図書館と秋の終わり

 王立図書館、王都アルテの王城ではなく、大聖堂に併設された格式高い石造の建物だ。地震がないってのは、羨ましいなぁ。ユウマはこの近くに歩く誰しもが思いつかないことを思っていた。既視感はない。逆にあるとすれば、前の世界のイタリアやギリシャの建築物だ。勿論画像でしか見たことはないが。王立図書館のみならず、ほとんどの建物は遠くから眺めることは出来ても近くで見ることはない。今踏み入れている敷地にさえ、平民は入ることが許さていれない。


厳密には隣に立っている少女も、父親同伴ではまだ入ることが許されない筈だ。そしてさらに隣の親子連れ・・・。


「メグ、なんでお前もいるんだよ。」


「あら、私はお父様と見学に来ただけですよ? 奇遇ですね、リサ様。」


絶対にわざとに決まっている。ユウマの監視役が来ない筈がない。だがこいつまでいるとは思わなかった。勿論、リサ目当てということは百も承知だが。


「いいじゃない。多い方が探す手間が省けるわよ! 期限は今日一日、しかも閉館時間までよ!」


「閉館時間って何時だよ。」


「午後三時よ、そんなこともユウマは知らないのね。リサ様、早くこんな無能、お捨てになってください。」


相変わらずこの態度、ユウマの評価はいつまで経ってもメグの中では変わらないらしい。リサの寄生虫、目がそう語っている。


「さぁ、とにかく行きましょ! そしたら手分けして探すのよ。だいたい怪しいところは下調べ済みよ!!」


リサが先導し、メグがリサについていく。ユウマは物珍しさにキョロキョロと本以外のものに目を向けていた。中でも彫像は立派なものであり、天使や英雄、それに王と銘打たれていた。偶像崇拝について考えていたばかりだったので、つい目がいってしまう。そもそも大昔の彫像なんて、大体題材が神話だ。誰も見たことがない筈なのに、どうして彼らがそれだと言えるのだろうか。勿論、そんなものは愚問であり、きっと彫像家がモデルか何かを用意して作っていたのだろう。それにきっと10割増しくらいには美化されている。


「ちょっと、ユウマ、彫像に向かってそんな破廉恥な目を向けないでよ!」


確かに、美しい女神像に見入っていたユウマだったが、別に破廉恥な目は向けていない。アルテナス神が中央で最も美しく作られていると思っていただけだ。本当の目的は、こんなところでひょっこりと冥府の神を見つけられるのではないかと思っただけだ。


「いや、流石に俺、無機物はダメだし!」と言い訳をしながらも、ユウマは別の区画に既視感がある物を見つけていた。


「なぁ、リサ、これって何?」


確か、東京の美術館の前にあった気がする。確か名前は・・・


「それは地獄の門よ。ほら、こっち側に、アルテナス神とその使い達、あっち側に悪魔たちがいるでしょ?」


なるほど、よく見ると趣旨も構図も違う。ただ、どの世界でも地獄の門は同じ様なイメージなのかと納得しかけた時、その彫像の中、一人だけ様子を眺めている者がいる。


「あー、それはエステリア様ね。ほらこの国の名前の由来になってる・・・んー。たしか、精霊って言われてるわね。アルテナス神の命令で、人間の住める国を作ったとされてるわよ。」


「ユウマが見てるのは、どれも女性とされる精霊ばかりですね。ほんと破廉恥です。リサ様、こいつを地獄に落としましょう。」


「そういえばそうねぇ、ほら、ユウマ、その辺で死になさい。放り込んであげるから。」


リサが言うと冗談に聞こえない。別に女性ばかり見ているわけではなく・・・


「違う違う、なんで、国産みの精霊が地獄にいるんだよ。」


「地獄で悪魔を見張っててくれてるんだって。あんた聖書読んだんでしょ? っていうかそういうのを調べるためにここに来てんでしょ? ほーら、ユウマさっさと来なさいぃ!」


ユウマは腕を組まれて無理やり引きずられる様に、巨大な本棚のならぶ中央へと向かった。それにしても、地獄の番人と冥府の女神、似ている設定に思えるのだが・・・。それにしてもリサは最近、距離が近い。本当にそろそろ自分が如何に魅力的に見えるのかを理解してほしい。


大体、今回の件もリサが自らの体を賭けていたという。後から聞いた時は肝が冷えた。勿論、後から聞いて良かったとも思ったが、そもそも発想が危なすぎる。結局そのお陰でここまでとんとん拍子で進めている。ということは自分の魅力に気がついている? だとしたら、なんというか、胸が当たって気持ちいいんですけどぉ!!


この後、メグの肘鉄を喰らうことになるのだが、漸くユウマ達は目的の場所へ到着していた。いったいどうやったら、あんな高いところの本を取れるのか、それ程本棚が高い。こういう場合脚立のようなものがあるか、本棚そのものが電動で動くかだと思うのだが、そのどちらも見つからない。


「なぁ、これどうやって取る・・・ってなんでお前ら本を持ってんの?」


リサやメグも手に取っているのは上の方にあった書物だ。ユウマがなんていうか名前が分からない運べる巨大な脚立を探している間に二人とも本を手に取っている。


「あら、リサ様、バカが図書館に入り込んでますけど・・・。」


「あー、そうねぇ。バカにはまだ早かったかしら。ほら、こうやって・・・。ね?」


ね?じゃねぇよ。今魔法使ったよね? それって俺には無理なやつじゃん。そういえばここはお貴族様しか来れない場所だった。基本的に英才教育の賜物なのか、優秀な遺伝子をお持ちなのか、貴族の方が魔力が高い。


「はい、じゃあユウマこれ読んでー。」


リサから手渡された本には、ルーン文字が記載されていた。読めるからといってこの世界の言葉に置き換えるのは難しい。だから出来るだけこの世界の言葉に近い発音の文字に置き換えていく。ちなみに文字列はバラバラで、ルーンやアルファベットで書かれているからといってユウマにはそれがなんていう意味なのかは分からない。


ユウマが読めないのは専門用語だからなのかもしれない、とも思ったが恐らくは違う。もしかしたら二段階の変換が必要なのかもしれない。例えば、この世界に別の言語が存在していて、その言葉で書かれているとしたらユウマにはお手上げだ。ローマ字が書けるからといって、英文が読めるようになるわけではない。


リサはユウマに次々に本を手渡していく。そしてそれをユウマがこちらの文字に書き直していくわけだが、時々、リサがふむふむと言っている。


ユウマの隣にどんどん本が積まれていく。リサもメグにならって本をユウマの積読に置いていく。付箋のついたページの文字の変換をしていくだけの作業が三時間くらい続いた時に、漸くユウマは何をしているのか、気が付いた。


「これってもしかして、本を探していないんじゃないのか?」


すると、リサが目をパチクリさせてこう言った。


「え、言ってなかったっけ? 通訳させるって。わざわざその記号が書かれてある本を探して、あんたに変換させてるんだけど? だってそうでしょ? 私はいつでもここに来れるのよ? この中から目当てな本が出てくるだなんて思ってないわよ。」


「あら、このポンコツはそんなことにも気がついていなかったのね。リサ様、こいつにむかって本棚倒します?今なら事故死って言えますけど。」


地獄に落とされたり、事故死に見せかけた他殺にされたりと、散々な言われ様だ。どう考えても容疑者はお前らだとツッコミをいれたい。だが、ポンコツなのは間違いない。勿論、それはリサがやっていたことと比べればだが。リサは前日かそれよりも前にここに入り、あらかじめ付箋を貼っていた。ルーンかアルファベットだと思われる模様の書かれてある本に目星をつけていた。ちなみに関係ない模様も混ざっていたが、それはユウマが排除すれば良い。そしてリサは今超絶なことをしようとしているのだ。


リサはこの短時間で異世界の文章を習得しようとしている。


「私が読めたほうが良いもん。それにユウマは魔法使えないから試せないじゃん。」


確かにアルファベット文字やルーン文字、それにあの文字はドイツ語? もしくはキリル文字か?ラテン文字系統の他の文字もこの世界には残っていた。


この短時間で模様にしか見えなかった文字を言語野に刻み込んでいる。そして、ユウマに積まれた本が半分に満たないうちに、リサは満足そうな顔をした。


「大体わかったわ!」


お茶を飲んでいたら溢しそうな言葉が聞こえた。


「ほら、ユウマ、見て見てぇ。」


サラサラとユウマが書き写していた紙にリサは文字を書いた。それぞれユウマとアルファベットやルーンやキリル文字で書かれていた。それどころか、エリザベス・ローランド、マーガレット・ウォルフォート、トーマスなどなど、ちゃんとこの世界でいう異世界文字で書かれてある。


やはり、こいつ神!!


「ユウマ、ここからが本番よ!」


「本番ってどうするつもりだよ? ここの本には用がないんだろ?」


そもそもここにくる意味あった?と言うユウマだったが、もう一つの言葉を思い出した。


「私たちの目的はあくまで禁書よ。だから、今からこの図書館の責任者、枢機卿に会いにいくわ。きっと奥の方にいるはずよ!!」


またもや強引に連れて行かれそうになり、ユウマは今度は自分で歩いた。メグの肘鉄も地味に痛い。ただ、結局腕を組んで歩いているみたいになってしまっているが。これは誰がどう見ても付き合っている! 鼓動が速くなるのが分かる。メグのメガネの奥が怖いのだが。


「リサ様、では私はここで。悔しいですが、私はお呼びでありませんから。」


枢機卿ってことは? えっと法皇?と頭を巡らせているユウマはメグが突然、帰ると言い出したことに吃驚した。そういえば禁書が目的だった。だとすれば、メグはこれ以上近づかない方が良い。だが、その後、不穏な言葉を吐いた。


「リサ様、どうかお気をつけください。あまり良い噂を聞きませんので。」


その言葉にリサは笑顔で手を振って応えた。


「お手伝いありがと、メグ。でも、大丈夫。そんじょそこらの男には負けるつもりはないもの。それに、いくら宗教で理論武装したって私にはこいつがいるから負けないわよ!」


こいつと言って、リサはユウマの手を取った。ユウマとしては訳がわからない。メグがいなくなって寂しいのか、嬉しいのか分からない。とにかく今日のユウマはリサにタジタジだった。


勇んで図書館の奥に進んでいるリサ、リサに置いて行かれまいと必死でついていくユウマは図書館の奥の部屋を目指していた。ずっと腕を組んでいるのでユウマの顔は真っ赤になっていた。そしてその先には、真っ赤な顔のユウマとは対照的に真っ黒い服を着た男が立っていた。黒い礼服というよりキャソリックを思わせる服の男、ユウマは直感的にこいつが枢機卿なのではないかと理解した。勿論、ユウマの知っている枢機卿とは赤っぽい服の筈だが、何故かユウマにはこいつだと思う確信があった。


「これはこれは、聖女様に庶民の英雄殿、ようこそ我が図書館へ。」


低い声で男は言った。漆黒の瞳に青みがかった黒い髪、そしてかなりの長身の30代くらいに見える男。本能的に鳥肌が立つ。リサはそれでも強気の姿勢だ。リサがいなければユウマは彼が視界に映った瞬間に逃げ帰るところだっただろう。


「ウィザース枢機卿ですね。エリザベス・ローランドです。そして彼が・・・


「お話は聞いてますよ。聖女殿、話は奥で致しませんか?」


あっさりと話が進みそうな雰囲気だった。彼は強面だが、話し方は非常に丁寧に思う。だが、どこかきな臭い男だった。そして全てを見透かしているような瞳がユウマはとにかく気に入らなかった。だが、そもそも禁書など安易に見れる筈がない。こういうラスボスは登場するものだ。


「さて、聖女殿はどこまでご存知なのか・・・。ここまでいらしたのです。禁書の閲覧を望みなのでしょう?」


やはり見抜いている。それにしても自ら禁書の名前を出すものだろうか。


「はい。私は国立図書館に入らせて頂ける筈です。でしたら全てを見ても良い、ということですよね?」


「そういうことになりますね。ですがご存知の通り、禁書は王のみ所持が許されているもの。さすがにそれは許可できませんね。」


「それは分かってますよ。でも、秘密の部屋なら、法にも何にも縛られてないのでしょう?だって秘密なんですもの。」


リサの返しも上手い。それにしても秘密の部屋、だからリサは王立図書館の閲覧という言葉に拘っていたのだろう。最初から禁書といえば、突っぱねられてそれで終わりだ。ユウマはそこまでこの世界の法律を理解してはいない。それに平民と貴族で法律も違うのだろう。だからこれでうまくいく、そう思った。


「そこまで知っておられるとは、いやはや、参りましたな。さすがローランドといったところですか。デショーンボルグの分家は伊達ではありませんねぇ。」


リサはドヤ顔でユウマにウィンクした。「ほら、みなさい」といったところだろう。だが枢機卿は慌てた姿を見せていない。まだ余裕があるようにみえる。


「いいでしょう。聖女と呼ばれる方にお見せするのであれば、王の許可も降りる筈です。いえ、保証しますよ。王も許可を出さざるを得ないと。ただし・・・」


「ただし」きたーとユウマは思った。あまりにも話が甘すぎる。枢機卿の目がユウマに止まる。


「聖女殿、大変申し訳ありませんが、そちらの方は許可しかねます。そもそも彼はここに立ち入ることさえ本来は法律違反なのです。残念ながら、秘密の部屋は法に縛られていなくても、彼の存在は法に縛られています。」


法律には法律を、ということだろう。結局ここで脱落してしまうのか。だがここでユウマはリサが掛けた保険を思い出した。リサはこの展開も読んでいたのか? 現にリサはユウマがいなくとも魔法陣を読み解ける筈だ。リサも余裕のある顔をしている、ってことはユウマ、一人損ということになる。結局自分では探せないのだ。


「いいわ。全部暗記して見せるんだから! ユウマ、期待してていいわよ!!」


全くもって、ユウマの想像通りだった。結局ユウマはここで退室になる。リサは親指を立てているので大丈夫ということだろう。それにしても、この枢機卿という男、さっきから何なのだ。ニヤニヤとこちらを眺めている。平民などここから出て行ってしまえという貴族のあれだろうか。リサがいった彼の名前も苗字っぽかったし、きっと良いところの出なのだろう。



ユウマが退室して、どれだけ経っただろうか。秘密の部屋という所に何冊の本があるかも分からない。膨大な数の本があったとて、リサがああ言うのだ。全て覚えて帰るつもりだろう。相当時間が掛かるかもしれない。ユウマなら途中で逃げ出しているところだ。でもだからといって、ユウマだけ先に帰るというのも違う気がする。仕方なくユウマは自分の手が届きそうなところの本を手に取る。


ユウマが手に取ったのは歴史の本のようだ、しかも割と最近書かれた、それなりに読みやすい本。なぜかこの本、魔法の文字で大好評と書かれてある。誰だよこんな落書きしたやつ。でも、たしかこっちにきて最初に酷い目にあったテストが歴史だった。一万年前は何時代?光の時代、って知るか。そんなツッコミをしながら読んでみる。ものすごく偉い人が書いたっぽい本だが、光の神アルテナスが神に似せて人間を作ったと本気で書かれている。化石とかそういう概念はないのだろうか。


次はこの国を建国したは誰か。・・・精霊エステリア、マジでそう書かれてある。精霊って形がなさそうなもんだけど、っていうか霊って言ってんのに物理なの? 本気でそう思っているのだろうか。


1600年頃?頃ってなんだよ。ということでその答えを調べるのが一番大変だった。基準がわからない。この国は月日という概念はあっても、年という概念が希薄なきがする。ただ、一つだけ可能性を見つけた。あの頃のユウマはまだこの世界の記憶や文字がふわふわしていた。だから1600年前という意味だったとしたら・・・。


あった。世界にモンスターが溢れ、大災害、大地震、火山大噴火、大津波エトセトラエトセトラ・・・。いや、人類滅びてね? だってこの辺の年表すっげぇ余白多いし。


「え、なんだこれ。」



つい声を出してしてしまい、きょろきょろと見回したが、誰もいなかった。閉館時間が近いせいだろう。安心して読める。それにしてもリサはまだ記憶力全開中なのだろうか。ユウマもこの本一冊に相当時間がかかるくらいだ。


「3200年前にも、大厄災、神の怒り、大洪水? 4800年前、神の怒りで人々が火山に飲み込まれ・・・、6400年前、神が怠惰な人類を・・・、8000年前、神が神を冒涜した人類を・・・9600年前、神に反抗した人類って神、沸点低くね?」


誰もいないことをいいことに、本にツッコミを入れまくるユウマだが、だんだん顔が青ざめてくる。


「10000年前、この世界の虚しさを憐れみ、アルテナス神が人々を作る・・・。当然これより前の記述はなし・・・っと。うーん。いや、まぁ、この手の話は好きだし? そのぉなんていうか予言? あーゆーのも好きよ?


でもさぁ、やっぱそのぉぉ、1999年はドキドキしてたしぃ。2000年問題とかもそわそわしてたしぃ。この1600年周期なんなのぉ? あれじゃん、今年か来年、大災害来るってことじゃね? いや、まさか、さすがにこんな・・・いやモンスターが激化してるっていう話程度じゃあ・・・。え、そんなタイミングで俺、こっちに来ちゃったの?」


「あのぉ・・・すみませんが。」


「わぁ、び、びっくりしたぁ、あ、あ、あれですか? 声ですよね?声!俺うるさかったですよね?」


全然知らない人に喋り掛けられて、ユウマは恥ずかしい声を出してしまった。勿論図書館で平然とおしゃべりする方が悪いのだが。


「いえ、そろそろ閉館ですので・・・。」


「え、もうそんな時間? えっと、俺友人を待ってるんですけど・・・。そのえっと・・・」


「エリザベス・ローランド様ですよね。彼女は特別に王より閲覧が許可されているらしく・・・。その私も仕事を・・・、えっと分かりますよね?」



結局、リサがあの扉の向こうから姿を見せることなく閉館時間となった。平民であるユウマは強制的に追い出されてしまった。午後三時ということで、馬車がなくとも帰ることはできる。それにしても、あの枢機卿。ユウマは何か妙な違和感を感じていた。それに背筋が凍るほどのオーラ。リサはまだあの向こうにいるのか、ユウマは呆然と天井を眺めた。


天井にはフレスコ画があり、その一部だけ、ユウマは知っていた。


「へぇ、こんな形してたんだなぁ、この世界。真ん丸だな。でもきっと昔に書かれたものだろうし、あっちでもそんなだったし、どの世界も共通だな。」



天井に描かれた絵の世界地図は丸かった。ユウマは少し勘違いをしていた。世界地図が丸いというより、フレスコ画の世界地図は大陸が丸く描かれていた。そしてこの国はその真ん丸の一片を司る三日月。それよりも中央に目が入った。そこはユウマが知っている様に、黒く描かれていた。


「さて、身分違いの俺は退散するか。ペンスさんには、リサはまだ中にいますって伝えておこう。まさかあのリサが、連れ去られるなんてこともないだろ。」


自分に言い訳をするようにユウマは独り言を言った。もしもユウマがこの時、世界地図をもっとよく見ていれば、未来は少し変わったかもしれない。でも、今のユウマにそれが分かる筈もなかった。リサのこと、世界のこと、ユウマは心にモヤがかかったようだった。


一人、ユウマは図書館前方の庭園を歩きながら、街道へと向かう。そこにリサと一緒に来たときに乗った馬車と、ローランドお抱えの御者ペンスがいる筈だ。ユウマは彼に伝えようと、途中にあった彫刻や像など、この世界のきっと神だったはずの天使の像を見ることなく、足早に向かった。


「ペンスさ・・・」


馬車が一台だけ停まっていたので、ペンスがいるものとばかり思っていた。でもペンスはいない。それどころかこの馬車はいつもの馬車ではない。豪奢な作り、ゴテゴテとケバケバしい馬車、それにこの紋章は流石に知っている。王族のものだ。


すでに秋も終盤にさしかかり、心地よい風がユウマの頬を撫でていく。季節の移り変わりを感じる。それはまるで、ユウマの人生の移り変わりを教えてくれているようだった。



貴族街の一等地、ユウマがそこに向かったのは、いつもの仕事のためだ。夕食の食材の買い出しに行かなければならない。確か出かける前に、そんなことを言われた筈だ。貴族街は治安が良いため、一般的に門の前に警備は置かれていない。それでも侯爵以上になると、お抱えの警備の一人くらいいる。


ローランド邸へ到着したユウマが最初に見たものは、その警備のおじさん、ハンスとメイド頭であるミーサが何やら話し込んでいる様子だった。


二人の邪魔話に割って入るのは申し訳ないが、夕食の時間に間に合わせるためにもユウマはミーサからお金を受け取り、すぐにでも食材を買いに行かなかればならない。


「あのお話中すみません。ミーサさん・・・、俺、買い物に・・・」


毎回のことだが、どういう話し方をしたらいいのか分からない。ユウマはリサと呼び捨てにしている。でもそれは本来ならば完全にアウトだ。呼び捨てにしている経緯は、以前に触れたのでまた述べる必要はないだろう。それでも、他の人物との話はどうしても気を遣ってしまう。学校ではリサとだけしか話さないし、それ以外はニール、マルコ、ナディア、どれも平民だ。普通に話ができる。だが、ミーサも子爵の御令嬢だ。リサは呼び捨てでミーサは様付けはおかしい。だから「さん」付けで呼んでいる。


するとミーサは袋をユウマに手渡した。いつものよりも袋よりもずっと重い。しかも袋の大きさに比べて、比重がずっと思い。何かの嫌がらせかと思ったが。ミーサの言葉でその意味を知った。


「ユーマ、いままでご苦労様でした。それはトーマス様からの気持ちだそうです。ありがたく受け取りなさい。それから、今住んでいる家ですが、卒業までは使って良いそうです。ですが、それからはご自身で新しい住まいを探してください。では、ごきげんよう。」


言っている意味は分かる。ユウマはクビになった。もちろん今まで雇ってもらえていたこと自体が幸運だったのも知っている。渡されたのは退職金のようなものだろう。渡されること自体珍しいらしい。有り難く思うべきだ。


だが、そんなことよりもユウマは得体の知れない恐怖を感じていた。ミーサはその言葉を最後に屋敷に戻ってしまったし、ハンスも気まずそうに、ローランドの門扉の奥に行ってしまった。ユウマにはもう、その門扉の向こうに行く資格はない。


分かっている。ものすごく運が良いことは。路頭に迷うことはないのだ。それでも・・・。



静かな夜だというのに、ユウマは一睡もできなかった。次の日が来るのが怖い。朝が来るのが怖いなんて、この世界に来て初めて思った。だが、時の流れを止めることはできない。太陽はユウマの気持ちなど無視して、今日も明るい。特に今の季節の太陽は皆にとって心地よいだろう。だが、秋の終わりの匂いは切ない気持ちにもさせる。


学校には登校する。学校に通うのは王令、義務なのだ。それに以前のままではないにしろ、いつもの如く、リサがいて、メグが睨みを聞かせ、そして我が儘に付き合わされる。そして日々が終わる。仕事はクビになったとしても、それは変わらない。そう思っていた。


だが、学校にはリサの姿はなかった。そしてメグの姿も。それどころかユウマの席も無くなっていた。教室を間違えた? どこかそれを期待する気持ちがユウマにはあった。それでもクラスメイトの顔くらいは覚えている。残念ながら、同じ教室だ。


唖然とするユウマを見て、ニールが話しかけてきた。


「ユウマ、こっちだ。お前の席はここだってさ。」


魂ここにあらずのユウマはニールに言われるがまま、『ユウマの席』と呼ばれる椅子に座った。廊下側、そして周りには平民がいる。


ユウマも平民だから、与えられるとしたら最初からこの席だったのだろう。ロンド・ギルバーソン先生が教室に入り、魔法学の授業を始めている。そして休憩時間、そして別の授業、そして昼休み、そして午後からも授業があった。多分そうだった。ユウマはずっとその席に座っていた。何も考えられなかった。


下校時刻になっても、ユウマはずっと席に座りっぱなしだった。気を遣ってくれたのか、邪魔だったのか、ヘレン先生がユウマに話しかけた。


「ユウマくん、もう遅いわ。それに学校の門もそろそろ閉まっちゃうわよ。」


背中を押され、ユウマは校舎を出た。そして街道を空っぽの体で歩いていく。気がつけば貴族街へ向かっていて、もう行かなくて良いということに途中で気がついた。


暫くは働く必要ないほどのお金は持っている。もしもユウマがお金を持っていそうに見えたなら、あっという間にスられていただろう。だが、今のユウマは彷徨う亡者、ホームレスの乞食に見えたのだろう。何のイベントも起きることなく、何もない部屋に帰宅することができた。


空虚な時間、いつもなら暇だ暇だと言っていたその時間、ユウマは何をするということもなく、リサから借りっぱなしの絵本とパラパラとめくっていた。「王子様との叶わぬ恋の話」、「天使が人と恋に落ちる話」、「神が悪魔を倒し、地獄へ落とした話」、「王が民を導き、世界に平和が訪れる話」、そして・・・「平民と貴族の禁じられた愛の話」。結局ユウマは図書館に行く前に、ローランド邸で見せられた内容以上のことはない一つ、見つけることができなかった。リサはきっと真相に迫る話を得たに違いない。


ユウマは図書館でリサと過ごした日々が思い出してしまい、すぐに絵本を投げ出した。


「リサ、お前は今、何をしているんだ?」


「どうして、俺をクビにしたんだ!!」


「明日は、明日こそは教えてくれ・・・、いや、教えてくれなくてもいい。でも、ちゃんと明日は学校に来てくれ・・・」


隣はまだ空き部屋だった。聞かれる心配もないし、聞かれていたとしてもどうでもいい。ユウマはつい声に出してしまった言葉を恥じることなく、ただただ噛み締めていた。



同じ様な日々が数日続いた。でも、ある時聞いてしまった。『貴族は噂話が仕事』そういった金色のお嬢様は未だに姿を見せていない。でも、その高速通信の如く伝わる噂話を耳にしてしまった。


『エリザベス・ローランドと第一王子アルベルトの婚約』


クラスの話題はそれで持ちきりだった。ユウマの中で何かがすとんと落ちた。あの部屋の奥で、そんな話がされていたのだと。だが、それと同時に来る絶望の方がずっと大きかった。第一王子との結婚、つまりお姫様だ。王子が王になれば、リサは王妃になれる。


彼女の願いは叶ったのだ。あの我が儘なリサのことだ。王を尻に敷き、面白おかしい国にしてくれるだろう。良かったじゃないか。自分の仕えた主人は大出世したのだ。しかも侯爵の娘がいきなりお姫様だ。むしろユウマは喜ぶべきなのだ。


そして向けられる嘲笑の眼差し、嘲り笑う様な態度。ユウマは後ろ盾を失った。今のユウマはただの孤児院育ちの平民だ。今まで憎らしく思っていた分、「ざまー」と思われて当然だ。ニールだって話しかけて来なくなった。ニールが話しかけていたのは、あくまでユウマの向こうにリサが居たからなのだろう。ユウマはどこまでも卑屈になっていった。

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