事後処理
はて、とオリエッタは拍子抜けした。王立図書館の閲覧なら、伯爵以上であれば申請すれば可能だ。トーマス・ローランドと一緒にくればよいだけだ。
「殿下、ユウマは平民です。エリザベス・ローランドは平民であるユウマと閲覧をしたいと、申しております。今の制度では平民はあそこへは入れませんので。」
続けざまに隣の娘が、噛み砕いて説明してくれた。そのことになんの意味があるのか分からないが、王の定める法律違反を見逃してくれと言っているのだ。なんとももどかしい。王族が法律違反を見逃すなどあってはならない。
だが、世間体はどうだ。自分の身を賭け、そして英雄が誕生した。さらに見返りに領地や爵位も求めず、その英雄を図書館にいれて欲しいとだけ願ったのだ。たかが平民なら良い。だが、いまやあの平民は全領地の平民の家族の命を救った英雄なのだ。
「ふむ。儂の一存では決めれんな。勝負の結果もまで出とらんしの。もう良い、下がれ。」
彼女達を下げさせ、オリエッタは嘆息した。心情としては、別にそれくらい良いと思うが、さすがに違反に目を瞑れということになれば、流石に王妃オリエッタと言えども決めかねる。それに勝敗も賭け事も、つっぱねるという方法はまた存在している。
「オリエッタ様、宜しいでしょうか。」
「ブレンダ、今は誰もおらん。申してみよ。」
そこで、ユウマに起きた前回の事件の経緯が説明された。オリエッタ自身は修道士長と師弟の関係ではない。だから、ブレンダの情報は初耳だった。
「修道士長殿のお墨付きだと・・・!?」
ユウマは敬虔な信徒であり、先の実習でも生徒の命を救い、在らぬ罪までも反論せずに受け続けたという。そしてまさに今日、大衆の面前で人々を救った英雄、という設定が出来上がってしまった。
「あの女・・・」
オリエッタは歯軋りをする。爆弾女は存在だけでも厄介なのに、たった三ヶ月でこの国の英雄を作り上げてしまった。しかも全てトップレベルの証人付きというものだ。大抵こういった話はおヒレがつくものだが、前回は修道士長、今回は王妃、つまり自分という存在が証人になっている。これは、あまりにも出来すぎている。
修道士長の件は、実際は単なる偶然なのだが、今回は完全にリサの作戦勝ちである。ことの真相を知る者はリサとユウマしかいない。
「ジョージはどうすると思う?」
「枢機卿の判断にもよりますが・・・おそらくは。」
ブレンダのその言葉にオリエッタは舌打ちをする。またあいつかと、バルトロ・ウィザース枢機卿のことかと。
次の日、デショーンボルグ城内にある大会議室で昨日の件での話し合いが持たれた。ただ、そこに王の姿はない。王族からはオリエッタ、そして第一王子のアルベルトが参加している。そして、ことの発端になった息子の父、アドルマイヤー公爵と三大侯爵家のうち、ローランドを除く二人の侯爵も姿を見せていた。辺境伯はある意味特別な任務もある為、除外された、だとしても今日この日、この国の要人が一堂に会していた。ローランドは娘が発端という理由、そして娘が景品にされているという理由で外された。皆からしてもいては面倒だし、本人も謙虚に辞退をした。今頃自室で胃薬を飲んでいることだろう。
ちなみにマクドナル公爵も辞退をした。さらに彼は校長の座も退いたと報告があった。校長としての責任とは言っているが、実のところは甚大な被害を出してしまった自領に戻り、親戚への説明や謝罪で忙しいのだろう。
「さて、ウイリアム、我が一族の男は皆、顔から男性器が生えているんだったかのぉ?お主を小さな頃から知っておるが、はて、どうじゃったかのぁ。」
オリエッタの弟、ウイリアム・アドルマイヤーはオリエッタより十歳も年下である。息子のミハエルは挑発されたと言っているが、結果として負けたのだからその言い訳は通用しない。ちゃんと根回しができていれば、チキンレースになどならなかった。もしも『エリザベス』に関わりたいなら、事前準備をするべきだ。だがそもそも関わるべきではなかった。ミハエルが提案していたとしても、即時却下されていただろう。
「オリエッ・・・いえ、失礼しました。王妃殿下のおかげでうちは最小限の被害に留めることができました。改めまして、感謝いたします。」
「それは、負けを認める、ということでよいのじゃな?」
「殿下、児戯では御座いませんか。ここはその一つ王族の力で・・・」
ニコル・スタンフォード侯爵が、ウイリアムに助け舟を出す。もちろんスタンフォードはアドルマイヤー派であり、今日は厄介なマクドナル公爵は来ていない。勿論、多数派のマクドナル派も来ているが、彼らは勝手に自滅しただけだ。そもそもそんな勝負などなかったことにしてしまえば良い。
「儂の顔についた泥をつけたままでいろと?」
「いえ、そうは申しておりませんが、でしたらその・・・王はどのように?」
王という言葉を聞いて、オリエッタは嘆息した。最近、顔も合わせないというのもある。だが、王が出てくればあの枢機卿が絡んでくることになる。だからこそ先に召集したのだ。
「まだ伝えておらんよ。気になることがあってな。誰か、王立図書館に平民を入れたいという、あの娘の要望の真意が分かるものはおらんか?」
「殿下! そ、その・・・その平民とは、例の少年のことでしょうか・・・。」
ガラム・ギルバート侯爵が声を引き攣らせながら、突然声を発した。本人もびっくりするくらいの声が出て驚いている。いつも頼りにしているマクドナル公爵は今日はいない。ただ、彼の話が出るのであれば、今日頑張ってきた甲斐があるというものだ。
「殿下、彼は我が領民を多数救いました。私には彼の要望を叶えてもよいのではと、誠に失礼ながら進言いたします。」
「平民だぞ、正気か?」「違法行為だ!」
彼にさまざまなヤジが飛ぶ。もちろん彼もそれは分かっていた。
「そんなことを言ったら、魔法学校制度そのものが違法ではないですか?」
ガラムにも秘策はあった。そもそも王の命令の法律が追いついていない。さまざまな組織との根回しを必要とする法案の制定には時間がかかる。だからこそ、富国強兵政策は無理があり過ぎた。まだほとんど法案が仕上がっていない。
「もうよい。そんな議論はしておらん。図書館の話をしている。」
歴史上には平民からナイト、いや貴族にまでのし上がった偉人だっている。ただ、王にとって少年の登場はあまりにも都合が良すぎる。だから、夫には言えないのだ。それくらい察してほしいとオリエッタは思ったが、結局参考になる意見は出なかった。
「王立図書館の管理は枢機卿です。そういえば枢機卿はどちらにおいでなのですか?」
息子であるアルベルトが真っ当なことを言ってくれた。だがそれはただ真っ当であり、枢機卿の薄寒いオーラを知らないから言えることだ。息子達には彼と関わって欲しくなどない。
「どこにいることやら。」
また王に碌でもない作戦でも教えに行っているのかもしれない。
「では、父上に聞くしか・・・」
図書館には王と枢機卿にしか入れない部屋がある。それは皆知っているのだ。伝え聞いているのは、そこに「アルテナスの書」と呼ばれる禁書があることのみ。
アルベルトが即位すればその書を手にし、新たな王となる。今はそれしかわからない。王妃であるオリエッタも現物を見たことがない。
「やはり王に!」
「王の意志を!」
結局そうなるのかと、オリエッタは溜め息を吐いた。王と枢機卿が善人であることを願うしかない。儚い願いだが・・・。
王都アルテの王の間、白髭を蓄えた、いかにも王という姿のジョージ3世は、難しい顔をして玉座に座っている。
「バルトロ、最近妙な話を聞いておるのじゃが。計画の方に支障はないんだろうな。」
ジョージ3世は玉座の前に立っている長身の男に不満そうに聞いた。厚い信仰心、そして類稀なる政治的才能とカリスマ、そしてさまざまな奇跡を発現させた強運の持ち主だ。それによって30代で枢機卿に抜擢されたほどの男、バルトロ・ウィザース枢機卿。三年前、この信仰心厚い男は『ある計画』を王に伝えた。
「王とは全てを手にするもの・・・」最初に言われた一言はそれだった。そしてこの男は王の為に、全ての罪を背負うと誓った。計画は常軌を逸していたが、王は心の底から沸き立つ何かを感じてしまった。所詮王とて人間なのだ。
「噂と申しますと、どの噂でしょう。北に南、そして遥か西側にも、ありとあらゆる噂が飛び交っているという噂ですが。」
「何を申す。それらは全てお主の計画の一つではないか。そうではなく、最近王都で言われている方だ、その、あれだ、魔法学校の。」
真っ黒な礼服を纏ったバルトロと呼ばれる男は、はて?という顔をしながら王にお伺いを立てる。
「では、聖女の噂と英雄の噂の二つですね。」
その言葉にジョージは苛立ちながら、肘掛けに拳を叩きつける。
「どっちも同じじゃろ。それがどうなのかと聞いておる。」
「お言葉ですが、同じでは御座いません。聖女の方はずっと昔から知られている、言わば周知の聖女。そして英雄の方は、平民の中に突然現れた未知なる存在。民衆がどちらに熱狂するか、想像は容易いです。」
バルトロの話し方は一々癇に障る。神経質なのか、横柄なのか。だが、隙というものを全く見せない。
「ただ、聖女が仕組んだこと、というのは間違い無いでしょう。」
「そんなことは分かっておる。問題は儂の!所有する図書館に入りたいと言っていることだ。」
「苦難の時こそ、民は英雄を求めるものです。これは陛下が望む展開ではありませんか。図書館の閲覧くらい大目に見ては如何ですか?」
バルトロは先ほどから当たり前のことしか言っていない。計画通りというのは確かだが、王立図書館にいったい何の用なのだ。どうして平民を連れてくる必要があるのか。しかも巷で英雄と呼ばれる男をだ。修道士長からも以前聞いたことがある。救世主様なのではないかとまで言って、泣き崩れてしまう始末だった。まったく年寄りは涙脆くて敵わない。
たかが平民だ。王が指を刺すだけで簡単に殺すことができる。その時はそう思っていたので言う通りにしたが、まさか聖女が関与していたとは。
「陛下はこの国で一番偉いお方。もし気に食わなければ、魔女認定して、燃やしてしまえば良いのです。ジャンヌ・ダルクのように!!」
バルトロの悪い癖だ。訳のわからない言葉を時々話す。きっと何かの引用なのだろうが、王族はずっと教会に閉じこもっているわけにもいかない。軽くあしらっておくに限る。
「宗教用語はよく分からんと言っておる筈だ。まぁ良い、使えるものは使うだけだ。だとしても、もしも、もしも禁書を見たいと言ったらどうする?」
「はて、禁書とは何を指していることやら。少なくとも私は一冊しか知りません。」
一冊とは「アルテナスの書」のことだろう。アルテナスの逸話、そして魔法陣が描かれている。その中には唯一神にあるまじきエピソードも登場する。
「バカを申すな。大体この国は・・・」
「それと、我々の計画は関係ありますか? もしも隠したいと仰るなら、ご自身で隠せば良いではありませんか。」
王の言葉に被せるようにバルトロは王に命令した。その顔はそれを気にしてもいない。だが、彼の自信に満ちた表情を見ると言い包められてしまう。
本来ならば、禁書を管理するのは枢機卿の仕事だ。それに名目上、この世に存在している禁書は一子相伝の「アルテナスの書」のみだ。だが図書館の地下には、唯一神制度を取り入れるよりも以前の本が膨大に保管されている。そもそも枢機卿が、代々『貴重な資料』として保管していたのが悪いのだ。それに三年前のバルトロも、他の枢機卿に漏れず、秘匿を管理していた側の人間だったではないか。
「地下室の管理は代々枢機卿がやっているではないか。」
「それは失礼。忘れておりました。」
恭しくお辞儀をするバルトロだが、全く反省している素振りを見せていない。それに忘れてなどいない筈だ。
「しかしぃ・・・。必要ですか? いずれ分かってしまうことです。地下室が見たいとあちらが言うなら、こちらも条件を出してはいかがでしょう。」
バルトロの漆黒の瞳は時折、全てを見透かしているようにも見える。この男は目的の為には手段を選ばない。ジョージが彼の計画に乗っていなければ、真っ先にバルトロを魔女裁判送りにしているところだろう。だが、今ここにいるのはジョージ王ではない。ただの欲深き人間だ。国もすでに関係ない。だからバルトロの言う通りにするしかないのだ。王はこの男が犯す巨悪の、その全ての共犯者なのだから。
「未開拓領域へまた若者を駆り出す、というのだな?」
「そういうことです。櫓の建設を急がねばなりません。今のままでは間に合いませんよ? 陛下。それに・・・」
バルトロの怪しく笑いながら王に進言した。
「陛下、劇薬というものは毒にも薬にもなります。一回の用量や使用法を間違えなければ、とても良いものです。ご存知かは知りませんが、薬には飲み合わせというものが存在します。ですから陛下、薬を服用の際は必ず分けて、お飲みください。」
陽光はすでに陰り、バルトロは顔はすでに見えなくなっていた。悪魔との契約、これほどしっくりくる言葉はない。バルトロは王にこれからの計画を説明した後、
「では、私はこれで」と立ち去った。
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