冷たい雨
「討伐、またやるらしいぞ。前の惨劇が何もいかされてねぇじゃん!」
ニールの声がする。学食での会話だが、これはユウマに向けられた言葉ではないだろう。ナディアはリサに関係なく、ユウマの隣に座る。そうするとマルコも座る。そしたらニールもそこに座る。見た目はいつもの学食だが、中身は全然違う。もしくはまたユウマに守ってもらおう、そんな魂胆かもしれない。
「えぇ。僕も主人から聞きました。それにもっと不穏なことも・・・。」
「そ、そうなんですか!? だって、死人まで出たんですよ?」
ナディアは情報網を持たない。だが、それはユウマも同じだ。ユウマに発言の権利はあるのだろうか。それも分からずに、黙って様子を窺う。
「なぁ、マルコ、不穏な話ってあれ、マジなのか?」
「はい。この度から、伯爵以上の爵位を持っている貴族・・・一応これには辺境伯も含まれるのですが、彼らとその領民にはその責務が除外されるようです。」
「うそだろ?」
ユウマがつい声を出してしまった。顔を上げてしまったせいで、今まで一度も合わせなかった目が合ってしまう。どうせ自分には言われていないのに・・・。
「えぇ。しかも今回も深いエリアまで探索させるつもりのようです。ちなみに今回から試験に関係なく、授業として定期的に行われるという話です。」
マルコは依然と変わらない爽やかな顔だった、もちろん表情は険しいが、ユウマが想像していたものとは違っていた。
「で、でも今回もあれだろ? 貴族様は兵士を送ってくれるんだろ? な、ユウマもそう思うだろ?」
ニールも自然にユウマに声を掛ける。そこまで聞いてユウマはアレだと思った。こいつらはただ自分の身の安全が欲しいだけだ。だからその情報が入った途端に媚を売り始めたのだ。
「そ、そうなんですね。でしたら安全ですね!ね、ユウマ! ユウマは最前線で一緒に戦ってたんでしょ?」
ナディアにはそう伝わっているのかと思った。そしてナディアは純粋にユウマを人として見てくれている。ナディアのことはしっかり守ってあげよう。まぁ、修道士って生涯純血を保つらしく、ナディアルートはなさそうだが。
「そうじゃない、ナディア。前線でギリギリ戦えていたのは、俺が見た限り、辺境伯の兵士、そして侯爵以上の貴族の兵士のごく一部だった。ほとんどがコボルトがやっとってとこだったし、子爵、男爵の兵士に至ってはただ逃げ惑っていただけだ。」
冷たい言葉だが、真実を知って欲しい。ナディアの顔が青くなるが、大丈夫だ。ナディアだけは守ってやる。でも、こいつらは、こう言うために来たんだろ?「ユウマ、またチームを組もうぜ」そして、前みたいに守ってくれと。ユウマは俯いて、ほとんど残ってなどいないスープをスプーンでつついて場をやり過ごそうとした。
「なぁ、ユウマ、俺・・・
「ユウマ、僕・・・
来た来たとユウマは思った。このあとのセリフは決めている。勿論、見殺しにするなんてことは出来ない。だから、「勝手に後ろについてればいいだろ」、そう言ってやる。さあその続きを言ってみろと言わんばかりにユウマは彼らの顔を見た。
「俺に特訓をつけてくれ!!」
「僕に戦い方を教えてください!」
言葉は違うが二人とも同じ意味の言葉を言った。ユウマは「勝手」と言おうとした口のまま、口を大きく開けている。
「ユウマ、お前、絶対に俺たちのこと、誤解してるだろ?」
「ですね。本当に僕をみくびっています。」
ユウマは声を失った。全部自分で決めつけていただけだった。いや、お貴族様は間違いなく、ユウマのことを嘲笑っているし、他の生徒もざまー顔でユウマを見ていることは間違いない。それでもユウマは彼らの顔だけはちゃんと見ていなかった。
「そうですよ、ユウマくん。私はずっとユウマの力になりたいって思ってた・・・。あの時のユウマくん、ほんとに危なっかしくて・・・。でもそれをさせてるのは私なんだーって思った。」
「あぁ。そうだぜ。お前が勝手に近づいてくんなオーラ出してたから、気を遣って近づかなかっただけだからな。でもそうだな。俺の場合はこう、お前のこと、カッコいいって思っちまったからなぁ。俺も戦いたい!! ユウマと一緒に戦いたいんだ!!」
「まぁ、僕の場合は少し違いますが・・・。主人からの命は変わっていません。引き続きユウマを支える様に言われています。ですから、僕も領民のために戦う決意をしたんです。勿論、ユウマが教えてくれること前提ですが、ユウマの教えは我が領地に伝えるつもりです。戦力は多い方がいいでしょう?」
そして、それはたった三人ではなかった。それ以外のクラスメイト、マルコのクラスメイトの数名がユウマの側に来て、同じことを言った。
彼らの中では、ユウマはとっくにヒーローだった。
勿論、ユウマの戦い方は彼らには出来ない。それでも、すごすぎる先生なら知っている。しかもその金色の先生はユウマのレベルに合わせて、少しずつ鍛えていった。あの大先生ほど上手くいく自信はない。
彼女のことを思い出して、再び俯くユウマを、三人は優しく労ってくれた。ぼっかりと大きく空いた心の穴はそれでも埋めることなどできない。それでもユウマは自分がすべきことを一つだけ見つけることができた。
例えそれが冥府の女神に繋がることじゃなかったとしても、きっとこの先もユウマの人生は続いていく。そしてそれはユウマだけじゃない。彼らだって同じなのだ。だからユウマは彼らの申し出を快諾した。皆が死なない様に、そして心の穴が少しでも埋まるように。
リサを忘れるなんて、絶対にできないのに・・・
そしてさらに数日が過ぎた。曇り空の街はずいぶんひんやりとしていた。もうじき冬がやってくる。貰ったお金で服を買わなければならないかもしれない。それにそろそろ仕事も探す必要があるだろう。だが、ユウマは未だ暗闇の中にいた。ニールやマルコは逐一情報をくれる。次の討伐戦、いや未開拓エリアへの特攻か。その情報を頭に詰め込み、訓練内容、そして陣形を検討する。
勢力図が変わった、そんな理由だろう。自習という名の休講が増えた。その間もリサのいない教室でユウマは日常を過ごさなければならない。多少平民の何人かとは話ができるようになったが、ユウマはその内容をほとんど覚えていない。
そんな自習する内容さえない缶詰状態の授業の最中、教室内に放送が流れた。
『ユウマくん、ユウマくん、至急ヘレン・エッガー教室まで来る様に』
校内放送は何度か聞いたことがあるが、ユウマが名指しで呼ばれたことはない。ヘレン・エッガー、確か伯爵家の従兄弟、そんなところだったろうか。ユウマを裏口追試回避させてくれた先生だ。皆の注目を浴びる中、ユウマは教室を出る。
ヘレンのいる講師部屋に向かう途中、ユウマは窓の外を見た。曇り空だと思っていたら、もう雨が降っている。きっと冷たい雨だろう。あと一月もすれば雪に変わるかもしれない。陰鬱目つきで空を眺め、そしてそんなことどうでもいいやと思いながら、部屋のドアをノックした。あの追試はやっぱ無し、とか言われるのだろうか。それももはやどうでもよい。暫く待っていると、ヘレンの声がしたのでユウマは入室した。
「あ、来た来た。ユウマ君、あのねぇ、頼まれて欲しいことがあるのぉ。あのねぇ、悪いんだけどぉ・・・。ベランダに干してある洗濯物取り込んできてくれる?」
物凄くどうでもよいことだ、自分で取り込めば良いのに。そう考えたが、ヘレン・エッガーは正真正銘貴族の御家柄だ。ユウマに拒否権などない。仕方なくユウマはベランダに向かうことにした。魔法学校の校舎はユウマの知っている校舎と呼べる構造ではない。裏側が教会のままであり、おそらく教会のベランダのことだろう。
それにしても、一体いつから雨が降っていたのだろうか。洗濯物がぐしょぐしょになっていたらまた一から洗い直しだ。もしかしたらそれも含め自分を呼んだのだろうか、ヘレンはユウマの弱みを握っていると思って自分に頼んだとしたら、大間違いだ。もはやユウマに進級は必要ない。ベランダの扉は思いのほか頑丈で、金属製だった。独房には優しさを、ベランダには厳しさをだったのだろうか。勿論そんなことはない、大方教会が襲われた時に侵入されないためだろう。
つまらないことを考えながらユウマは重い扉を開けた。
だが、そのベランダには洗濯物などなかった。物干し竿さえない。あったのは、いや、いたのは
リサだった・・・
土砂降りの中、顔は見えないが間違いなくリサだ。あの図書館以来、一度も姿を見せなかったリサ本人だ。言葉を失ってユウマはそのまま立ち尽くした。リサがいる。リサがいる。待ちに待った瞬間じゃないか。それでもユウマは動くことができなかった。
「ねぇ、ユウマ・・・」
リサの言葉でユウマの時が動き出す。
「お、おう」
言いたいことは山ほどある。伝えたいことも山ほどあるのに、こんな時に限って何の言葉も出てこない。
「私、お姫様になっちゃった」
表情は分からない。でもいつもの喋り方ではないことくらいは分かる。
「あぁ、知ってる」
「そうよね、こんな話すぐ広まっちゃうよね」
「それより、雨、冷たいだろ。校舎に入って・・・」
「いいの!!ここでいい。ここで話させて・・・」
リサの服はびしょ濡れだ。それに髪も顔にべったりと張り付いている。このままで良い筈がない。それでもリサはそこだけは強い口調で言った。
「ねぇ、ユウマはどう思った?」
リサからの突然の質問だった。その質問の答えなんてとっくに出ている。「捨てられた?」違う!「寂しい?」違う!「切ない?」どれも正しいようで正しくない。感情は分かる。でもそれを上手く言葉にできない。
「・・・・・・」
「やっぱり、ユウマは嬉しかったの・・・かな? 私、すごく我が儘で、すごくユウマのこと虐めるし・・・。解放されて良かったね?」
その言葉に苛立ちを覚えるユウマ。
「違う!そんなわけないじゃないか! どれだけ心配したと思ってるだ。なんで、何の挨拶もなしに姿を消すんだ。」
「そっか、ユウマは心配してたんだ・・・」
そうじゃない。そういう意味じゃない。本当はそんなことどうでもいい。どうでもいいことなら言葉にできるのに。肝心の気持ちが、恐怖で出てこない。
「そりゃ心配する。でも、なんていうか言葉にできない・・・。だって、この国トップに立つのがお前の夢だっただろ? だったら、俺は祝福するしかないじゃないか!!」
調子が狂う。いつものリサじゃない。もっと命令口調で、もっとおてんばで、もっとドSで。それなのに、今はなんて顔をしているんだ。
「ええ、そうよ。それが私の夢だし、あと一歩のところまで来てるわ」
「だったらなんで俺の気持ちを聞くんだよ!それに俺たちはなぁ、明日また未開拓エリアで戦わされる。お前は偉くなったんだろ? じゃあお前の力でなんとかしてくれよ!!」
「そんなの・・・できるわけないじゃない。だって、だって私は・・・
『あなたを・・・』という言葉、リサのその言葉は雨の音でユウマには届かなかった。ユウマもこんな口論がしたいわけじゃない。いつもの口論がしたいのだ。もっと馬鹿馬鹿しい、何気ない口論が。
「でも、お前が求めるものも見つかったんだろ。だったら俺はもう用済みだよな。」
ユウマの感情と逆の言葉ばかりが口から流れていく。それでも「側にいて欲しい」なんて言えない。リサの夢が叶う直前まで来ているのだ。それに前だって平民と貴族だったが、今は平民と王族だ。叶わぬ言葉だと分かりきっている。
「違うの!お願い聞いてユウマ。」
リサは初めてユウマの目を見た、そんな気がする。薄暗くてはっきり見えないが。
「ユウマ、何があっても絶対に死なないで・・・。私も・・・がんばるから・・・だから・・・」
今度こそユウマにはリサの目が見えた。綺麗な翠色の瞳。なんて悲しそうな目をしているんだろう。このまま彼女を抱きしめたい。どこにも行かせたくない。ただ、そんな悲しそうな目をしていてもはっきりと分かる。リサの目は覚悟を決めた目だ。だからそんな彼女の言葉を最後までユウマは聞かなければならない。
「私のことは忘れて・・・。そしてあの魔法陣のことも忘れて生きて・・・」
そう言うと、リサはユウマに向かって歩き出した。リサは目の前にいる。手を出せば届く距離にいる。それでもユウマには、ただリサを見つめることしかできなかった。リサはもうユウマを見ていない。ただ、リサは泣いているように見えた。雨のせいではっきりとは分からない。
だからユウマは何もできなかった。雨の中、二人の肩がすれ違う。そしてその時、リサは確かにこう言った。
・・・さよなら、大好きなユウマ
ユウマが振り返ったときには、リサの姿はどこにもなかった。
雨の音がやけにうるさい。もっと声を、笑い声を聞きたいのに・・・
「そんなの、無理に決まってるだろぉ・・・。忘れられるわけ、ないじゃないかぁぁぁぁ!!」
冷たい雨は二人の涙をどこまでも冷たく洗い流していった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます