血塗れの少年

 オリエッタは迅速な判断を見せていた。前線では死者も出ているというのだ。それなのに派閥の威信がどうのこうの。ブチギレて早々にアホな親戚を叱り飛ばして、退却命令を出させていた。元々訳の分からない、狂ったクソ試合だ。勿論、こちら側が撤退命令を出しているという情報をマクドナル侯爵に伝える必要性は皆無だろう。我が軍は最強だと勝手に勝ち誇れば良い。いくら自領の勝ちだと奴が自慢したところで最終的に裁量権は王族にあるのだからいくらでもいちゃもんをつけられる。


元々は自領の一般平民の兵士はこんなにもすごい、自分の領主としての手腕はすごいのだと自慢したいだけ、マウントをとりたいだけの筈だ。オリエッタの情報網にも、そのように伝わっている。夫・ジョージ王は知っているのか知らないのか。流石に知らないことはないだろう、夫も必ず知っている。そしてそれが分かっていて、勝手に泳がせているだけだ。勿論、あいつが絡んでいる以上、別の目論見も考慮しなければならないが、あいつが何を企んでいるのかが未だに見えてこない。


派閥のマウント合戦、たかがその程度の筈だった。それが今やどうだ。自慢大会の筈が、降って沸いたような賭け試合、勝った方があの『エリザベス』を手にすることができるとう景品が加わった。その途端にたかが自慢できたで終わる筈のイベントが、勝ち負けが存在する無謀な戦いへと変貌してしまった。腐海の森、未踏領域を突き進むというチキンレース、呆れるほど無謀極まりない争いだ。


王妃オリエッタはそもそもアドルマイヤー系に属する。それならばオリエッタにも彼らに対する立場というものがある。みすみす故郷の兵士を失ったとなれば、なんらかの要求をされることだろう。領地、金、いくらでも想像がつく。確かに負ければ何か言われるかもしれないが、負けたとしてもそもそもたかが余興で済ませられる。兵士は失ったら帰ってこないのだ。そもそも負けのペナルティは存在しない。それにあの爆弾女は絶対に要らない。万が一などあり得ないが、余程の自体が起きた時は王族として対処すれば良い。オリエッタが王妃である以上、ここにいる者には何も言わせない。だからこんな馬鹿げたチキンレースに乗る必要など全くない。


弟の息子ミハエルはリサという爆弾女にゾッコンらしい。爆弾女なのだ、しかも下位の貴族だ。何の価値もない政略結婚などする勝ちもないし、寧ろそれで政略結婚の手駒を失うのだとしたら寧ろ損失だ。そもそもローランドは王族に対して敵対していない。ローランドは派閥争いにもほとんど参加していない。今のところ無害の存在だ。そうなると、そのままローランドの勝ちで良いではないかと考えてしまう。


だが、王族の縁戚にあたる公爵家を差し置いて、ローランド侯爵家に勝ちを譲るなどあってはならない。必ずどこからか横槍が入る。それがまた面倒臭い。根回しが足りなすぎて、どれもこれも問題がありすぎる。この戦いを終わらせるちょうど良い判断材料が何かあれば良いのだが。


オリエッタは本来であれば、今頃ゆっくりと湯船に使って疲れを癒しているはずだった。早く、こんなむさ苦しい臭いを侍女に洗い流して貰いたい。


「もう! 何か良い判断材料はないの!? 現場はどうなってるの?」


オリエッタの側にいた話好き公爵に言ったつもりだったが、彼の姿はいつのまにか消えていた。その様子を側で見ていた侍女がこっそりとオリエッタに耳打ちをした。不機嫌そうに考え事をしていた為、侍女はオリエッタの様子をずっと窺っていた。


侍女の話によると、暗号化無視の音声通信用風魔法が王族の魔法師達の耳にも入ってきているというのだ。マクドナル陣営、そしてそれに追従する辺境伯がやたらめったら通信をしているらしい。侍女はすかさずオリエッタに文章を渡した。通信で入ってきた音声を文章化したものだ。暗号解読もくそもない文章を渡され、オリエッタは頭を抱えた。


「男って、どこまでバカなの?」


文章から読み取れるのは、ほぼ壊滅しているということ、そして未知のモンスター頭猪が出てきたこと。挙げ句の果てに阿鼻叫喚の惨劇、目も当てられない。しかしながら、これは良い判断材料になる。マクドナルは失敗したのだ。それどころか、他の貴族の部隊も敗走に追いやられているらしい。そもそも未踏領域など、国家レベルの一大事業の筈だ。たかが一貴族の、しかもその中の民兵隊如きにやれるものではない。


『よくぞ、勇気を示してくれた。お陰で未踏領域は未だ危険であると知ることができた。皆の活躍は儂も覚えておく。そしてこの教訓を今後活かすべきであろう。脅威は迫っている、勝ち負けを競うのではなく、皆で協力すべきだと知れ。仕合う必要などない。』


我ながら完璧だ。この文言で絶対にいける。全部チャラだ。何もかも無しだ。どこも勝っていないし、どこも負けていない。そして後からじわじわと追い詰めていけるネタも手に入れることができる。そうなれば、あの馬鹿げた景品の話も当然なしだ。オリエッタは鬱陶しいマクドナル家の衰退を酒の肴に一杯やれそうな気分だった。もっと若ければ小躍りの一つでもしていただろう。


オリエッタの脳裏に正解が浮かんだ。これしかないという大正解ルートだ。あとは王族の権威を示すだけで良い。


「ブレンダ、皆に伝えなさい。王族を含め、貴族皆で彼ら平民の保護を。できるだけ治癒魔法師を連れて行くようにと伝えよ!あと、魔法学生の貴族にも伝えると良い。余裕のあるものは彼らの救助に迎えと。」


王族の権威を平民にも示し、さらには神格化させる。そして鬱陶しい貴族どもには先ほどの文言を突きつける。マナの枯渇した彼らはもはや傷を治す力も残っていないことだろう。そして、黒猪程度なら、討伐の報告がある。王族の力でこの不毛な争いを止めることができるのだ。まさに神だ。



 実際にオリエッタの采配は見事だった。都合よく、手前の森は葉を失い、見通しもきく。だからそこに救助部隊を向かわせて、陣形を組ませていた。そして森から亡者の如く現れる兵士を手厚く保護するのだ。



「王妃さまぁ!! 私が景品みたいなんですけど。 それって私が勝った場合どうなるんですかぁ?」


通る声でよく聞こえた、なんて上品なものではない。大声でオリエッタに向かって話しかける不敬な奴がいる。勿論あの女は一応ギリギリ体裁だけは保って跪いている。その姿勢からよくここまでの大声が出せたものだ。しかもローランドは負けが確定している。ローランド部隊はメリル部隊と一緒に早々に避難しているではないか。勿論、その行動は賞賛に値するが、勝負はいかに王族の目に留まったかだ。ギリギリアウトっぽい言葉だが、多少の無礼は目を瞑ろう。


「儂にできることがあれば、何かしてやろう。勿論、限度というものはあるがな。」


「ありがたき幸せに存じます!!」


何を勝った気になっているのか。それに何故あいつは救援に向かわないのだ。あいつも魔法学校の生徒だろうに。確かに余裕のあるものと付け加えたのだから、強制ではなかったが、どう考えてもあの女には余裕があるだろう。


ただ、周りの貴族も出払っているし、小言をいうようで格好が悪い。別に人手が足りないわけでもないので、あの女は放っておこう。それにしても、なにか待ち遠しいという雰囲気で森を見ているのはなぜだろうか。どうしても視界の端に映るので気になって仕方ない。だがちょうどブレンダがオリエッタの元に報告書を持ってきたので、そちらに目を移す。


『血塗れの少年を目撃した者が数十名、血塗れの少年に帰路を教えられた者が数十名、血塗れの少年に命を救われたという者が数十名、血塗れの少年が巨人と戦っているのを見た者が数名・・・』


この報告書は先ほどより後から作られた物ということになる。だからこの声の主は救助者の後半の部隊、より深くまで森に入っていった部隊だ。彼らからの報告書は『血塗れの少年』という言葉だらけだった。血塗れの少年というのは暗号化何かだろうか。この文面だけみれば、数十人規模の血塗れの少年がいることになってしまう。



「ほら!メグ!ユウマよ!!言った通りでしょ?」


またあの声が聞こえた。どうやら、もう一人少女がここに残っていたらしい。どうみても余裕そうだが。名前は知らないがどこかの貴族の子供だろう。爆弾女はしきりに指を差し、メガネの少女に何か伝えようとしている。


オリエッタも仕方なくオペラグラスでその方向を見てみる。オペラグラスで漸く視認できる距離に真っ黒い影が見える。あの距離を裸眼で見ていることにも驚いたが、彼が右手に持っている物の方が気になった。


身の丈に合わないほどの大きなゴミ袋を持っているのか? 片手に何かを持っている黒い影を見間違える筈がない。さすがにあのみょうちくりんなものは付けていないがあの少年だ。このオペラグラスで最初に見た『ピコピコ血塗れの少年』だ。


何故あの少年が深い森から出てきたのだろう。それもその後に続くものは誰もいない。どうやら彼が最後尾のようだ。彼の動向をオリエッタは追い続けた。今はオリエッタが指示した陣形に辿り着き、そこで癒しの魔法を受けているようだ。だが癒しが終わっても尚こちらに向かって歩き始めている。途中、何人からも声を掛けられていた。中には握手を求めるものまでが現れた。そして、それらがひとしきり終わったのだろう、再び歩き始め、今度はローランド勢の中で、もみくちゃにされている。緑髪の少女など、彼を見て泣き出してしまったほどだ。


それでも彼は歩を止めず、ゆっくりとオリエッタの方向に真っ直ぐに向かってくる。いや、違う。彼が向かっている先にいるのは、爆弾女『エリザベス・ローランド』だ。




 盛大に水飛沫が飛ぶ。これは洗浄じゃない。もはや消防車による放水だ。吹き飛んでもおかしくない。衣服が吹き飛んでしまいそうだ。ぼろぼろのレザーアーマーが悲鳴を上げている。


「よし、これで大丈夫ね!!」


「大丈夫じゃねぇよ!! イテェじゃねぇか!!」


「あら、ユウマ、リサ様のご好意が分からないの?」


メグが今日はリサのお付きの者らしい。さっきから思うのだが、リサから一つもねぎらいの言葉をもらっていない。ユウマは数百回は死にかけている。ギリギリ即死を避けることができただけだ。その度に死ぬほど痛いのだが、それでもリサ地獄には敵わない。


「ねぇ、これなんなの?」


「はぁ? サードミッション、一番強そうなモンスターの首をとってこい、だろ?」


「そういうこと聞いてるんじゃないわよ! なんて名前のモンスターなの?オタクのあんたなら知ってるんでしょ?」


「そうですよ。オタクなら知ってること全て、リサ様に話しなさい。」


オタク、オタクと煩い。そんな文化はなかっただろうに。強いていうなら、今のユウマはリサオタクだ。これはもはや、この世界に身を置く以上仕方がない。


「トロール、まぁ巨大な鬼だな。」


「なるほど、これが巷で有名な巨人かぁ。」


「これが、じゃねぇぞ、これ、頭だけだかんな!」


「分かってるわよ。バカなの?クソバカなの?」


「リサ様、クソバカは分かっていることです。」


リサもムカつくが、そもそもユウマを毛嫌いしているメグの言葉の方が心に刺さる。体の傷は治っても、心の傷は治らないって知らないのだろうか。悶々としているユウマの腕をリサが強引に掴んで、いつものようにどこかへ連れて行く。


「王妃さまぁー!! こいつが私の家来、ローランドの平民学生です!!」


「え、ちょ!ぐぅぅっ!」


ユウマから変な声が出る。メグがユウマの頭を掴み、強引に跪かせたのだ。この時ばかりはユウマもメグに感謝した。リサだけだったらユウマは王妃の前で突っ立っているという不敬を働いてしまうところだっただろう。メグは「ユウマは一言も喋らないで」と耳打ちまでしてくれた。意外といいやつなのか、単にリサの為になのか。


「ちーなーみーにー。こいつが右手に持ってるのが、巷で有名な巨人トロールの頭ですので、献上いたします!」


トロールという単語を、さも知っていたかのようにリサは言う。声は大きいが、しっかりと跪いて、ギリギリアウトかもしれないくらいに丁寧には喋っている。ユウマからしたら、こんなリサでも十分に新鮮だった。ユウマは王妃の顔を見ていない。それでも、まさかこのタイミングでここまで用意されているとは思わなかった。公爵どころか王族とは。ユウマが聞かされたのはサードミッションまでだ。あとは校長に見てもらうものだとばかり思っていた。あのおしゃべり大好きおじさんの話は眠くなるので、今なら速攻で寝れる自信があるのだが。


リサがユウマの右腕を持ち、強引にユウマの右腕ごとトロールの頭を、リサの前にドンと置いた。リサはユウマの右腕を触りたかった訳ではない。絶対に直接持ちたくなかっただけだろう。


そして小声でユウマにリサが言った。


「ユウマ、行っていいわよ。あとは任せて。」




少年はぎこちなく、のそのそ立ち上がり、ローランドの学生が休んでいる場所まで歩いていった。あの少年の行動、そして戦利品まで見せられた今、オリエッタの計画は全て作り直し状態だった。あのクソバカミハエルにはお灸が必要だろう。


それでも悪い話ではない。とても分かりやすい判断材料だ。先程までは勝者なし、という方針だった。それはこの爆弾女をどの派閥にも渡さないためだった。先に分析した時は公爵が負ける設定を作ってはならないから、そう考えただけだ。ローランド家に大義名分があるのなら、公平性を尊重してやれば済む話。これはどう考えてもローランド、いやあの少年ただ一人の圧勝だ。たった一人で百人以上を救い、たった一人で巨人を打ち倒した。しかも目撃者までいる。まるで御伽噺の英雄ではないか。


問題なのはあのクソバカ(ミハエル)が明確な条件もなしに賭けをしたことだ。一丁前な顔をして男性器がしゃべってるようなクソバカだったことだ。それともあいつの男性器は言語能力が備わった立派なものだったのだろうか。本当に頭が痛い。言ってみれば侯爵令嬢は自らの命を賭けたのだ。その賭けに負けた代償は如何程なのか。領地か、それともローランド家の爵位の格上げか、もしくは自らの王族への婚姻、よもやとは思うが王妃の座を・・・。


まぁよい。度が過ぎれば、それはそれで跳ね除けることができるというもの。そう考えてオリエッタは未だ跪いているリサに言った。


「娘、望みはなんじゃ? アドルマイヤーの領地か、それとも爵位か。申してみよ。勿論、勝敗はまだ話し合いをしてみなければ分からんがの。じゃが、一応は聞いてみとうてな。」


領地なら、御の字だ。それくらいなら、故郷を抑え込める。だが爵位以上ともなれば、他の貴族に示しがつかない。突っぱねる言葉を頭の中に箇条書きしながら、オリエッタはリサの言葉を待つ。ただ一応保険は掛けておく必要がある。だから、まだ話し合いをしていないと言った。望みがアドルマイヤー絡みなら自分の一存を押し通せるが、そうでない場合は他貴族との調整が必要になる。



「では、私、エリザベス・ローランドと私の家臣、ユウマに王立図書館の閲覧権を。」

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