれ。」


「あれ、ニコル様は? いないんですか?ってことは、俺たちって歩いて帰るんですかねー。結構ありますよ、学校まで。っていうかどうだったんですか?」


あいつは裏切り者だ。あんな馬車に乗ったところで、死が早まるだけだ。ユウマは顎でマイクに前方を見るように促した。


「なんです? 箱? でっかい箱?」


もはや体裁なんて関係ないのか。巨大な方舟がお迎えに来ているらしい。予約していたつもりはないのだが。いやそういうジョークなのか。あれは動く棺桶だ。


「マイク、多分あれ動くぞ。いつもの船だ。もう水路なんて関係なしってことだ。きっとあの中に仲間がいる。ニールに渡してきてくれ。この指令書もな。」


ユウマはマイクに仰々しい指令書を渡して、振り返って城をもう一度見た。すでにリサはいない、そんな気がする。王は余命幾ばくもないのは明白だ。だとすればとっくに出発しているのだろう。


「リサ、お前は何をしてんだ・・・、このラブレター・・・な訳ないよな。」


ハンカチを手に取る。あの時枢機卿はあれが手紙だと知りながら、敢えてその場に残したのは、これが最後だと分かっているからだ。きっとこれから行く場所で、ユウマは死ぬ、もしくは魔法陣に楔を入れることになる。楔を入れるとおそらく厄災が起きるので結果的には死ぬということか。


ちなみに実は拾い上げた時にひらがなをいくつか見てしまっている。「しぬ」「たたかえ」、こんな言葉を使った恋文なのだとしたら、きっと情熱的でバイオレンスな恋物語なのだろう。


『おねがい しぬきでたたかって わたしが まほうじんを かんせいさせるから それまで いきて そうすればきっと ゆうまは たすかる  でもにげちゃだめ とくせんたいがいる』 


ユウマは刺繍に見立てたひらがなのメッセージを読んで、嘆息した。


「お願い、死ぬ気で戦って。私が魔法陣を完成させるから。それまで生きてそうすればきっとユウマは助かる。でも逃げちゃダメ、督戦隊がいる、ねー。」


督戦隊、逃亡や命令違反をした味方を監視し、制裁を加える部隊。これじゃ死ぬ気で戦うじゃなくて、死ぬまで戦うだ。



 リサがやろうとしていること、それは残る一国、南の夷狄を討ち滅ぼし、この腐海を中心に魔法陣を描くことだ。そうすればきっと世界は崩壊から救われる。そう導かれているのだろう。ユウマも救えるし、万々歳だ。だが実際に行っていることは冥府の魔法陣の破壊だ。ルーネリアの存在を知っているユウマなら分かる。なるほど、合点がいった。リサが行った先は、禁書であるアルテナスの書だけではなく、冥府の門を封じるために用いるルーネリアの書も巧妙に隠された書庫だったのだろう。


あのバカ校長代理が朗々と喋ってくれた。数年もアドバンテージがあるのだ。そして枢機卿の立場ならば、どの書物に何が書かれているのか分かっていた筈だ。


だからリサは導かれてしまった。自らが調べ、そして辿り着いた答え。それが他人に導かれたものだとしても、自分で辿り着いてしまえばそれが自分の正義となる。だがそれでリサを責めるべきではない。自分自身も、先ほどそれを思い知らされたではないか。


「視野が広くなっただと? どんな思いでそれを口にした。嘲笑っていたんだろうな・・・。その嘘には俺たちの命よりも価値のあるものがあったってか。」


なんて間抜けな勇者、なんて愚かな英雄、なんて非力なヒーロー・・・


ユウマがやるべきことも決まっている。指令書に記された場所は予想通り、中心部ではなかった。始末するなら火炙りで十分だ。有効利用するための指令書なのだ。


結局リサと同じだ。魔法陣を壊しましょうと言われている。最奥部には違いないが中心からは、ずれている。リサが言うようにだらだら戦って、リサの帰りを待つか。それともリサよりも早く目的地に塔を設置し、リサが滅ぼそうとしている国に回り込んで止めるか。


土台無理な話だ。戦力も違う。戦っている相手も違う。督戦隊とやらがどれほどのものかは分からない。けれども後ろからの弾など避けれる筈がない。それにユウマ軍が敗れようが、さらなる国民を送り込むだけだろう。ユウマの屍の上を行き、目的地に到達させるまで人員を注ぎ込むつもりだろう。それがこの世界の最後なんだ。


彼らが出した結論だ。もしも明日自分が死ぬのなら、もしも明日世界が滅ぶなら、全てを犠牲にしてでも自分だけは助かる、それがどうやら正解のようだ。



 ユウマは立ち止まってしまっていることに気がついた。早くあの方舟に乗らなければ、きっとあの子が辛いだけだ。それにまだ全てがユウマの勘違いなんていう浅はかな希望だってある。本当にクリスはプリンセスで、本当は王妃が動いていて、そして全てをご破産にしてくれる。そんな希望だってまだあるのかもしれない。


ただ神様、どうか聞いてほしい。どうしてこの世界は、悪い予感だけが的中してしまうのだろうか。


ユウマが飛び乗った先に仲間がいた。マイクはどう思っただろう、どう接したのだろう。この冷たく、痛い視線を。いくつかのグループに分かれて、ひそひそと何かを話している。そして『斥力』でも働いているのだろうか。ある一点にはどうしても近づかないらしい。涙で目を腫らしたクリスが方舟の隅っこにポツンとしゃがんでいる。


斥力といえば『引力』もあるのだろう。現れたユウマに注がれる厳しい視線が冷たくて、寒い。彼らは聞きたいのだろう。ねぇねぇ。騎士様、僕たち私たちの犠牲で騎士になったのってどんな気持ち?ご褒美はないんですか?


ユウマは嘆息した。どうすれば良かったのだろうかと。


「ユウマぁ!! どう・・・だった?」


そういえば彼には謝らなくてはならない。どうして疑ったのだろう。彼の勘の良さが不自然すぎただけなのに。どうして彼が前衛を降りた日に限って、険しいエリア探索なのか。そりゃ疑いたくもなる。それでも彼は本当に自分自身の勘で動いていただけなのだ。


「約束通り、揃えたぜ。全部使っていいって言ったもんな? ちょうど北の戦いが終わった後だろ?兵士から大量に横流ししてもらったぜ。な、ちょっと見てくか?」


本当にすみませんでした。心の中で土下座する。ニールは本当に有能で優秀で優しい友人だった。自分は本当に見る目がない。ただ、そんなニールには大変申し訳ないが、行かなければならないところがある。


ユウマはそっと視線を向けた。勘の良いニールはすぐに察してくれた。


「おけー。じゃ、俺はマイクと地図を見とくから、準備ができたら呼んでくれ。」


世界がもしも救われるなら、真っ当な人生を送れるなら、その時はぜひいっぱい奢らせて欲しい。


ユウマはこの方舟にできた空白地点の中心に向かって歩き出した。ナディアが駆け寄ってきてくれたが、気を遣って後にしてくれた。やはりナディアも優しい子だ。


ユウマの視線の先にいるのは、当然クリスだ。かがみこんで、虚な眼差しの白い髪の美しい少女だ。


どんな思いでそこにいるんだ、クリス。お前はもっと明るい娘だろう。心の叫びを抑え込んで、ユウマはクリスに話しかけた。


「クリス、ちょっといいか。」


居た堪れなくて顔が見れない。辛いだろう、苦しいだろう、それでもクリスは立ち上がってくれた。


「こっちへ。その方が話しやすい。」


できれば誰もいない部屋がいいのだけれど、人目につかない場所など、物影くらいしか存在しない。


「わた・・しが・・・悪いんだよね・・・全部・・・わたしが・・・」


か細い声、消え入りそうな声が後ろから聞こえた。ユウマは振り返ってクリスの肩に手を置く。


「クリス、お前は全然悪くない。悪いのは全部この国だ。王族なんだ。」


「だって、私、おかねもうけ・・・しようと・・・」


虚な目でクリスが必死に自分が悪いと決めつけようとしている。ユウマの癖なのかは分からないがクリスの身長だと、つい頭を撫でたくなる。頭を撫でながらクリスに優しく話しかける。


「クリス。それでも助けた人はたくさんいた。それに感謝もされた。なによりクリス、お前も一緒に戦っていただろ?」


どれほど泣きはらしたのだろうか。髪がボサボサだ。せっかく綺麗な真っ白い髪がこれでは台無しだ。あの乱戦の時のように、糸くずまでつけている。ユウマは前はできなかったので今日はとってあげることにした。


「あ、れ?」


数本程度なので、もしかしたら最初からあったのかもしれない。薄紫の髪の毛が数本。メラノサイトがそこだけ生きているのだろうか。


「あ、そうだよね・・・。私、呪われてるもんね。ユウマもそう思う?」


メラノサイトなんてどうでも良い。マルコめ、伝えてないじゃないか。そんなのは呪いでもなんでもない。


「クリス、呪いじゃあないよ。すごく綺麗な髪だと思う。」


何を言われているのか、分からないといったクリスの表情。このまま撫で続けたくなる。でもちゃんと答え合わせはしなければならない。そのためにも辛さを抱えたクリスと話しているのだから。


「クリス、マルコはいつ消えた?」


いきなり結論から話させる方が良いと思った。でも失敗だった。マルコという言葉を出した瞬間に、栓を切ったように、涙が溢れてきた。


「ゆ・・・ユウマが・・・いなく、なった、あと・・ね。わたし・・・の、ところ、、にも・・・て、手紙が届いたんだよ?」


声にならない声で、絞り出すように、涙声でクリスが一生懸命に話し始めた。


「それで・・・ね・・・封を切ったらね・・・。書いてあ・・・たの。」


クリスが懐にしまっていた手紙をユウマに見せる。すかさずユウマは手に取った。


「ゆ、うま? わたし、呪われてるん・・じゃ・なくて・・魔女・・・なんだって・・・全部私が・・・悪いんだって・・・全部・・・全部・・・ずっと・・・ずっと・・・ごめんね・・・ゆうま・・・・」


手紙には『白き魔女』『異端者達』そんな言葉が連なっていた。そして魔女なら森の奥に行っても平気の筈だと書かれている。ユウマの手に力が入る。こんなへどが出るような手紙を出したやつは誰だ、お前の方こそ森の奥に置いてってやろうか。思わず叫びたくなるユウマだが、ちゃんと読まなければならない。これからはちゃんと情報を精査しなければいけない。


「クリスは魔女じゃないよ。どっちかというと俺の方が悪魔付きだろ?」


ユウマの言葉にクリスがキョトンとする。あのくそ、あのセリフも嘘かよ!!でも残念だな。もう今回は出し惜しみなんてしない。


「ゆうま・・・は悪魔・・・じゃないよ・・・。だって私がユウマを・・・さそったんだもん・・・。マルコは・・・出かけてくる・・・っていって・・・出て行っちゃった・・・・きっとそれも・・・私が・・・だって、この手紙にかいてあるの ぜんぶ、ほんとだもん・・・全部私が・・・考え・・・て・・・」


違う。断じて違う。クリスはあいつに唆されただけだ。この手紙をちゃんと読むべきだ。『マルコ』『ニコル・スタンフォード』この二人の名前だけが綺麗にないじゃないか。泣きじゃくるクリスをなんとか宥めようとユウマは、クリスと同じ目線になるように膝をついた。


「なぁ、クリス。もう一度言う。クリスは悪くない。クリスは優しい子だ。」


間違いなく優しい子だ。この子はいつだって、自分のためと言いながら人のために動いていた。


「それに心配するな。俺が必ずお前を守る。」


絶対に死なせない。命ある限り守り続ける・・・



「それに、みんなのことも、全員守る。」


約束するんだ。クリスにも自分にも・・・



「なんなら世界だって救ってみせる。」


さすがにこれは嘘かもしれない。でも彼女とならきっと・・・



「それに俺はあの時クリスに救われた。」


立ち上がれないほどの絶望の中を・・・



「だから、次は俺がクリスを守る。」


当たり前だ。あいつに言われたセリフを言うのは癪だが、それでも言ってやる。だって・・・




「だって、俺は勇者だからな。」




その瞬間、クリスが抱きついてきた。頬のあたりがくすぐったい。やっぱり綺麗な髪じゃないか。


「・・・ユウマ・・・ほんと?」


子供らしい声、涙で鼻は詰まっているが。疑われてなるものか。ちゃんと目を見て言おう。


ユウマはクリスと顔を突き合わせ、ちゃんと目を見て言った。



「ああ、必ず守る」



少しずつクリスの顔の緊張が溶けていく。



「・・・約束だよ?」



何度でも言ってやる。一度間をおき、一度目を閉じてから、ちゃんと・・・そう、ちゃんと目を閉じて・・・




唇に何かが触った気がした。どうも失敗したらしい。目なんか瞑るんじゃあなかった。ちゃんと見れなかったじゃないか。


「ありがと・・・ユウマ・・・大好き・・・・」


あのマルコ、ここは本当のことを伝えていたのか。ユウマは照れながら、裏切り者のせいにして、クリスの頭をぽんぽんと叩いた。


「クリス、俺からも約束いいか?」


キョトンとするクリス。すこし頬を染めているのが照れなのか・・・泣いているからなのかわからないが。


「自分から犠牲になることはするな。」


その言葉にクリスはたじろぐ。でもゆっくりとだが、確実に頷いた。


「おし、じゃあ戻るぞ。必ず方法がある筈だ!」


必ずある、なんてそんなことは言えない。でも、『ない』と決めつけることも出来ない。神だの悪魔だのいう世界だからといって、悪魔の証明を成立させるわけにはいかない。

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