学級崩壊?

 暗闇の中、赤い点が見えた。その線を眺めていると勝手にその点が円を描いた。そのまま見ていると次第にそれが何なのか、ユウマにも理解できた。『やめろ、このままじゃ』そう必死で叫んでも、その声は残念ながら周りの空気には伝わらなかった。手でかき消そうにも自分の体の感覚がなく、強制的に最後の六芒星を見させられた。


そして六芒星の中に顔が浮かぶというのが今までの流れだったが、今回はどうやら違うらしい。突然魔法陣の一部が欠け、魔法陣全体に亀裂が入った。地面から天に突き抜ける様に深紫の禍々しい光が差し込んできた。その光に照らされて、ユウマは自分の誤りに気がついた。暗闇と思っていたは真っ黒な巨大構造物だった。具体的には巨大な門の輪郭が、漏れた光により浮かび上がったのだ。そしてそこに佇む少女がいる。薄紫の髪の少女は泣いている様にも見えた。


『ユウマ・・・』


『お前は冥府の神・・・か?』


口から声が出た。さっきまで声が出なかったのに、今は話が出来るらしい。


『そう。冥府の神、名前はルーネリア。冥府の守り神ルーネリア』


ずっと探していた答えが見つかる。勿論夢かもしれないのだが。


『名前・・・ってそれ言っちゃまずいんじゃなかったのか?』


『もう、始まってしまったから・・・。それも今回は何かが違う。ユウマが現れたものきっとそう・・・』


もう始まった?何が?戦争のことか?それと自分にどう関係があるのか。


『ど、どういう・・・』


『お願いユウマ・・・、このままじゃ・・・早く・・・会いに・・・』



言葉の途中で視界がぼやけてきた。ユウマの見間違えかもしれないが、少女は手を振っているように見えた。


はっと目が覚めすユウマ。ユウマは、久しぶりの睡眠に爽快感を得ることが出来なかった。体は全快の筈なのに謎の疲労感が残っている。頭がぼやける。夢の中で自分が無意識に魔法陣を視覚化してしまったせいだろうか。


頭がクラクラするといっても、今日はマナダウンまでは行っていないらしい。もしやとは思うが、冥府の女神、いやルーネリアが止めてくれた? 分からない。分かりようがない。これが全部夢であり、ユウマの勘違いという線も拭いきれない。


「ユウマぁ、起きたぁ?」


突然女性の声がした。しかも昨日聞いたばかりの声。その言葉にユウマは飛び起きた。


「おい、なんでお前がいるんだよ、クリス!!」


クリスとマルコがユウマの部屋にいた。残念ながら今日のクリスは外着、お出かけでもするような服を着ている。討伐用の服からのTシャツ、短パン。そのギャップで気付かなかったが、一応貴族の御令嬢だ。それにしても今日は気合が入ってるというか・・・。


「君が学校に来ていないというから、心配して来てやったんだぞ!」


「え、俺ってやっぱ、数日とか学校来てなかったとかなのか?」


マナダウンを起こして、そのまま自己回復したのだろうか。試したことがないから分からない。試す勇気もないのだが。


「違うよ。今は僕と話した次の日の夕方だよ。もしかしたら、昨日変質者として捕まってしまったのかと思って、確かめにきたんだよ。それにしてもこの部屋寒すぎない? てっきりこのまま冬眠するんじゃないかと思ったよ。」


「ユウマはリサ様と一緒に学校を休むことはあっても、お一人になってから休んでいませんからね。体調でも崩しているのではないかと、クリス様がご心配になられて。」


「し・ん・ぱ・い・などしてない! ビジネスパートナーがちゃんと生きているかどうか確かめに来ただけだよ。」


何にしても、ユウマは夕方まで寝ていたことになる。朝焼けの空と夕焼けの空、少し薄暗くてユウマは咄嗟には分からなかった。今まで碌に寝ていなかったことを考えると、あの夢が原因なのか、単に精神的なものなのか判別がつかない。


「それで、学校が終わってから来てくれたのか、ありがとな、クリス、マルコ。」


その言葉に、フンっとそっぽを向くクリス、それとは正反対に軽くお辞儀をするマルコ。そしてマルコはもう一つ情報をくれた。


「正確には昼過ぎには、ここに来ていました。悪いとは思ったのですが、流石に万が一ということもあります、忍び込ませていただきました。最初はびっくりしましたよ。ユウマが死んでるんじゃないかって。僕は起こそうとしたのですが、クリス様がそのまま寝かせてやれと・・・」


ぼんやりとしていたユウマの頭が次第に覚醒していく。それに見慣れぬブランケットがユウマの薄い掛け布団の上にあるのが分かった。怪訝に思い、ユウマがそれを広げてみると、黒いファーのついたラクダ色の女性向けのコートだった。なんとなく想像がつく。クリスは本当にユウマを心配していたのだろう。今も余計なことを言うなとマルコを蹴っている。


「ありがと、クリス、これお前んだろ? じゃあ、俺も着替えるからちょっと待ってくれ。」


ユウマはクリスにコートを渡して、その場で着替え始めた。


「わぁぁぁぁ、な、何をやっておるのだ。お、乙女の前で急に服を脱ぐなぁ!」


当たり前の反応なのだが、ユウマの中でその感覚は麻痺していた。いつもリサはユウマの着替えの時、当たり前のようにその場にいた。クリスの新鮮な感覚は前の世界では当たり前の感覚の筈だった。


「え、マルコはクリスの前で着替えないのか?」


流石にこの言葉にはマルコも苦笑いをした。


「えぇ。流石に礼節というものがございますから。ユウマの環境がその、変わっているというか・・・。えっと僕たちは外で待っていますから、着替え終わったら出てきてください。この後一緒に食事でもいかがですか?」


「おっけー、すぐ支度するから。」


軽く返事をしてユウマは、平民でも買える安っぽいシャツとズボンに着替え、クタクタになったコートを羽織る。もしかして冥府の女神の加護で寒さは平気かなーと思っていたが、ユウマはちゃんと寒さを感じるらしい。結局ローランドで仕えていた時に使っていたコートを手に取った。


すぐ外で待っているものだと思っていたが、そこにクリスの姿はなく、マルコのみが立っていた。


「あれ、クリス帰ったのか?」


「いえ、いますよ。あちらに・・・」


マルコが左手で指した方角、ユウマの長屋は路地裏にあるので道は狭い。その先の街道で待っているということだろう。確かに、こんな貧乏くさいところに貴族の娘さんを待たせておくのも申し訳がない。


「なぁ、マルコ、お前、クリスに弱みでも握られているのか?」


「いえいえ、僕もユウマと同じようなものですよ。」


「そっか・・・。にしてもあいつすげぇな。あんな子供みたいなのに、よく周りを見てるしなぁ。それになんていうか、悪どい!」


「悪どい、と僕の口からは申せませんが、キレものですよ。母親の遺伝なのでしょうね。」


お前も戦争孤児かなんかで、孤児院で生活していたのか、なんてことは流石に言えない。ちなみにユウマは昨日、慌てふためくマルコをザマーと思いながら、さりげなくあの家を後にした。その時、視界の端に映ったクリスの両親と思われるのは、老年の夫婦のみだった。末娘ということであのおばあちゃん頑張ったんだな、としか考えてなかった。実はキレものだったということだ。


「で、えっとどこにいるんだ? 目立つ髪色だからなぁ。すぐ見つかると思ったんだけど・・・」


街道にクリスらしき人影はなかった。街道には馬車も止まっているが、どう考えても男爵が持てるものでもないし、紋章だって違う。あれは確か・・・


「スタンフォード家のものですよ。ユウマ。クリス様はあの馬車の中で待っています。」


「え、スタンフォードって侯爵家だぞ? なんで?」


「事情を説明する前に、僕たちも馬車に乗りましょう。」


三大侯爵家くらいユウマも知っている。その中でもっとも発言力がなかったのがローランド家だ。リサがいるからという理由であまり交友関係を広げられなかったというのもあるが、その分生活に縛りというものは特に感じなかった。それと違って残りの二侯爵はそれぞれに公爵家の派閥に属しており、それぞれの影響は受けるものの、公爵家を後ろ盾に王族の権威を借りることができた。


だからこそ、この馬車は豪華なのだ。ローランドの馬車も十分だった豪華が、それよりもすごい。だから、クリスがなぜこんな馬車に乗っているのかが解せない。


「お邪魔しまーす・・・って、どちら様?」


知らないおじさんがいる。クリスは知らないおじさんについて行ってはいけないという最低限の自己防衛もできないのだろうか。


「お待たせしました。彼がユウマです。スタンフォード様。」


マルコがユウマの愚行をフォローする。


「ゆ、ユウマです。」そう言うしかない。反射的にとはいえ、絶対に偉い人に言って良い言葉ではなかった。


「ユウマ、ニコル・スタンフォード侯爵様よ。今、うちの学校の校長代理を任されてる偉ーい人だよ。」


なんと侯爵様ご本人だったとは。そう言われてみれば、ユウマの知っているトーマス・ローランドとは格も雰囲気も段違いだ。いや、それは娘の前のトーマスしか知らないだけかもしれないが。



ユウマの中では「ちょっとご飯食べながら、おしゃべりをする」程度だったものが、突然貴族の社交場に連れていかれるようなものだ。体がカチコチに固まってしまう。


「いやいや、今日はそういうのは抜きで行こう。ユウマくん、君の噂は・・・。というより、実際に私は見ているからね。さすがに妙な真似はせんよ。」


「スタンフォード様、ユウマは戦疲れで今日は登校できませんでした。ですので事情を知りません。私から彼に経緯を伝えておきます。」


「そうか、庶民の英雄様も休養は必要だからな。では向かうとしようか。クリスティーナ君。」


ニコル・スタンフォードは御者に目で合図を送った。その間に学校であった経緯をユウマはマルコから教えてもらった。


登校してすぐ、クリスは根回し済みだった貴族の生徒を全員集め、教員の部屋を片っ端から回って行ったらしい。だが、ほとんどの教員の部屋には、彼らの姿はなく、文官が残されているだけだったという。そして唯一出勤していた教員ナタリア・ケネット先生を見つけた。ちなみにケネット家が伯爵家であるということもユウマはこの話で初めて知った。ただ、ナタリア自身は子爵の出であり、家族から十分すぎるほどの愚痴を聞いていたらしい。


かと言ってクリスからの要望はナタリア自身で判断できるものでは到底なかった。クリスはまず、ユウマに昨日話した内容を貴族目線で語り、そしてさらにはその準備の為の学校閉鎖まで要求したらしい。


子供が学校行きたくないから閉鎖しろと言っているなど、言語道断だ。ユウマも学校行きたくないから、学校潰れろと思ったことは大昔、前の世界では何度でもある。そんな我儘な事を言う生徒が、しかも貴族のみで構成された生徒達が教員の部屋に乗り込んだのだ。


『学校崩壊』と呼んでいいだろう。学級崩壊ではない、学校崩壊だ。そしてマルコは爽やかにさらっと言ったが、クリスは「要求を飲まなければ、ナタリアの実家の領地にはユウマを貸し出さない」と突き付けたらしい。さすがクリスだ。ナタリアのお家事情にも詳しかったのか、根回しというやつなのか、もしかしたらナタリア・ケネットしかいないタイミングをあらかじめ掴んでいたのかもしれない。おそるべき根回しだ。


俺は承諾したとは一言も言っていないんだけどね・・・


学校はあってもなくても、クリスは計画を実行するつもりだった。ならばここでそのシステムから外された場合の想定もしなくてはならない。だからナタリアの決断は早かった。


「私では決めかねます。校長代理にお伺いしなければ。」


この言葉をクリスは待っていたらしい。教員が校長代理へ話がある、その大義名分が欲しかったのだという。ナタリアに魔法通信で連絡させ、そしてすぐにナタリアを馬車に押し込み、ニコル・スタンフォード、つまり校長代理の元へクリスは無事、大義名分を掲げて到達したらしい。4、6、3のダブルプレイかよってくらい華麗な動きだ。


あまりにもうまく行きすぎている。クリスは予めその根回しというやつでニコル・スタンフォードの居場所も掴んでいたそうだが、昼過ぎにはユウマの家にいたことを考えれば・・・いや、どんだけ根回ししてんだよ。


ここまで来てしまえば、ユウマに発言権など1mmも残されていない。今から、俺参加しねぇけどなんていう度胸なんか、遥か彼方に飛んでいっている。


一応、建前上はニコル・スタンフォードがノーマン・メリルを食事に呼んだということになるらしい。あの老夫婦を見ているユウマからすると、どう考えてもアンバランスだった。クリスの父親は横顔しか見ていないが浅黒く、本当に野良仕事をしてきたような服装の老人だった。あくまでイメージだがニコル・スタンフォードは如何にも政治家という雰囲気を漂わせている。あの老夫婦もローランドと同じく娘の被害を多大に受けているのだろうか。


ただ老夫婦からしたら可愛い娘だ。そこは頑張ってくれることだろう。だが、その場に全然関係ないユウマがいる意味が分からない。校長代理を教員だとして、学校の三者面談に隣のクラスの生徒が混ざっているなど訳がわからない。それこそお呼びでない。勿論、クリスの狙いは分かっている。本気で学校閉鎖を狙っているのかは知らないが、現物を見せながら交渉することが有利に働くと見ているのだろう。


ユウマはリサと食事をすることはあれど、立派な高級店で貴族様と会食する経験なんて皆無だ。ローランド家はちゃんとユウマの存在を切り分けて扱っていた。だから今までユウマも気を遣う生活を強いられることはなかったのだが。そもそもユウマはリサの貴族らしい一面を見たことがない。いったい今どんな顔をしていて、何をしているのだろうか。ちゃんと貴族らしく振る舞えているだろうか。それに、あいつはどんな顔で人を殺しているのだろうか。


他国の知識は残念ながら与えられていない。悪魔を崇拝する夷狄としか聞かされていない。でもきっとその国にはその国の文化があるのだ。それをリサは今踏みにじって、破壊の限りを尽くしている。それこそ隣国したらリサこそが悪魔だというのに。


「痛ぁ!!」


「ユウマ、誰のことを考えてるのか想像付くけど、今は僕が主人なんだからね!そーゆーのは僕のいないところでやってくれるかな?」


「え? 主人って何それ・・・」


もう一度足を踏まれた。


マルコの顔には後から詳しくお伝えしますと書いてある。確かに今のユウマはただのユウマであり、ローランドから切り捨てられた身だ。だが、ローランド侯爵は未だ家を貸してくれている。それにユウマが貰った大きすぎるお金だって退職金と、はっきりと言われた訳ではない。だからという訳ではないが、なんとなくユウマはそのお金を使うことが出来なかった。捨てられたという事実を認めたくなかっただけかもしれない。だから今は過去のユウマがDT卒業するために貯めていた資金を有り難く頂戴している。


そんなあっさりと鞍替えという心境にもなれない。だから、どっかのコンビニ的なバイト、もしくは日雇い労働でもしようかと思っていた。悩ましげなユウマに、クリスが小声で言った。


「君が受け取ったと思われる金額の二倍、ローランド侯爵に渡したし、それにちゃんとローランド侯爵の許可を得て、あの家を引き払う手続きも代行してきた。つまり君が受け取ったお金の所有権は僕にある。そして君はもう帰る家を失ったことになるんだ。」


小声で言われたので小声でビックリするしかないが、何から何まで計算されている。っていうかこの国に人権ってないんですかと声高に叫びたい。たかが膝を擦りむいたレベルで殺されそうになっている時点でお察しではあるのだが。それにしてもどうしてその事を知っているのだろうか。


「そういうことです。法律上、ユウマの所有権はその時点までローランド家が保持していました。けれどもクリス様の計画にはユウマが必須です。現時点では形にもなっていませんが、軌道に乗り始めた後で急に所有権を主張されないよう、先に手を打ったという事です。」


完全なる人身売買、いやそれくらいはありそうな世の中だけれども。


「僕が住まわせてもらっている家の二階が空いています。ユウマの荷物は別の者がそちらに移動させています。帰る家はございます、ご安心を。」


元々何にもない家だったけれども。貴重なお金もあんな物騒な家に置いておけない。毎日持ち歩いている。だから、ボロ切れのような装備と服くらいしかないだろう。きっと今頃、その『別の者』とやらは鼻歌でも歌っている事だろう。


「さて、そろそろ着く頃だよ。僕は先に降りるから、君はこれに着替えてくれ。くれぐれも僕が降りた後だぞ!」


露出狂だと思われているのだろうか、だったら昨日のクリスこそ露出魔だ。実際にユウマは簡単に一本釣りされたわけだが。確かにマルコもフォーマルな服を着ている。普段からそういう服装だから気がつかなかったが、今日のはかなり品質が良い。あれもクリスが用意してきたのだろうか。


男爵の末娘、やけに金の周りが良い。だが、昨日の計画を聞かされれば『商才』と『度胸』を持っていることが分かる。ユウマを買い取るにしても、かなりの金額だっただろう。きっとこういう奴がのし上がっていけるのだろう。


店の中を見たユウマは唖然とした。大きなメインホールの中央にテーブルが一つだけ。あとは皆片付けられている。


「え、これ何?貸切ってこと? こんなでかいのに? どれだけ金掛けてんだよ!も、もしかして、これってニコル様が用意してくれたのか?」


「バカを言うな。ニコル様は客人だ。僕が用意したに決まってるだろ?僕はこのビジネスに全てを賭けてるのさ。」


また、足を踏んでくる。もっと別パターンのお仕置きを・・・って、クリスの前では考えないようにしておこう。


「スタンフォード様、メリル夫妻は既に店内にいますので、ご案内いたします。」


マルコのやつ、侯爵にも全くびびることなく対応している。ユウマのポンコツっぷりが改めて思い知らされる。マルコは店の扉を開け、丁重に公爵を案内していった。


「ほら、僕たちも入るよ。」

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